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彼は私にたくさんのものをくれた。
爪切り、羽ペン、ブレスレット。お菓子だってたくさん。
それはヴァルカン様の思いつく限りの贈り物。それが嬉しくて嬉しくて。
貧乏の私には、そういうものをもらう機会なんてほとんどなかった。病弱であまり長く生きられないとされて。社交界には全然足を運べず、誕生日はいつも家族からのお祝いだけだ。それも靴下のみというもの。
それもすごく嬉しいのだけれど、もう少し色んな物が欲しい。そういう思いを何でも抱いては、我慢しようと思ってきた。
でも、惜しげもなく彼は丹精込めて作ったものを私にくれる。
「ヴァルカン様、私の家がとても貧乏なことはご存知ですよね」
「うん。だって、輿入れ金の額にみんな反対してきたもん」
「……その件はすみませんでした」
使用人たちが必死にこの小さなお坊ちゃんを守る姿が思い浮かぶ。わざわざ多額のお金を渡さなくとも、まだ小さいのだから、この先に嫁がもらえる機会はあるだろう。そう思う使用人たちはたくさんいたはずだ。
「で?それが僕を治す理由になるの?輿入れ金は僕がイリスを買うために払ったんだ」
だから恩を感じるなと、彼の言葉にはそういう意味が含まれていた。
大人よりも立派でまともな回答をするヴァルカン様には、驚いてしまう。
「それはちょっと考えてませんでした。私が返したいのはあなた様から頂いた、あらゆる道具の恩ですから」
「僕があげた?」
指折りにして数えていくと、両手が足りなくなった。
「オリハルコンでできた爪切りは良く使っておりますし。インクが切れない羽ペンは、日記を書くのに愛用しております。この手にくれた銀環をつけてからというものは、体が軽くなって助かっておりますよ」
「まあね。僕が作ったからには、商品ができそうなほどクオリティを出してはいるから」
「ふふふ、そういうことですよ。あなた様が苦労された分、私は何かを返したいのでございます」
それが今回、自然と体が動いて彼の左手の小指を完治させたことに繋がっていた。だから本当のところ、これらの理由は全部後付されたようなもの。
「小指程度の範囲しか治せませんが、これからはほんの少しずつその傷を治させてはくれませんか。いずれはそのお声も」
「僕の声……酷いよね。カラス………みたいって………言われる」
小声になって言うものだから、私はまた勝手に手を伸ばしていた。ローブ越しに、その喉元へ手をかざしながら、念を送る。
「妖精の歌声」
唱えると、それだけで体の周りに風がさよめいた。大雨で窓も空いていないのに、どこからともなく来るそよ風が、彼の喉元をフワリと包む。
「……あ…あ!」
試しに声を出したヴァルカン様。そのお声は鳥の声のようにきれいだった。男子特有の高くて可愛い声。
「お気にめしましたか?」
「うん!これが僕の声なんだね…こんなにも、こんなにもきれいなんだね」
きっとこの方があまり喋らなかったのは自分の声が嫌いだったからだ。治しただけで、こんなにも素直に真っ直ぐ話してくれるのが子供らしくて母性がくすぐられる。可愛らしくって、思わず声に出して笑っていた。
「ふふふふ。そうですね、と〜ってもお綺麗でございます」
「っっっっ……」
頭を撫でて答えてあげると、ヴァルカン様は頭をうつむけた。まだ親から撫でてもらうような年齢なのに、子供扱いされるのは恥ずかしいようだ。その様子も含めて、とっても可愛い。
「ぼ、僕の声……好き?」
「ええ」
「そ、そう…。なら僕の傷を治すのを許してあげるよ」
ヴァルカン様の甘えが、またも私の胸をドキドキと熱くさせた。
きっと彼が誰かに頼るのって、私が初めてなんじゃないだろうか。傷を治すことに頼られて、嬉しくなった。十八歳にして母性に目覚めるとは思わなかったけれど、彼を相手にしていたらもう心臓が持たなくなりそうだ。
いつも思っていたが、その小さな体がピョコピョコ頑張って侯爵邸を行き来しているのは可愛らしいのだ。
抱きしめて、頬ずりして、大切にしたくなる。たくさん感謝を伝えて、甘えさせて。そういうことをしたいと思うのは、シフが睨みつけるほどの常識外れだろうか。
とにかく嬉しくて、また思わず抱きしめてしまう。
「私にはたくさん甘えなさってくれて構いませんからね」
母親に虐待されていたという彼にとってはとても難しいことだと思うけれど。それでも私は母親代わりになりたかった。ヴァルカン様は普段から大人のように接してくれるけれど、相当無理をなされているはずだ。子供を子供として扱ってくれる人だって必要だと私は思う。
