10.月下の皇女1
(……あの人は、おれを弟みたいに思ってるのかな)
大広間にいくつか併設されたテラスのうちの一つに出て、アリスは小さくため息をついた。
ここは七階だ。
そもそも海抜千メートルを超える高地にある王都の、最も高所に建てられた王宮である。
その七階のテラスからは広大な王都が一望でき、さらにその先に広がる草原とその彼方の地平線まで見渡せる。
その地平線の上に目を向ければ、満天の星空が広がっていた。
逆に目線を足下に向ければ、美しい春の花々に彩られた王宮の庭園が見える。
今も、騎士や兵士たちがこの庭園を交代で警備しているはずだ。
テラスには誰もいなかったが、小さなテーブルが一つと椅子が四つ置かれていた。
今のアリスのように、飲みすぎた者が少し休むために用意されていたのかもしれない。
春とは言え夜はまだ冷えるが、むしろ冷たい空気が今のアリスには心地良い。夜風が火照った顔を優しく撫でていく。
アリスはテーブルにグラスを置き、テラスの手すりに肘をかけて星空を見上げた。
深呼吸して、新鮮な夜の空気を体内に取り込む。
(……魔物と戦ってる時より、何倍も疲れるなあ)
騎士になってからこの一年強の間、アリスの任務のほとんどは魔物退治だ。
養成学校の訓練生だった時でさえ、実戦訓練と人手不足解消の両方を兼ねて、教員同伴のもとで魔物退治に同行していた。
もっとも、彼に限らず〈星芒騎士〉のほとんどがそうだが。
それに彼とシュカの場合は、養成学校に来る前から何年も魔物と戦う毎日を送っていた過去がある。
アリスにとって、魔物退治はある意味呼吸するのと同じようなものだ。
何度も命を落としかけたことはあるが、この任務を憂鬱と思ったことは一度もない。
逆に社交の場はいろいろと理由を付けてできるだけ避けてきた。
どこにいっても、良くも悪くも好奇の目に晒されるからだ。
代理が立てられる状況なら、使用人のグレンディーノに代わってもらったことも一度や二度ではない。
手すりに肘をついたまま、本日何度目かのため息をつく。
「早くお開きになんないかなー……」と少々不謹慎なことを小声でつぶやいた時だった。
「あの……」
不意に背後から声がした。
完全に気を抜いていた。
主催国の騎士としてあるまじき問題発言をした直後のアリスは、びくっと小さく体を震わせて、恐る恐るゆっくりと振り向く。
大広間からテラスに通じる入り口のところに、プラチナブロンドの長い髪を綺麗に編み込んだ、可憐な少女が立っていた。
雪のように白い肌、そして深い海のように蒼い瞳。
左目の下には小さなほくろがある。
金色に輝く小さなティアラを付け、淡い水色のドレスを身に纏っていた。
月と星の明かりに照らされたその幼い少女の佇まいは、女としてと言うより、もはや人の域を超え神々しいと言う言葉が相応しい。
ナディア市民が口々に「天から遣わされた」と称賛するのも、あながち嘘ではないようにアリスには思えた。
少女の傍らには侍女と思われる長身の若い女が控えている。
「こ、皇女殿下!?」
あまりに予想外の事態に、思わずアリスは場違いな大声を上げてしまった。




