陰鬱な朝
淹れたての紅茶に、そっと口をつける。後ろでは、ただ一体の私の執事であるにっこりさんが、私の長く金色の髪を、そっととかしている。
「この綺麗な髪、君のお母さんそっくりだ」
このにっこりさんは、いつも決まってそう呟く。この言葉で、今日もなんて事ない憂鬱な一日が始まるって実感が湧く。
「そろそろ...いいですわ。」
私も、お決まりの台詞をにっこりさんに聞かせる。お父様の残した大きなお屋敷、一人と一体では広すぎる。お母様は私の小さな頃に殺され、お父様は失踪、妹は飛び出したきりで帰ってこない。
「あれ?ここの翼膜、破れてるよ?」
「あら本当。どうりで朝からヒリヒリしていたんですの。」
私は種族としては低級だが、高貴な御家の立派な魔族だ。人間の少女の様な身体に、二本の角、一対の翼、尾が存在する。
「うっ...」
「染みるけど、破れ目が広がるよりはマシでしょ?」
にっこりさんは、消毒液の染み込んだガーゼを破れ目に当てながらそう言った。
「情け無いですわね...たかが人間なんかに一生を台無しにされて...今はこの廃墟同然のお屋敷でただ時間を無駄にすることしか出来ないなんて...」
「そう悲観的にならないでよ。僕がついてるからさ。」
翼がこそばゆい。治り始めできたのか。
「じゃあ、僕は朝ごはんを作って来るから」
そう言うと、にっこりさんは壁も扉も無視して、真っ直ぐキッチンに向かった。私は翼を確認する。破れ目は綺麗に治っていた。
「たまには、運動もしないとですわね...」
普段着に着替え、二階の窓を開ける。
「にっこりさん、わたくしは少し外の風に当たってきますわ。」
「いってらっしゃーい」
窓から飛び降りると、地面に付く直前で翼を広げ、急上昇する。
「バサバサ...」
私の翼は蝙蝠型なので、羽ばたく度に布の擦れる様な音を立てるし、長い時間も飛んでいられない。
「?」
ふと、見慣れない建物を見つける。辺りから明らかに浮いた真っ白な建物。十字架らしきものもある。教会だろうか?魔界表層の真ん中に?ふと、高い柵に囲われた庭らしき所に影を見つける。私はそろそろ飛行限界なので、ついでにそこに降りてみる。
「もしもし...ここのお方でしょうか?」
「何だ貴様!ここは貴様ら魔族の立ち入って良い場所ではない!立ち去れ!」
白い翼、天使だ。何故こんな所に?
「うわぁ!」
天使に、ガラス瓶に入った液体をかけられる。聖水だ。焼ける様な痛みを感じる。
「ご...ごめんなさい...すぐに...!」
どうやら、今ので翼膜が焼けてしまった様だ。当分は飛べないだろう。
「居座ると言うならば、こちらも容赦しない!」
天使は剣を抜き、私に向ける。建物からも、どんどんと出てくる。しかし、元はと言えば私が悪い。この天使たちを傷つけたくない。しかし、彼等が最も嫌う魔界に、何故これだけ沢山?
「洗礼を受けよ!はあ‼︎‼︎!」
天使たちが私を切りつけようとする。
「うぅ...くう!」
かわしきれずに、何発かを身に受けてしまうが、とあるひらめきがあった。この柵を超える方法だ。
「この聖域に立ち入ったことを悔やむが良い!」
天使が剣を振り上げた時、私はその天使の肩に飛び乗り、次に天を向いた剣先にそして柵の上へと飛び移った。
「何!?」
「申し訳ございません...わたくしだって死ぬのは嫌でございまし...」
そのまま外に出ると、急ぎ足で家へと帰る。身体が火傷だらけになってしまった。早く手当をしなければ跡になってしまう。
「キン!」
背後から光線が放たれた。天使達だ。いよいよ私を殺そうとしている。それに、今の私には天使たちを振り切るだけの体力も残っていない。
「仕方ありませんわね...でしたら!」
手のひらに赤黒く光る魔法陣を現し、その手で地面に手をつく。
「シュルシュルシュル...」
地面に移った魔法陣は漆黒の竜巻を召喚し、その竜巻ごと地面を滑るように天使達の方へ向かって行った。殺傷性は低いが、撹乱には十二分の威力だ。
「はあ...はあ...はあ...ふう...」
体力を使い果たしてしまった。視界がぐらつくし、真っ直ぐ歩くこともままならなかった。
「せめて...朝食を済ませてからにすればよかったですわ...」
「出来たよー。」
疲れで跪く私をにっこりさんが真っ直ぐ見つめていた。
「え?何故、貴方がこんな所に?」
「ええ?だってここ、お屋敷の庭じゃん。窓の外から君が見えたからさ。」
疲れていて気づかなかった。
「うふふ...」
そんな自分が可笑しく思えたが、直ぐに立っていられなくなり、地面に伏す。
「全く、しょうがないなぁ」
私はにっこりさんに担がれる。火傷と刀傷だらけの身体に、ひんやりとしたにっこりさんの身体がどこか心地良かった。




