第二十一審
閻魔大王と食事をしてから二日後、タイミングを計った様に出勤命令のメールが送られて来た。
幾分か心は軽くなったもののやはり征将には会いにくい。
いつも閻魔庁に出勤する際に落ち合っていたコンビニで今日も待ち合わせていたのだが、色んな気持ちがない交ぜになって落ち着かなかった。
「ごめん、待たせちゃったね」
一ヶ月振りに聞いた最初の言葉が奇しくも最後に別れた時の言葉と同じであの時の気持ちが蘇りそうになった。
しかし、征将の顔を見た途端、一ヶ月前の出来事なんて綺麗さっぱりふっとんでしまった。
「どうしたんですか!!?」
あまりにも征将の顔色が悪かった為に。
足下にいる田中さんでさえも小さい目を見開いて驚いている。
「いや、ちょっと、あまりにも忙しくて……」
本人はいつも通り笑っているつもりなのだろうが顔色の悪い顔で笑顔を浮かべても余計に痛々しいだけだ。それに覇気の無い語調が心配に拍車を掛ける。
「だ、大丈夫ですか?」
恐る恐る聞く真知子に征将は力無く笑う。
「年末年始はいつもこんな感じだから気にしないで」
確かにクリスマスと正月を目と鼻の先に控えた今の時期はジュエリー業界にとって一年で一番の稼ぎ時だ。常人では想像を絶する程の忙しさなのであろう。
何せ夢と希望が詰まった業界である。華やかな世界なだけに苦労も多いことは想像に難く無い。
「体が辛い時はすぐに言って下さいね?」
「うん。ありがとう」
一応頷くが多分言わないんだろうなぁと思って真知子はしょんぼりと肩を落とした。
そして閻魔庁でも異例事態が起こっていた。
いつもなら出勤すると二階にある閻魔大王の執務室に通されるのだが、今日は何故か一階の応接室に通された。
応接室は左右が襖になっており、藍色の地に白く光り輝く藤の花が無数に描かれている。釘隠しも藤の花を模しており、黒い革張りのソファには漆黒のスーツを来た女性が座っていた。真知子達を見上げると、顎下で切りそろえた彼女の真っ直ぐな髪の毛がさらりと揺れる。
「初めまして」
切れ長の瞳を柔和に細めて女性が口を開いた。
「滝君はお久しぶりね」
「ご無沙汰してます。藤乃様」
藤乃と呼ばれる女性と滝が言葉を交わすと何故か空気がピリピリと電気を帯びた様な緊張が走った気がした。富子の時と雰囲気が似ている。
二人とも表情は完璧な笑顔を浮かべているという所が余計に恐ろしい。
「とりあえず掛けてもらえるかしら?色々込み入った話があるのよ。小野さんには自己紹介したいし」
「あ、はい」
藤乃に促されて二人は向かい側のソファに腰掛ける。
「私は閻魔大王の秘書をしている藤乃と申します。これからよろしくお願いしますね」
「小野真知子です。こちらこそよろしくお願いします」
自己紹介を終えると藤乃は長い足を組み替えて背もたれに凭れ掛かる。
「さて、今回の案件についてですが、二日前から閻魔大王が体調不良の為私が閻魔大王の職務を代行しています」
「え!?閻魔大王大丈夫なんですか!?」
人を見た目で判断するのは良く無いが、お世辞にもちょっとやそっとで体調を崩す人には見えないし閻魔大王は既に亡者だ。亡者が体調不良になるという事実にも驚く。
「大丈夫ですよ。ただの食あたりですから」
これまた満面の笑みで藤乃が告げ、ごく一般的な症状に真知子も拍子抜けした。
「閻魔大王のことはとりあえず横に置いておいて、今回の案件について話しを進めますね」
いくら話しが進まないとはいえ自分の上司の存在を粗雑に横に置いておくと言える者はなかなかいないだろう。この数分で藤乃と閻魔大王の力関係がちらりと垣間見えた気がした。
「今回あなた達に頼みたいのは親殺しをした子供の身辺調査です」
部屋の空気が一瞬にして凍り付いた。
藤乃は気にせずテーブルに並べていた書類を手に取り真知子と征将に渡す。
「対象者は如月慎也、十七歳。殺した相手は彼の父親の如月良彦。慎也は良彦から虐待を受けていた様で、虐待から逃れる為に良彦を殺害したそうです。ですが殺害時に良彦に抵抗され慎也も死に至る致命傷を負い、死亡」
淡々と藤乃が慎也について書かれた報告書の重要部分を読み上げて行く。
「近年親から子供への虐待に関する事件が卑劣を極め、いくら親殺しをしたといえど死後裁判でも情状酌量により減刑されることもごくたまにありますが、人を、しかも親を殺したとなると本来なら地獄の最下層である阿鼻地獄行きとなる罪状です。くれぐれも感情に流されていにしえの理をないがしろにしないようにして下さい」
いくら情状酌量の余地があるとはいえ殺人は逃れようの無い罪だ。
人を殺してしまったという揺るがぬ罪と自分ではどうしようもない悲運をどう裁くか、非常に微妙なバランスを問われる。
「死後裁判の報告書は閻魔大王が所有している浄玻璃の鏡に映る事実のみを記載してあります。当人の感情などは書き手や読み手によって捉え方が異なりますからあえて書かれていません。今回小野さんには当事者の動機、つまり感情面での裏付けをして頂きたいのです」
藤乃の説明を聞いて読み返してみると確かに感情の記述は一切無い。
