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第6話 アレックス・テラー

 俺とハルちゃんが階段を()りようとすると、半袖の黒いYシャツに白いスラックスの長身の男とすれ違った。肩幅が広く、くすんだ金髪をソフトモヒカンにしたアイスブルーの瞳の欧米人だった。目鼻立ちは整っていたが、目つきが鋭く、とても冷たい印象だ。

 男は俺たちには目もくれずに、二階の奥、特別展示品の方へと大股で歩き去った。足が悪いわけではなさそうなのに何故か左手に杖を握っている。いや、本当のところ杖なのかどうかも疑わしい。竹刀や木刀くらいの太さで、細い蔦を束ねたような形をしていた。鈍い金属光沢を放ち、長さは80センチ前後。手元は昔の英国紳士が愛用していたステッキのように、フックのような弧を描いている。

『すごいイケメンの外人さんだ!』

「すごいイケメンの外人さんだ」

 ハルちゃんの心の声とつぶやきが、同じ内容でハモった。ハルちゃんも結局イケメンは好きなんだと、情けないような(ねた)ましいような気持になった。

『何者だ? 警備員はどうした』

「すみません。今日は休館日なんですが」

 バイト(がしら)のじいさんは金髪碧眼の男につかつかと歩み寄ると、思い切り日本語で話しかけた。下手に英語をしゃべろうとしないところが潔い。

「そちらの特別展示品に用があって来た」

『古代日本のマジックアイテムにな』

 金髪碧眼の男の口からは流暢な日本語が流れ出た。俺は常日頃、見た目で判断してほしくないなどと思っていたが、他人のことは言えない。俺はてっきり彼が英語でしゃべるものだと思っていた。

『今日は休館日だって、言ってんだろ!』

「特別展示は明日からだ。申し訳ないが出直してほしい」

 俺とハルちゃんは思わず立ち止まった。

『わあ、外人さんとモメ始めたよ。どうなるんだろう』

 ハルちゃんは、俺のボタンダウンのシャツの裾をつまんでいた。ちょっと、怖がってる。

『多くの人目に触れる前に決着をつける必要があるんだよ』

「一般公開後では困るのだ」

『はぁ?』

「意味が分からないんだが」

 このバイト頭のじいさんも裏表のない性格らしい。ほぼ思ったことを口にしている。流石に表現はまろやかにしているが。

「そこにある特別展示品の天逆鉾を私に売ってほしい」

『何としても、手に入れなくては』

 イケメンの外国人からは、かなり強い意志を感じた。これは相当モメそうだ。

「いや、こりゃあ、売り物ではないんでな」

『そんなこと俺に言われても困るんだよ』

「あなたに権限がないのなら、ボスに相談してほしい。私の名はアレックス・テラー」

「困りましたねぇ」

『なんだ、こいつ、金はあるのか? あったとしても然るべきルートで交渉してくれよ。ここの展示品は、産直野菜じゃねえんだぞ』

「どうも、話に乗ってくれないようだな」

『それならそれで実力行使をするまでのこと』

「あっ、触るな!」

『触んじゃねぇ、馬鹿野郎!』

 アレックスという名の男は、滑らかな動きで特別展示品の天逆鉾に右手を伸ばす。バイト頭のじいさんが鋭い声を上げたが遅かった。アレックスは天逆鉾をしっかりと握りしめる。

「今すぐそいつから手を離せ。さもないと警備員を呼ぶぞ!」

『非常警報だ』

 バイト頭のじいさんは自分の腕時計型の携帯端末に指を滑らせていた。

 一方、望みを遂げたかに見えたアレックスの表情がみるみる曇る。

『畜生! 遅かった!』

「誰だ。マスターになったのは!」

 古代館に響き渡るような大声だった。ボタンダウンの裾を握るハルちゃんがビクンと震える。

『やだ、怖い』

『なんだ、何事じゃ』

『どうしたんだ、一体!』

 他の二人のじいさんも二階に荷物を運んできた途端に大声を浴びせられ、びっくりしている。

 俺はというと物凄い嫌な予感にとらわれていた。マスターっていうのは、ひょっとして先程の『久遠の契り』とかと関係のある話だろうか? だとしたら怒りの矛先は俺に向いてしまう。

