第14話 吸血刀
「なんだ、このガキ。おちょくってんのか、コラ!」
それは全国チェーンのレストラン『ゲスト』の入り口に着いた時のことだった。
裏の駐車場から若い男の怒声が響いてきた。どうやら、もめごとらしい。
『なんだろう?』
見なかったことにしたかったのに、ハルちゃんが様子を見に行ってしまった。
『ハルちゃん、勇気ありすぎ』
放っておくわけにもいかないので、俺は仕方なくハルちゃんの後を追った。
「別におちょくってないけど」
「いてまうぞ、コラ!」
駐車場で大声を出していたのは、地元の高校生らしい三人組だった。
白い半そでワイシャツの裾を黒い学生服のズボンの外に出し、金色の髪やパーマを当てた髪に、ピアスやブレスレッド、ネックレスなど、派手な装飾品を身に着け、揃いも揃って、妙な角度をつけた銀縁メガネをかけているという、大変分かりやすい不良高校生だった。
一方、からまれていたのは中学生くらいの痩せた小柄な少年で、薄汚れた赤いポロシャツに黒い学生服のズボンをはいていた。銀縁のロイド眼鏡に、そばかすの目立つ色白の丸顔、そして、骨折でもしたのか左の前腕部に白い包帯をグルグルに巻いていた。
「何やってるんだ、君たち!」
よせばいいのに、ハルちゃんが大声を出してしまった。立派な正義感だが、逆ギレされたらどうするつもりなんだろう。
「なんだ?」
『女か?』
「うっせぇ」
「引っ込んでろ」
『うぜえんだよ』
声をかけたのが若い女性だとみて取ると、案の定、逆襲にあってしまった。
『まったく、ムカつくんだから』
びっくりしたことにハルちゃんもなかなかに気が強い。めんどくさいなあと思いながらも、俺もハルちゃんの前に出て、声を響かせた。
「もう一度、聞くわ。何やってんだ、おめえら、カツアゲか?」
俺としては切り札もあるので、わりと強気に出ることができた。ひょっとして、ハルちゃんが強気なのもそれが理由なのだろうか? しかし、不良とのケンカに伝説の神具を使うのも、なんだかなぁと思う。
『えっ、出番ですか?』
『いや、出来たら使いたくない』
俺が心の中で天逆鉾と会話していると、不良たちから烈しい反応が返ってきた。
「違うわ、ボケェ!」
『なんも、事情知らんくせに!』
「客観的な状況では、どう見てもあなたたちが悪役よね。警察に通報しておこうかしら?」
今回はカサンドラさんも加勢してくれた。
『何だ、こいつら、うじゃうじゃと。大人もいるんか』
『警察に来られたら、俺ら、はなから犯人扱いじゃぞ』
『ずらかるか?』
「けっ、ボケが! いぬるぞ!」
「このカスが!」
「こんど会ったら、いわすゾ、ワレ!」
不良たちはどう考えても宮崎弁ではない悪態をつきながら、俺たちに背を向け、ゆっくり闇の中に消えていった。駐車場に残ったのは、俺たち三人と、不良高校生に絡まれていた中学生くらいの少年だった。
『ということで、出番なし』
『わかりました』
天逆鉾は少し残念そうだった。
「大丈夫? ケガはない?」
『怖かっただろうね』
ハルちゃんが早速少年に駆け寄った。なんていい娘なんだろう。
「大丈夫だよ」
『わぁ、優しいお姉さんだなぁ』
同意である。
「じゃあ、気をつけて。あいつらの行った方に行っちゃだめだよ」
『待ち伏せされたら大変だからね』
「お姉さん……」
『僕が待ってたのは、この人たちだ』
「ん、何?」
「僕、おなか減った」
少年は甘えるような声を出して、ハルちゃんを見つめた。
『そうか、ご飯食べる前に不良に絡まれたんだ』
「じゃあ、いっしょにご飯食べる?」
「うん」
『やったぁ』
少年は嬉しそうな笑顔を浮かべた。
『そうだ、リクくんやカサンドラさんにも了解取らなきゃ』
「みんなもいいよね?」
ハルちゃんは、俺とカサンドラさんを交互に見つめた。
「ああ」
「いいけど」
『さすが、リクくんもカサンドラさんも、話が分かるなぁ』
俺は正義感が強くて優しいハルちゃんに眩しさを感じながらも、何か得体のしれない違和感も感じていた。原因はハルちゃんではなく、ハルちゃんが助けた少年だ。
普通の中学生は、不良高校生に取り囲まれて因縁とかつけられたら、滅茶苦茶ビビって、助かった後も、なかなか興奮が収まらないはずだ。不安や恐怖、憎悪などの感情が渦巻き、平静ではいられないはずだ。
