番外編4 その後の話と、更にその後の話
番外編最後はカイエターナのラブラブフォーエバータックルをくらった後の話と、十数年後の大公夫妻の話。
波音だけが聞こえる静かな船内。
『グローリー』の医療室は数少ない傷病兵と当直の衛生兵のみの静寂の空間……のはずだった。
「はい、検温の時間ですわ」
ベッドに横たわる人物ににこやかに水銀体温計を手渡すのは、アグロセンの麗しき第四王女カイエターナだった。それを戸惑い気味に受けとるのはローディン王弟、近未来にプランタジネット大公となるジョンだ。
つい先ほどジョンはカイエターナに求婚し、二人は名実ともに婚約者となった。本来なら船中で祝福の汽笛でも鳴らす所だ。感激した王女が彼に猛烈熱烈タックルをくらわさなければ。
全身打撲で医療室に逆戻りした王弟に再会した時の軍医の顔は見物だった。傷病兵と衛生兵は理解不能でありながら本能で沈黙を保っている。
事情はどうあれ、これで静かに療養できると王弟は思った。最初のうちは。だが現状はこれだ。
ジョンが医療室に担ぎ込まれて間もなく、王女は侍女を伴って現れた。何故か持参していたメイド服を着て。
「……あの、それは」
「ジョン様がお好きかと思って用意しましたの。こんな事でお役に立てるなんて」
そう言ってカイエターナはかいがいしく彼の看病をした。一体自分はどんな趣味があると思われているんだと懊悩するジョンは、微熱ありと診断された。
――これはもしかして知恵熱か?
半ばやけ気味に考えた結果、彼は王女の好きにさせることにした。幸い、医療室の人々の反感は買っていないようだ。
「…その、災難でしたな、殿下」
軍医はやたらと同情してくれた。それでも打撲傷ぐらいしか追加の被害がなかったのは幸運だったと彼は説明した。
「王女殿下、こちらは衛生兵が経過観察をしますので、船室でお休みになってはいかがですか」
遠回しに退室を促されてもカイエターナはきっぱりと首を振った。
「私はジョン様のお側におります。こんな状態のこの方から離れて眠るなどできませんわ」
「そうですか、何かあればお呼びください」
さしもの軍医も引き下がるしかなかった。援軍が撤退するのを哀しげに見送り、ジョンは溜め息をついた。
「王女殿下」
「カイエターナです、ジョン様」
「……カイエターナ、軍医が言うとおり、治療といっても湿布を貼るだけなのだから無理に付き添う必要は…」
「貴方のお顔を見られない場所にひとりでいろとおっしゃるの?」
目を潤ませて訴えかけられれば、ジョンは降参するほかなかった。王女の侍女がそっと助け船を出してくれた。
「姫様、殿下はお疲れですし、安静が必要ですよ」
はっとしたようにカイエターナは頷いた。
「そうね、私としたことがむきになってしまったわ。では、ゆっくりとお休みになって、愛しいジョン」
カーテンを閉められ、ようやく王弟は息を吐き出した。アグロセンからローディンへ帰国する航海で、いつの間にか船に忍び込んでいたカイエターナを発見してからまだ二日と経過していない。
自分にとっては一生に匹敵するほど長く思えた二日間だった。乗員に偽装して乗り込んでいたラモン・セスコと対決し、自爆装置を起動させた彼を道連れに海に飛び込み、どうにか生還し、本気で泣いてくれたカイエターナに求婚し、医療室に逆戻りし……。
帰国すればやることは山ほどある。兄である国王への報告。名ばかりの伯爵から大公へと変わるための手続き。
グラストンベリー宮殿から新居となるダブリス城への移動もある。祖父の本拠地だが見たことすらなかった他人の城だ。そこで働く使用人の人選も考えねばならない。
――そのあたりはエレインたちの手を借りるか。
宮殿で仕えてくれている侍従たちにも打診してみようとあれこれ考えるうちに、彼はうとうとし始めた。
しばらくして目を覚ました時、医療室は消灯後だった。カーテン越しの照明は非常灯のみになっている。ジョンは身体を起こした。そっと病床から出ると、近くの椅子で第四王女が侍女と並んでうたた寝をしていた。
