第十六話『大切なもの』Ⅰ
煙る額縁の下には花園、霞んだ空は海の赤を反映し、世界はこれこそ異様と命あるものに警告を発する。
この中で自由に動ける者は意志のある者だけだ。――これで尚飲み込まれまいと、声高らかに歌う者だけ。
クジラが空を舞う。甲高い絶命の音と共に、海の赤を深めていく。
人魚が歌う。美しき旋律は、黄金のクジラの影を呼んでいる。
「鏡子……」
赤い鳥は言う。行かなければならない幼子に顔を向けて、どうしようもならないことが心配だと。
百神の長は何も言わず、ただ鏡子の後ろに立っている。
「……踏める」
鏡子は花に足を埋めて体重をかけた。踏める。身体が浮く。完全にあちら側の領域であるということの証明だ。
「行きましょう」
プロフェッサーは頷いて、姿を霧に溶かした。
二柱の式神は、鏡子の後ろをついていく。
「 かくれんぼをしましょ? 」
耳元を霞めた声がある。涼しい風を知らせる音のような軽やかさで、鏡子の近くまで接近した気配がある。
鏡子は反射的に飛び退いた。あたりに花が散る。
「……どうして?」
鏡子は式神を下がらせて、眼下に座る人魚に言葉を返した。
人魚は顔を見せないままに、美しい声でつたない舌で笑う。
「 うふふ、かえしてほしいんでしょ? 」
人魚がえづいた。――その血は、肉を含んでいる。
ぼたぼたぼたぼたと人魚の腹から口から這い出て、うごめている。形を成そうとしている。
「 さあ、さがして。きっと、たいせつなものだから…… 」
人魚は泡になった。それでも尚、この世界に歌が響いている。
赤い水面に咲く赤いシクラメンが、ゆらゆらと揺れて――――。
「――くだらない! さっさとタコを叩きます」
「鏡子! それはあまりにも短絡的だわ!」
鏡子の道を朱雀が塞いだ。鏡子は息を吐きながら止まると、朱雀を避けようと足首を歪ませる。僅かに足場が沈む。
「鏡子!」
「怪異の話など、乗るだけ無駄なのです! あれは……あのタコは、次晴をあんなにしたんですよ!」
「次晴のことを怒ってくれているの? それはとっても嬉しいわ、でも、でも! 次晴があんなになったの、真正面からはダメよ!」
「ではあの人魚の言うとおりに何かを探せと? 鏡子には探す物は何もありません、あれはただ遊ばれているだけ! 退きなさい、朱雀!」
鏡子は朱雀を一喝した。流石の朱雀も、それには従わざるを得ない。
眉を下げて、鏡子の後ろに退いた。
鏡子は僅かに息を震わせて、アッコロカムイに向けて歩き出す。まるで地を蹴るような堂々とした佇まいだ。
視界に揺蕩う霧は味方のもので、この歩みを止める人魚はいない。これならば簡単だ。あの巨大なタコを真正面から武力で叩き伏せる――それだけで、この事態は収束するだろう。
嗚呼、早く帰りたいだけ。どうしてかそうやってこの胸を急かす感情がある。右手を強く強く、握りしめた。
「鏡子、ねえ、鏡子……。何をそんなに、焦って、――鏡子!!」
うるさい、と思った。まるで玄武のように鏡子を諫めるこの赤い式神。
掴めばこの手を傷つける薔薇のような存在達だ。彼らはいつだって私に違う男を見ている。
ああ、違う。彼らだけじゃない。誰もかれもが、私達を私達と見ようとしない。
だから――嗚呼、違う、こんなの八つ当たり、八つ当たり、……?
「鏡子、息を吸いなさい。鏡子!」
貴人が鏡子の肩を掴み、後ろに引きずった。目の前にはぶらつく足がある。
ぷらりぷらりと宙に浮いて、血が垂れていく。
「神の類ではなかったのでは?」
プロフェッサーが姿を現し、鏡子の盾となった。鏡子は喉を引きつらせるしかない。あまりにも一瞬の出来事に。
――朱雀の肩を貫いた一本の触手は、鏡子の喉元で静止した。あの怪異は鏡子を仕留めたと思ったのだろうか? 数秒の後に、朱雀は回収される。
血が赤い火の粉となって鏡子の視界を舞う。そこに、式神の姿はない。
「朱雀……?」
そこにはもう、あの赤い鳥はいなかった。
血は存在の痕跡とはなれずに、空気に溶ける炎だった。
それはあまりにも一瞬の別離。一柱の消失で、ようやく鏡子の大切な物は失われたのだろうか?
