22話(一章最終話) 北の森
ある昼下がり、デルフィナとランベルトはメルティス領の北の森へと足を踏み入れていた。
デルフィナは法衣に頑丈なブーツを履き、腰のベルトにラウルスを吊って杖を携えている。
ランベルトは革のジャケットに大きなリュック、ベルトに弓矢と短剣を装備していた。
彼は地図を広げながら細い野道を歩く。
「メルティスとリビオの領境で、どちらもあまり調査していない場所なんだ。奥に洞窟があるんだけど、そこの魔鉱石が研究用に欲しくて」
「研究用ですか」
「地盤が含んでる魔力の性質を調べたい。まぁ、大した魔力量じゃないのは分かってるんだけど。だから危険な魔獣もいない」
ランベルトは大きく伸びをした。
「空気が美味いねぇ」
見上げると、木々の間から鳥の群れが飛んでいく。
デルフィナも森の空気を吸い込んだ。
「大森林以外で野営するのは初めてです」
「こっちの方が明るいから、朝は気持ち良いと思うよ。迎えが来るのは明日の午後だし、ゆっくりしよう」
数日前に、調査という名目で危険の少ない森へ行こうとランベルト自身の口から誘われていた。
草を踏みながら、デルフィナは矢筒と弓が揺れる背中を見る。
「ランは、王城はお嫌いですか?」
「王城がお嫌いというか、こっちが楽って感じかな。最近真面目に働きすぎた」
振り返ったランベルトが笑う。
「今日、フィーナと息抜き出来るの楽しみにしてたんだ」
「何とも腑抜けた男よ」
デルフィナの腰に下げられたラウルスが呆れるのを、ランベルトは聞こえない振りをした。
しばらく進むと、流れの緩やかな渓流に辿り着いた。
渓流沿いを登っていくと、焚き火跡が残る日当たりの良い野営地を見つける。椅子代わりの平らな石も二つ並んでいた。
「ここで先にテント張ってから洞窟に行こう」
リュックを下ろすと、折り畳み式の鋸を手に細くしなる枝をいつくか切り、組み上げる。
二人で帆布の天幕を掛けるとテントが出来た。入り口にカンテラと獣避けの魔導具をぶら下げる。
「それは何ですか?」
デルフィナが、石に腰掛けて作業するランベルトの手元を覗き込む。
踏み板と鋼糸の罠を手にしたランベルトはにやりと笑った。
「鹿を獲ってやろうと思って、色々用意してきた」
「鹿がいるんですね」
目を輝かせるデルフィナ。
以前、野生の鹿は美味しいと彼が言っていたのを覚えていたようだ。
「罠を仕掛けるから、足跡を探しながら歩くよ」
「はい」
ランベルトは目を凝らしながら鹿の足跡を確認し、通り道になりそうな藪の間に罠を設置した。
「帰りにまた見てみよう」
「分かりました」
立ち上がると、ランベルトはデルフィナの表情を見た。
言葉よりも先に彼女の顔色を自分で確かめているのが、今のデルフィナには分かる。
「疲れてない?」
「大丈夫です。楽しいですよ」
ランベルトはその返事を聞いて少し笑った。
更に奥へ進むと、リビオの領地に入る山へ突き当たる。
ランベルトは縦に裂け目の入った岩壁の前で止まった。
「蝙蝠とか大丈夫?」
「平気です」
デルフィナは杖を掲げる。
「女神の御名に於て、光よ」
杖の先端から光が生まれて洞窟の中を照らす。
周囲は、全体が黒くて硬い石で覆われていた。
「狭いですね」
「坑道と違って手が入ってないから、気を付けて。でも自然の造形美ってあるよな」
デルフィナは頭上のゴツゴツとした岩に注意しながら見上げる。
地割れで出来たらしい洞窟は鋭利で荒々しい。時折、光を反射して岩壁に交じった鉄鉱石が煌めく。
恐ろしくも、自然の雄々しさを感じる神秘的な光景だった。
「綺麗ですね」
二人は魔法の光がついてくるのに合わせて、ゆっくりと狭い洞窟内を進んだ。
