第十八話『討伐、アッコロカムイ』
扇子を広げた貴人は、まず、空を見た――――。不死鳥と朱雀を混同していることについて何か言うべきなのだろうか……。いえ、ここは、形だけでも主の期待に応えるのが天将というもの。
では、我が主の今生における最大の敬愛を以って、申し上げよう。
貴人とは――十二神将が一、十二神が長、吉の印。
東西南北春夏秋冬を支配領域とし、背に祝福を面に呪詛を口遊むモノ。
「帰命し奉る。見通す全てに座す者に、我が二天の一柱に」
貴人は、次晴の言葉に裏の中に口角を上げた。そう、この目を開いて良いとの、仰せだ――――。
穏やかに距離を詰める歩幅に合わせて、緩やかに開かれていく瞳。快楽に歪ませた歪な笑みを象った唇は、ただ祝いを歌っている。
「善悪を持つ大いなる光よ。瞳の中に収むるモノ、遍く全てが偉大なる御身を犯す悪なれば打ち砕かれよ――成就せん」
「ええ、わたくしが行く道こそ主が道。何事も何者も阻むことは許されません」
貴人が行くと指し示す方は、全ての命が平伏して然るべきである。顔を上げてはならない。目を見てはならない。全てが不敬であるが故に――貴人という神は、そういう神だ。
だが、どうやら晴明は祝砲を所望らしい。ではこの瞳を閉じ、天女の顔となろう。燃え盛る中の灰を拾い上げ、小鳥に息を吹きかけてあげよう。
そうだそうだ、それを彼女が望むのだから――――。
「一度、星辰を定めましょう。アッコロカムイと定められし怪異よ、星を孕む愚かさよ」
貴人の瞳が薄く開かれる。その瞳の中に星々は生まれ、死んでいくもの。煌めく命の炎は彼方で潰えた光なれば、今この目に映る赤は幻想だ。
嗚呼、いけない。やりすぎては、彼女ごと潰してしまう。
さあ、再び生まれる時を祝福しよう。我が権能が及ぶは全て。炎が必要とあれば、そのように――爆ぜるべし。
貴人が差し出した左の手のひらが、怪異を持ち上げるように、盃を抱くように掲げられる。怪異はまるで四肢を穿たれたように身動きが出来なくなり、ただただクジラが啼いていた。
「いつまで水に濡れたといじけているのでしょう。起きなさい、朱雀」
ふう、と手のひらを吹けば、怪異の巨大な腹の裂け目に星が見えた。キラキラと心臓の鼓動のように明滅する七つの星は、やがて鳥の姿であると人魚に示すだろう。――その時に、爆発を以って炎の在処を声高く宣言する。
もうここに燃える花はない、干上がるのは水だ。水蒸気は巨大な怪異の苦しみの声を産声代わりとさせ、そこに一人の少女を立たせている。
それこそが炎の鳥。天高く舞い上がり、大空に翼を広げた。今こそ焼き払う時である、渾身の浄化の許しを以って。
鏡子はそれを命じて――――上下は、水面を軸に位相を入れ替えた。
『 全てが逆だ、と気づいていたのなら……最も賢いやり方は、自分の心臓を刺すことだった 』
水面に立つ鏡子が言った。その人の色をしていない瞳は、水中のクジラを見下ろしている。まるでクジラの目線で自分自身を見ている私は、ただふわふわと水面の泡立ちを見ていた。
『 晴明よ、未だにそんなこともわからずにただただ役割を演じているだけか 』
タコが鈴佳の形を取って立っている。水面に立つ鏡子を見つめて、クジラを見下ろした。
クジラは声を持つが、人の言葉を持たないらしい。私はただただ嘆くばかりで、水面に立つ二人に声をかけることが出来なかった。
『苦しいなら苦しいと、辛いなら辛いと言っても良いんです。ここでだけは、ここでだけは全てを許してあげますから』
『姉さま、でもそれだったら姉さまのことは誰が? わたしは、ねえさまのことも、たすけたくって』
『良いのです。痛みの色を覚えちゃダメ。苦しみの呼吸に慣れちゃダメ。全部全部、大切なものでしてよ』
『わかりません、わかりません……。ねえさまはこんなに頑張っているのに! くやしい、くやしい……!』
『……ありがとう。こんな優しい妹が居て、姉さまは幸せです……』
クジラになって、大きな水槽を泳いでいる。
嗚呼、魚になっても、鏡子は水槽でしか生きていけないのか――――。
『 此度は退いてあげよう、晴明。目録に囚われたくは無い。どうか次に会う時は、完全な姿が良いものだ 』
薄らいでいく視界でも、私は毒づいている。
オマエ達が、そうやって、定めているから。いつまでも、泣き止まないんじゃないか……。
機械音が、静寂の中を泳いでいる。
まだ水の中に居る鏡子を抱きおこす男の影は、次晴にしては細いように思えた。
姉さま、姉さま、と劈く悲鳴に眉をひそめて、水面に出ようと体をよじる。それさえも抱いた男の顔が……彰に見えたけれど、どうしたって、ここに彰がいるはずもない。
また、夢を見ているんだろう。なんど、なんど……夢だったらいいと……。
「鈴佳様、急ながら北海道までお越しいただいて、なんとお礼を申し上げればいいのか……」
「……いいえ。姉さまのことでしたら、どこへだって駆けつけます」
「……ありがとうございます」
点滴、チューブ、心拍数、消毒のにおい、薬剤の匂い……ゆっくり呼吸をしながら横たわる姉を見つめて、鈴佳は静かに息を付いた。
水野は深く下げていた頭を上げると、同じように眠る鏡子を見た。そして、鈴佳を見た。
「彰様にも」
「彰には、此方から礼を言います。あまり、……わからないでしょ? 接し方」
「え、ええ。不甲斐ないとは思うのですが、蘆屋とはどうも慣れず……」
「こちらはもう大丈夫ですから、次晴の傍に居てあげてください。だいぶ無理をしてましたよね。式神が怒っていたし……」
「――はい。きっと、鏡子様よりも目覚めるのに時間がかかるやもしれません。命があるだけ……有難いものです」
「そうですね。姉さまならぜんぶ、ぜんぶ上手くやりますもの。……ね、姉さま。よく頑張りましたね……」
鈴佳は鏡子を覗いて、その頬を慈しむように撫でていた。……ここからは、姉妹の時間だろう。
水野は一礼をして、部屋を後にする。ただ黙々と、己の主の部屋を目指す。指が震えた。腕が震えた。首が震えた。――妖怪退治とは、ここまで、恐ろしいものなのか。おとぎ話では……嗚呼も容易く、出来たように書かれているのに。
それとも……まだ、まだ安倍晴明の力が完全でないとすれば……。――いや、やめよう。あの怪異は討てた、それだけで、考えを止めるべきだ。
アッコロカムイ戦、完成!!
こちらの更新は不定期に戻ります~!