 アレックスは、天逆鉾を握りしめ、憎い相手を捜すような目つきで周囲を見回していた。

「いいから、特別展示品から手を放せ!」

『好きにさせるかよ!』

 警備員は現れなかったがバイト頭のじいさんは勇敢にも若い欧米人に掴みかかった。天逆鉾をつかんだアレックスの右手首を両腕で掴み、ひねり上げようとする。

『くっ、下等動物が! 思い知れ!』

 アレックスは苦痛に顔をゆがめながらも、凶悪な感情をバイト頭のじいさんに叩きつけた。

『イエス・マイ・マスター』

 今まで存在を認識できなかった心の声が響いた。

 極めて男性的な力強い声だ。アレックスの声でもバイトのじいさんたちの声でもない。

 気が付くと、左手に握っていた杖の取っ手の部分が、ステッキのように丸い弧を描いた姿から、禍々しいドリルのような姿に変わっていた。

「!」

『なんだ!』

 バイト頭のじいさんが異変に気付いた時には、ドリルのような杖はすでにじいさんの腹を突き破り、

背中まで貫通していた。

「えっ?」

『やだ!』

『何?』

『人殺し?』

 あまりのことに俺は状況が理解できなかった。

 じいさんは、ビクンと痙攣したがすぐに動かなくなった。

『ダメ! 死んじゃう!』

「きゅ、救急車呼ばなきゃ」

 ハルちゃんの手が震えていた。

 俺は金縛りにあったように、ただ、串刺しにされたじいさんを見つめるだけだ。

 大きな血管は傷ついていないのか血が噴き出したりはしなかった。血は滴っているが比較的少量だ。

 しかし、年齢の割に屈強だったバイト頭のじいさんの身体は急速にやせ細り始めた。そして、干からびていく。まるでミイラだ。俺の頭の中に北海道で発生した集団殺傷事件のニュースが蘇った。

〈不思議なことに惨殺された被害者は、発見時ミイラ化していたそうだ〉

「ひっ」

『逃げなくちゃ!』

「助けてくれ!」

『死にたくねえ』

 ようやく事態を把握した二人のじいさんは、階段のすぐ近くにいたこともあって、転がるようにして階下に降りようとした。

『逃がさん』

 アレックスはドリルのような杖をバイト頭のじいさんの身体から引き抜くと、今度はその先端を二人のじいさんに向けた。ミイラのように干からびたバイト頭のじいさんは、刺された時の姿勢のまま床に転がった。

 一方、杖の先端はドリルのような形状から細い蔓を何本も束にしたような形状に変化した。そして、十数本に枝分かれし、鞭のようにしなりながら二人のじいさんに襲い掛かった。俺とハルちゃんの目の前を、異形の凶器が生き物のようにうねり、長く伸びて通過していく。

『いやっ!』

 ハルちゃんが俺の背中にしがみついた。

 細い蔓は二人のじいさんの背中に次々に突き刺さる。

「ぐっ」

『助けてくれ!』

「げっ」

『いてぇ!』

 それぞれ数本の蔓が背中に刺さり、二人は蔓によって軽々と持ち上げられた。そして、バイト頭のじいさんと同じように、ミイラになって床に落とされる。

「きゃあ!」

『いや、私、あんな風に死にたくない!』

 悪夢のように止まっていた時は動き出し、ハルちゃんが悲鳴を上げた。

『次はお前たちの番だ』

 アレックスは氷のような瞳を俺たちに向ける。

『お願い! 助けて、リクくん!』 

 俺は震えながらも両手を広げてハルちゃんを庇う姿勢を示した。

 女の子の期待には応えたい。しかし、多少、武術の心得があるとはいえ、あんな訳の分からない凶器相手に何とかできるとは、とても思えない。

 少林寺拳法の練習で短刀を手に襲ってくる相手を蹴飛ばす技は習ったが、先端が十本以上に分かれて生き物のように襲ってくるあんな長い武器を、どうすればいいのだろう。せめて、こちらにも武器が欲しい。

 アレックスがドリルのような杖の先端を俺に向けた。

『二人とも串刺しだ』

 ドリルの先端は枝分かれすることなく、まっすぐ俺の胸に向かって伸びてくる。俺と俺の背中に隠れているハルちゃんを二人まとめて貫くつもりだ。

『畜生、誰か助けてくれ!』

 俺は心の中で悲鳴を上げながらも、必死で習い覚えた少林寺拳法の技で、相手の杖の先端を腕で払おうとしていた。

 かわしたら背後にいるハルちゃんが串刺しになってしまう。それだけは避けなくては。

 その俺の手の中に、突然、何かが現れた。

 その何かとドリルの先端が接触する。

 激しい火花が散り、ドリルの先端は横に弾かれた。

『お呼びですか?』

 気がつくと、錆に包まれた三又の鉾が、俺の右手に握られていた。

 そして、パラパラと錆が剥がれ落ち、まばゆいばかりの銀色の光を放ち始める。

 反りのないフォークのような形で象形文字のような文様が三又の根元に刻まれていた。刃はついていない。

「これは、いったい……」

 アレックスは、それまで三又の鉾を握っていたはずの自分の右手を呆然と眺めた。

 しかし、そこには何もない。彼は激しい怒りの表情を浮かべた。

『えっ、ボクたち助かったの?』

 背後にいたハルちゃんが異変に気付く。

『お命じください。イメージするだけで大丈夫です』

 三又の鉾、天逆鉾は、優しい女性の声で俺に語り掛けてきた。久遠の契りとかと関係あるのだろうか? 先程の白日夢は現実だったということか?

