はじめに
よく考えてみれば、さようならを言ってない。最後に聞いた彼女の言葉はなんだったかと思えば、それは「空だ」というよくわからない言葉だったりする。
なんだ。「また今度」とでも別れていれば、また会う希望はあったかもしれないのに。せめてまた会えることを信じることくらいはできたかもしれないのに。
では「空だ」とはなんだ。どんな状況だ。覚えていない。だから想像してみるとしよう。たぶん、橋の上だ。流れる川照る太陽。人通りのない道。けだるい昼下がり。彼女は欄干から身を乗り出すように、空を眺める。俺はその隣にいる。そこで、彼女は「空だ」と言った。あるいは「青い空だ」とでも言ったのかも知れない。
彼女らしい言葉だと思う。空には無限の広がりがあるからだ。彼女はそこを闊歩するのだろう。地上など、彼女には狭すぎる。いや、空だって狭いと、俺は思う。けれど空は果てが見えない。見えないものは可能性だ。可能性を信じて、彼女は歩く。どこまでも歩く。世界のすべてを知るまで、きっと彼女は歩いていく。
どうか世界よ無限であれ。
せめて、さよならくらいは言いたかった、と思う。だって、別れくらいはかっこつけたいじゃないか。「さよなら」と言って、きっちり境界を引いておけば、あるいはこんなへんてこな文章書くこともなかったかもしれない。思えば、この文章は俺なりのけじめなんだな。
墓標の言葉。
鎮魂歌。
いや、彼女への祝福だ。




