撮影日ー黒猫ー
着いた先は小さなカフェだった。
テーブル席が3つとカウンターに4席。
店内は全体的にウォールナットの茶×ステンレスのシルバー×艶のある黒の三色で統一されている。そこに蔓系の植物のグリーンが差し色として映えており、おしゃれなのに落ち着いた雰囲気に満ちている。
店に入ると店員さんが一人顔を出し樋山さんと親しげに会話をしている。内容は聞こえないがどうやら顔なじみらしい。
話が終わったのかこちらに顔を向けると「ごゆっくりどうぞ」と微笑み再び店の奥に消えた。
中性的できれいな顔をしたその人はとても感じがよく彼目当ての客がいるであろうことが容易に想像できた。
今の時刻は午前9時。
ランチからがメインであろうカフェにとって開店にはまだ早い時間だ。
開店前の時間を撮影に貸してもらうのだと車の中で樋山さんが言っていた。
「さてと、では少々準備しますのでこちらに掛けてお待ちください。」
イスを引かれ座面に誘われる。
ここでふと疑問が浮かんだ。
ここが現場だというのに撮影に携わるであろうスタッフは誰もいない。まさか・・・。
「あの樋山さん、もしかして写真を撮るのって・・・」
「ええ、私です。」
にっこりと微笑む彼。
やっぱり!なんでも出来すぎじゃないだろうか、この人。
驚きと呆れが混じった表情を向けると
「申し訳ありません、予算が足りなくて。」
という彼。全然申し訳なさそうには見えないのは気のせいでしょうか。
なんだか腑に落ちない。
「ではこちらのパンプスに履き替えをお願いします。」
はっと顔を上げると樋山さんの手には黒猫が2匹。わたしが購入した猫シリーズである。
樋山さんはすっと膝を折るとわたしの足元に跪く。
(わっ、また足触られるっ・・・!)
先日の店での試着を思い出し、来るであろう刺激を予想し無意識に肩が上がる。思わず目も瞑ってしまった。
・・・
(・・・あれ?)
そっと目を開けると足元にはかわいらしい黒猫が二匹残されているだけ。
こんな緊張をもたらした彼はというと既に傍にはおらず、カメラの調整をしているようだ。
わたしの視線に気付いたようで「どうかしましたか?」という表情を微笑み付きで向けてきたが、わたしは思い切り顔を逸らしてしまった。
絶対また履き替えるの手伝われると思ってたのに!一人で勘違いして恥ずかしい。
やきもきする気持ちを落ち着かせようと目の前のパンプスに足を滑り込ませる。
用意された姿見に自分の姿を映す。
胸元にたっぷりとドレープの効いたホワイトのドレスシャツとハイウェストの黒タイトスカート。肩にはパープルチェックのストールを掛ける。ゆるくウェーブした髪にはグレーのベレー帽がななめにちょこんと乗っている。そして足元には黒猫二匹。
(かわいい・・・!服のセンスもわたし好み!)
嬉しさが表に出ないように噛みしめていると、突如首筋に温かさを感じ思わず小さな悲鳴が出た。
「きゃっ」
「驚かせてすみません。髪が少し乱れていたもので。」
「そ、そうですか・・・。ありがとうございます。」
鏡越しの彼がわたしの耳元で謝罪を漏らす。
先ほどの温かさの正体は樋山さんの指先。
髪を直してくれるのはありがたいけどいきなりの接触はやめてほしい。
心臓に悪いし、なんだか・・・いつもの冷静な自分でいられない。
そんなわたしの心情などお構いなしに、彼は未だにわたしの背後に立ち髪を撫でている。
「ああ、このコーディネートとてもお似合いです。私の見立てに間違いはありませんでした。」
この服も樋山さんが選んだらしい。一体彼は何者なんだろう。
「あの・・・もしかしてこの件、全部樋山さん一人でやっているんですか?」
「ええ、この広告のプロジェクトについてオーナーから私の好きなようにしていいと言われておりまして。」
照れたように言う樋山さん。表情だけならいつもより幼さが垣間見えギャップにドキッとしてしまいそうだが、今は「好きなように」という言葉になぜだか悪寒が走った。
「では撮影に移りましょうか。」
二人掛けのテーブル席の一つに座り、斜めに傾けた足を少し通路側に出す格好。
テーブルは足が中心に一本あるタイプなので、座っていても足元がよく見える。
南に面する大きな窓からは自然光がたっぷり入り、撮影用の照明は必要ないようだ。
カシャカシャカシャッ
連続してシャッター音が聞こえる。
写真を撮られ慣れていないため、静寂の中に響く音に緊張で顔が強張る。
(どうしよう、どうしたらいいの・・・?)