しかし、少年は妙に落ち着いていた。
慣れているのか、自分に自信があるのか、その両方なのか。俺は少年の挙動に注意を払いながら、レストランの店内へと入っていった。
「ダブルチーズインハンバーグ定食、ご飯大盛りで。それから山盛りポテト、ドリンクバーもつけてください」
『ダメだ。おなかが減ってクラクラする』
俺たちは窓際の大きな六人掛けのテーブルについた。シートはベンチタイプだ。
奥の窓際には、俺と少年。通路側はハルちゃんとカサンドラさんが座った。少年の隣はハルちゃん、俺の隣はカサンドラさんだ。
『リクくん、相変わらず食べるなぁ』
「ボクは、若鳥のグリル、付け合わせはパンで、ドリンクバーもお願いします」
「私は、シーフードドリアとドリンクバー」
「君は?」
『この子、おなか減ってるって言ってたからいっぱい食べるんだろうな』
「ええと、僕は宮崎牛のサーロインステーキ二〇〇グラム、焼き加減はレアで。付け合わせはライス。それと、完熟マンゴーのフルーツパフェ」
『いやあ、おいしそうだな。僕はお金の心配もしなくていいし』
随分、ぜいたくな奴だ。
少年が頼んだのは、このレストランで一番高いディナーのメニューと一番高いデザートのメニューの組み合わせだった。
「ねえ、お姉さんたちも旅行?」
ウェイトレスがさがると、さっそく少年は人懐っこい笑顔を浮かべて、隣のハルちゃんに話しかけた。
「うん」
『お姉さんたちも? ていうことはこの子も?』
「お姉さんたちは、今日来たところ?」
「そう、さっき、飛行機で着いたばかりだよ」
『ホントはもっと早く着く予定だったのに、大阪でいろいろあったからね』
「僕は三日前に宮崎に着いたんだけど。なかなか思うようにいかなくて困ってたんだ。ホント、お姉さんたちに出会えて助かったよ」
『会えなかったらどうしようって思ってたよ』
何だろう、この心の声は? 意味がわからない。
「君も旅行者なの? ボクたちは東京の方から来たんだけど。君はどこから来たの?」
『中学生で一人旅?』
高校生男女の二人旅よりは問題が少ないと思う。
それと、埼玉県民あるあるだけど、ハルちゃんも素直に埼玉から来たと言わず、東京の方から来たって言うのは、ちょっとズルいと思った。
「僕は北海道から来たんだよ。探し物があってね」
『いやぁ、ほんと見つかってよかった。来たかいがあったよ』
一体、何を?
「へぇ~、何を探しに来たの?」
『北海道からわざわざ?』
「いいものだよ」
『宝物さ』
「ふ~ん」
『何だろう』
俺も知りたかったが、少年の心の声は具体性に欠けていた。
血糖値が下がってクラクラしてきたので、俺はとりあえずドリンクバーでカロリー摂取をすることにした。
「カサンドラさん、すみません」
「ドリンクバーなら私も行くわ」
俺は、ドリンクバーに行くと、まずはジンジャーエールを氷なしでなみなみと注ぎ、一気に飲み干した。次に、野菜ジュースを注いだ。
カサンドラさんはコーヒーの抽出を待っている。
俺がテーブルに戻ると、二人の会話は続いていた。
「ボクは、櫛名田ハル。君の名は?」
「ハルさんか、いい名前だね。僕は歯舞ナユタ。ナユタって呼んで」
『名前もかわいいな』
『けっ、ハルちゃんがすっかりお気に入りか? ませたガキだ』
俺は少しだけ機嫌が悪くなっていることを自覚した。驚くことに嫉妬の感情が芽生えている。
「どうしたの?」
カサンドラさんはテーブルに戻ってくると俺に怪訝そうな視線を向けた。多分、感情が表情ににじみ出ていたのだろう。
「いえ、別に」
必死でごまかした俺に対して、カサンドラさんは形の良い眉をひそませた。
そうこうしている間に注文した料理が次々に届き、俺たちは少し遅めの夕食を開始した。
『はや!』
空腹に抗うことができず、俺は大きめのハンバーグが二つのった鋳物製のプレートをあっという間にたいらげた。ハルちゃんが目を丸くし、カサンドラさんは全くマイペースにドリアを口に運び、ナユタ少年は鋳物製のプレートに乗った血の滴るステーキにナイフを入れていた。
『切れ味の悪いナイフだな。エペタムなら、もっとスパッと切れるのに』
『エペタム?』
相変わらずよくわからない心の声だ。
「ところで、さっきはどうしたの?」
食事も終盤に差し掛かってきたところで、ふいにハルちゃんが駐車場での一件を蒸し返した。
