ウィルの嘘
その頃一方、テーブル・マウンテンでは。
「国王を殺して私も死ぬー!」
とヒステリックに暴れているのは、治癒の女神ミリアだった。
とても治癒の女神とは思えない発言であるが、剣神のローニンも気持ちは分からなくもなかった。
ただ、この女神が激発すると、ローニンが押さえ役にならざるを得ない。
いつもどちらかが先に切れるのだが、ここ一番ではミリアのほうが先に切れる。感情的になる。
まったく、損な役回りであるが、とりあえず毒舌を浴びせ、女神の注意を引く。
「落ち着け、厚化粧ブス。神々は地上への干渉を禁じられている」
「誰が厚化粧ブスじゃ!」
ミリアの回し蹴りが飛んでくるが、紙一重でかわすと、ローニンは言う。
「干渉のほうも関心をもて」
「そんなのは百も承知よ。伊達にあんたより長く神様やってないわよ」
「ならフレイルなんて物騒なものはしまえ」
「無理、これで国王の脳漿をみたい」
「だから物騒なことを言うな」
ミリアは涙目で恨みがましくローニンを見つめる。
「……なに大人ぶってるのよ。いいの? このままではウィルがひとんちの子になっちゃうのよ?」
「ひとんちじゃない。国王の子だ。王族だ」
「同じでしょ、私たちの子じゃなくなるなら、王だろうが乞食だろうが、関係ないわ」
「それは関係ないよ。俺たちは元々血が繋がっていない」
「なんて薄情な男」
「そうじゃねーよ、血なんか繋がっていなくたって俺たちは親子だろう。それは代わらないよ」
ぐすっ、と鼻をすするミリア。どうやら正論だと認めたようだ。
ただし、むかつくことにローニンの服の袖で鼻をかむ。ぶびびー、と女神らしからぬ音を出す。
ローニンは呆れたが、注意をしたのは別の人物だった。
――いや、彼はローニンもついでに叱るが。
魔術の神ヴァンダルは言う。
「ええい、五月蠅い! 先ほどから勝手に人の部屋にきて夫婦漫才をしおってからに」
夫婦じゃないわい! と反撃する隙も与えない老魔術師。
「お前らは先ほどから言い争っているが、数日前の情報を元になにをくだらないことをやっているんじゃ」
数日前の情報、とは神々が三人、この部屋で見たウィルの近況を指す。
たしかにそのとき、ウィルは王の落胤で、王族なのではないか? という疑いが濃厚な状況だった。
そして先ほど、ヴァンダルの水晶宮から伝わる情報はそれを補強するというか、確定させていた。
ウィルが王の手を握りしめ、「父さん」と、つぶやく場面が神々に送信される。
この映像だけを見れば、ウィルが王の子供で、王族になることを示唆しているように見えるが、ヴァンダルはものごとの本質をわきまえていた。
それでもミリアはブツブツ言うので、ヴァンダルは溜息をつきながら補足する。
「……安心せい、ミリアよ、ウィルは王族にはならん」
「……嘘よ。だって王様の子供だったんじゃない。きっとよそのうちの子になってしまうのよ」
「そうじゃないと言っておろう。というか、おぬし、ウィルが子供の頃を覚えていないの?」
「一から十まで覚えているわ。初めてウィルが笑った日、初めてウィルが泣いた日、初めてウィルが立った日、日付まで思い出せるわ」
「ならばウィルの身体に右肩に星形のほくろがないことくらい覚えているだろう?」
その言葉でミリアは初めて、
「あ……」
と意外そうな顔をした。
「その顔じゃ覚えているようだな」
「そうだったわ。私はウィルちゃんと一緒に全身のほくろを数え合った仲だった」
「一方的にな」
と補足するローニン。
しかし、とローニンは無精ひげのあるあごに手を添える。
「それじゃあ、なんでウィルのやつは王様の子供ってことになったんだ?」
ローニンは本気で悩んでいるが、ミリアも頭の上にクエスチョンマークを浮かべる。
その様を見てヴァンダルは呆れながら言った。
「お前たちは本当に神か。脳みそが詰まっているとは思えん」
「そこまで言うのならばあんたはウィルの行動を説明できるんでしょうね」
「当たり前じゃ。わしを誰だと思っている」
「魔術の神ヴァンダル?」
「違う」
老人は首を横にゆっくり振るうと言った。
「わしはウィルの父親じゃ」
そう言うとウィルは神々の子であり、王の子ではない、と断言した。
王の死を看取るウィル。
その後方にいるふたりの少女。
盲目の巫女ルナマリア、樹の勇者アナスタシアである。
アナスタシアは道中の邪教徒を一掃すると、王の寝室までやってくる。
そこで見たのは天に召される王様と、それを見守る少年であった。
部下である近衛騎士団の団員が王に近寄ろうとするが、アナスタシアはそっと手で止める。
近衛騎士団の団員ははっとなり、うなずく。
「――軽率でした。国父である陛下が身罷られて動揺していたようです」
と言うと神に十字を切り、祈りを捧げる。
「――陛下は病で苦しまれましたが、最後の最後にご子息に会えて良かった」
近衛騎士団がそう言うと、アナスタシアは表情を変えずにそう言った。
「……そうね。『息子』に会えて良かったわ」
その言葉を聞いたルナマリアがやってくる。
彼女は問い掛けてくる。
「……アナスタシアさん、まだ部下の方に真実を言っていなかったのですか?」
「……まあね」
と答えるアナスタシア。近衛騎士団の団員は不思議そうに尋ねてくる。
「どういうことですか? なにをおっしゃっているのです?」
答えたのはルナマリアではなく、アナスタシアだった。
「ルナマリアが言いたいのはこういうこと。ウィル様は王の子供ではない、ということ」
「なんと!?」
驚愕の表情をする近衛騎士団。
「どういうことですか? 真実の鏡でウィル殿がウィリアム様だと判明したのではないのですか?」
アナスタシアは首を横に振る。
「その逆よ。真実の鏡によってウィルは国王陛下の子供ではないと判明したの」
「そ、そんな」
「真実よ。――まあ、そんなことはどうでもいいわ。ウィル様にとってはね」
と言うとルナマリアはうなずき、彼女が補足する。
「――ただ、国王陛下はそうではありません。だからウィル様は最後の最後で嘘をつかれたのでしょう。死を間近に控えた国王陛下から長年のわだかまりを取り除いて、天に送り出して差し上げたのです」
「つまりウィル様は国王陛下に『優しい嘘』を付いて、その心を救済してあげたの」
「はい、そうですね。ウィル様はとても優しいお方です」
ふたりは同時にうなずき合ったが、「それでは本当の王子は? ウィル様の出自の秘密は?」とは続けなかった。
今、この場で、いや、未来において、一番大事なのは、ウィルのように優しい少年がこの世界にいるということであった。
彼が善の陣営に立ち、剣を振るうということであった。
それはこの国の輝かしい未来を約束する。
国王という国の象徴は死んだが、ルナマリアもアナスタシアも悲観していなかった。
ウィルという少年がいる限り、この世界が悪に染まることはないと思ったのだ。
そしておそらくその推論は正しい。
それはこの場にいる誰しもが疑わなかった。