「朱雀――ッ!?」
人魚が嘲笑っている。歌う声のなんと冷ややかなるかな。
愚かな少女の猪突猛進さに、ほとほと嘲笑う心地よさ。
それとも、鏡子の瞳の裏のフラッシュバックを見抜いてくつくつと笑う妖なのか。
「 さあ、さがして。たいせつなものを 」
歌が響いている。
命を蠟燭の火に例えて、いつでも吹き消せると脅している。
「 さがして さがして こっちだよ こっち かくれんぼをしましょ ねえ あそびましょ なんども なんども また また 」
人魚とは、予言の獣でもあったはずなのに。
鏡子は擦り減っていく心と同時に、当たり前の知識も擦り減らしているのね。
嗚呼でも、幸運ね。此処には他の陰陽師はいない。
本当に、幸運ね――――。
クジラが跳ねて、空の色を足していく。
鏡子の頭蓋に鳴る音は減っていくのに、世界の色は一色だけで全ての濃淡を示すよう。
アッコロカムイが手を足を持ち上げた。波打つ地平に立つ足はあるのか。
うねる触手は、ただ命を摘みたがっている。命に宿る赤い血を、ただただ欲している。
人魚が歌う。永遠の時間など何処にもない。ただ停滞するだけなら、子どもでも出来てよ。
さあ、さがして。命を貫くこの領域で、命があるままに探し出して。
クジラが跳ねる。嗚呼、それは本当に――クジラに見えているの?
「走りなさい、オンミョウジ、サン!! ウネウネはワタシとキジンサンが弾きますから!!」
世界が加速する。命のやり取りの遊戯盤のように。
屈辱に耐えながら怪異に背を向けて、鏡子は一目散に走りだした。残る式神とこちらの怪異で、鏡子を貫かんとする投げ槍の手足は弾かれていく。あちらが害意を示していて、護るべき者が一人というのは護り手としてもやり易い。
「探せと言ったって……。花しかない!」
「人魚と花に何か関連性はないんですか!?」
「関連性!? 花と人魚に!? ええと……ええと……!」
何かあっただろうか? 花と人魚――?
わからない――もしかしたらどこか小さな謂れがあるのかもしれないが、今の鏡子にはわからなかった。逃げ続けなければならない足と、考え続けなければならない頭がどうにも連携しない。何かに集中すれば一つを疎かにし、命の危険を近づけにいく。
乱れる視界が赤に埋め尽くされていく。上も下も赤いなら、きっともう海も空もわからない。それでも逃げる。何かを探すために。走って走って――鏡子はふと、立ち止まった。
「ありました」
「何が」
貴人が鏡子を抱きしめる形で庇い、血を流す。その流れは鏡子の額に伝って頬に落ち、鎖骨に落ちた。
鏡子は指を差す――白い花が一輪だけ、揺れている。
「如何にも、怪しいですね」
プロフェッサーが一段と霧を深くし、風を呼ぶ。その風防壁に守られて、鏡子は一歩、一歩と花に近づいていった。
するとどうだ、鏡子たちを取り囲むようにあたりに水の膜が出来る。まるで金魚が口から放つ水泡のように。
鏡子は口に手を当てた……呼吸は問題ないようだ。ならば、この事態は気にすることではない。
再び白い花を見た。花の近くに、二つの小さな影があった。
子どもが二人、手をつないで走ってる。
「ふふっ……何の遊びのつもりなんでしょうね」
この光景が、鏡子の大切なものだと言いたいのだろうか? 笑わせる、と鏡子は薄ら笑んだ。こんなあべこべの子どもに、惑わされる鏡子ではない!!
「 おねえちゃん…… 」「 ねえさま…… 」
「貴人、やりなさい」
貴人は小さく息をついて、右手を差し出した。そのまま鉤爪を立てるかのように掌を天に向けて何かを掴めば、固い水晶を片手で割るように握りしめていく。そうして握りつぶした時――子どもたち二人は、悲鳴もなく肉と血となった。
そう、重なる二つの幼子を貴人の力で粉砕したのだ。肉塊は水面に溶けることはなく、ただもう一度形になろうと脈打っている。
鏡子は辺りを見渡した。どうやら切り離された空間が繋がる気配はない。ならば――――。
「鏡子!?」
おもむろに、鏡子は肉塊を食んだ。意外と美味しかった。一口、二口と胃の中に放り込む。鏡子が嚥下するたびに、覆う水泡は赤い花吹雪になり透明に消えていく。
プロフェッサーが己の口に手を当てて、その異食を見ていた。流石の彼も、直視できないのだろうか。
さあ、次だ。
目当てはまるで赤い海に咲く無垢の花。白いシクラメン。それを散らせというのなら散らしてあげないといけませんわね。
拾ったきのこを食うなーーッ!!
ところで皆様、立花みかんは今人生で初めてクトゥルフTRPGのシナリオを書いています。
一回くらい書いてみたーい! 試しにこれでやってみっか! と作りました。
え? 更新滞ってるのそれのせいじゃないか?
こぶし 1D100<=50




