白金の鎧〈プラチナメイル〉
一日の退屈な授業が終わり「今日もご苦労さん」と毎日学校へと通う自分を労ってやりたい気分になるある日の放課後。
「おやおや、お疲れね~優一郎」
「ああ、達美か、珍しいじゃないか。一緒のクラスでもないのにわざわざ俺の所に来るなんて」
授業が終わり、だらだらと帰り仕度をしていたところに声を掛けられた。
「あれ? 達美さんどうしたの?」
「うん、今日部活も無いからさ、一緒に帰らないかな~なんて」
俺と達美が会話しているのに気が付いた千野は俺達の元へ駆け寄ってきた。千野もこれから帰る所だったのだろう。
「いいよ! あ! それじゃあこの前言ってたテスト勉強する?」
そう言えば先日テストの結果が悪かったから教えてほしいと頼み込まれたんだったな。あの時は二つ返事で千野が受けた訳だが。
「ん~、まあ当分はテストもあんまりないし、今日はみんなでお茶しに行かない? この前はあんまり話す時間なかったから今日はゆっくりとね!」
まあ確かにテストは当分ないだろう。中間が終わったばかりなんだから、期末はもっと先になる。テストの点数さえ良ければいいのであれば、そんなに急いで勉強する必要もないだろう。
「いいじゃないか、行ってくれば。女子校生らしく服の流行についてでも話してこいよ」
放課後はカフェやらファーストフード店やらでそんな話をしている――ってのが俺の女子高生に対する印象だ。
「優一郎君も行こうよ! ね? 達美さんもいいでしょ?」
「一応みんなでって言ったつもりなんだけど? それに偶々ではあるけど、私が先に話しかけたのはあんたの方だと思うんだけどなぁ」
おっと……どうやら俺も頭数に入っていたみたいだ。
しかし、別に嫌というわけではないが、女子二人に男一人ってのは周りからの視線が気になるな。なんだか女しか友達居ないのか? などと誤解を生みそうだ。
まあ放課後一緒に遊ぶような男友達もあんまり居ないんだがな。
「確かにそうだな。それじゃあ、俺もお供させてもらおう」
「うん! 行こう行こう!」
「決まりね! それじゃあ私鞄とってくるから、ちょっと待ってて」
と、達美は俺と千野に背を向けて一旦教室を出ていく。
「うーん、友達とお茶しに行くなんて始めてだよ。なんだか緊張するなぁ。今日は、初! 友達とお茶しましたデーだね!」
「どんなメモリアルだよ。さすがにそのボケは無理があるぞ……ってボケだよな?」
緊張するとは言っているものの、千野の目は新しい体験に興奮しているのか輝いているように見える。
「おまたせー。それじゃ行くよ!」
達美が教室の扉に手を置いて、こちらへ向かって呼びかけてくる。自分の席から腰を持ち上げ、千野と一緒に達美のいる扉の方へと向かった。
その後、教室を出ていざお茶しに行こうと、張り切って教室を出たのはいいものの、達美が階段手前の教室を見て、何かに反応した。
「あっ、ちょっとストップ!」
俺と千野は一旦止まるよう手で制され、廊下の壁側に押しつけられた。
「なっ! ちょっと待て、近い!」
達美の顔が俺の目の前まで接近している、それに加え豊満とは言えないがほどよい柔らかな胸が俺の体に押し付けられていた。
「た、達美さん!? ど、どうしたのかな?」
千野の体も達美に抑えつけられている。達美が俺と千野を押さえつけている所為で、当然千野の体も俺の体に密着していて、千野が俺に抱きついている様な状態になっていた。
達美より豊満である千野の胸は俺の右腕に押し付けられていて――と言うよりも挟み込まれている……。
俺の右腕が優しく包まれている様な……そんな感覚に――。
「教室の中……見てよ」
「――あ、ああ」
達美の言葉で何とか我に返る事が出来た。――危ない。
俺と千野に顔を近づけてヒソヒソと小声で喋りかけてくる達美。三人で顔を近づけている状況なので、男一人の俺は非常に恥ずかしいのだが。
教室の中が見えるよう、慎重に中を覗く。その教室の中には二人の生徒が立っていた。
女子一人、男子一人の計二人。
男子の方は、何故だかもじもじしながら地面に向かって何かを喋りかけていて、女子の方は、男子のその姿を真顔で見ている。
何を喋っているのかはあまり聞こえず、どんな会話をしているのかは全くわからなかったのだが、この状況と男の焦り具合から察するに――。
「まあ、告白現場だな」
「えっ! あの伝説の!?」
千野は珍しいものでも見たかの様に、更に身を乗り出した。
「伝説ってなんだよ……」
「だって、友達を作るのがやっとの私にとって、告白はまさに伝説級の儀式なんだよ!」
告白現場に釘付けになっている千野。友達もあまり居なかったみたいだから、色恋沙汰に関して縁がなかったのも仕方が無いのかもしれない。
「あ、話し終わったみたい」
達美にそう言われ、千野から教室の方に視線を戻す。俺達が覗いている方とは逆側の扉から男子生徒は出て行き、廊下に差しかかった途端、猛ダッシュで階段を駆け下りて行った。
「くっ! 砕け散ってしまったか。でも俺はお前の勇姿を決して忘れない!」
振られてしまった奴がどこのクラスの生徒かは全く知らないが。
「告白の儀式、告白が失敗に終わった時こそ振られた者は、恋と言う謎の意味を見出すことが出来る……ってお姉ちゃんが言ってたんだけど、どういう事なのかな?」
多分お前には当分わかんねえよ。俺にもわかんねえけど。
「でも、あの子やっぱり人気なのね。これで何人目なんだろう?」
「そんなに女の方はモテてるのか」
実際、高校生活が始まってまだ半年はおろか、三カ月しか経ってないというのに、告白されるなんてなかなかの美貌の持ち主で無いと、有り得ないだろう。しかも達美の口ぶりからすると複数人に告白されているみたいだ。
女子の顔はこちらからは後ろ姿しか見えず、俺には判別できない。達美は誰かわかったようなのだが、一体誰なんだ?
