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閻魔庁現世監査官  作者:
冬 あなたが誰よりも幸福である様に
22/30

第二十二審


 慎也と対面した三日後、二人は現地での聞き込み調査に乗り出した。

 相変わらず征将の顔色は良く無い。

 自分一人でも大丈夫だと言ったのだが征将は行くと言って引かなかった。

 平日に一人で行くという手もあるがそれをしてしまうと前回の件で征将が取った行動への当てつけのような気がして行けない。

 調査書に記された住所を元に生前如月慎也が住んでいた場所に訪れた。

 慎也の生前の家の最寄りの地下鉄の駅に降り、駅と地上を繋ぐ長いエスカレーターに乗る。地上が近付くに連れ段々と寒さが厳しくなってきて肌に刺さるかの様だった。同じ京都市内とはいえやはり山に近いこの土地は繁華街より冷え込む。

 「あそこだ」

 地下鉄の駅から暫く歩いてコンクリートで護岸工事の為された小川沿いにこじんまりと建っているアパート。外観を見る限りでは建ってからかなりの年数が経っている様で外壁には所々ヒビが入り屋根にはどこからか種が飛んで来た雑草が生えている。

 このアパートで父と慎也、そして妹と住んでいたらしい。

 母親は慎也が中学生の時に慎也の父親以外の男性と関係を持ち、その男と一緒になるため家を出ている。

 妹の佳代かよは事件の場所に居合わせてしまったらしく大きな怪我は無いものの、虐待を受けていた時の傷を治療する為にも現在は市内の病院に入院中らしい。

 この家で慎也と佳代はずっと父親からの虐待に耐えていた。

 護られる筈の子供が護る立場の大人から謂われも道理も無い暴力を振るわれながら必死で生きて来た場所。

 生きるのが苦痛で、こんな運命のもとに生まれついてしまった自分の不運を呪いながらも懸命に生き続けた。

 一日一日が地獄の様だっただろう。

 慎也にとって現世も地獄もあまり大差はないのかもしれない。

 「……」

 眉根を寄せてアパートを見つめる真知子を征将はぼんやりとみつめていた。

 二人して寒空の中アパートの前で立ち尽くしているとアパートの一階から住人が出て来た。

 「あ、あのっ」

 英字で大学と部活の名が入ったジャージを着込んだ大学生くらいの青年に慌てて真知子が声を掛ける。

 「すみません、ちょっと如月慎也君のことでお聞きしたいんですが……」

 「あー、如月さんのこと?」

 呼び止められた大学生は慣れた様子で呟いた。恐らく近隣住人として幾度もマスコミに取材されたのだろう。

 「お姉さん達如月さんの親戚とか?」

 「あ、はい」

 良い言い訳が思いつかず青年の言葉にそのまま頷いた。

 「警察の人にも聞かれたけど、事件があった日は俺サークルの飲み会に行ってて家に居なかったからよく知らないんだよね」

 欠伸を咬み殺して頭を掻きながらだるそうに大学生が答える。やる気の無い人から話を聞き出す事は骨が折れる。

 「別に事件当日のことでなくても何でも良いので如月さんの家族に関することを聞きたいんです。息子さんとか娘さんのこととか」

 大学生が答えやすい様に征将が付け加える。

 事件の概要は報告書に書かれている。知りたいのは慎也がどのような人間でどんな環境で育って来たかということだ。

 大学生は、あー、うーん、とか唸りながら必死に頭の中の棚を漁っている様だ。

 「兄ちゃんの方はあんまり話した事無いけど妹の佳代ちゃんは時々話した事あるよ。兄ちゃんは無気力って感じだけど佳代ちゃんはいつもにこにこしてて人懐っこい子だった。お父さんも虐待する様な人に見えなかったけど……」

 まるでテレビのワイドショーの様な定型的なコメントである。

 「なんかよく怪我してるなとは思ってたけどまさか虐待とはねー。もういいですか?部活に遅れるんで」

 「すみません。ありがとうございました」

 大学生は大きな欠伸をしながら原付バイクに乗って気怠そうに登校して行く。

 「近所の人が亡くなったっていうのに興味すら無いんですね」

 原付バイクを見送りながら真知子がぽつりと寂しそうに呟いた。

 良彦と慎也が亡くなったこと、自分が住んでいた目と鼻の先で日常的に虐待が行われていたこと、そのどれもが彼にとっては取るに足らないこと。まるでテレビや新聞で報道される遠い土地の出来事の様だ。忌避や憐憫の気持ちさえ無い。