どうやら緊張がそのまま顔に出ていたようだ。
「ふふふ、そんなに緊張なさらないでください。緊張感のある凛とした表情は黒猫のイメージとリンクして素敵です。でも今回のコンセプトとしては子猫二匹がじゃれ遊んでいてそれを見守るような柔らかな表情をいただきたいです。私としても六花さんにもう少し警戒を解いていただいて、あわよくばじゃれついていただきたいんですが。」
緊張を悟られたということに動揺し、彼の言葉の後半は耳に入らない。
右往左往していると、いつの間にかお店の奥から出てきていた店員さんが、その言葉を聞いてくすりと笑っていたことにも気付かなかった。
「少し休憩しましょうか。」
樋山さんから休憩の声。
つまりこんな状態ではモデルが務まらないということ・・・
不甲斐なさにため息をついていると「どうぞ」という声と共に目の前にカップが置かれる。
カフェラテのようだ。
見上げると先ほどの店員さんがにっこりとほほ笑んでいる。
(やさしく笑う人だな・・・。こんな店員さんのいるカフェなら通いたくなっちゃう。)
「ありがとうございます。」と告げカップを覗くとそこにはクマのラテアート。
それを見て思わず吹き出してしまった。
「あれ?そんなにおかしいですか?」
店員さんが首を傾げる。
クマの顔は左右のバランスが崩れなんとも珍妙な表情をしている。お世辞にもかわいいとは言えない代物だった。でもなんだか憎めない顔。
「ごめんなさい、とっても愛嬌のある顔ですね。いただきます。」
そう言って両手で包んだカップを口元に近づけ微笑んだそのとき。
カシャッ
視線を上げると樋山さんの微笑み。でもなんだか瞳が笑ってない・・・?
続けてシャッター音が響く。
彼の表情が気になったものの写真を撮ってくれているので、この構図がよいのだと判断しカフェラテを飲み進める。おいしくて頬がほころぶ。
「六花さん、素敵な笑顔をありがとうございます。すばらしい写真が撮れました。ただこの表情を引き出したのが私ではないというのが残念ですが。葉野さん、ご協力頂きありがとうございます。」
「いいえ?お役に立てて光栄です。」
店員さんは葉野さんという名らしい。
それにしても二人の表情はにこやかなのに空気がものすごく張り詰めていて怖い。
もしかしてこの二人は仲が悪いのだろうか。
その後、クマのお陰かすっかり緊張はほぐれ撮影は順調に進んだ。
「六花さん、黒猫の撮影は以上です。申し訳ないのですが次は私の趣味に少々お付き合いいただけますか?」
「趣味」という言葉に身体が委縮したが、拒否する前に目の前にあるものが差し出された。
彼の手にはpiège sucréのイメージカラーであるネイビーの箱。
その箱に掛けられているゴールドのリボンを樋山さんが片手で解き、ふたを開ける。
「あっ!!」
「遅くなってしまい申し訳ありません。先日お買い上げいただいたロシアンブルーの子猫二匹でございます。」
店員さんスマイル炸裂である。
「履いてみてもいいですか!?」
「もちろんです。今後の参考に写真を撮らせていただきたいのですがよろしいですか?」
興奮するわたしにくすりと微笑む彼。
先ほど趣味と言っていたのはどうやらこのことらしい。
散々写真を撮られた後なのでそんなこと気にもならないためぶんぶんと頷いた。
それよりも今はようやく手元に来た靴が嬉しい。
いそいそと履こうとすると、彼の手が伸びてきた。
「ひ、樋山さん!自分でできますから!」
「遠慮なさらないでください。六花さん、お疲れでしょう?私に委ねてください。」
そう微笑む彼の指先は休むことなくわたしの足をなぞる。
(やっ・・・!わたし裸足なのに!店員さんも近くにいるし!)
靴を美しく魅せるためと言われ今はストッキングも履いていない素足の状態だ。それを触られるなんて羞恥すぎる。
先程の黒猫のときとは打って変わって足を弄る彼の指先。
「・・・っ!!」
わたしは声を我慢して耐えるしかなかった。
「はい、できました。」
にこにこ微笑む樋山さんとは対照的にわたしはなぜだかすごく疲労を感じていた。
ささやかな抵抗としてキッと睨んでみるも全く攻撃力はないようだ。
身構えてると触ってこなかったり、油断してると触ってきたり。どっちかにしてほしい!・・・ってそれじゃ触られるの許してるみたいだ。
混乱しつつも彼に対応する術のないわたしは諦めに近い感情のまま、樋山さんに手を借り立ち上がる。
リン・・・。
「あれ?」
どこからか軽やかな鈴の音が聞こえる。
音の先をたどるとわたしの足元。履いているパンプスを見ると店頭で見たときとは異なる点が。
アンクルのストラップにはロイヤルブルーのサテンリボンが貼られ、くるぶし部分にある結び目にはアンティークな鈴が左右一つずつ。
「少し手を加えてみました。六花さんのことを想いながら作ったのですが、お気に召していただけませんか?」
「いえ!とんでもないです!とってもかわいい!」
眉を下げて問う樋山さんだが、わたしの足に向けられたカメラは異常なスピードでシャッターを切っている。
「わたしのことを想いながら」というのは「わたしに似合うように」ということだろう。
憧れのデザイナーが自分のためにカスタマイズしてくれるだなんて誰だってうれしい。
それに以前よりも数段かわいくなってますます気に入ってしまった。
「こんなにかわいくしてもらってもう手放せません!ありがとうございます!」
「ふふ、喜んでいただけてなによりです。やはりかわいい子猫には首輪と鈴が必要ですものね。それに私ももう手放せません・・・私の beau chaton。」
最後がどういう意味か分からず小首を傾げてみるもそれ以上の言葉は得られなかった。
なぜだかとても満足気な樋山さん。
そして憐みの目を向けてくる店員葉野さん。
「さて。では次の撮影場所の移動しましょうか。」