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閑話

22話の後日譚です。

「アルフィナ? なにか貴女の興味を引くようなことが?」


 窓の外を見て、笑みを浮かべたアルフィナをフェゼルが目ざとく見つけた。


「違うわ。少し、思い出していただけよ」


 あのときのことを、と口に出さずに言えば、察したフェゼルの顔がつまらなさそうになった。どこか不機嫌そうなのは、きっと、敬愛すべき主の心を掴んで離さないあの男に嫉妬しているのだろう。

 

「フェゼルは、あたしが罪を犯しても、ついてきてくれる?」


 ふと、口に出た言葉。

 それに対し、フェゼルはふっと柔らかな笑みを浮かべた。


「たとえ貴女が神に背こうとも、オレは貴女のすべてを守る。貴女にすべてを捧げると決めたあのときから、オレのすべては貴女のものだ」


 罪人でも受け入れる、というフェゼルの言葉に、アルフィナの口元に笑みが刻まれた。


(アスランは、あたしが罪人になるとも思ってもいなかったわね)

 

 それが少しおかしかった。

 古の指輪の価値の重さに慄くアルフィナに、彼は言ったのだ。




「神に愛された者が悪事をすると?」


 神に愛された者……。

 他人の口から聞くと、いつも笑いたくなる。 

 探るような視線から逃れるように目を伏せたアルフィナは、自嘲的な笑みをうっそりと引く。


「神を愛している奴は闇に手を染めるわ。敬虔な精神とは裏腹に、強欲な心はいつだって並以上のものを求める。自分で勝手に神を愛し、敬いながら、神の御心に背く行いをしていてるっていうのに、神に愛された奴が罪人にならないと思う? 愛しているのは神の意志であって、その人じゃない。神の御心に従う理由がどこにあるの? 神に愛されてるから清らかで、誠実? そんなの嘘よ。目の錯覚」


 事実自分がそうだから。

 血に汚れ、欲にまみれ、それでも神の愛し子と呼ばれる。

 神を罵り、罪を犯し、それでも聖なる子と称えられる。

 精霊の愛は変わらずアルフィナを包み、自然は優しい。

 だからこそ時折叫びたくなる。


 なぜ─────っ、と。


 変わらぬ友愛が嬉しい反面、もどかしさが募る。

 見放されたいと思うのは神に愛された者の傲慢なのだろうか。

 好戦的な物言いに、少し目を見開いたアスランは、その言葉の深さを推し量るかのようにすっと目を細めた。


「神を──憎んでいるように聞こえるな」


 鋭い突きに、つかの間息を呑んだアルフィナは、右の拳を握りしめ、ゆるく言葉をはき出した。


「さて、ね。どうかしら……」


 開け放たれた窓から、頬をかすめていく風が気持ちいい。

 濁った心を洗浄するかのように、すぅっと波が引いていく。

 包み込むような癒しの気が全身に広がっていく。

 あぁ、自分はこんなにも愛されている。


 落ち着いた心のまま、するりと疑問が口を突き出た。


「なぜ、あたしに使われる気になったの? 自分がどんなに有名か知っている? あんたを手に入れるためなら私財を投げ打つ覚悟の貴族もいるでしょうに。王の寵愛を受け、向かうところ敵なしのあんたがこんな小娘に体を差し出した。ただ気に入ったというだけではすまされないわ。あたしがこれから何をしようとしているのか知らずに、あたしの下につこうと思ったのはなぜ?」

「ふ……。君が我が国の宝玉を戴く天使だからと言ったら?」


 彼の口から聞く二度目の聞き慣れぬ呼び名に、アルフィナは眉宇を潜めた。


「なに……?」

「知らないか? この国では、ラピス・ラズリが王の額を飾る宝玉とされていてね、国王以外身につけるひとができない至宝の宝石なのさ。その尊ぶべき色と同じ色を宿す君の瞳を見て、だれかが言い始めた。我が国の宝玉を戴く天使、と。もちろん教会の連中の目を気にして表立って騒がないけれど」

「……!」

「君に関する噂は王都にまで届いている。神に遣わされた神子だという者もいれば、神自身だと信じる者もいる。命を救ったとか、四大精霊を操ることができるとか、まぁどこか迷信というより伝説的な要素も多分に加味されているようだが。困ったことに。それでも君を聖女と称えている者は多い」