 自分の生活に影響が及ばなければいくら自分の近くで起きた事とはいえ遠い世界の出来事なのだろう。

 「まぁあれくらいの年頃で近所付き合いに興味持てっていうのも難しいからね。次は噂好きのおばさまにでも聞いてみようか」

 落ち込んでいる真知子の背中をぽんぽんと優しく叩いて励ます征将。

 まだ聞き込みは始まったばかりだと真知子は自分に言い聞かせて聞き込みを再開させた。


 あのあと何人かに話しを聞いて回り、いくつか情報を聞けたので昼食と休憩がてら近くのファミレスに入って整理する。

 真知子はハンバーグ定食と食後のデザートにパフェを頼んだ。

 田中さんにはししゃも、三郎にはケーキセットを頼まされた。

 征将は卵雑炊御膳という体調不良の人と老人以外にはあまり需要がなさそうな胃に優しいメニューを注文していた。

 現在彼は絶賛体調不良の最中なので仕方ないだろうが、田中さんが「じじい臭いもの頼んでんなぁ。イケメンの面が泣くぞ。」と容赦のない感想を述べていた。

 しかしじじい臭いと言っている場合ではなさそうだ。征将の顔はほんのり顔が赤くなって目がとろんとしている。もしかしたら熱があるのではないかと思って度々体調を本人に伺っているが、相変わらず大丈夫の一点張りである。

 「ほぼ全員から上がった証言で兄の慎也は無愛想で対する妹の佳代は愛想が良かった、と」

 「妹の如月佳代は中学一年生だね。事件前には学校にも毎日通って、成績も上位。慎也は学校行ったり行かなかったりだけど成績は上位だったみたいだ」

 ここもまた意外な話で最初この文章を見た真知子は目を丸くさせた。

 最初に会った時慎也の態度が大層気怠そうだったのと近所の人への聞き込みで無愛想だという証言もあり、学校の勉強等もサボり気味なのだろうと勝手に思っていたが慎也は成績優秀者だった様だ。

 「早く大人になって親に頼らず生きて行く為に頑張ったんだろうね」

 征将が報告書を見つめて諦めの様な哀しい表情を浮かべて言う。

 この件に関わってから征将の表情が度々陰ることに真知子も気付いていた。

 その理由が疲労ではないことも。

 「このあとは妹の佳代さんに会いに行ってみましょうか」

 「そうだね、あと藤乃様に頼んで父親の良彦と面会を頼もうか」

 「そんなことできるんですか!?」

 死んだ人間、しかも虐待の件に関して加害者の人間に事情聴取できるなど事件の調査に於いてはかなりの反則技だ。

 驚いた真知子が身を乗り出す。

 「父親の良彦も今死後裁判の途中だし面会の申請をすればできると思うけど加害者である父親が素直に話してくれるかどうか……」

 確かにそうだ。

 自分の犯した罪について根掘り葉掘り聞かれて素直に答える人なんていない。というか答えられないだろう。

 どうするかこれからの段取りを頭の中で組み立てていると頼んでいたメニューがやって来て会議は一時中断となった。


 腹を満たした二人は佳代が入院しているという病院にやってきた。

 案外近くだったので移動時間もそんなに掛からなかった。

 病院独特の消毒アルコールの匂いと雰囲気に真知子が少し緊張していると征将が受付でさっさと佳代の病室を聞いて来た。体調不良とはいえいつも通り仕事に無駄が無く速い。

 駅の上に建っている商業施設で女の子が好きそうなお菓子を買ってきたが、名前だけしか知らない人のお見舞いなんて行った事が無い。一体どんな顔で行けばいいのだろうか。

 しかも父と兄を同時に亡くした少女だ。気が重くて仕方無い。

 だが、征将は場数の違いからか迷わず堂々と病室の扉をノックした。

 わー!わー!と口パクで心の中で騒ぎまくる真知子とは大違いだ。ここでもキャリアの差を思い知らされる。

 しかしドアの向こうは一向にしんと静まり返っている

 「寝てるんでしょうか?」

 「どうだろう」

 征将はもう一度ノックするが扉の向こうは静まり返ったままだ。

 病室を間違えたのだろうかと扉の横にあるネームプレートを確認するが、白のプレートに黒のマジックできちんと「如月佳代」と書かれている。

 何度かノックをしたがついぞ扉の向こうから返事が返って来ることは無かった。


 結局佳代に会う事は出来ず、二人は日が落ちてから藤乃に頼んでいた父親の良彦との面会をする為に閻魔庁へ出勤した。

 さすがに慎也に配慮して西棟の地下にあった慎也の地下牢とは反対の東棟の地下牢に良彦はいた。

 いつも通り女性が先導してくれて良彦がいる地下牢まで歩いて行く。

 「滝さん、本当に大丈夫ですか?」

 「大丈夫ですよ」

 いや、絶対大丈夫じゃないだろ。と真知子は心の中で初めて征将に突っ込んだ。

 征将が顔を真っ赤にしてふらふら歩いている。

 これは本格的に危ない。

 もし征将が倒れて来ても真知子では到底支えられない。三郎に助けてもらっても見るからに筋力に差がある為恐らく三郎が骨折する。

 田中さんと三郎を振り返って説得の助力を乞うが、二人は、あー……と気まずそうにそれぞれ明後日の方向を見つめる。長年の付き合いの二人が諦めているとなると、征将はてこでも休もうとしないだろう。

