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特別養護老人ホーム鴉の巣  作者: 福口哲郎


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やめんかこの変態

申し送りも終わり、朝食の準備だ。九人分を皿にもっていく。柏木さんのは出したので、残り八人である。ご飯と味噌汁は、本人に出すときにつける。ここがユニットケアのいいところなのだろう。


普通なら全部よそってあって、トレーなどのお盆にのせられ○○さんという名札があり、そのまま提供するだけだが、ユニットでは、食事制限ない人には、お代わりも出来るし、米もここで炊いている。


炊飯器の蓋を開けるたび、白い湯気とともに米の甘い匂いが立ちのぼる。入居者たちは、その炊きたてを食べられる。

しかし、その分職員は盛り付けが大変であるが・・・。


コップやお茶碗や箸も自分のものがある人はそれを使っている。たまにどれがどれだかわからなくなったり、間違えて出したりしてしまう。そうすると

「ちょっと!これ違うよ!」

と注意されるのは言うまでもない。

覚えているつもりでも、夜勤明けや忙しい時間帯には間違えてしまう。人間の記憶なんて、その程度のものだ。


後は、ミキサーやキザミの人のも、こちらで用意しなければいけないのがかなり面倒だ。ここの施設では、ミキサー、ごくあら、普通の四つがある。ミキサーは、その名の通りミキサーにかけて飲めるくらいドロドロである。極は、かなり細かく刻まれる。そして、荒は、もともとが柔らかくしてあったり、小さく切ってあるので、ほとんどそのまま提供しているが、たまに大きいものなどをこちらで切る。


朝、晩は極も厨房で切ってきてくれるが、昼は選択食(魚と肉など)なので、選ばれたものをこちらで切ってお出しする。味噌汁やお茶などトロミが必要な人はトロミをつける。

これは、はちみつ状ぐらいにトロミをつけると誤嚥しにくくなるからである。ちなみに誤嚥とは、食物や水分が気管から肺の方へ入るとなるものである。一般的にお茶などを飲んだりして、「むせる」ことは、気管に入りかかった異物を排出しようとする生体の防御反応である。酸っぱいものを食べてもよくなるあれと同じである。お年寄りや、病気の人は、生体の防御機構や抵抗力の低下により、誤嚥性肺炎の危険性が高くなる。誤嚥しやすい人は、トロミを強めになどとこちらで調整しなければいけない。

若い頃には何気なく飲み込めていた一口の茶さえ、老いは少しずつ奪っていく。


食べることも、飲むことも、息をすることさえ。

年を取るとは、できていたことが静かに失われていく過程なのかもしれない。



 起きている人に朝食を出し後は、起きてない人を起こしにいく。と、廊下の奥から叫び声が響く。


「ぉ~い、お~い、ともこ~、はよおこんか!ばか~ばかあああ」


田口さんだ。彼女が這って扉を開けようとしていた。立つことはできない。しかし驚くほどよく動く。

そのためベッドから何度も転落し、今では布団対応になっていた。部屋には分厚い絨毯が敷かれ、それでも腕や脚には青黒い内出血が絶えない。


一度、ベランダへの窓の鍵がかかっておらず外に出ていたことがあった。夏であったため、それほど問題にはならなかったが、もしも冬ならば凍死も考えられ、間違いなく新聞にのるほどの大事件である。

それ以来、窓の施錠確認は執拗なほど厳しくなった。



彼女は男の顔をみると

「なにやっとんだ!はようはよう。起こして!」

と連呼した。その声を聞いて、リビングで朝食をすでに食べ終わろうとしている柏木さんが

「やかましいばばぁだな!」

と思い切り机を叩いて怒っている。

朝の静けさは、とっくにどこかへ消えていた。


とりあえず、ピッチでもう一人の早番を呼びトイレに座ってもらう。田口さんは、リハパン(リハビリパンツの略で、使い捨ての紙パンツの事。たいていは、ちょっと汚れただけではもったいないので、中にパッドを入れて使用する。)であるが、尿意はかなり微妙である。ご家族様のあまりにも強い希望により仕方がなくトイレにて介助だが、一〇回に三回ぐらいしかトイレでは出ない。たいてい中に入れてあるパッドに出ている。もちろん、オムツよりトイレでの排泄が望ましいが現実的には難しい。本人の尿意の有無、職員の人員などを考えるとどうしてもオムツがベストとなってしまう。ダフ屋のような、必要悪とまではいわないにしても、やはり無ければ多くの人が困るだろう。