「そんな……けど、教皇は………」


 もう耳に入っていたというのだろうか。 

 こちらは必死に隠していたというのに。

 アルフィナの存在が公にされたら教皇も黙っていないだろう。

 アルフィナが魔女でなく聖女であると教会が信じるであろうか。

 ハーバラスの司祭の態度を思い出し、内心首を振る。


(ダメ……。あたしの力は諸刃の刃だもの。時の教皇が認めるはずない)


 魔女裁判にかけられて火あぶりの刑に処されるのがオチだ。

 アルフィナは知っている。聖女と呼ばれる多くの者が、死してそう呼ばれる存在となったことを。

 教会は、アルフィナの力に脅威を感じて決して生かしてはおかないだろう。

 そうなったら六年かけて練り上げてきた計画が台無しになってしまう。


「教皇どころか司祭ですら君の存在を知らないだろう」

「……!」


 アスランの言葉にアルフィナの顔が輝く。


(よかった。どうやら首は繋がったみたいね)


「君の話は、貧しい者たちの間で広まった希望の光のようなものだから。私はそれを偶然耳にしただけで、彼らと接しなければ知り得なかった事実だろう。私も君に出会うまで単なる噂だと思っていた」

「! だからハーバラスに来たというの? あたしに会うために?」


 よくできましたといいたげにアスランが微笑む。


「君が病人を癒す力があると聞いていたんでね、あの坊やを治せるかなと思ったんだが……、いや、それは言い訳だ。私自身君に興味があったんだ。神に守られているという君がどんな人物か、ね」

「ではがっかりした? あたしは神殿に閉じこもる巫女でも、神の子でも……まして神に仕える修道女なんかじゃないわ。清らかじゃない、醜い心を持ったただの娘よ」

「それでも君は高潔だ。それに並はずれた魅力を持っている。たとえ君が血にまみれていようとそれは人の目に聖なる光景に映るだろう。生まれながらの貴人と言ったらいいのか。どれほど無礼な振る舞いだろうと君からは気品が滲み出ている。まるで王侯貴族のように」


 最後の言葉に、思わず肩がぴくりと反応した。

 それを見逃すはずないのに、アスランはわざと言及しなかった。


「君が何者であろうとも、私は一度決めたことを翻さないたちだ。一日とはいえ、君の下で喜んで働こう」


 それが真実の言葉なのか、それとも偽りの言葉なのか、アルフィナにはわからなかった。

 けれど一つだけいえることがある。

 彼が自分の駒となったことは変わらぬ事実で、裏切らないだろうということだけ。

 騎士道における忠誠心は絶対だ。

 一時の主人だとしてもそれは有効のはず。


「私、今は大陸を渡り歩いているが、それほど戦いに参加しているわけではない。だからまさか君が剣のことを知っているとは思わなかった」


 やはり目を奪われたのに気づいていたか。

 一瞬だったというのに鋭い洞察力だ。

 ここに来ていきなりその話しを持ち出されるとは思ってもみなかったので、とっさの切り返しができず、ただ唾を飲み込んだ。

 それでも慌てるところを見せるのはプライドが許さず、数回の瞬きの間に平静を取り繕う。


「あたしはずっとプリシラ男爵夫人にお仕えしているわけじゃないの。幼い頃はもっと気位の高い姫君の元にいてね、その姫君は強い騎士がお好きだったのよ。そのせいかあたしまですっかり覚えてしまってね、各国の騎士団の名前だってそらんじることができるくらいになったわ」


 姫君とは、すなわち自分のことだ。

 嘘の中に真実を織り交ぜながら語れば、あの頃の思い出が懐かしさをともなって浮かんでくる。

 あの頃のアルフィナは、強い騎士に憧れていた。

 自分が男だったら王宮騎士団の一員になりたいと思っていた。


(国を──叔父様を守るんだって子供ながらに考えてたのよね。女だからって理由で満足に剣術の練習もさせてもらえなかったけど、父様と母様から隠れて内緒で素振りとかしていたんだっけ……)