 「こちらが如月良彦です」

 「……」

 案内をしてくれた女性が一つの座敷牢の前で立ち止まり、淡々とした声で告げる。牢の中では坊主頭の中年の男が頭を抱えて忙しなく歩いてぶつぶつと呟いていたが、牢屋の中で力無く座っていた男が真知子達の姿に気付くなり、物凄い勢いで格子に飛びついて必死に真知子達へ手を伸ばす。

 「出してくれ!!」

 「っ!?」

 驚いた真知子は思わず後ずさり、征将は真知子の前へ一歩出て背中へ庇う。

 そんな事に眉一つ動かさない案内役の女性の鋼の心臓には恐れ入る。

 今まで真知子が関わって来た判決待ちの人は冬子や慎也など自分の死後裁判の判決に良い意味でも悪い意味でも興味の無い人が多かったので驚いたが、本来ならこれが普通なのかもしれない。

 「地獄なんかに行きたくねぇんだ!!なぁ!頼むよ!!」

 男性の必死さに気圧されていた真知子は唾を飲み込んで少し前に出る。興奮した状態の人間を更に追いつめる様な話しをするのは緊張する。緊張で飛び跳ねる心臓を押さえつけてゆっくりと口を開いた。

 「如月慎也さんのお父さんですよね」

 真知子の言葉を聞いた良彦は今まで暴れていたのが嘘の様にぴたりと動きが止まる。

 「……ちがう」

 「え?」

 まさかの否定の言葉に真知子が聞き返す。

 良彦は体を震わせ、今まで必死にしがみついていた格子から首を左右に降りながら一歩一歩離れて行く。

 「違う、俺の所為じゃない……俺の所為じゃないいいいい……」

 大の男が情けない声を上げながら牢屋の端で頭を抱えて丸まっている。

 自分の犯した罪を正視できない程この男は弱い人間なのだと思い知らされた。

 だが、その弱さの所為にして罪を犯して良い筈がない。

 「あなたの犯した罪はあなたがその身を以て償わねばなりません。そして如月慎也も、あなたを殺した罪を償わねばなりません」

 真知子の言葉に良彦の震えが止まり、ゆっくりと顔を上げる。そしてもう一度格子に縋り付く。

 「あいつだ!あいつが俺を殺した!俺は殺された人間だ!救われるべき人間だろう!?」

 この期に及んで何を巫山戯た事を言っているのだこの男は、と腹の底の方で怒りが大きく渦巻いていく。

 「……殺されるだけの理由があったのでしょう?」

 自分が思った以上に冷めた声が出た。

 征将と田中さん、三郎が信じられないものを見る目で真知子を見つめる。

 良彦の身勝手さに怒りで腹が煮えくり返りそうだというのに、頭だけが妙に冷えきっている。

 「嬲られる存在だった如月慎也と如月佳代にとって、一日一日嬲られている間の時間がどんなものだったか、あなたは考えた事があるのですか?」

 それは永遠の地獄の様だっただろう。

 例え一分、一秒でも。

 「あなたはあなたの犯した罪を償うべきです。子を護る立場の親が、自分の弱さ故に子供に甘えて、その子供に親を殺させる程追いつめた罪は決して軽くないと私は思います」

 真知子の揺るぎない言葉の前に良彦は力無く膝をついた。

 「……話して下さい」


 如月良彦の妻であり慎也と佳代の母親である女性は良彦以外の男性と恋に落ちてしまい、恋に焦がれるあまり家族を捨てた。

 かつて愛した妻に似た子供達を見ているとこの子達もまた自分を残してどこかへ行ってしまうのではないかという不安が良彦に付きまとった。

 きっかけは何だったのか今では思い出せない。

 ある日苛々して子供に手をあげてしまった。

 それ以来子供達は良彦を怯えた目で見る様になった。

 その目が出て行った妻の面影と重なってしまい不安に一層拍車を掛けて、の繰り返しになってしまった。

 頭に血が上ると止められない。これではダメだと思っているのに、子供達を愛しているのに、振り上げる手は止められなかった。

 暴力で縛り付けていないと妻の様に子供達も自分の元から去って行ってしまうと感じた。孤独の恐怖を紛らわす様に、何度も何度も子供達を殴った。

 そしてあの日、良彦はかつてない程の絶望を味わった。

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