エピローグ——野薔薇は一人では咲かない
ホーソーン・マナーは今日も賑やかだった。
ブライトンの街の社交シーズンに、プリンス・エドワードとプリンセスキャロラインがご参加されると発表され、ホーソーン・マナーは興奮に包まれていた。
プリンセス・キャロラインがホーソーン男爵家にいらっしゃるとグレイが知らせに来たからだ。
「エリス、早く支度を終えなさい」
「お姉様こそ、ミス・ベルモンといつまでも絹の在庫を数えているからでしょう」
「まあまあ、お嬢様方、本当に急いだ方がいいですわ」
「ホロウェイさん、このリボンはおかしいかしら?」
「プリンセスだからって、気取ることはないって。一度、私たちもお会いしたわ」
「だからって、あれはプリンセスになる前のことだわ」
「あぁ、プリンセスをお迎えするのに、こんなアップルタルトでいいのかしら?」
「あぁ、あんたら、大丈夫さ」
「ギデオンさん、そんな軽々しく言わないでくださいよ。一世一代のことなんですよ」
「なーに、心配いらねぇ。プリンセス・キャロラインは、あんたの作ったモンはなんでもうまいうまいって食べるさ。おっと、ジャック、明日は晴れると思うか?」
「晴れますね」
「おぉ、ありがてぇ、あんたの天気予報は百発百中だからな」
「ドクター・ペンローズとミラーさんがいらっしゃいましたよ」
「あぁ、みんな呼んでくれってグレイが言ってたからな」
***
そんな騒ぎになっているとも知らず、私はのんびりグレイの隠れ家で夫人のお茶をいただいていた。宮殿にいるより、ずっとこちらの方が落ち着くのだ。ブライトン一の菓子店のシーブリーズ菓子店の砂糖菓子も準備されていた。
「やっぱりねぇ、私、あなたがこの家にいらした時、ひょっとしたらひょっとすると思ったんですよ」
夫人は一緒にお茶をいただきながら、私とおしゃべりをしていた。
「プリンセスになるんじゃないかしらってね」
イタズラっぽく笑う夫人に、私は照れ笑いをした。上質シルク・タフタのドレスでやってきた日のことを夫人は話篠塚ているのだ。
「これからホーソーン・マナーに行かれるんでしょう?あそこの方は事故で車椅子になってしまったんでしょう。お可哀想に。でも、事業は妹さんのリディアさんと言ったかしら?引き継ぐんでしょう?妹さんお二人もここにいらしたことがあるのよ。可愛らしいお嬢さん方でね」
私はうんうんと頷きながら、砂糖菓子を頬張った。
夫人は、あの朝に戻った私を迎えてくれた人だ。
「ぼっちゃまが準備ができたようですわ。さあ、行ってらっしゃい。あなたもきっと気にいるわよ。ぼっちゃまは昨年の秋頃まで、3年ずっと通いづめのような感じでしたのよ。楽しいらしいですわ」
えぇ、知っていますわ。
私たちは、夫人に送り出されてブライトンからサセックスまでの一本道を馬車で行った。
グレイは私の手をそっと握り、口付けをした。グレイとして生き生きと過ごせるあの場所は、彼にとっては私との関係を育んだ場所でもあり、私にとってはグレイの素晴らしさを教えてもらった場所だ。
5月の陽光は今日も美しかった。ウッドアネモネが揺れる生垣を眺めながら、白い石灰質の馬車道を進み、空がどこまでも広がるのを窓から眺めた。
やがて、白い泡のようなメドウスイートがそよ風に揺れる小川が見えてきた。初夏になるとアーモンドのような甘い香りを放つその花は、そばに密集して生息している紫ピンクのパープル・ルーストライフの背の高い花の間で、今日も清楚な輝きを放っている。
野薔薇があちこちに咲くホーソーン・マナーが見えてきた。鮮やかなオレンジ色や黄色の野生のキンセンカも雑草の間に顔を出し、濃い青い色のヤグルマギクが点々と咲いていた。白いヒメジョオンが日差しの中で咲いている。
失ったものより、得たものの方が大きい場所だった。
私を生き返らせてくれた場所。
たくさんの人が、私を待っていてくれるだろう。
村人たちが冬を越せること。
妹たちが笑うこと。
誰かの食卓に灯りが灯ること。
そんな幸せを教えてくれた場所が、私を待っていてくれる。
サセックスの風は、今日も優しく花を揺らしている。
私はグレイの手を握り返し、微笑んだ。
野薔薇は一人では咲かない。
完
お読みいただきまして本当にありがとうございました!
感謝申し上げます。
稚拙な物語りお付き合い頂きまして、ありがとうございました。ホーソーン・マナー便りとか、リディアの社交界デビューとか、今後出てくるかもしれません。
またお会いする機会があれば、どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。