『残念ながら、彼がマスターのようですね』

「そうか、貴様が!」

『なら殺して、契約を無効にするまでのこと!』

 先程の正体の分からない男性の心の声と、アレックスの声が交錯した。

「命じるって、何を!」

 一方、俺は状況が全く飲み込めないでいた。

『これから、どうしますか?』

「俺たちを守るんだ。盾か、防壁が欲しい!」

 なんだかよくわからないが、とりあえず今の状況を現実として受け入れることにした。

 叫ぶと同時に心の中では、俺の身長を超える大きな防壁をイメージする。

『かしこまりました。私を床に触れさせてください』

『そんな暇、ねえよ!』

 悠長な雰囲気の女性の声に、俺は心の中で叫んだ。

 アレックスは杖の先端を俺たちに向ける。杖の先端は、ドリルのような形ではなくなり、細い蔓を何本も束にしたような形に変化した。確実に俺たちを仕留めるつもりだ。

 俺だけしゃがんだら、きっとハルちゃんが攻撃にさらされる。

「ハルちゃん!」

『えっ、ナニナニ!』

 俺は素早く振り返り、ハルちゃんに抱きつくと、そのまま床に押し倒した。

『いや! ダメ! 今はダメ!』

 ハルちゃんは小さくて、軽くて、温かかった。そして、気のせいか良い匂いがした。一瞬、幸せを感じたが、そんなことを言っていられる状況ではない。

 天逆鉾の柄の部分が床に触れた。

 周りが急に暗くなった。

 頭上で衝突音がして、パラパラとコンクリートの欠片が落ちてきた。

 視線を向けると、俺たちとアレックスの間には、幅二メートルほどで天井に届くほどの高さのコンクリートの壁が出現していた。

「なんだ?」

『このコンクリートの壁は一体?』

『床材の分子構造を変化させ、イメージをもとに再構築しました』

『これって何かの魔法?』

 俺以上に困惑したのはハルちゃんだ。無理もない。俺の腕の中でボーッとしていた。

『それで、かわしたつもりか!』

 アレックスの心の声とともに、コンクリートの壁の左右から、今度は十数本の蔓が、うねりながら襲ってきた。

『脱出を!』

 心の中で、忍者屋敷のどんでん返しや落とし穴、抜け穴のようなものをイメージした。

「きゃっ!」

『今度は何!』

 不快な浮遊感とともに俺たちは真っ逆さまに落ちていた。床に突如巨大な穴が開いたのだ。

『いいぞ!』

 俺は自分で自分をほめた。

『クッションだ!』

 俺は、今度は柔らかいクッションをイメージしながら、下に向かって天逆鉾を突き出した。

 ハルちゃんを強く抱きしめる。

 一瞬だけ硬い衝撃が手首を襲ったが、俺とハルちゃんは冗談のように柔らかい床に受け止められた。衝撃は、ほとんど感じられない。

『こんな感じでよかったですか?』

『上出来だ!』

 硬いはずのコンクリートの床は、低反発素材のマットレスのようにふかふかだった。

 何だかよくわからないが、俺は天逆鉾の不思議な能力を活用していた。

 こいつは、直接触れている物体の形態、性質をイメージ通りに変化させる力があるらしい。

「逃げるよ! ハルちゃん!」

 俺はハルちゃんの手をひいて駆けだした。

 途中、自分のトートバックは、しっかりトラックの横から回収した。


「いやだ、何なの!」

『信じられない。絶対悪い夢よ。あの男、何なの? 悪い魔法使い? ひょっとしてリクくんも魔法使いだったりするの?』

 国立東京博物館の正門わきの守衛は、すでに干からびたミイラになっていた。

 バイト頭のじいさんが非常警報を出しても助けに来てくれなかったわけだ。

「ひっ」

『いやだ、もう、お家に帰りたい!』

「行くよ」

 俺はハルちゃんを促して門の外に出た。

 ふと後ろを見ると、黒いYシャツに白いスラックスのアレックスが、例の杖を手に木立の向こうに現れた。俺たちを見つけると猛然と走りだす。 

「そうだ! 警察!」

『一一〇番て、電話番号なんだったっけ!』

 ハルちゃんは完全にテンパっていた。

「ともかく、ここから離れよう!」

 俺はそう言って、ハルちゃんの手をひいた。幸いハルちゃんは、まだ、アレックスの存在に気が付いていない。

 一方、俺は体調の異変を感じていた。いつもより身体が重く、息が切れる。のどもカラカラだし、血糖値が下がっているらしく、頭の中もぼんやりする。信じられないような疲労感だ。