施設によっては、オムツゼロ運動と称して、オムツを外すことに専念している所もあるが、認知症などにより、尿意を感じとれない人や訴えられない人には、結局一斉に定時にトイレ誘導を行い、トイレでパットを換えているだけの形だけが現実である。

「うちの施設ではオムツは使ってないのですよ。」と自慢げで、いかにも建前はいいが、中身は同じである。


もちろん、トイレに座る習慣をつけるという意味ではいいことなのかもしれないが、正直その効果が期待できるほどではないだろう。かなりの長いスパンが必要である。


そもそも尿意そのものを感じられない人にとって、何度もトイレへ連れて行かれることは苦痛ではないのだろうか。

答えは誰にも分からない。

介護とは、本人のためと信じながら、その人の本当の気持ちを最後まで知ることのできない仕事なのかもしれなかった。



田口さんのところは、一人息子で、五十過ぎの独身の息子さんが今まで面倒をみていたのだが、運良く空きができ入所になった。

良く言えば、親孝行で悪く言えばマザコンなのか、介護にもかなり熱心で、その熱心さは時に職員を戸惑わせた。


できるだけ箸を使わせてほしい。

弁当箱に入れれば食欲が出るのではないか。

席を変えたほうが食事に集中できるのではないか。

テレビと反対側を向かせてほしい。

入れ歯が合っていないのではないか。

すぐに歯科を受診させてほしい。

次から次へと要望が出てくる。

どれも母親を思ってのことなのだろう。

それは分かる。

分かるのだが、その思いの強さは時として現実を押し潰してしまう。

トイレ介助も、その一つだった。

息子さんはどうしても母親をトイレへ連れて行ってほしいと望んでいる。

だから今日もまた、田口さんはトイレへ向かう。

しかし、本人は立位も全く出来ないため、必然と二人介助となる。当然、その分職員に負担がかかる。小柄とはいえ、四十キロ近い人を一人で抱えるのだから。力の無い職員は、すぐに腰をやられてしまう。

