01.そこには何もありませんでした
殻です。
もぬけの殻です。
覚悟しやがれ魔族め、このハヅキちゃんが倒してくれる――なんて意気込んできたのに、下町の聖堂は静かなもの、魔族の気配すらありません。
『あ……あっれー?』
我が相棒のデッキブラシが、焦った声を上げています。右へ左へ、キョロキョロと確認するように大きく動きます。
あの、振り回されちゃうんで止まってくれませんか?
『とぉぉぉぉぉぉおおおお!』
途方に暮れる私の耳に、勇ましい声が届きました。
この声、私に取り憑いている、ナイスガイ・悪霊のアーノルド卿です。追手を阻むために大聖堂に残ったはずですが、もう追いついたのでしょうか。
『マッスル・ランディーング!』
ドォーン!
凄まじい衝撃と共に、肉だるま――もとい、筋肉モリモリの大男が、小さな庭に着地しました。ドシャァッ、と土砂が舞い上がります。あーもう、今朝せっかくきれいにしたのに、また汚れちゃったじゃないですか。
『ハヅキ様、一大事じゃぁ!』
私のお小言など無視しして、アーノルド卿が叫びます。
一大事、ですか?
はてなんでしょう。もうとっくに大事になっていると思いますが、この上さらにまた何かがあったのでしょうか。
『大聖堂に、魔族が殴り込みかけてきおったんじゃあ!』
――は?
殴り込みかけにきたのは私のはずですが――え、なんでそうなってるんですか?
◇ ◇ ◇
自己紹介、あーんど、前回までのあらすじです♪
私はハヅキ、まもなく十八歳。
食うに困ってシスターになった挙げ句、紆余曲折を経て不本意ながら大聖女の側仕えに抜擢されてしまった、どこにでもいるフツーの乙女です。
得意なことはお掃除。その他の家事もまあまあです。それを生かしてシスターからハウスキーパーへの転職を夢見ていましたが――前々回のお話でその夢は絶たれてしまいました。
夢破れて意気消沈――てわけじゃありませんが、大聖堂に戻った私。
そこで衝撃の事実。
私の「姉」シスター・リリアンが、「邪神の巫女」なんてものになっていたのです。このままでは命も危ういと言われ、私はリリアンを助けるため、魔族がいる下町の聖堂に殴り込みをかけにきたところなんですが――。
はい、ここで冒頭に戻ります。
下町の聖堂には、なーんにもありませんでした。
それどころか、倒しに来たはずの魔族が、逆に教堂の本拠地、大聖堂に殴り込みをかけているというじゃありませんか。
「ちょっとカリンちゃん! どういうことですか!?」
『え、えっと、えっとぉ……』
金色に輝くデッキブラシが、ややしっとりとした感じになりました。もしかして冷や汗でしょうか。ちょっと気持ち悪いです。
『あ……あー、そういうことか! はいはい、わかりました!』
なにか閃いたようです。いいから早く言ってください。
『ハヅキちゃんが暴れて大聖堂が混乱したでしょ? それに気づいた魔族が、チャンス到来と襲撃かけたんだと思います!』
ちょっとぉぉぉ!
「カリンちゃんがここに魔族がいる、て言うから必死で走ってきたんですよ! 無駄足じゃないですか!」
『えへへ、ごっめーん♪』
ウィンクバチコーン、て感じで謝っても、許しませんからね!
「アーノルド卿、大聖堂は無事ですか? 無事なんですよね? 大聖女様がいるんですから無事ですよね!?」
『うーん、それがのう』
アーノルド卿、困ったようにほおをポリポリ。
『大聖女様は、聖堂騎士たちがワシに苦戦していても助けに入る様子はなかったんじゃ。ありゃぁ、リリアンから邪神を祓うのにかなりの力を使っていたようじゃな』
そう言えば休憩取ってましたね。確かにかなりお疲れのご様子でした。
「で、でも、聖堂騎士がいるんですから大丈夫ですよね? あれだけいれば、魔族なんかに負けませんよね?」
しかも幹部クラスの精鋭たちです。そうそう負けるはずがありません。
『いやー、それがワシも熱くなってしもうてなぁ。何人かはぶっ飛ばしてしもうたから、弱体化しとるかもな』
「何してくれてるんですか!」
『男と男の真剣勝負じゃぞ。手を抜くなんて失礼じゃろうが』
ただの足止めのはずですよね!
