85.アリス最大の魔法
(——頭か胸、もしくはその両方!)
そう、人間で言えば、『脳』と『心臓』がある場所。
例え概念的なコアであっても、大体それがある場所は同じ。
——何故なら、そこにあるべきだからだ。
アリスは考察を巡らせながら、四本の三日月刀をかいくぐり、たてがみを持つ狼戦士の懐に潜り込む。
そして輝く大剣を真下から天に向かって一閃。
胸部の中心から頭部までを一気に切り裂く勢いで繰り出した。
「……!!」
だが、大剣の切っ先が神獣の腹部に深々と突き刺さり、一瞬の後、鳩尾のあたりまで切り上げ胸の中心に到達する直前——
「悪くない判断。それに良いウデね。……でも、あと少し」
「グオオオオアアッ——!!」
ウガルルムが咆哮した。
それは苦痛への悲鳴ではなく、「甘い!」と言わんばかりの力強い雄たけび。
「っ!?」
次の瞬間、漆黒の獣戦士の身体から、衝撃波が放たれた。
「がっ!」
意図せず口から漏れ出す呻き。
アリスは爆風をその小さな身体全身に浴び、大きく吹き飛んだ。
その距離、およそ三十メートル。
高々と宙を舞い、石畳のほぼ中央から、端まで押し戻される。
アリスはなんとか中空で身体を回転させ、膝と手をついて着地、ギリギリのところで背中からの墜落を免れた。
大剣の切っ先を石畳に突き立て、立ち上がる。
予想外の反撃にも拘らず、大剣を手放さなかったのは不幸中の幸いか。
(くそっ、もうちょっとだったのに)
アリスから三十メートル離れたリンク中央に仁王立ちの姿勢で立つ神獣の戦士。
大剣が貫いたその腹部の傷口からは、今も大量の光の粒子がこぼれ出ているが、それも少しずつ減っていく。
ウガルルムも今は回復を優先しているのか、遥か先からアリスを見据えるだけで、微動だにしない。
(それならそれで、こっちも好都合だ)
アリスはその場で瞳を閉じ、詠唱を始める。
少女のような少年の長い亜麻色の髪がふわふわと重力に反して舞い、それがだんだんと激しくなっていく。
羽織っている蒼色のマントが、バタバタとはためく。
彼の周りに、淡い光が生まれ、そしてさらに、その中をキラキラと星屑のように輝く粒子が舞い踊る。
その時間、およそ十秒。
そしておもむろに腕を天高く突き上げる。
アリスの頭上、天に向けた掌の上に光が収束し、そして一つの炎となる。
召喚された火炎は魔力で圧縮され球体の形を取ったかと思うと、今度は見る見るうちに膨れ上がり——
「出た、アリス《《唯一》》の高位魔法!……《《唯一》》の!」
「ローズ、そんなに“《《唯一》》”を強調しなくても……」
「だってアリスはあれしか使えないでしょ、高位魔法は」
「高位魔法を習得しているだけで凄いじゃないですか……ローズ先輩も僕も、中位魔法が精々なんですから」
「エイリーク、あんたとあたしだけじゃないでしょ。ジルさんもだよ!」
「すまんな、俺は正直、中位魔法もギリギリだ」
「ほらね!」
「いや、だからローズ先輩。別に威張って言うことじゃ……」
ローズ、リリィ、エイリーク、そしてジル。
リンクの脇に設置された選手専用の控え席で、隊長の試合を観戦しながらイマイチ緊張感のない会話が繰り広げられている。
彼等の視界の先では、アリスの頭上の火球が、見る間に膨れ上がっていく。
当初こぶし大だった灼熱の球体は、今や直径一メートルを超えるほどだ。
「高位魔法の基礎をすっ飛ばして何故か発現した、アリスのもう一つの十八番……!」
「前半の説明いらないような……」
興奮気味のローズに、リリィは苦笑い。
「……とは言え、問題はあの嵐の聖霊にどこまで通用するか、だな」
詠唱を終え、両の手を突き出す。
そして、アリスは最後の言葉、すなわち魔法の真名を叫んだ。
「——《大炎球》!!」
ゴオオオオオオォォッツ!!!
「……!!」
巨大な灼熱の球体が、音速を超える速度で漆黒の聖霊を襲う。
魔力と体力をごっそりと奪われ、アリスは思わず片膝をつく。
「ウオオオオオオオオオオオオ——ンッ!!!」
再び、狼の戦士が吠えた。
同時に爆風が放出される。
そして——
「……!!」
アリスの渾身の魔力を込めた大炎球が、敗けた。
ウガルルムの生み出した爆風に軌道を逸らされ、燃え盛る火炎が向かう先は——
「モニカさん!!?」
アリスが思わず悲鳴を上げる。
標的を失った巨大な紅炎の塊は、ウガルルムからわずか数メートル背後にいた青髪の女に直撃した。
『うああああああああ!なんたることかあああっ!!予期せぬ大惨事!!前代未聞だぁ!!我らがモニカが!【呪われし女王】がぁ~っ!!』
木霊すナレーション。もはや絶叫だ。
「……いや、何言ってんのあの人」
「た、大変!わたし行くね!?火傷なら、アリス君の光魔法よりわたしの水魔法のほうが……!」
「いや、だから、あんたも。……何言ってんの?」
「ふぇ?」
慌てて石畳に上がろうとするリリィと、その手を掴むローズ。
「……ひょっとしてこれって」
エイリークがローズを見る。
「そうじゃん、勝ちじゃん」
「?……あ!」
そこでやっと、リリィもローズの言わんとしていることに思い至ったのか、小さな両手で口を覆う。
「そうだよ。自分は戦うつもりがないって言ってもさ、盤上にいる以上あの人も出場者でしょ」
「そっか……!」
「ああ、ローズの言う通りだ。これがモニカの致命傷に相当するなら、護符の加護が発動するはずだから、大丈夫だ。彼女も『不殺の契り』の交換をしているからな」
ジルが穏やかに言い、そして今もなお激しい炎に包まれた【女王】に目をやる。
だが燃え上がる紅炎の中で、人影すら見えない。
「——まあ、これが彼女にとって『致命傷』になれば、の話だけどな」
そしてもちろん、実際はそうでないことを、ジルは知っていた。




