八色蜜葉
お母さんの葬式に、お父さんが来た。
蜜葉が物心つく前に別れたお父さんは、むせ返る花の香りに沈むお母さんへ、涙ながらに呟いた。
なんで信じてくれなかったんだ、と。
出し惜しみを忘れる銀賦の攻勢に、叶雨は苛立ちが募っていた。異常を詰めた化粧品の雨あられ、燃えたり爆発したり固まったり溶けたりと、制御の不完全が浮き出ている。
戦法も何も無い数の嵐に、叶雨達はちまちまと応対していた。
「ぶほっ!?パウダーが喉で貼り付く、水!」
「シンナー臭い!これ中毒にならないよね!?ならないよね!?」
「痛って!何かの瓶こっちに投げただろ!?キャー!!机の引き出しごとめっちゃ落ちて来たあああ!!?」
「もうキャーはいいよ」
「いきなり平常心出すなよ!?」
力の鎧が有効と分かり、思考に余裕が出来た。鏡や化粧品を壊しながら数を熟すと、水銀の優秀さが際立つ。形状自由な鉱物は盾としても矛としても、ついでに銃にも変形する。近距離から遠距離まで万事対応だ。
それだけに何故水銀の量が、精々コップ一杯分しかないのか疑問である。
「水銀足りない!もっと持ち歩けよ!」
「エイド所持法ギリグレーの!シルバーアクセで、この量出せるだけでも―――褒めろ!」
「力富君天才!もっと出せ!」
「褒め方雑!?」
「私の前で……いちゃつくな死ねえええ!!!」
「「ちげえええ―――!!!」」
涙で化粧が崩れている八色が、怒号と口紅を発射。空中に紅を引き、弾丸となって叶雨の毛先を掠めた。滅茶苦茶な放物線で、避けた場所に投げられたコンパクトミラーが爆発、衝撃が鎧を叩く。
命の危機をもたらす空間でひたすら抵抗している様子を見て、いちゃついているという結論に至った考えが許せない。異議を申し立てたい。
「八色!!努力がどうのとか言ってるけど!この学校入るのに努力が要らない奴はいないから!自分だけ努力してると思ってんなら、恥をかく前に改めろ!」
「うるさい!なによ不細工のくせに!私の方が何倍も可愛いし、女子力だって絶対高いんだから!」
「あ、そっち方面の努力……?ならこれからだから!まだ学校始まったばっかで、皆周りを見る余裕が無いだけだから!ウチのクラス一可愛いから!ねっ!?」
「え?いや、あんま顔気にした事ないし―――」
「あーあーーー!!料理とか絶対八色の方が上だって!きっと肉じゃがとか作れるんだよ!私卵焼きぐらいしか作れないし!」
「どっちも食べたい!」
「そういう話しじゃないんだよ空気読めっ!!?」
「うわああああああ!!!こうだかの死ねええええええ!!!」
「こっちに怒り来たあああ!!!?」
メイク用の多種多様なブラシが、柄の部分を向けて飛んできた。鎧を作っていなければ刺さったかもしれない。
腕を振り回し不格好に薙ぎ払った叶雨に、八色が初めて戸惑いを見せた。
「っ!?なんで……なんであんたみたいなのがあああ!!?」
「何で負け犬のセリフが出るんだ!八色蜜葉!!」
慎重に詰めていた距離を、一息で零にする。巨大なカーラーを蹴り退け、やっと胸倉に手が届いた。
追撃の巨大ファンデーションケースは、球となった水銀が砕く。
「アンタまだ負けてないし、挑戦してもないだろ!!言っとくけどそこの馬鹿は、アンタの好意に欠片も気付いてないからな!!」
「気付いて、ない……?」
「そうだよ!女心を理解する機能が決定的に欠落してる馬鹿なんだよ!つまりこれから!この馬鹿にアタックするなり襲うなりすればいい!!時と場所と場合を考えて、私の居ない所で好きにしろ!!」
「おい、さっきから馬鹿って誰だ?」
「うっさい馬鹿!」
「すみません……」
目から鱗が涙となって零れた表情。精一杯のアプローチが相手にされていない、ではなく真実はただ相手が気付いていなかっただけだった。これをチャンスと取るかふざけるなと怒るかは、八色の性格に掛かっているだろう。
情報の整理で動きが止まった、それは暴走の行き先が消えたと同義だった。
「鏡が!?」