「あった」
ランベルトが足を止める。
岩壁の一角が、仄かに赤く発光していた。
近付くと、結晶化した鉱石が岩の間から露出している。
ランベルトが腰に下げていた小型のピッケルで根元を叩いた。
手のひらに落ちた魔鉱石をデルフィナに手渡す。
「魔力量、どう?」
「……あまり含まれていないですね」
「やっぱり。一応奥のも採って行くか。狭いからここで待ってて」
奥に進むランベルトの後ろで、デルフィナはラウルスに話しかける。
「ここは精霊が少ないのですか?」
「精霊はいるが、神獣の加護も霊樹も無い故に魔力量が少ない」
「なるほど……」
間もなく、魔鉱石を採り終えたランベルトと共に外に出た。
暖かい日差しと緑の匂いが戻ってくる。
ランベルトはピッケルをベルトに差すと、周りを見回す。
「おっ、あるな」
小道の脇に生えていたシダの若芽を摘んでデルフィナに見せた。
「これも食べられるから採って行こう」
「はい」
デルフィナも先端がくるりと巻いた若芽を一緒に摘む。
ランベルトが持ってきた袋へと入れた。
「じゃあ、そろそろ今晩のメインディッシュが捕れてるか見に行くか」
「捕れて無かったらどうします?」
「魚とか水鳥を探す。それも捕れなかったら、夕飯が茸と山菜のスープになる」
にやりと笑うランベルトに、デルフィナは微笑んだ。
「それも美味しそうです」
「……フィーナのそういうとこ、良いよね」
思わず溢れた言葉だった。
不思議そうな顔をするデルフィナをじっと見る。
「何でも楽しそうにしてるの、可愛い」
「ラン……っ」
ランベルトは、二の句が継げずにいるデルフィナの手を引いた。
切れ長の瞳が楽しそうに細められる。
「美味しいもの作るから、楽しみにしてて」
「……はい」
罠を仕掛けた場所まで戻ると、遠目からも鹿の丸い背中が見えた。
少し前に掛かった鹿が暴れた後、途方に暮れて蹲っているようだった。
「やったぞ」
顔を見合わせて、ランベルトは笑う。
「まずは動きを止める」
ランベルトがデルフィナに囁くと、痺れ矢を弓に番って鹿を射る。
鹿はびくっと前脚を跳ね上げて暴れた。
しかし、すぐによろめいて倒れ込む。
「ここにいて」
ランベルトはデルフィナに言い残すと、彼女に背を向けて短剣を鹿の首に振り下ろした。
振り返って大きな声で尋ねる。
「フィーナ。野営地の場所、分かる?」
「はい」
「捌くのにちょっと時間かかるから、薪になりそうな枝を集めて先に戻っててくれる?」
「分かりました」
彼なりの配慮もあるのだろう。
この場はランベルトに任せて、デルフィナは立ち去ることにした。
デルフィナは野営地に向かう途中、適当な木の枝を拾い集める。
少し道から逸れて林の中へ分け入り、枝が両手で抱え込む量になった所で顔を上げた。
少し先。背の高い青々とした木に、黄みがかった橙色の丸い果実が鈴なりに実っている。
デルフィナは近寄って見上げた。
「ラウルス、あれってアプリコットですよね」
「然り」
薪用の枝から一本、長いものを選んでアプリコットをつつく。
ぽとりと実が落ちると、デルフィナは顔を輝かせた。
「取れましたよ、ラウルス」
もう一つ落とし、薪を支える手で何とか持って歩く。
次は、野営地に戻る手前で道の脇に茸が生えているのが目に止まった。
「これ、前に大森林で採った茸ですか?」
「然り」
両手が塞がっていたので、早足で野営地に薪とアプリコットを置いてから戻ってくる。
茸を摘んでいるとその横にも、白くて小さな茸が生えていた。
「これは食べられる?」
「触れるな。人間が食べるには適さない」
「そうなんですね……」
