26.グレイSide——ブライア・ウッドの密談
私は眠れなかった。
喜びのあまり。
数週間探し続けていたキャロラインにようやく出会えたからだ。
本当は、あのまま彼女を抱きしめて離したくなかった。
私の家であるブライトンの家まで連れて帰りたかった。
だが、そんなことはできないのは百も承知だ。
長年恋し続けた女性が、ようやく、相手の男の真の姿を知り、結婚を辞めたいとまで言って泣いていた。その女性がどこに消えたか分からなかったが、昨日の結婚式に無理やり出席して本当に良かった。
海運業を営むシーブルック家のツテを使って、結婚式と披露宴に参加していたのだ。
彼女があのホーソーン・マナーでやっていけるのか半信半疑だが、私は全面的に彼女を支えようと誓った。
朝、私の眠りを破ったのは鐘の音だった。ブライトンの港街のセント・ニコラス教会の鐘の音で目が覚めた。今までは、シーブルック家の令嬢としてのキャロラインに日曜礼拝で会えていた場所だ。そのためか、私は反射的にキャロラインに今日も会えると思った。
――いや?
――違う!
昨日の結婚式により、キャロラインが参加する日曜礼拝はブライアコームの教会になったはずだ。
――レッドワイク伯爵夫人としての初の参列だ……。
――いやいや。待てよ。
私の最愛の女性はホーソーン・マナー側にいる。同じくブライアコームの教会の日曜礼拝に出かけるはずだ。
――となると……イーサン・レッドワイクと再び遭遇してしまう!
私はいてもたってもいられなくなった。
昨日のレッドワイク・ホールでの庭での騒ぎを思い出して、イーサンが彼女に迫る様子が頭をよぎってしまった。
――あいつは非常に危険な男だ。
――こうはしていられない。
――2日後、つまり、明日に会おうと約束したが、前言撤回だ。いますぐにブライアコームの教会に向かおう。
私は夫人が用意した朝食も食べず、恋する女性に会うために身だしなみだけは急ぎ完璧にして、階段を降りて玄関を飛び出して馬に飛び乗った。
心がはやる。
――最愛の女性が再びイーサンの魔の手に落ちることを、なんとしても止めなければ!
ブライアコームの教会の尖頭が見えた時、ようやく私は手綱を緩めた。馬が白い息を吐いているのに気づき、急がせ過ぎたと反省した。
だが、レッドワイク伯爵家とホーソーン男爵家は必ずブライアコームの教会の日曜礼拝にきているはずだ。
馬を急いで下りて、教会の扉に飛びついた。
扉を開けた瞬間、私は見た。
礼拝堂の壁際に追い詰められた蜂蜜色の髪を。
その肩をつかむイーサン・レッドワイクの手を。
「その手を離したまえ!」
私は思わず大きな声を出した。皆が一斉に私を振り返った。私は構わず、イーサン・レッドワイクとアーニャ・ホーソーンの方に歩き、2人の間に割り込んだ。イーサンの手を思いっきり払いのけた。
頭に血が上った。
――イーサン、何をしてくれた!?