憤怒を枠として暴れていた世界が形を見失い、混沌を渦に混ざり合う。
世界の壁となっていた鏡が闇と変貌し、崩落していった。足元が生きている奇跡も、一秒後にはどうなっているだろうか。
胸倉の手も八色の頬に持って行く、頭に近いからか叶雨の感情と混ざり痺れとなる。
母の言葉と父の言葉を本人なりの解釈で受け入れ、一人で乗り越えた少女の記憶。蜜葉と名付けた宝物の為に借金を作った夫を捨て生きる女性も、妻と子を忘れられなくて逆境を乗り越えた強さを持つ男性も、蜜葉の人格形成を大きく揺るがした。
自分で全て出来る様になれと言ったお母さん。
信じてほしいから頑張れたと泣いたお父さん。
だから蜜葉は頑張れたのだ。全部努力して出来る様になれば、信じられる自分に成れる。
そして超難関の賦力高校に合格した、努力は裏切らないと信じられた。素敵なクラスメイトに会えたのも、努力の結果だと思って頑張って話し掛けられた。努力でこの恋も叶うと信じて。
まさかあんなに努力した愛情表現が、分かってくれていなかったとは思わなかった。
自分より全然努力していないような女に取られたと、信じた自分に裏切られたと―――
「紅!!力場がもたない!!」
「!?」
足場が唯の闇となり、世界終幕の秒を呼んでいる。
強い心の波動に叶雨と八色の意識が一瞬溶け、自身喪失し掛けた。まるで叶雨の心が八色の心の一部となったように。
自然と叶雨は、力を八色に流し込んだ。
初めての試みだが、この少女の命もかかっている。自意識を固く握り、少女の柔らかくなった心に触れた。そして八色蜜葉の心を通し、叶雨は崩壊寸前の八色蜜葉と繋がる。
「八色!努力した自分が報われた時、何が見たい!?何が欲しい!?」
「―――報われた、とき……?」
「この世界はその為に生まれたんだ!!!」
力富の足場が失われた。寸前で跳んだ体に繋がる水銀を掴み落下を止めるが、闇の引力で上げられない。
絶望に染まる力富の顔を、汗を流した叶雨は笑って見返した。生存を確信したからである。
八色蜜葉は悲しみに勝った事がある、ポジティブの経験者なのだ。
「私は―――この学校で一番可愛くてモテて強くて、狙った男を絶対仕留められる女になってるんだからあああーーーーーーーーー!!!!!!」
球体の形状に乱れが生じたと判断し、安全確保に近嵐とブランコがその場から離脱する。校舎に近付き一応学校が危険なので職員室に連絡しておこうと動く手前で、強過ぎる反振動に隠れて分からなかった微弱な振動を近嵐が察知した。
「ブランコ、お前何を所持している?」
「へえ?え~と、ポケットにハッカ飴と昆布グミと豚骨ポテトチップス。それから~……」
制服胸ポケットから、明らかに収納不可能な量のお菓子が出てくる。今更ポケット入り口の反絶力場を、ゲームのアイテムボックスのように利用する銀賦で驚く近嵐ではない。
だがその奥からブランコの振動に劣り、なおかつ違う人間が発する反振動には疑問が湧いた。基本銀賦を持続させるのは、目的にもよるがデメリットが多い。他人の銀賦をわざわざ持ち歩くブランコの行動は兎も角、その銀賦を消さない使用者の意図が知りたかった。
中から味を確かめたいと思えないお菓子が次々と出てきて、その数に紛れて外に出た物を近嵐は捕らえた。
「ああそれはさっきのトコに落ちてたやつです、割れてたけど周りのガラス細工が外せば実験の材料になるかな~、と思いまして!」
手鏡だ。手の平に収まる大きさで、割れた鏡の縁を彩る硝子デザインは、女子らしい華美なものである。
ブランコの不思議そうな表情は理解した。これが例え八色という暴害者の物だったとしても、確認の必要が無い程割れたごみ同然の品である。近嵐が気に掛ける意味が見当たらないだろう。
まだ一年程度の付き合いだが、近嵐の笑った顔にブランコは驚いた。
そして同じように笑った。
鏡を白衣に納め、飴を奪うと口に含む。包み紙を指で伸ばし、銀賦で書かれた文字をブランコに見せた。笑顔で人差し指と親指の丸を作り、二人は別れる。
