20 落ちた(メル)
物心ついた頃から他人の視線が苦手だった。主に王宮を出入りする貴族たち。でも、彼らは容赦なく僕を見つめてきた。
それは僕が王子という特殊な立場に生まれたせいだと理解したのは、さらに数年たってから。
父上や母上、ふたりの兄上は、家族だけの時と他人が見ている時とでは顔つきや態度が変わる。だけど、僕はそれが上手にできなかった。
兄上たちは「望まれるように演じればいいんだ」とか、「とにかく堂々としていろ」とか簡単に言うけれど、僕は他人の前に立つとどうしても視線が気になってオドオドしてしまう。
そんなだから当然、話すことも上手くできない。
誰かに話しかけられてどう答えるべきか頭の中で色々悩んでいるうちに、相手は苛々しはじめる。
決定的な出来事は、僕が7歳の時に起こった。
僕が友人を持てるよう、王宮に同じ年頃の貴族の息子たちが集められた。
実際に兄上たちはそういう中から友人を得ており、僕も期待を抱いていた。
当日、王宮の一室に集まった子たちは用意されたお菓子を食べながら様々な話題で盛り上がった。
僕は聞くだけで精一杯で、だけど場の雰囲気をそれなりに楽しんでいた。
途中、僕が一度そこを離れてまた戻ってくると、部屋の中はさらに話が弾んでいる様子だった。
今の話題は何だろうと思いながら扉を開きかけて、耳に飛び込んできた言葉に体が固まった。
「メルヴィス殿下は出来が悪いとは聞いていたけど、想像以上だな」
「本来ならこの場を仕切るはずなのに、黙って座ってるだけだもんな」
「王子っていうだけであれに気を使ってやらないといけないのか」
「あれが第三王子で良かったよ。メルヴィス殿下が国王になったら、タズルナの未来は真っ暗だ」
僕はそのまま自分の部屋に帰って泣いた。
人は笑顔の裏で何を考えているかわからないのだと知り、さらに他人が怖くなった。
その後、僕は部屋で過ごすことが増えた。
あの日に何かあったのだろうと気づかれていたかもしれないけれど、僕は家族にも何も言わなかった。
両親や兄も本当は僕を疎ましく思っているのではと、心の中で考えては否定していた。
家族を疑うことが辛くて、やがて僕は本を読んで気を紛らわすことを覚えた。
部屋の本棚に並んでいる絵本や物語を一通り読み直し、それが済むと王宮の中にある図書室に行って僕でも読めそうな本を探した。
そんな中で僕が好んだのは、外国のことが書かれた本だった。特に旅行記などは僕も一緒に旅している気分になれて、お気に入りになった。
王宮にいれば国の外から客人が来ることもあり、その人たちに色々聞いてみたいとも思ったけれど、実行することはとてもできそうになかった。
もちろん、いくら両親が優しくても王子が引きこもってばかりいることは許されず、僕は以前よりさらにビクビクしながら他人の前に立つことになった。
時には、あの日集められた中にいた子と顔を合わせることもあった。彼らに笑顔を向けられるたび、僕は嫌な気分になった。
そんな日々を1年ほど過ごしていたある日、朝食をとりながら家族は前日に到着したという外国からの客人について話していた。
やって来たのは隣国エルウェズの公爵だが、公式な訪問ではなく叔父上が招いた友人らしい。
今回も僕が関わることはないだろうと思い、食事に集中した。
その2日後、図書室に行こうと廊下を歩いていると、同年代の見覚えのある顔と出会してしまった。世間は長期休暇中で貴族の多くが領地に滞在しているはずなのに、3人も。
「メルヴィス殿下、久しぶりです」
彼らがそう言って笑うので、僕は思わず身を竦めた。
「エルウェズから何とかって公爵が来てるそうですね。父上がその人と会いたいとかでこんなに早く都に戻ってきたんですけど、うちだけじゃなかったみたいです」
「休暇明けに来ればいいのにな」
他国からの客人に対して失礼だと思ったけれど、言葉は口から出てこないまま、彼らはさっさと僕から離れて行ってしまった。
ホッとしたのも束の間、背後から声が聞こえた。
「あいつ、話せないのか?」
「最初に会った時、挨拶してたと思うけど」
「どっちでもいいよ。駄目な王子に変わりないんだから」
「そうだな」
気づいた時には走り出していた。目的地などない。とにかく、誰もいないところへ。
涙で視界が歪んで自分がどこにいるのかもわからなくなって、いつの間にか庭に出ていて、それでも足は止まらなかった。