『そろそろ聞いても大丈夫かな』
「さっきって、ああ、あのお兄さんたちのこと?」
「そうだよ。言いたくなかったら、言わなくてもいいよ」
『やっぱり、思い出すと怖いよね』
「僕がね、『死にたくなかったら、お金頂戴って』あのお兄さんたちに言ったんだ」
『いいカモだと思ったんだよね』
「は?」
「えっ?」
俺もハルちゃんも耳を疑った。
カサンドラさんはコーヒーを飲んでいた手を止めた。
正体不明の悪寒が背中に走った。
屈託のないナユタ少年の笑顔が急に邪悪なものに見えてきた。
「えっと、死にたくなかったらお金を出せって言われたんだよね?」
『逆だよね。言い間違いだよね』
「ううん、違うよ」
『うん、かわいい反応だね』
ナユタ少年は相変わらず、おいしそうに血の滴るステーキを頬張っている。
「世の中にはさ」
口の中のステーキを呑み下すと、ナユタ少年はハルちゃんに笑顔を向けた。
「殴り返さないと思うと、殴ってくるバカって本当に多いよね」
『何言ってるの? この子』
ハルちゃんの困惑する心の声が伝わってきた。
「そんな人たちって死んだほうがいいと思わない? きっと、さっきのお兄さんたちはその手合いだよ。僕、わかるんだ」
『僕は、やっと力を手に入れたんだ』
ナユタ少年が妙に落ち着いていると思ったのは、俺の気のせいではなかった。こいつは不良高校生に絡まれていたわけじゃない。こいつが高校生をカツアゲしようとしていたんだ。
俺たちは事情を知らずに加害者を助けてしまった。ただの残念な中二病の中学生ならそれでいいが、そうじゃないとすれば面倒なことになりそうだ。俺はトートバッグを身体の前に引き寄せた。
「僕はね、この間、沼に放り込まれて死にそうなったんだよ、放り込んだ奴らはただの遊びとか言ってたけどね」
『沼?』
いやなキーワードだった。
「北海道は夏でも気温が低いんだ。勘弁してほしいよね。しかも、僕、泳ぐの苦手だしさ」
北海道、沼、中学生、嫌なキーワードがどんどん重なってきた。
「でね、僕は足がつって沈んじゃったんだ。普通ならそのまま死んでるよね。そしたら、沼の底で僕は素晴らしいものに出会ったんだよ」
『どうしよう、お姉さんに見せてあげようかな』
ナユタ少年の意識は包帯を巻いた左の前腕部に向いていた。
「何に出会ったの?」
ハルちゃんの声は震えていた。
『どうしよう、ひょっとして、この子、邪悪な子?』
「エペタムだよ。知らないかな。アイヌ神話に出てくるんだけど」
『メジャーじゃないしね』
「知ってる。吸血刀」
『そんな、まさか』
「凄いなぁ、お姉さん、かわいくて、優しいだけじゃなくて、物知りなんだね」
ナユタ少年はにっこりと、ほほ笑んだ。
「僕はね。夢を見たんだ。山の上に宝を生み出す魔法の鉾がささっている夢を。ネットで必死で調べたら、それは九州の高千穂峰だったってわけ。でも、今、山頂に残ってるのは、レプリカだそうで途方に暮れてたんだ。お金も無くなるし」
『ほんと、よかった。本物の魔法の鉾を持ってる人がそっちから来てくれて』
ナユタ少年は、左手の包帯を解き始めた。
俺は神経を集中した。しかし、ここで先に攻撃したりしたら、俺たちは先程の高校生のような扱いを受けてしまう。
「ハルちゃん、カサンドラさん、逃げて」
俺は小声でささやいた。
カサンドラさんは、全てを承知したかのようにゆっくり立ち上がり、不安そうな表情を浮かべているハルちゃんを促した。
「え~、お姉さん、行っちゃうの? 僕のお姉さんになってよ。この男よりも僕の方がいいと思うよ」
「いやよ!」
テーブルから離れながら、ハルちゃんは小さな声で叫んだ。
「つれないなぁ。お姉さんたちがいなくなったら、ここの払いはお兄さんのおごりかな?」
ふざけたガキだ。挑発のつもりか。
いや違う、こいつははなから自分で払う気がなくて高額なメニューを頼んでいたのだ。
「お兄さん、魔法の鉾は膝の上のトートバッグの中なの?」
緩んだ包帯の隙間から、金属の輝きが見えた。
ナユタの右手が動くのと、俺が天逆鉾をトートバッグから引き出すのは同時だった。
甲高い金属音が響き、白刃の煌めきが周囲を照らした。
『何!』
『客同士のトラブルか?』
『刃物?』
『おいおい、何やってるんだ』
「貴様が、北海道の大量殺人事件の犯人か!」