「君は既婚者だ。節度を持て」
私の声には凄まじい怒りが滲んでいたかもしれない。
感情を出さないように訓練を受けているのが役に立った。
発狂しそうだった。
アーニャ・ホーソーンが私を見るなり安堵の表情を浮かべて、感謝の言葉を囁くのを聞いた。
そうだ、彼女はやはり私の知るキャロラインのままだ。
私とアーニャ・ホーソーンはそのまま礼拝堂から外に出た。
「ジャック、お父様とリディアとエリスには、先に歩いて屋敷まで帰っていると伝えてくれるかしら?」
彼女がホーソーン男爵家の使用人に頼んだのを聞いた。
教会の鐘の音が再び鳴った。
急いで来て、本当に良かった。
私とキャロラインは、昨日に続いてホーソーン・マナーまでの道のりを散歩しながら歩くことになった。
「来てくれてありがとう、グレイ」
「間に合って良かったよ。イーサンには用心しなければならないな」
彼女は小さくうなずいた。
「この小さな森はブライア・ウッドと村人に呼ばれているのよ」
私たちはブライアコームの村を抜けて、小さな森の中を歩いていた。6月の強い光が視界を刺した。ブライア・ウッドの森は濃い緑に沈み、季節が春から夏に変わっていっている途中なのが分かった。5月によく見たブルーベールは消えていた。スイカズラの甘い香りが濃く漂い始めていて、シダが海のように生い茂って風に揺れていた。
薄紫色の花が倒れていた。キツネテブクロの花だ。今朝、村人たちが教会に通うために通ってきた跡だろう。紫のアザミが森の道沿いに生えていて、そこに、アザミにまとわりつく蜂の低い羽音が一瞬聞こえたような気がした。
濃い緑の海の中に、紫、薄紫が散らされていて、初夏が深まっていくのが分かった。
私の恋がどうやら本格的に始まりそうで、私自身は自分がこんなに周りの季節に目を向ける人間だったのか、記憶にない。だが、大気が息を吹き返したかのように感じる。私の隣を歩いているのが、キャロラインだと確信できるからだ。
木漏れ日の下で、彼女の横だけを見て歩いていた。夢心地だった。
数歩先の未来なら、その手を取れる気がした。私の心は期待に満ちていた。
「再興する方法を決めたのよ」
「何をするんだい?」
「犯罪よ」
「……は?」
「密輸」
私は押し黙った。こんな事で、私の心は揺らがない。だが、想定外だった。
「私の実家は海運業でしょう?昨晩、ホーソーン男爵家の帳簿を見せてもらったの。はっきり言ってめちゃくちゃだった。だから、私は覚悟を決めたの。危ない橋でも渡るしかないし、私ならそれができると思ったのよ。死に戻ったのだから、なんでもできると思ったの」
一瞬、私の耳の奥に、蜂の音が大きく聞こえたような気がした。私は言葉が出なかった。
「反対しても、無駄だから。それは最初に言っておくわ。密輸をするわ」
隣を歩くレディの顔を思わず見返した。
アーモンド形の薄緑色の瞳はキラキラと輝き、勝気なキャロラインの心を表しているようだった。
「ほら、サセックスとブライトンの地形を考えて見て。元々、密輸が盛んでしょう?税が問題なのだけれどね。貿易税が二重にかかっているから、とんでもなく紅茶や香辛料が高いわ。他にも色々なものがとても高い」
私の隣の女性は時折空を見上げながら、にこにこしながら話し続けていた。
「ホーソーン男爵家は元々は豊かだったの。その名残の一つがあの巨大倉庫よ。地形的に夜間にものを運びこむのに便利な地形だわ。港から夜の闇に紛れて真っ直ぐに運んで来れて、あの倉庫に資材を隠せるわ」
私は押し黙った。
「まずは、密輸組織に場所を提供して、地代をもらう」
「あてはあるの?」
イタズラっぽく笑うキャロラインは、私が知っているキャロラインだった。
「あるわ。父の仕事を叩き込まれる過程で、あなたとも知り合ったのよ。ブライトンの港町は庭のようなものなのよ」
私の最愛の人は、イーサン・レッドワイクにのめり込む前の少女に戻ったようだった。
私も腹を括らなければならない。
私の正体を彼女は知らない。私が何のためにブライアコームの港町に身分を隠して潜入しているのかも。
私は自分の立場より先に、恋する男だった。
――最愛の人を守ることを選択しよう。
もう、二度と彼女を失いたくないから。
仕立て屋の前で泣いていた彼女を見失ってから、この数週間は本当に地獄だったのだ。
昨日、やっと再会できたキャロラインを守ることが、今の私の最優先事項だ。




