レヴィンの正体
勇者にわざと負ける、その方針は決まったが、詳細は決まっていない。
どのように負けようか悩む。
わざと負けるというのは結構難しいのだ。
「ま、負けたー!」
と大げさに演技をして倒れればさすがに鈍感な勇者でも気が付くだろう。
さすればさらに怒ること必定だった。
(ということはここはそこそこの勝負をして、そこそこの差で負ければいいのか)
そう思った僕はそれを実戦しようとするが、なかなか難しい。
仲間から木剣を受け取った勇者、僕にも同じものを渡すと、ぶんぶんとそれを振り回してくる。
なんの遠慮もない本気の一撃だ。
無論、その速度ではウィルを捉えることはできない。
ウィルは普段からこの三倍の速度の剣を避けているのだ。剣神ローニンの剣はもっと早いのである。
ウィルはゆっくりと相手を観察する。
剣の勇者レヴィン。ゴブリンと戦っているときから直線的な動きが目立つ、剣になんの工夫もないのだ。
剣の速度自体はそれなりに早い。
間近で見ればやはり剣の勇者と呼ばれるだけはある。
しかし、動きが余りに単調なので次の一手が簡単に分かるのだ。
これはあまり剣術の修行をしてこなかったものの特徴かもしれない。
あるいは師匠が悪かったのかもしれないが
。
(……勿体ないな。才能はあると思うんだけど)
とは思うが、まさか才能があるから稽古してあげるともいえないのが僕の立場だった。
というわけでさらっと負けることにする。
僕は二、三度、惜しい一撃を放つと、バランスが崩れた振りをして相手を誘う。
そのまま敵の攻撃を誘発し、敵が攻撃してきたところで剣を受ける。
渾身の一撃を木刀で受ける。
思いのほか、その一撃は重かった。
(……やっぱり才能はある。一撃一撃が重い)
体格差を考慮してもその一撃は強かった。
想定外だったので、本気でバランスを崩す。
このままだと本気の一撃をもらってしまいそうだったので、僕も軽く力を解放し、相手に一撃を加える。
もちろん、相手が受け止めることを前提に。
僕の一撃を受け止めたレヴィンは、
「やるじゃないか、少年、なかなかの一撃だったぞ」
と言うとその一撃をいなし、攻撃を加えてくる。
(――いまだ!)
そう思った僕は半歩だけ下がると、勇者の斬撃を軽く受ける。
それなりに手応えはあるが、怪我をしないように攻撃をもらう。
攻撃を受ける瞬間、ピンポイントで《障壁》を作ったので相手には手応えがあったはずだ。
あとはタイミングよく後ろに吹っ飛べば、気持ちいい負け方、になるはずであるが。
僕は後ろに吹っ飛びながら、薄目を開けて確認するが、思惑通り、勇者は満足しているようだった。
(……ふう、これで勇者に花を持たせられたぞ。やっと解放される)
心の中でそう漏らしながら、僕は気絶した振りをした。
勇者の仲間たち、それに勇者ガールズたちは、僕を倒し、両手を挙げる勇者を賞賛していた。
こうして僕は勇者一向に噛ませ犬として認知されるのだが、他者にどう思われようが、どうでもいいことであった。
リンクスだけは僕を庇ってくれているし、ルナマリアだけは僕の実力を知っていたが、早くこの茶番を終らせ、人間の住む街に行きたかった。
10分後、気絶した振りを止め、立ち上がると、
「さすがは剣の勇者様、すごいなあ」
と相手を賞賛し、別れを告げる。
気をよくした勇者は、
「オレも大人げなかった。まあ、ゴブリンを逃がして気が立っただけだ」
と弁解し、欲しくもないサインを僕にくれる。
軽く苦笑いでそれを受け取ると、彼らと別れを告げる。
僕とルナマリアはそのまま街道に出て北上した。
途中、ルナマリアが褒めてくれる。
「さすがはウィル様です。その演技力も世界一です」
