必要のない前置き
さて、まずなにを書くべきかについて、実は悩んでいたりする。そもそも俺がなぜこんな小説めいたものを書いているのかというと、彼女について書くのにふさわしい人物が、俺のほかにいないからだ。いや、そんなことは俺の勘違いで、俺以上に彼女を語るにふさわしい人物は、いるのかもしれないな。そうだな。たぶんいるだろう。まあいい。そんな奴がもし、いたとして、それでもそいつは書かないかもしれない。やはり俺が書くとしよう。
次に――そうだな、この文章を書く直接のきっかけのことでも話すとしよう。それは、彼女からの一通の手紙だった。手紙だぜ。考えてもみろよ、電子のネットワークが世界中に張り巡らされている現代に、手紙だ。彼女らしい、という気もする。そうだ。俺は彼女からメールを貰ったことがない。メールどころでもないか。手紙も電話も貰ったことがない。俺からあげたこともない。へんっ。俺と彼女とのつながりって、なんだったんだろうな、という気もする。まあいい。とにかく手紙だ。
手紙は俺の住むアパートの俺の郵便受けに入っていた。消印はない。だからいつ投函されたものかはわからない。俺は残念ながら毎日郵便受けをあさるという習慣がない。新聞は取ってない。俺に手紙をくれる奴なんていやしねえしな。たまに覗いて、ダイレクトメールを捨てて、それだけだ。だから、消印のないその手紙がいつ入れられたのか、さっぱりわからない。わかったところでどうしようもない。彼女に会いに行く?馬鹿なこと言うなよ。
あはは、驚いた?
ソーリーソーリー ごめんよベイベー
今度、アイドルデビューすることになりました
デタラメですよ、もちろん
ま、元気にやってます 君は元気かな?
月がきれいです 星もきれいです
手紙なんて、初めて書いたなあ わあい
ルンルン♪ でわでわ
手紙に書かれていたことはそれだけだった。意味がわからない。その文句が、便箋いっぱいに習字で使う筆と墨で書かれてあった。信じれられるか?俺はその便箋をしばらく(そうだな、30分くらいだ)眺めてから、封筒を手にとった。そのあて先には確かに俺の住所と名前が書かれてあって、差出人は彼女の名前が書かれてあった。住所はない。それでいい。彼女に住所は似合わない。
で、それから俺はどうしたかというと、別にどうもしなかった。だってそうだろ?なにをしろっていうんだ。彼女が俺に手紙を寄越した意味や、文面の意味を考えようかと、一瞬だけ思ったけど、すぐに思い直した。考えたところでどうなるんだ?俺が彼女をつかまえておけるとでもいうのか?
俺は手紙を封筒に丁寧に収め直して、そこらに放っておいた。以来見ていない。たぶん今も俺の散らかった部屋のどこかにあるんだろう。
俺がこんな珍妙な文章を書くきっかけとなったことについて、もう一つだけ話すことにする。
俺は高校を出たあと、一浪して他県の大学に入った。勘違いするなよ。三流大学だ。別に勉強がしたかったわけじゃない。かといってしたいことがあったわけじゃない。モラトリアムっていうのか。だから日々なすこともなく過ごしている。まったく、俺も堕ちたもんだ。それでも大学に行きたいといったとき両親は泣いて喜んでたな。そりゃそうか。高校までの俺の生活は、はたから見れば今よりももっと最悪だったんだろうからな。
俺の両親は極めてまっとうで、極めて理解にあふれていて、極めて自立的な親だったから、残念ながら俺には彼らを憎むということができない。勝手にいなくなることもできない。まともな道から外れることもできない。仕方がない。せいぜいこれから親孝行しなければ、と思う。苦労かけたからな。
どうも話がそれていけないな。「小説家」の話だ。「小説家」ってのは、俺の隣に住んでる奴で、「小説家」ってあだ名は俺がつけた。俺と同じ大学生らしいが、奴はひきこもって小説ばかり書いている。俺は小説なんて読まないから、奴の小説がいいものか悪いものか知らない。どうせ悪いものに決まっている。ひきこもりにいいものが書けてたまるものか。
なぜそんなひきこもりと俺が知り合いになったのか、詳しく話す気はない。というか、あまり覚えていない。とにかく俺が奴の部屋に行ったとき、奴の部屋が小説と原稿であふれていたことに驚いたことだけ覚えている。「小説家」というあだ名はそのときつけた。よく考えたら本名は覚えていない。
とにかくこの小説らしき変な文章は、そいつに勧められて書いている。どう勧められたか、ここに詳しく書く必要もないだろう。奴が小説のネタを探していた時に、おれが彼女のことを話した。奴はそれを小説に書かなかった。「それは君が書け」それが奴のそのときの言葉だ。だから俺はこんなへんてこな文章を書いている。
そうだ、もう一つだけ断っておくことがあった。最初俺は彼女にも俺にも名前をつけるつもりはなかった。この話は完全に俺と彼女だけの話だからだ。けれど「小説家」が言った。
「名前は付けなくてはいけない。君とこの女性の物語を、そこらに転がっている普遍的な物語にしないために、名前は付けたまえ。名前は大切なものだ。名前をつけるからこそ、その物語には独立性や特殊性が生まれる。あくまでこの物語は、「君」と「彼女」の物語でなくてはいけないよ」
言ってることはわからなかったが、とにかく名前はつけることにした。そもそも「小説家」が居なければ、この小説は書かれていないのだ。
彼女は「彷徨」という。その言葉が彼女を表すに最もふさわしい言葉だと思うからだ。
俺は「芥」。理由はわかるだろ。どうでもいい人間だからさ。