裁判の鍵とも言える裁かれる者の感情の領域の調査をするのが現世監査官及び監査事務官の仕事だ。
閻魔大王が信を置いた選ばれし人間だけが踏み入ることのできる領域。
現世監査官がその目で見て感じた真実を基に閻魔大王や他の十王が裁きを下すのだ。
「……あと、とても言いにくいんだけど閻魔大王がダウンしてて大王が担当している五七日目の第五裁判で判決を下せる人がいなくて……」
あ、なんだか嫌な予感がしてきたぞ、と真知子は早々に不穏な空気を感じ取った。
「監査官の皆さんには特別措置として閻魔大王が休んでいる間の判決をお願いしています」
「うええ!?」
思わず間抜けな大声を出してしまい、慌てて口を押さえるがもう遅い。藤乃にはくすりと笑われてしまって顔が熱くなる。
「いや、その、私なんかが人様の人生を左右することをしてもよろしいのかと……」
もごもごと言い訳をしていると藤乃が苦笑を浮かべて更に説明を加える。
「あなたは監査官に選ばれた時点で閻魔大王が認めた方です。監査官それぞれに個性があり、それぞれ職務に適した長所があると考えて閻魔大王がその御名において任命されたのです。誰の判断も良い悪いと言えぬ世界ですからせめて、あなただけは迷いの無い様、あなたの心と真実に従って職務を全うなさって下さい」
藤乃の言葉に背を押されても、突如任された大役に真知子はただ溜め息をつくしかなかった。
現在征将が多忙なので次いつ二人の都合が合うか分からない。
今日仕事の概要を聞いたばかりで慌ただしいと思ったがこのまま当事者に会いに行こうということになった。
「……」
「……」
少年がいるのは先日冬子がいた場所だった。
仲違いの原因になってしまった件と因縁浅からぬ場所に時を置かずして再び訪れるのは非常に気まずい。
二人が一言も発さないのに対し、田中さんと三郎は今期のドラマのラインナップについて熱く語り合いながら付いて来る。田中さんと三郎が話してくれているお陰でぎすぎすとした空気を中和してくれているので一向に構わないが。
「こちらです」
案内してくれていた女性が一つの部屋の前で立ち止まる。
格子越しの部屋には気怠げな様子の少年が壁に凭れてぼんやりと天井を見つめていた。
真知子が予想していた如月慎也の姿とは違い、髪は黒のままで耳や鼻に穴も空いていない、どこにでもいる平凡な少年の姿だった。
ただ、袂や裾から覗く腕や足には痛々しい痣や火傷の痕が残っている。
「こ、こんばんは」
恐る恐る真知子が挨拶すると、天井を眺めていた目が真知子達ゆっくりと真知子達の方を向く。次の言葉を発する前に慎也は溜め息をついて再び天井を見上げる。
「……何か用?」
心底投げやりな声で端的に問われ、七つも年下の相手に真知子は内心びくびくしている。
「えっと、如月君のことを調査をすることになりました、現世監査官小野真知子と申します」
慎也は臭いものを見る様に目を眇めて真知子を睨みつけた。
自分に向けられているであろう負の感情に思わず気持ちが竦む。
「そういうの、要らない」
「え?」
慎也はごろりと床に寝転がり、仰向けになって心底面倒臭そうに言葉を続ける。
「……人のなりそこないみたいな野郎がしてきたことよりもその野郎を殺した俺の方が大罪人だっていうようなクソみたいな法律で裁かれるんだろ。もう何でもいい。さっさとしてくれ。あんた達の気まぐれに付き合うのはもううんざりだ」
基本的な情報以外何も知らない真知子は慎也に何も言う事が出来ない。その基本的情報とて文字の羅列を読んで状況を理解しているだけで、慎也の気持ちなど本当の意味で一つも理解できていないだろう。
何かを言おうとしても薄ら寒い言葉にしか聞こえず、口を開いては何も言わないまま閉じるといった事を何度も繰り返した。
結局何一つ彼に返す言葉が思い浮かばず、また来ます。という苦し紛れの言葉だけを置いて地下牢を後にした。
「おい、征将、大丈夫か」
地下牢から出て現世に帰ろうと靴を履いていた時、後ろから田中さんの声が聞こえて振り返ると征将が額に脂汗を滲ませている。
「え!?大丈夫ですか!?」
驚いた真知子は慌てて征将の所に駆け寄るが征将は力無く笑って手を左右に振る。
「大丈夫。気にしないで」
「でも……」
「大丈夫だから」
お世辞にも大丈夫そうな顔色には見えないが征将は他人に弱っている所を見られるのを嫌う様で頑なに大丈夫と言って聞かない。
征将相手にこれ以上食い下がることもできず言葉を飲み込むしか無い真知子。
現世に戻ってから家まで送ると言って聞かない征将に家まで送ってもらった。事前に母にメールをして何か栄養が付きそうなものを作ってもらっていた。
「征将君大丈夫!?」
タッパーに詰めたごはんを持って玄関で待機していた母が征将の顔を見て悲鳴に近い声を上げた。
「はい。すみません、ご飯まで頂いてしまって……」
「いいのよそんなこと気にしないで!何かあったらすぐに言うのよ!?」
「はい」
実の娘が風邪を引いた時より手厚い気遣いである。
真知子と母親と田中さんは大きな紙袋を征将に持たせ、征将の姿が見えなくなるまで見送っていた。