「それで私のことも知ったと? そんな簡単に情報を流した覚えはないが」

「姫君のお父様はそういった事柄に精通してらしたのよ。さすがに通り名と剣の形しかわからなかったようだけど。孤高の黒き騎士の剣の柄の部分には、サファイアが埋め込まれ、中に紋章が彫られていると聞いていたわ」

「なるほど。それだけの情報で言い当てるとは」

「あたしはそんなに賢くないけど、それくらいだれでもわかるわ。そのことを知っていればね」

「さあ、それはどうかな」


 アスランが意味深に目を(すが)める。

 けれどちょうど窓の外へと視線をやっていたアルフィナは彼の表情に気づかなかった。


「あぁ、大切なことを言い忘れていたけど。あんた──いいえ、貴方はまだ使わないわ。まだ時が来ていないもの。準備が整ったら貴方を呼びに行くわ。その時は何をしていようとあたしの元に駆けつけないとダメよ」

「面白い──いいだろう。だがどうやって私を見つける? 私は一つの街に長く留まりはしない」

「そう、…ね」


 困った問題だことと小首を傾げていると突然突風が吹き抜けていった。

 室内を荒らすではなく、アルフィナの美しい髪を舞い上げた小さな風は、踊るようにくるくると渦を巻いて消えていった。

 とたん、アルフィナの頭の中に名案が浮かぶ。


「風が……そう、風の精が貴方に知らせてくれるわ」

「風の精……?」

「安心して。魔法なんかじゃないわ。あたしはどうやら自然に愛されているようでね、時折悪戯もされるけれど、たまに救ってくれる時もあるのよ。この花もそう。あたしのために咲いてくれた。でも、不思議でもなんともないのよ。自然界に生きる者たちは感情に敏感だもの。こちらの想いを読み取ってその通りに行動してくれる。もっとも、その栄誉を受けられるのは限られているけどね。あたしはどうやらその一人ってわけ」

「どうやら私は君の能力を見くびっていたようだ。困ったな。主人は持たないと決めたはずなのに、騎士としての忠誠を誓いたくなってしまう。こんなにも崇高な気持ちを抱いたのは何年ぶりかな。敬虔とは言い難い私でさえ今神に祈りを捧げたくなった」


 儚げな風情とは対照的に、ラピス・ラズリをはめ込んだかのような美しい双眸は、目映い光を宿している。

 柔らかな陽の光に包まれ微笑する姿は、聖女そのもので、思わず跪きたくなるような衝動を覚えるほどの光輝を放っていた。

 見惚れるのではない、目が吸い寄せられるのだ。


「時間かけすぎ! まだ安静にしていないといけないんだから」


 ふっと、穏やかな空間を切り裂く声。

 それは、怒りを含んだフェゼルの声だった。

 これ以上、アルフィナとアスランを二人きりにしたくなかったらしい。


 くすくすと笑ったアルフィナは言った。


「しばしの間お別れね。それまでもっと腕を磨いておきなさい。貴方が相手をする者たちは強者よ」


 これは誇張ではない。

 フィラデル国の騎士団は優秀な者たちが揃っている。

 (じか)に見てきたからこそその実力のほどは知っている。

 負ける戦。

 勝つ戦。

 どちらにせよアルフィナには戦う道しか残されていない。





「オレも、負けないから」


 思考に沈んでいたアルフィナを引き戻したのは、フェゼルの真摯な声だった。


「フェゼル……?」

「この剣は貴女のものだから」


 愛おしそうに柄を撫でたフェゼルに、なにか言おうと口を開きかけたアルフィナの耳に、ざわめきが聞こえてきた。


「アルフィナ────ッ!」


 一際嬉しそうな声は陶酔感をはらみ、熱を持っていた。

 早すぎる帰還に女主人自ら外に出てきたらしい。


「あらあら困った方」


 いつの間にか、馬車はハーバラスに入り、馬車道を通って緩やかな丘の上に立つ領主の城に到着していたようだ。

 御者が扉を開ける前に段も使わず飛び降りた。


「まあアルフィナ!」


 品のない振る舞いに、真っ先に声を上げたのは、夫人のお供としてついてきたらしい侍女頭のフェッゼだった。 

 見咎めるような声音に小さく舌を出し、フェゼルの方を振り返ることなく夫人の元へ駆け寄った。


「ただ今戻りました、奥様」




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