楽しそうな企みに、ブランコが否を唱えるはずもなかった。
音が消えた世界で鼓膜が鳴る、真っ白の空間に複数の化粧台が有った。
「ここは……?」
これだけ白しかない世界で、目が痛まないのはおかしい。灯りらしい灯りの無い空間で、普通に腰を着いた力富が見えている。人類の常識がずれている世界、間違いなく此処も反絶力場だ。
八色蜜葉の都合だけを模った世界で、叶雨が握っていた手が解ける。
「八色?」
「……これは小学校に入ったばかりの、こっちは幼稚園時代で一番古い……」
形も高さも違う化粧台、はたまた脚が在るだけの鏡に張り付き過去を辿る八色。付属する椅子にも気をやって、机部分や引き出しの古傷を爪で突く。
八色の世界だ、少女の記憶に無い物の存在はあり得ない。これらのルーツが八色の過去である事は、当然の帰結である。この化粧台の陳列が、少女の望んだモノなのだろうか。
「―――あぁ―――」
言葉に代えられない情動が、口から欠片となって刹那に落ちた。
体格が恵まれている者でも余裕を持って使える、大きな鏡の化粧台。低い位置の机部分に手を乗せて、涙腺が決壊した瞳を丸く開いた。
「ああ―――あぁあああ―――!」
覗いているのは八色なのに、その鏡には完璧な化粧を施している女性が映っていた。女性は少女より鋭い印象を受けるメイクで身支度をしている。仕事に生きる女性のイメージをまつ毛一本にまで塗り込んだ、八色似の女性だった。
八色蜜華が鏡の向こうから、八色蜜葉に微笑んだ。
「ああああああ――――――!!!?おかあ、さん……お母さん!!お母さん!!!」
この学校で一番可愛くてモテて強くて、狙った男を絶対仕留められる女になりたいと思った。しかし願いの根源が反絶力場に具現され、強制的に自覚させられる。
蜜葉は母のような女になって、その姿を母に見てほしかった。
鏡の前で化粧品を手に数十分で、強く美しい女に成る母が大好きで誇らしくて。八色が憧れた姿こそ、どんな苦境も笑って超えられると思えた幼き夢。
この世の何処にも居なくなった、信じられる理想の母が映る鏡に縋りつく。立ち尽くす叶雨の隣に、靴が片方無い力富が並んだ。
「……俺の両親は仕事中毒でさ。家には全然帰ってこないし、久し振り過ぎてガキの頃は強盗と勘違いしたこともあったよ」
それは酷い。
しかし叶雨は空気読んでツッコまない、啜り泣きをBGMに話しが続いた。
「だから憧れた事も無いし、凄いなんて少しも思った事無いんだわ」
「……」
「八色の母親は子供に尊敬される人だったんだな―――いいなあ」
「っ!?―――そんなこと知ってるし!!!」
酷い顔だった。涙が化粧で色付き崩壊した化けの皮を自覚しないまま、惚れた男に迫る。恐ろしい形相に見えただろうが、力富は一歩も退かず少女の言葉を受け止めた。
「お母さんは色んな会社に引っ張りだこで!英語なんてペラペラだし!」
「すげーな」
「料理だって上手で、作り置きはどんなに冷えてても美味しんだから!ボタン取れても寝てる間に帰ってきて……朝起きたらもう直して仕事行ってた!」
「そうなのか」
「仕事がどんなに忙しくても週に一回は夜ご飯と朝ご飯一緒に食べて、くれて!……私の話し……聞いてくれてた……!」
筋肉が無くなったように、一番大きい化粧台の椅子に崩れ落ちた。世界の白が光となって崩れていく。暴走が再開したと考える程、叶雨は愚かではない。
「私はそんな凄い人の、娘だから……絶対同じ位凄い女になって、狙った男の一人や二人や十人!簡単に落としてやるんだから!だから!」
誰よりも素敵な女性像を知っている少女の笑顔が、光に照らされ優しく綻んだ。
「覚悟しなさいよ!―――力富・シルヴァー!!」
覚悟強要宣言にご指名の意味が分からない力富は、眉間を寄せて小首を傾げた。幼女のような反応に、八色は声を上げて笑う。
世界が白い光に染まる中、釣られて叶雨も笑っていた。
閲覧有難う御座いました。