息子さんは、休みの日は必ずと言っていいほど面会に来られるが、母親にはとても厳しい。

いつも「しっかり食わんか!」「ちゃんと立たんか!」と扉が閉まっていても、かなり大きな怒鳴り声が聞こえる。

教育ママじゃないが、愛情が強すぎる、よくある熱心な人ほど虐待が多いという典型的なパターンだろう。

たぶん、ずっと家にいたらいつか虐待死されていたのじゃないかと思うくらい厳しいからである。


息子さんの話を聞いていると、時々思うことがある。

介護というのは不思議なものだ。

実際に介護をしている人ほど、「これ以上は無理だ」と知っている。

だが、介護を手放した人ほど、「まだ何かできるはずだ」と願う。

もちろん責める気はない。

十年も二十年も親の世話を続けてきたのだ。後悔など、一つや二つで済むはずがない。

だから人は理想を口にする。

もっと歩けたはずだ。もっと食べられたはずだ。もっと良い方法があったはずだ。

その「はずだ」は、たいてい本人のためという顔をして現れる。

だがそれは本人のためというより、自分自身を納得させるための言葉にも見えた。頑張ってる自分。親孝行している自分。


現場には理想より先に現実がある。

立てない人は立てない。

自分で食べられない人は食べられない。

当たり前の話なのだが、その当たり前を受け入れることが、人間には案外難しい。特に肉親には。


介護計画書には立派な目標が並ぶ。

『排泄機能の維持』『残存能力の活用』『自立支援』

文字にすればどれも素晴らしい事だ。

だが、現実は職員が二人がかりで嫌がる利用者を抱え上げ、トイレに座らせている。

理想とはずいぶん便利な言葉だ。



もう一人の早番の坂下がようやくきて、抱えながら車椅子に座ってもらい、トイレへ。

「田口さん、トイレいきましょうか?」

介護の基本中の基本は声かけである。

どんなに認知症が進んでいる人でも、どんなに意思疎通が出来ない人でも、とにかく声かけはしなくてはならない。

世にある数多くの本や教科書には、声かけにより協力してもらえるとか、心構えをしてもらえるなどと書いてあるだろうが、結局人をモノと扱わないための戒めのようなものであろう。

実際に、声かけに全く反応しないのにそれが重要とはとてもいえないのが現状である。



 田口さんの脇に手を入れようとすると

「あかんあかん、何するんだ。便所なんかいかんわ!あっちいく!」

と思いっきり叩いてきた。

「田口さん、とりあえずお手洗いいきましょう。」

そういいながら、彼女の意思なんか関係なく無理やり脇に手をいれる。

「大丈夫ですよ。掴まってください。」

彼女の体を抱えると、すぐに坂下が

「ズボンさげますね。」

といい、ズボンとリハパンを下げた。

「何するんだ!やめんか!この変態が!」

といつものごとく激怒する。

男は思わず苦笑した。

その言葉だけ切り取れば、田口さんのほうが正しい。

同意などない。

説明したところで納得もしない。

本人は嫌だと言っている。

それでも二人がかりで体を支え、ズボンを下ろし、便座に座らせる。

介護という言葉で包まれているが、やっていることだけ見れば、ずいぶん乱暴な行為にも思えた。


尿量が多いためか、吸収率のいい夜用オムツ「スーパービッグ」のパッドでは吸収できずに、リハパンまでずっしりと濡れていた。


坂下はまた後で来るわと言って自分のユニットへ戻っていった。


「田口さん、濡れているのでパンツ換えましょうか?」

自分で言っていて少しおかしかった。

YESかNOではない。

換えるのだ。


本人が嫌だと言っても、換えなければならない。

介護現場には疑問形をした命令があふれている。

「お手洗い行きましょうか?」

「立ってもらえますか?」

「お風呂入りますか?」

どれも形は問いかけだ。

だが、本当に相手の意思を尋ねているわけではない。

断られても結局は行う。

必要だから。

それでも男は時々思う。

疑問形とは何なのだろう、と。

相手に選択肢があるように聞こえる言葉。

けれど実際には選べないことも多い言葉。

命令を少し柔らかく包むための表現なのか。

それとも、自分たちの後ろめたさを和らげるための言葉なのか。


「やめんか!ばか!換えんでもいい!」

とズボンを脱がそうとすると何度も蹴ってくるが、それを聞いていたら仕事にならないので、上手い事蹴りを避けて、さりげなく脱がし新しいリハパンに換える。慣れないとモロに顔面に蹴りを受ける事になる。

新人の頃は何度も顔面に蹴りを食らった。

眼鏡を飛ばされたこともある。

そのたびに先輩から言われた。

「避けるのも技術だぞ」

今では自然に体が動く。介護技術の教科書には載っていないが、現場では案外重要な能力だった。


「向こういこ!あかんあかん!やめんか!」

と手すりをもって自分で立とうとする。

過去に一度、数分目を離した時に、トイレから転落したことがあり、それ以来ずっと付き添うと言う事になったが、その分、他の人の対応が一切出来ないために、遅れたりして苦情がでている。

 

男は壁の時計を見た。

秒針だけが規則正しく動いている。

田口さんは便座の上で落ち着かない様子を続けている。

尿意があるのかないのかも分からない。

それでも一定時間は座ってもらわなければせっかく座ってもらった意味がない。


本人のためなのか。

家族のためなのか。

施設の評判のためなのか。


時々、その境界が分からなくなる。

介護とは案外、自分たちが「やった」という安心を積み重ねる自己満足の仕事なのかもしれなかった。


少なくとも、この狭いトイレの中ではそう思えた。




つづく





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