9.どんなことがあっても、お守りします
ソラが屋敷に戻ってきたころには、外もすっかり暗くなっていた。
「ただいま、帰りました」
「遅かったな」
「お伝えしていた予定通りだと思うのですが……?」
食堂に入ると、夕食は完璧に用意され、ふてくされたように座るジェルドに迎えられた。
「わぁっ! 今日も、夕食の用意をありがとうございます!」
「……まあ、別にいいけど」
いろいろあって今日は長く感じたな、と思いながら、ソラも席に着く。なんだか、いつもより夕食の品数が多く、手も込んでいる気がする。ジェルドが自分の帰りを待っていてくれたのかと思うと、ソラは今日の疲れが癒える気がした。
「で、どうだった?」
「それが、いろいろありすぎて、何をお伝えして良いやら……あ、騎士団の連中に会ったんですが、私の汚名返上のためにいろいろ働きかけてくれているようです」
「そう」
「その後は城で手始めに団長に怒鳴られ……」
そこで、言づけられた要件を思い出した。
「そうだ! 手紙を預かって来たんです。大魔官様から」
ジェルドはピクリと肩を揺らしたが、無表情のまま受け取る。じっと見ていると、あまり乗り気でないのか、封筒を雑に破り、中に入っていた手紙を開いた。
「あ、あと、王太子殿下からも言伝が……『お兄ちゃんが会いたがってるよ♡』とのことです」
そこで、ジェルドの動きは完全に静止した。
「……? どうしましたか?」
「……俺は、絶対に城になんかいかないからな」
そのまま、手に持っていた手紙は魔法によって一瞬で消し炭にされた。
「で、殿下?」
まさか、ここまでの話に、ジェルドを怒らせるような内容があっただろうか?
せっかく一緒に食べるためにと用意されていた食事に手もつけず、そのまま乱暴に席を立つジェルド。
ソラが呼び止める声は無視して、自室へ足早に立ち去っていく。
しばらくその場で混乱していたソラだったが、意を決してジェルドの部屋に向かった。
コンコン……
「殿下……」
……
返事はない。
「あの……私が余計なことをしてしまったようで……すみませんでした」
……
「私は待機しておりますので、御用があれば、お声かけ下さい……」
何がいけなかったのかわからないまま、一通り屋敷の仕事を終えた。自分の部屋に戻ろうとする頃には、かなり夜も更けていた。ソラが廊下を歩いていると……奥の方、暗がりが広がっている場所に、ぼうっと立っているジェルドが目に入った。
「あ、殿下……え!?」
「お前は、誰の手先なんだ?」
ジェルドの手には剣が握られている。今にも、切りかかってきそうな勢いだ。
ソラも屋敷内であろうと万が一に備え常に帯剣しているが、明らかに様子のおかしいジェルドに向かって剣を抜くことはためらわれる。そうこうしているうちに、ジェルドが大きく振りかぶってソラに向かってきた。
動きは緩慢で、逃げようと思えば可能。しかし、ソラは鞘に納めたままの剣で、ジェルドの剣を受けた。
「殿下、落ち着いてください! 何を誤解されているのか分かりませんが、私が殿下を傷付けることはありません!」
ジェルドの顔面は蒼白で、視点が定まらない様子だ。
何かを、恐れている?
ソラはジェルドの剣を力いっぱいなぎ払い、自分の剣も放り投げた。同時に、両手でジェルドの頬をバシン!と掴み、頬をぎゅうと押さえながら、自分の顔を近づけた。
「殿下! 私の目を見てください! 殿下を不安にさせるような思惑は一切ありません!」
「!」
ぐいぐいぐい――
「———……ちょっと、痛いんだけど」
しばらくの間そうしていると、ジェルドの怯えた目に光が戻った……そう、ソラは感じた。
「失礼をしました!」
急いで両手を離し、距離をとろうとすると、素早く背中に腕を回され、身動きがとれなくなった。
「で、殿下!? 拘束されるようでしたら抵抗しますよ!」
そのまま、ソラの肩にずしりと重みがかかる。ジェルドの頭だ。気付けば、ジェルドに抱きしめられ、もたれ掛かられる形になっている。
「あの!?」
「うるさいから、とりあえず黙って」
「……は、はい……?」
どうやら、危害を加えようとしている訳ではなさそうだったので、ソラは大人しくされるがまま立っていた。
そのままの姿勢で、静かに、時間が過ぎていく。
最初は息の荒かったジェルドも落ち着いたようだが、ソラから離れる気配はない。そこからまたしばらく微動だにせず待っていたソラだったが、ついに頃合いを見計らって、ジェルドに話しかけた。
「殿下……私は平気ですが、このままでいるのもお疲れになりませんか?」
ジェルドは無言ですっと離れた。
「夜も遅いです、お休みになられますか?」
「……いや」
気付くと、手を繋がれている。促されるまま、居室の1つに入ると、二人でソファに座った。隣に座っているジェルドの横顔をそっと盗み見るも、感情はわからない。
どれほどそうしていたか……
「3年、ほど前までは」
ゆっくりと、小さな声でジェルドが話し始めた。ソラは静かに続きを待った。
「この屋敷にも、少しだけ使用人を雇っていた。最低限の世話や屋敷の管理は使用人に任せていたし、特に、問題はなかった。でも、あの日——信頼していた使用人の一人が……俺の結界を内側から破壊しようとしたから……でも……命まで取ろうと思ったわけではなかったんだ」
淡々と話すジェルドの瞳には、怯えや後悔の色が見える。
「俺に呪いをかけたのも、使用人をスパイに使ってきたのも、誰かはわからないままだ。きっとまだ、俺を狙っていると思う……から」
そこまで言ったジェルドは、とても不安そうな目でソラを見つめた。
「お前を、疑った。いつか、裏切られるかと思うと……怖い」
「殿下、ご存じだと思われますが、私ソラ・ユーミアは、嘘を吐くのが下手です」
「あ、うん。だろうね」
「(即答……)ま、万が一私が殿下の命を狙えという任務を受けた場合、スパイなど回りくどい事はせず、正攻法で攻め入るでしょう」
「妙に、説得力がある」
「したがって! 私に疑いの目を向ける必要は全くありません!! 私はどんなことがあっても、殿下をお守りします!」
「……それは、頼もしいな」
ふっと、ジェルドが笑みを浮かべた。
少なくとも、ジェルドが昔の話をしてくれたということは、ソラへの警戒を少しはゆるめてくれたのかもしれない。ソラはひとまず安堵した。
そのまま、その日は夜が明けるまで、二人はソファに座っていた。
次の日——結局空が白んできてからジェルドは自室に戻っていたのだが、昼過ぎまで出てくることはなかった。ソラは少しだけ睡眠をとった後、いつもと変わらず一通りの家事をこなした。
昼食の頃合いには、昨日の夜保存しておいた食事を温め直して食卓に出し、ジェルドに声をかけた。部屋から出て来なければ自分だけでも食べてしまおうかと考えていたが、ジェルドは特に何も言わず食卓に座り、二人とも無言で遅めの昼食を食べた。
午後、ソラは一人で鍛錬をして、今日は夜ご飯でも作るかと屋敷に戻ると、いつも通りジェルドが用意してくれていた。
今までと同じだけど、やはり何かが少し違う……、微妙な空気の中、ソラはジェルドと夕食も共にした。
「ところで」
何てことないかのようにジェルドが口を開く。
「はい?」
「これからは、一緒に寝てもらうから」
……はい?