かつて見たニュース番組とナユタの話が頭の中で融合し、一つの答えを導き出した。
俺はナユタから視線を外さないように天逆鉾を右手に構え、その場で立ち上がっていた。
幸いテーブルが大きいため、ある程度の間合いは確保できているが、ベンチタイプの座席のため、動きが制限されている。早く通路側に移動しないと。
「だから、何? 害虫退治をしたんだから誉めてよね」
一方、ナユタも立ち上がり、刃渡り三〇センチくらいの片刃の直刀を右手に構えていた。鍔のない抜き身の刀だ。巨大な匕首のようにも見える。そこらの不良がポケットに隠し持っているナイフとはレベルが違う。
『えっ、殺人犯?』
『警察に通報だ!』
『なんなの! 一体』
『殺される!』
『予定外だな』
一瞬にしてレストランはパニックに陥った。
ただの喧嘩ではない、刃物を使った殺し合いだ。
多くの客が出入り口に向かって殺到した。
残っているのは、奥の座席に座っていて逃げ遅れた三人組の客と数名の従業員、それに、カサンドラさんとハルちゃんだった。
「お姉さんは優しいから、殺さないであげるね」
俺たちから距離を取って固唾をのんでいるハルちゃんにナユタは邪悪な笑顔を向けた。
『ふざけないで!』
ハルちゃんは嫌悪感を顕わにしていた。
「でも、お兄さんはダメだ。前の持ち主を殺さないと宝の鉾は言うこと聞かないらしいからね。エペタムが教えてくれた」
「ほう、そうかい」
『何なんだ。さっきのスピードは?』
何の躊躇もないこともそうだが、刃物を振り回す速度が尋常ではなかった。ゲイボルグのアレックスや、タラリアのブルーノとの戦いを経験していなければ、さっきの不意打ちで殺されていたに違いない。
『ご主人、早く、あたいに血を吸わせて!』
ヒステリックな女性のように甲高い心の声が聞こえてきた。
『落ち着いて。今日もたっぷり吸わせてあげるから』
甲高い声はエペタムという名の神具の心の声らしい。ヤバすぎる。
「お兄さんのアイテムは攻撃力が低そうだね。人を斬ったりできないでしょ。それ」
銀光が煌めいた。
無意識に手が動く。
甲高い金属音が響き渡った。
それも立て続けに三度。
場所は正確に首筋の周囲だ。
「お兄さん、剣道か何かやってたの?」
『受けるのうまいね』
「いや」
『剣道はやっていない』
少林寺拳法で相手の攻撃を受けたり、かわしたりする練習は嫌というほどした。
それにしても狙いが正確で執拗に首だけ狙ってきたので助かった。
上下に散らされたりするとさすがに辛い。
俺が一瞬だけ思索を巡らせていると、ナユタが突然跳躍した。
十分な足場も助走もないのに驚異的な高さだ。
そして、力をため込むように身体を小さく畳み込む。
「えっ?」
飛び足刀?
かかと蹴りが俺の頭の上から襲ってきた。
左腕で慌てて打ち払う。骨に響くような衝撃。
ナユタはテーブルを一蹴りすると、くるりと一回転し、通路に着地した。
驚くべき身体能力だ。ただのいじめられっ子の中学生とは思えない。
俺も十分な足場を確保するために、ベンチの上に乗り、テーブルに片足をかけた。
体勢としては窓際に追い詰められた恰好だ。
残念ながら、この状況では天逆鉾を床に接触させる余裕はない。
俺は利用できるものはないか、周囲に視線を走らせた。
「へえ、お兄さんは格闘技もできるんだ」
「お前もな」
正直、言葉を交わしている余裕はなかった。
「ううん、格闘技を習ったことはないよ。すべてエペタムがくれた力さ」
「どういう意味だ」
「エペタムから、僕にどんどん力が注がれてくるんだ。特に人を斬った後なんかはね」
俺と天逆鉾の関係では、俺が天逆鉾の能力を使うたびに生命エネルギーを吸い取られていく。彼らは逆らしい。ということは勝負が長引けば長引くほど圧倒的に不利になる。これでは迂闊に能力が使えない。
「お兄さんの命も僕の力に変えてあげるよ。だから、安心して死んで」
俺は近くに活用できる素材を見つけた。しかし、どう使うか。
「二人とも、動くな!」
突如、レストランの店内に雷鳴のような声が響いた。
『なんだ?』
うっかりナユタから視線を外すわけにはいかない。その一瞬が命取りだ。
「警視庁の叢雲だ。動けば、撃つ」
『えっ?』
記憶の中を検索すると、品川駅で出会った刑事たちに行きついた。なんで、今、ここに?