貧乏でも、お母様とお父様が、私を大切に育ててくれたから今がある。愛がすべてを包みこんで、彼の心が温かさで溢れるように。
それまで私は母親になりたい。私に優しくものをわけてくれた、年が七つも下の旦那様を、大切にしたい。
夜の雷鳴に、雨はたくさん降る。そんな恐ろしい夜からも、彼を守れたらと考えた。
その日から、私は少しずつヴァルカン様の傷を治す仕事を始めた。まずは彼の左手の自由が効くようにとのこと。
一日に一回回復魔法を使えば、次の日はかなり体が重くなってしまう。それでも、治癒の魔法を使えば、彼の体は治るのだから。
今日もまた、ソファーに隣り合って座りながら、ヴァルカン様の手を握った。その左手の親指を治す。
「花の恵み(フローラ・グレース)」
そうすれば、私の体からは花の香がしてくる。
「この魔法、すごくいい匂いがするよね」
「そう言われると嬉しいです。ほら、ヴァルカン様、手を動かしてみてください。これで私の手が掴めませんか?」
ヴァルカン様の左手と私の右手を合わせて指を絡ませた。彼は五本の指を順番に動かして私の手をつかんでくる。
「すごい!動くぞ!これで両手が使える」
「ふふふ、よかったです。ヴァルカン様の手はとても小さくて可愛らしいですね」
そのまま手を握って見せると、彼はなぜか力が抜けたように動かなくなった。どうしたんだろうか、まさか治癒の魔法がうまく効かなかったとか?
「大丈夫ですか。まさか、私の魔法が」
「ち、違う。イリスは……その…大人の余裕というやつなの?」
「え?」
「僕も一応男なんだからな!」
意地を張るように言ってくるものだから、私は吹き出してしまう。張り合うところがやはり子供らしくて可愛い。
「もう、笑うな!」
「ふふふっ、ヴァルカン様って本当はとても子供っぽくて可愛いのですね」
「っっっっ……可愛い可愛いと、うるさいぞ!」
プンスカ怒るものだから、もう笑ってしまう。今、彼はどんな表情ですねているのだろうか。
そう思っていると、窓から急に風が吹き付けてきた。私の白銀の髪も巻き込んで、彼の分厚いローブのフードすら吹き飛んでしまう。
「わっ!」
驚いた彼は目を見開いた。
ただれたまぶたの下には、丸くて純粋そうな黒鉄色の瞳が隠れていた。思えば初めてみた彼の姿は夜だったからよくその色を見れていなかった。
ヘパイストス家特有の赤い髪は、焦げ茶色を含んでいる。くるくるとパーマが少しかかっていて愛くるしさすら覚える。
なのにヴァルカン様は、フードをあわててつかんで深くかぶってしまわれた。
「そう怯えないでください。私はヴァルカン様のお顔を見ていたいのですから」
必死に覆い隠してしまうのが、何だか寂しかった。
「僕の顔、醜いもん。こんな酷いの見せたくないよ…」
悲しそうに言う彼を、私は抱きしめた。思いを伝えるにはこうしてあげるのが一番いい。
お母様が私にしてくれた事を思い出す。
『イリス、人に物を言うときは相手を包むのよ。触れている部分が多いほど、気持ちは真っ直ぐ伝わるわ』
母親代わりになるためになら、お母様から教えてもらったことをしなければ。彼女が教えてくれたことをたどるようにヴァルカン様の小さな体を抱いた。
「たしかにあなた様は『異形の姿』なのかもしれません。ですけど、誰よりも心は優しくて澄んでいるではありませんか。それを醜いだなんて、誰が思いましょう」
「でもそれは僕の性格の話でしょ?君だって、僕の顔は……」
自信なくいうヴァルカン様へ、私は口元を近づけた。その小さな頬へと口付けを落とす。
「っっっっっ!!」
「ふふふ、顔がゆでダコですよ。ほら、可愛らしい」
小さな頬を両手で包んで、小さな子供をあやす。よくお母様はこうして私にキスをくれた。
それをならってのことだったけど、出過ぎた真似だっただろうか。
どうか自信をもってほしい。ローブを脱ごうと、自分の本来の姿を人にさらけ出していようと。彼はすごく格好いい男の子だ。
いつかは、普段からその顔を私に見せてほしい。
彼の表情をいつでも見ていたいから。
「あなた様の表情を見たいのです。ですからもう少しだけ、このローブを外していてください」
「イリスはおかしいぞ!……僕の顔を見たいなんて…」
恥ずかしがるヴァルカン様は、きっとこういうことを普段からされたことなどないのだ。母親から愛情でなく、暴力を受けていたというのだから。
ならばその分、私が捧げたい。母親からもらえる無償の愛のような大きな思いを。