哲学者宮野先生への哀悼と敬意
福岡大学准教授だった宮野先生が42歳の若さで亡くなってから、もう一年が経つそうです。
彼女が人生の最後の二か月の思索を往復書簡の形で綴った「急に具合が悪くなる」を読みました。
彼女と話したことは数回しかありませんが、一方で彼女の家で4人くらいで宅飲みしたことがあります。つまり、私がとても仲がよかった人がとても仲がいい人という関係性でした。
けれど、純粋で幼稚だった私がこんなに捻くれた性格になってしまった原因の一つは、きっと彼女です。「きっと」というのは、彼女の思想の影響を強く受けた人が自分にとって影響が大きかったと考えているからで、今となっては直接確かめることが難しいからです。
著書の中で、彼女の思想を端的に著した一文はこれだと思います。
" だいたい恋というのは意志的にコントロールできないものです。誰を好きになるのか、これからどんなふうになるのか予測できないですし。まさにその場の欲望に忠実になるしかありません。合理性を手放すことのスリルといま一瞬の自分の気持ちだけを生きる単純さ、全部壊してしまえというゾクゾクする衝動。" 宮野真生子、磯野真穂「急に具合が悪くなる」4章 周造さん より引用
当時の私は、この考え方を安定した恋愛関係にわざわざ楔を打ち込む劇薬だと思い、彼女と相対するのを避けてたように思います。そしてそんな宮野さんを、「非合理で不条理なヒト」と判断していましたが、この作品では、宮野先生はご自身を「合理性の鬼」と表現していて、そういう性格だからこそ上のような考え方になってしまうのか、と目から鱗でした。
彼女が「劇薬」だという評価は、この本を読んだ今でも変わっていませんが。
彼女は、末期がんにおける自分の心の中を探索するパートナーに文化人類学者の磯野さんを指名します。私の勝手な想像ですが、磯野さんを指名された理由は、医療がご専門ということもありながら、「文化人類学」という、社会通念の理解(違っていたらすいません)を生業としている方を鏡にすることで、自分の心と社会との差をより対照的に炙り出すためだからなのかと思います。
宮野先生は、社会通念、つまり世の中の多数決を前提として成り立っている「合理性」を極端に嫌っていると思います。「世の中がこうだから仕方ない」という諦念をきっと一番嫌うと思います。この作品は、文化人類学者である磯野先生との対話を通じて、磯野先生が提示する「通念」への抵抗が端々に見えます。
ただ、この本の一番面白いところは、初めは磯野先生が「一般的にはこうですけど、どう思いますか?」という問いに対し、宮野先生が「そもそも前提にしているこの点が気になる」とちゃぶ台をひっくり返して社会通念に対する疑問を呈するといった話だったのに、段々と磯野先生自身が宮野先生に感化されて、「普通はこうだけど、宮野先生は違うよね!」と彼女のアイデンティティーを刺激していくところにあると思います。
少しずつ弱気になっていく宮野先生に対して「あなたは違うでしょ。常識なんかに負けないでしょ」というエールが、どれだけ宮野先生の心を奮い立たせてきたかと思うと、涙なしには読めません。
きっと磯野先生は、宮野真生子という劇薬の、一番底にあった一番濃い部分を飲んだ人間だ。この本は、劇薬である彼女の思想を飲みやすい良薬にして、みんなに配ってくれたものなんだと思う。
この本に最大限の敬意と感謝を。