「あれ、正義の警察官が未成年を銃で撃ってもいいの?」
ナユタは俺から視線を外すと、ゆっくりと店の奥に視線を向けた。
俺も視線を向ける。
逃げ遅れたものと思っていた奥の三人組が立ち上がり、ナユタに銃口を向けていた。
三人ともあまり警官に見えないラフなブレザーやジャケット姿だ。男性二人、女性一人。
『まったく、予定外もいいところだ』
『こんな子が大量殺人犯?』
『俺だって子供を撃ちたいとは思っていない』
「射殺されたくなかったら動くな。我々はその凶器の恐ろしさを十分知っている」
叢雲警部補がもう一度怒鳴った。傍目で見ても緊張しているのが分かった。
「はぁい、わかりました……なんてね!」
ナユタが跳んだ。刑事たちの方向に。しかし、微妙に横にずれている。
『なんだ?』
刑事たちは躊躇した。
『三角飛びだ!』
意図に気づいた叢雲警部補が銃口を向け直したが手遅れだった。
ナユタは壁を蹴り加速した。三人に真横から襲い掛かる。
ナユタに一番近かった女性警官を叢雲警部補が突き飛ばした。
『あぶない!』
若い男性警官が二人を庇うように身体を入れた。
「若竹!」
叢雲警部補の叫びとともに、凶刃が若い警官の頬をかすめた。
『がっ』
ほんのかすり傷のはずだった。
しかし、屈強な若い刑事の身体は枯れ木のように急速にやせ細った。老人のようにカサカサになって、ゆっくり崩れ落ちる。
『ご主人、美味しいです』
「くそっ!」
ナユタの着地を狙って、銃声が轟いた。
が、彼はそこにはいなかった。
宙を舞い、頭を下に独楽のように回転し、残る二人の刑事に襲い掛かった。
『助けなくちゃ!』
俺は今まで、俺の敵を警官に押し付けて逃げてきた。その結果、多くの警官が死んだ。
もう、ダメだ。自分で解決しないと。
俺は天逆鉾の先端を窓につけた。
『槍だ!』
窓ガラスが消滅し、天逆鉾がガラスに覆われた。そして、長い穂先のガラスの槍となった。。
そのまま、ナユタに突進し、警官に迫っていた腕を斬りつける。
血がしぶき、回転が止まる。
『ご主人をよくも!』
「殺す!」
目的を果たせず着地したナユタが、凶暴な目で俺を睨んだ。
俺に右腕を切り裂かれ、血まみれだった。
しかし、エペタムは手放していない。ゆっくり左手に持ち替えた。
「刃物を捨てろ!」
「黙れ!」
叢雲警部補の制止に罵声を返すと、ナユタは俺に向かって疾風のように迫った。
槍をかいくぐる。
獲物が長すぎて、うまく操れない。
『剣だ!』
槍が長さ六〇センチほどのガラスの剣に姿を変える。
『無駄!』
しかし、その剣はエペタムに呆気なく両断された。
『いや!』
ハルちゃんの心の叫びが響いた。
「死ね!」
ナユタは目の前だった。間に合わない!
『くっ』
俺は刃を失った天逆鉾を構えた。
銃声が轟いた。
ナユタは俺に向かって大きく目を見開いた。そして、小刻みに痙攣する。
『畜生、僕は無敵の超人なんだ……』
俺の目の前で、ナユタの目から光が失われ、心の声が消えた。
そして、ゆっくりと仰向けに倒れていく。
『ご主人!』
エペタムの心の声が悲鳴のように響いた。
間一髪、俺は死の危険から解放された。
安堵した瞬間、身体全体から力が抜け、意識が混濁しはじめた。思わず、膝をつく。
「リクくん!」
『大丈夫なの!』
ハルちゃんとカサンドラさんが駆け寄ってくるのがわかった。
「危ないから、近寄らないで!」
倒れているナユタの傍らにひざまずいたカサンドラさんを、少し離れたところにいた女性刑事がたしなめた。
気が付くと俺はハルちゃんにしっかりと抱きしめられていた。柔らかくて、いい匂いがする。
「リクくん、しっかりして!」
意識が遠のくなか、俺は無上の心地よさを感じていた。