出しかけた手を引っ込めると、食べられる茸を両手に抱えて野営地へ戻った。
渓流まで水桶に水を汲んで帰ったり、焚き火に薪を置いているとランベルトが帰ってきた。
「おかえりなさい、ラン」
「ただいまー……」
麻袋いっぱいに入った肉を下ろし、ランベルトは瞬きをして野営地を見回す。
綺麗な水の入った水桶、焚き火跡に組まれた薪、石の上に並べられた茸とアプリコット。
「すごいな。完璧じゃん」
「野営するのは三度目ですから」
心無しか胸を張るデルフィナ。
それを見たランベルトは笑って肩に触れる。
「ありがと。夕飯作りは俺に任せて」
昼下がりの空が茜色に染まりつつある頃、ランベルトは薪に火を起こした。
枝が爆ぜる音と共に煙が立ち昇る。
「捕れたてならやっぱりソテーが一番美味いかな」
そう言いながら並べたのは、玉ねぎと調味料、オリーブオイルと葡萄酒の小瓶。
「たくさん持ってきてたんですね」
「せっかくだし、ちょっと豪華にしたくて」
ランベルトはジャケットを脱いでシャツの袖を捲った。
筋張った手に握られたナイフが、慣れた手付きで食材を切り分けていく。
スキレットにオリーブオイルを垂らし、切った鹿肉を乗せて塩と黒胡椒を振る。
そこに赤ワインを注ぎ、ローズマリーと玉ねぎと茸とシダの若芽を入れて煮立たせる。
デルフィナは火の前で、パチパチと食欲をそそる音と共にソテーと付け合わせが出来ていくのをじっと見つめていた。
「ランはお料理も上手ですよね」
「慣れだよ。朝、一緒にスープ作ってみる?」
「いいんですか?ぜひ」
ランベルトはスキレットを揺らしながら、自分の手元から目を逸らさないデルフィナを見て密かに笑う。
深皿に鹿のソテーと付け合わせを盛り付けると、持参したライ麦のパンを添える。
葡萄酒のソースが鹿肉に絡んで、艶やかな琥珀色に色付いていた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
深皿とフォークを受け取ったデルフィナは、ランベルトが見守る中、鹿肉を口に運んだ。
一口噛むと、舌の上で濃厚なコクと肉の旨味が広がった。
葡萄酒のほのかな酸味がよく合う。
「美味しいです」
夢中で二口目も食べ始めるデルフィナを見て、ようやくランベルトも鹿肉を食べ始める。
「ん、美味いな」
「森でこんなに美味しいものが作れるなんて、流石ですね」
「はは。喜んで貰えて良かった」
焚き火に当たりながらソテーを食べていると、体の芯から温まる。
デルフィナは頬を紅潮させながら、口元に手を当てて熱気を逃がす。
それでも手が止まらない様子を、ランベルトは嬉しそうに眺めていた。
「どう? 一番好きな食べ物になった?」
「はい、一番です」
ランベルトが腕を伸ばす。
指先がデルフィナの頬に触れた。
細められた瞳から確かな熱を覗かせる。
「鴨も好きって言ってたよな。一番も二番も、俺が食べさせたやつ?」
デルフィナは頷く。耳が少し赤い。
「……はい」
「痴れ者よ」
ラウルスの冷めた声が二人の間に割り込む。
あからさまに鬱陶しそうな顔をして、ランベルトはラウルスを睨んだ。
「爺さん、たまには城で留守番しててもいいんだぞ」
「誰が主を守ると言うのだ。魔法も使えん小僧が」
「鍋敷きにしてやってもいいんだからな、こっちは」
ランベルトとラウルスの言い合いを聞きながら、デルフィナはフォークを置いて微笑む。
心地良さを感じては失礼かもしれない。
そう思いつつも、デルフィナは焚き火の音に被さる彼らの応酬に耳を傾けていた。
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