 死の危険にさらされながら、大立ち回りを演じたからだろうか。

「大丈夫?」

『具合悪そう』

 ハルちゃんが走りながらも心配そうに声をかけてきた。彼女は息が上がっていない。一人なら俺より速く走れそうだ。

「ハルちゃん、先に逃げて」

「えっ?」

『いやだ、何言うの、一人にしないで。一人になったら、あの杖で殺されちゃう!』

 チラリと後ろを振り向くとアレックスは先程よりも距離を詰めていた。俺の視線に気づいて、ハルちゃんも後ろを振り返る。

「いやっ!」

『追ってきてる!』

 ハルちゃんは俺を引っ張るように走る速度を上げた。しかも、俺から手を放したりはしない。思った以上にいい子だ。


 深い緑に囲まれた国立東京博物館から離れると人の密度が増してきた。片側三車線の国道脇の広い歩道までくると、月曜日の午前中であるにもかかわらず、多くの人が行き来していた。必死の形相で走っている俺たちに、他の通行人たちは奇異な表情を向けた。

『なんだろう?』

『かっぱらい?』

『けんかかな』

『あっ、お巡りさんだ』

 ハルちゃんが前方を歩いている二人連れの警官を見つけた。そちらに向けて必死に駆け寄る。

 ちらりと後ろを振り返ると、アレックスは三〇メートルほど後ろで走る速度を落としていた。

「お願いです。助けてください」

 運動部員としてあるまじきことだが息が切れて俺は一言もしゃべれなかった。それどころか膝を地につけてあえぐ始末だ。だから、警官に助けを求めたのはハルちゃんだった。

「どうかしましたか?」

『何だ痴話げんかか?」

 顔を上げてよく見ると、今朝、駅前で俺に職質した二人組だ。

『朝、職質したガキじゃねえか』

『何だ、手に持っているものは。銃刀法に引っかからないか?』

 二人の警官はあからさまに俺に疑惑の視線を向けたが、ハルちゃんは、そんなことはお構いなしにまくしたてた。

「あの男、人殺しです。何人も殺してます。博物館に行けば分かります」

『これで、助かった!』

 ハルちゃんは、安堵した様子でアレックスを指さした。

 俺は荒い呼吸のまま後方に視線を向けた。しかし、ハルちゃんに指を差されたアレックスは、悠然と歩いていた。

『なぜ、逃げない?』

 アレックスの表情には余裕が感じられた。嫌な予感がする。ひょっとしてアレックスは警官も始末する気なのではないだろうか? だとしたら、事前に警官に教えることがある。

「あの男の杖は凶器です。気を付けてください」

「あの杖がか?』

『鈍器か?』

 確かにそうとしか見えない。しかし、鈍器のつもりで悠長に構えていたら、あの伸縮自在の武器の餌食だ。

「あれは槍です! あれは長射程の武器なんです!」

『いいから、銃を構えてくれ!』

 アレックスは肩をすくめ、少しおどけた表情を浮かべた。俺たちとの距離は十五メートルを切った。

「おい、そこの男、止まれ」

 アレックスはよくわからないとでもいうように首を振った。

『日本語が分からんのか』

「ストップ!」

「フリーズ!」

 アレックスは構わず近づいてくる。警官たちに銃を構える様子はない。

 もう、限界だ。

 腰を曲げてあえいでいた俺は、天逆鉾の先端をアスファルトの地面につけた。

 アレックスは杖の先端を俺たちに向けた。

 先端の形状がステッキの形から、蔓を束ねたものに変化した。

 蔓が動いた。

 警官たちは、ようやく腰のホルスターから銃を抜いた。

 間に合わない!

『壁だ!』 

 俺は、俺たちとアレックスの間に、歩道の幅いっぱいのアスファルトの壁を出現させた。

 一瞬遅れで壁が割れ、割れた隙間から鋭い蔓の先端が顔を出した。

『何だ!』

『飛び道具か!』

「逃げるよ!」

「う、うん」

 警官たちを不意打ちから守ってやると、俺はハルちゃんとともに再び走り出した。防弾、防刃のスーツを身に着けた警官だ。むざむざ殺されたりはしないだろう。

 警官は反撃に転じたらしく、背後で銃声が轟いていた。

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