そうして、あっと思った時には僕は池に突っ込んでいた。さらに足がもつれて転び、たちまち頭までびしょ濡れになる。
このまま消えたい気分になったけど池は浅いので、水は座り込んだ僕のお腹あたりまでしかなかった。
それでも立ち上がる気力は湧かない。僕の頬を池の水ではないものが次から次へと流れ落ちていった。
その時だった。
「ねえ、大丈夫? どこか怪我したの?」
誰もいないと思っていたのに突然声をかけられて、心臓が飛び出しそうになった。
顔をあげると、知らない女の子が心配そうな顔で岸からこちらを窺っていた。
しばらく女の子と見つめ合ってから、ようやく彼女が僕の答えを待っているのだと気づいた。
「だ、大丈夫」
「立てる?」
そう言いながら、女の子はこちらに手を差し出してきた。
少し戸惑ったけど、女の子の片足が半分くらい池に浸かっているのが見えて、慌ててその手を掴んだ。
僕を引き上げる過程で結局、女の子の足はすっかり濡れてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいになった。でも女の子にそれを気にする様子はなく、僕の体、特に脚をジッと見ていた。
「うん。怪我はなさそうね。良かった」
女の子はそう言って視線を上げ、今度は僕の顔を真っ直ぐに見つめてにっこりと笑った。
他人の視線も笑顔も苦手なはずなのに、彼女のそれは全然嫌じゃなくて、ただドキドキした。
「目の前で池に落ちたから本当に吃驚したわ」
彼女に情けない姿を見られていたのかと思うと恥ずかしくなり、両手のひらで顔をゴシゴシ拭った。
とにかく、お礼を言わないと。
「あの、ありがとう」
「どういたしまして。だけど、あなた、その格好で帰れるの?」
目立たないよう裏口から入っても、侍従やメイドにはこの姿を見られる。きっと彼らも驚くだろう。それに、万が一貴族やその息子たちに見られたらと思うと気持ちが沈んだ。
彼女はそれに気づいたのだろうか。
「一緒にいらっしゃい。着替えを貸してもらえると思うわ」
僕は少しだけ迷ってから頷いた。
女の子はまた僕の手を握ると歩き出した。僕の手は濡れて汚れているのに。
「私はシャーロット・コーウェン。9歳よ。今、家族とカイル殿下のお屋敷でお世話になっているの。殿下とお父様がお友達で。あなたは?」
それじゃあ、彼女の父上がエルウェズの公爵なんだ。僕は外国から来た女の子と話していたんだ。まだ会話したとまでは言えないか。
どうしよう。何かエルウェズのこと聞きたい。あ、その前に僕も自己紹介しないと。
「僕は、メルヴィス。8歳」
「メルヴィスって、もしかして第三王子殿下の?」
僕はコクリと頷く。
「何だ、そうだったのね。考えてみれば、王宮のお庭なんだから王子様がいてもおかしくないんだわ」
そう呟いてから、彼女は改めて僕を見つめた。
「あなたのこと、『メルヴィス殿下』って呼んだほうが良いのかしら?」
「『メル』が良い」
僕にしては即答だった。
「メル」は家族だけの呼び方だけど、彼女にはそう呼んでほしい。
「わかったわ、『メル』ね。それなら、私のことは『ロッティ』って呼んで。家族や親しい人だけの呼び方よ」
僕はまたコクリと頷いた。
家族や親戚でもないのに愛称で呼び合うなんて初めてで、何だかすごく嬉しくて、さっそく呼んでみた。
「ロッティ」
「何?」
「あ、ごめんなさい。呼んでみたかったから」
ロッティはクスリと笑った。
「別に良いわよ、謝らなくて」
ロッティの笑顔ならずっと見ていたいと思った。
叔父上の屋敷に行くと叔父上叔母上とロッティの両親は不在で、僕の従兄妹たちとロッティの兄弟たちがいて、やっぱり皆に驚かれた。
そこにいた男の子の中で僕に1番歳が近かったロッティの兄上ノアの服を借りることになった。
といってもノアは僕よりずっと大きいので、ブカブカだった。
着替える前には湯も使わせてもらい、さっぱりした。
どちらもロッティが頼んでくれて、僕はお礼を言っただけだ。
ロッティが僕に「送りましょうか?」と尋ねたので、僕は首を振った。
ロッティともっと一緒にいたい気持ちはあるけど、送ってもらうのはちょっと違う気がする。
僕は少し悩んでから思いきって言った。
「またロッティに会いに来ても良い?」
「ええ、もちろん。あと10日はこちらにいるから、是非来て」
あと10日しかいないのか、と残念に思った。