「大げさだよ」
「大げさではありません。道中、旅の一座にスカウトされないか心配です」
それに、と彼女は続ける。
「とても大人です。負けるが勝ち、相手に花を持たせることの意味も知っています」
「まあ、面倒ごとは避けたいからね」
「それが正しいです。私はウィル様が真の勇者だと知っていますが、世間はそうではありません。勇者と敵対しながら旅をするのは面倒です」
「それくらい山育ちでも想像つくからね」
と言うと彼女に微笑み返し、歩調を合わせた。
「……女性に合せて歩調を合わせるところも紳士的で素敵です」
と彼女は小さく漏らした。
ウィルたちが小さくなると、レヴィンはぽつりとつぶやく。
「……なかなかの少年だったな」
「え? なにか言いましたか?」
従卒のリンクスが尋ねてきたので、「なんでもないさ」と答えると、彼にコイタロウの切り身があるか尋ねた。
リンクスはにこやかに切り身を取り出す。
「ほう、見事だ。よくぞ取ってきた」
「これはウィルさんが協力してくれたからです」
「ほう、あの少年がね」
「はい、なかなかの腕前で――」
リンクスの言葉が途中で止まる。
レヴィンがウィルのことを嫌っていると思っているのだろう。
それは誤解でもあり、正しくもあるのだが、あえて訂正はせずに切り身を受け取ると、それを調理人に渡す。
鍋にしてもらうのだ。
鯉を鍋にしてもらうと、それを勇者ガールズたちに振る舞う。
レヴィンも食べるが、彼女たちに食べさせてもらう。
「あーん」
と、にやにやと鯉を食べる。
多少泥臭いが、可愛い女性に食べさせてもらうとそれなり美味しかった。
それに東方の魚だからだろうか、米の酒と相性がよかった。
勇者ガールズたちは、
「もう、レヴィン様ったら甘えん坊。自分で食べないなんていけない子~」
と茶化すがレヴィンは「気にするな」と彼女たちの胸や太ももを触りながら鯉を食べさせてもらう。
その後、夜半まで酒宴を楽しむと、皆、それぞれに寝どころに向かうが、夜中、レヴィンはむくりと起き上がると、近くの泉に向かう。
泉に向かうと、泉に手を浸す。
冷たい泉がじんわりと心地良い。
レヴィンは月につぶやくように心境を告白する。
「……このオレが甘えん坊だと? そうじゃない、今のオレはナイフも箸も持てないだけだ」
見れば両手は赤く腫れ上がっている。
戦闘中に怪我をしたのではない。
あの少年の一撃を受けたときに痛めたのだ。
「……くそ、なんだ。あの一撃は。あれは本当にただの少年なのか? オレは剣の勇者なんだぞ」
あの一撃。ウィル少年の一撃はとんでもないものだった。
その一撃を放つ前に見せた動きもただものではなかった。
「……あのとき放った剣閃、あれも本物だったということか?」
短剣で剣閃を放つとは信じられない。
信じられないからこそ勝負を挑み、胸中の不安を消し去ろうとしたのだが、それは失敗に終った。
手合わせを行って得たものは、自信の喪失と驚愕だけだった。
「……この世にオレよりも強い男がいるのか……。女であることを捨て、剣に命を懸けてきたオレよりも強い男が」
と言うとレヴィンは胸を締め付けていたサラシを取り去る。そこにはふくよかな胸があった。
「……くそ、忌々しい」
自分に対する怒り、それに自分よりも強い少年に対する憤りに胸の中を支配されたレヴィンは、衣服を脱ぎ去ると、泉に飛び込んだ。
頭を冷やすことにしたのである。
「……ウィルといったか。あの少年、忘れないぞ」
ウィルという名を胸に刻むとレヴィンはしばし、勇者であることも男装の麗人であることも忘れ、泳ぎまくった。
レヴィンは体育会の思考を持っており、身体を動かすと厭なことを忘れる体質なのである。