あなた一度、本気で戦って聖堂騎士団壊滅させかけてるんですよ、反省してください!
「ま、まあ、団長様がいれば大丈夫ですよね。魔族なんてやっつけてくれますよね?」
『そう思うが……魔族が現れたところで、強制的にここへ飛ばされてしもうたからのう。よーわからん』
「は? 強制的に?」
『ワシはハヅキ様から一定の距離以上は離れられんのでな。踏ん張ろうとしたんじゃが、耐え切れんかった』
いやー、まいったまいった、と笑うアーノルド卿。
「まいったまいった、じゃないですよぉ!」
リリアンがおかしくなったのは、私と一緒に下町の聖堂へ行った後。
リリアンから邪神を祓うため、大聖女様が力を使い疲労困憊。
その状況で私が悪霊を呼び出して大暴れ、大聖堂を脱出。
そして私が逃げ出した後に、魔族が大聖堂を襲撃。
これって、これって。
「私が魔族と共謀して大聖堂を襲撃した、て感じじゃないですか!」
『わ、ホントだ! 偶然とはいえ、びっくりな状況ね』
『なんとなんと! 事実は小説より奇なりとは、よく言ったものじゃのう』
「のんきに感心してないでくださーい!」
とにかく、とにかくです!
「全速力で、大聖堂に戻りますよぉ!」
◇ ◇ ◇
徒歩で三十分、トップアスリートの全速力なら八分弱。
その距離を走り抜けた私、もはやクタクタです。
ですが、泣き言なんて言っていられません。
大聖堂からは炎が上がっており、誰がどう見てもただごとではありません。
「ど、どうしましょう?」
物陰で呼吸を整えながら様子をうかがいます。
大聖堂の周辺には野次馬が集まっていて、こっそり入るのは無理そうです。
『ハヅキ様、あそこじゃ』
おろおろしていたら、アーノルド卿が大聖堂の屋根を指さしました。
「あれは……」
白と赤、二つの光が見えました。
白い光は、大聖堂の屋根の上、剣を構えた団長様に守られて立つ大聖女様。
赤い光は、布切れ一枚だけという際どい格好で、宙に浮いているリリアン。
リリアンと大聖女様、何かを話しているようです。さすがに遠すぎて、話の内容はわかりません。
わかりませんけど――きっと大聖女様が、なんとかリリアンを説得しようとしているのでしょう。
『いかん!』
アーノルド卿が声を上げました。
リリアンを包む赤い光が強くなり、無数の炎となって大聖女様に襲いかかります。団長様が目にも止まらぬ剣さばきで叩き落としていますが、何発かはあたっていました。
『もはや、防ぐ力も残っておらぬのか?』
マジですか?
太古の邪神を一撃で倒す、圧倒的な力の持ち主ですよ?
聖堂騎士百人ごと、歩いて半日の森まで飛べる人ですよ?
そんな大聖女様が防御もできないなんて――マジモンのピンチじゃないですか!
『ハヅキちゃん、こうなったらやるしかないよ! 私達でなんとかしよう!』
「……次は何をさせようって言うんです?」
『あ、なんか言い方冷たい。怖いよハヅキちゃん』
いやだって。
デッキブラシの言う通りに動いたら、事態は悪化するばかりじゃないですか。
『次は、次は大丈夫だから! もうこれ以外選択肢ないから!』
「つまりそれだけ追い込まれちゃってるわけですね?」
デッキブラシのせいで。
『わーん、ごめんなさい、ごめんなさい! だってだって、ハヅキちゃんとやっとお話できて、一緒に戦えて。嬉しくて張り切りすぎちゃったんだってばー!』
私の手から離れ、地面に倒れ伏すデッキブラシ。土下座――いやこれは五体投地ですね。
『ギブ・ミー! ギブ・ミー・ア・チャンス! ワン・モア、プリーズ!』
地面でのたうち回るように、うねうねと悶えるデッキブラシ。なんかちょっと怖いです。
「あーもう、わかりました。でも次失敗したら、容赦しませんからね?」
『はいはい、大丈夫です! ばっちこいです! すべてを取り戻してみせます!』
なーんか軽くて信用しきれませんが、信じるとしましょう。
もし失敗したら――よし、下町のあのヘドロまみれの水路を掃除させるとしよう。
『あ、やばい。なんか今、すごーく身の危険を感じた。よぉーし、やるぞぉ。絶対に勝つぞぉ。えい、えい、おー!』