全身の痛みは引いていた。ジョンは彼女たちを起こさないように外の空気を吸いに行こうとした。足音を消して歩く彼の背後から悲鳴じみた声が起きた。
「いけません、ジョン様!」
同時に背後から腰を掴まれ、彼はつんのめった。そしてそのまま前のめりに転倒した。
「…………っっっ!!」
いくらフラット気味でも顔面着地は痛い。かなり痛い。ローディン王弟は声すら出せずに床に伸びていた。
「大変! 大丈夫ですか?」
全くもって大丈夫でない事態を引き起こした張本人、カイエターナは青ざめながらジョンを揺り動かした。答えられない彼に必死で呼びかける。
「ごめんなさい、ベッドに戻ってもらおうと、つい……」
目眩をこらえ、ジョンはやっとの思いで答えた。
「……いや、ついででいいから、軍医を呼んでくれると助かるかな、うん」
「パロマ、お医者様を早く!」
半泣きでカイエターナは彼をがくがくと揺さぶった。
「お気を確かに! すぐ手当てしてもらいますから!」
――いつか、これが日常になれば慣れる日が来るのだろうか……。
薄れ行く意識の中で、ローディン王弟は未来予想をした。
新たな負傷を抱えてジョンはベッドに運ばれ、騒動を目の当たりにした傷病兵と衛生兵は愛の重さについて熟考させられることとなった。
* *
「ええ、お父様はご自分の命の危機をものともせず船を救って、帆船の甲板でプロポーズしてくださったのよ。あの時の夕陽の美しさは今もはっきり覚えているわ」
うっとりと語るのは、ローディン社交界の名花と謳われるたプランタジネット大公妃カイエターナだった。子守唄代わりに聞かされてきた話を拝聴するのは大公夫妻の一人息子モーリスだ。
母親譲りの黒髪と父親と同じ青い瞳を持つ少年は、おとなしく母の昔話に付き合った。小さな頃に聞いた話に比べてかなりスケールアップしている気もするが、あえて彼は指摘しなかった。ここで迂闊に疑義を挟もうものなら、出会い編ばかりでなくハネムーンで乗船した超豪華客船『ヒガンテスカ』号での事件に首を突っ込んでしまっただの、植民地視察で訪れたはずの南方大陸で何故か猛獣狩りをしただのという眉唾物の冒険譚の無限ループが待っているのだ。
今日はどの当たりで逃げられるのだろうかとモーリスが考えていると、救いの手が現れた。メイドが来客を告げたのだ。
「失礼します、カズンズ子爵令嬢が来られました」
モーリスは勢いよく立ち上がった。
「失礼します」
急いで談話室を出て行く息子を見送り、麗しの大公妃は溜め息をついた。
「仕方ないわね、恋は野の鳥ですもの」
部屋の隅からくすくすと笑う声がした。それまで存在感を消していたプランタジネット大公ジョンだ。
「また二人でキャメロット警視庁を訪問するのかな」
「もっとロマンチックな所を選べばいいのに」
「レディ・メロディの希望だろう」
肩をすくめ、大公妃はモーリスの行き先を詮索しないことにした。そして、夫の座る椅子の肘掛けにもたれかかり、彼のくすんだ金髪を指先で梳いた。
「あの子はどんなプロポーズをするようになるのかしら」
「私たちの子供だ、どこで求婚しても驚かないよ」
「そうね、肝心なのは場所より人ですもの」
ジョンの頭に頬を寄せ、カイエターナは幸福そうに想い出に浸った。
彼女の白い手を取り指先にキスをしてプランタジネット大公もあの頃を振り返り、変わることのない愛情を向けてくれる夫人に囁いた。
「近いうちにムーラト半島に視察に行くことになりそうだよ」
「何かありますの?」
「石油採掘を巡って、妨害工作の恐れがある。黒幕はザハリアスあたりだろう」
カイエターナは黒い瞳を輝かせた。
「聞かせてちょうだい」
彼女の美しい顔を間近に見ながらジョンは思う。
この距離には慣れた、ダブリス城での生活にも慣れた。だが、いつもまっすぐに見つめてくる黒い瞳を目にするたびに胸の中で生まれる甘いざわめきには一生慣れないかもしれない。
そしてローディンの王弟は、天気の話でもするようにきな臭い植民地情勢を夫人に語るのだった。
これで番外編を含めての最終話となります。閲覧有難うございます。