俺がその人気絶頂ナンバーワンの女子が誰なのか? などと考えている内にその女子生徒の、肩に軽くかかっている鮮やかなブロンドの髪がふわりと靡き、隙間から涙目になっている彼女の顔を見る事が出来た。
「彼女は、伊原桃子。誰からの求愛も受け付けない。通称、白金の鎧。プラチナメイルって呼ばれているわ」
今までに幾人もの男に告白され、そしてそのすべての想いをを無に還してきた鉄壁の鎧。そして彼女の男を魅了する眩しいくらいに透き通った肌。
そこから付けられたあだ名がプラチナメイル、なんだとさ。
誰がそんな通称を付けたのかと、知らない誰かのネーミングセンスを疑うのと同時に、それが通称になってしまった伊原桃子に、少しだけ同情の念を抱いてしまった。
「あいつが伊原桃子か、俺も噂だけは聞いたことがあるぞ。でも、今まで散々男を振ってきた女が泣いているように見えるのは俺の気の所為か?」
「確かに……泣いてるように見えるわね。なんで?」
そんな事聞かれても俺だって知らない。達美にも彼女が泣いているように見えているらしく、俺の見間違い、と言う訳でも無さそうだ。
俺と達美が向かい合って伊原の泣いている理由に着いて模索していた所ふと気付く。
「あれ、千野は?」
「居ないわね。どこ行っちゃったの……ってあれ!」
達美が何かに気付いたみたいで、目を教室の方に向けている。その視線を辿って行くと。
「だ、大丈夫ですか? 何か怖い事を言われたんですか?」
千野が泣いている伊原に歩み寄り、おそるおそるといった感じで慰めていた。
「わ……私は……」
千野の問いに、泣いている伊原が鼻を啜りながら声を絞り出そうとしている。
千野が教室に入って行ってしまった為、俺と達美も自然と教室へと入る。余り余計な事を言わなければいいのだが……。
「お、おい千野? こういう時はそっとしといてやるもんだぞ? 何か事情があるかもしれないんだからな?」
正直、関わらない方が面倒事に巻き込まれることもない。それよりも、伊原の為にそっとしておいた方が彼女も落着きやすいんじゃないかと思うのだが。
「私はまた……私を好きになってくれた人の想いを……踏みにじった!」
「え?」
彼女の悲鳴にも聞こえるその懺悔が、放課後の静まり返った教室に強く響いた。
千野がこのままでは「かわいそうだから一緒に連れて行ってあげよう!」と言いだし、伊原も一緒に帰ることとなった。
俺的にはそっとしておいた方がいいんじゃないかと考えていたのだが、達美もいい機会だし伊原と喋りたいとの事で、とりあえずその思考は流しておく。
四人で学校を出て駅前のカフェへと向かったのだが、その間も伊原は俯き加減で、傍で千野がずっと慰め続けていた。
「どうですか? 少しは落ち着きましたか?」
カフェに辿り着き、四人席のテーブルへと店員に導かれ、窓際の席に座った俺の隣には千野が座り、俺の前に達美、千野の前に伊原が座る。
地面を向いたままだった伊原の頭も、段々と前を向くようになり、駅前の商店街に並んでいる小ぢんまりとした喫茶店に着く頃にはまともに喋れる様になっていた。
ちなみにこの喫茶店には達美に連れてこられた。連れて来た本人はこの前友達と一緒に来た時に雰囲気が気に入った、とかでまた来たいと思っていたらしい。
確かに気分が落ち着ける店である。広くはないが、レトロな空気を漂わせるインテリアの数々、店全体に流れている題名のわからないピアノ曲、そして皺が寄った穏やかな目でどこか遠くを眺めているマスター。
それらすべてが落着いた店の雰囲気を醸し出す。
こんな所があるなんて知らなかったな。また今度来て見るのも良いかもしれない。
「はい、ありがとうございます。えっと……」
「私の事は仲山千野です! どうか千野とお呼びください!」
出やがった……千野の仲良くなりたいアピール。最近はよく誰かに話しかけているのを見かけるが、だんだんあからさまになってきてないか?
店の雰囲気に呑まれ、異世界に迷い込んでしまったかのような俺の気分は、千野のいつも通りの快活さでいつも通りの現実へと引き戻されてしまう。
「私は伊原達美! 達美って呼んでいいわよ!」
うわ、こいつもか……。しかし、どっちかって言うと達美の方が自然な気がする。さすが交友関係の広い奴はあまり違和感を感じさせないな。
「はい。私は伊原桃子。私の事も桃子って呼んでください」
少し二人の積極性に圧倒されているみたいだが、嫌悪感を抱いている事も無いみたいで、なんだか嬉しそうに呼び捨てにする事を承諾する。
というか伊原も敬語を使うのか……。俺達が同じ一年だと認識しているはずだが砕けた口調で話しかけて来る気配も無い。千野といい伊原といい同級生に畏まる必要性が一体どこにあるというんだろうか?
「ん? なんだよ?」
いい空気を作り出していた三人が一斉にこちらを向いて、何かを待っているかのような視線を送ってくる。
……一体どうしたんだ? もしかして俺が頼んだウィンナーコーヒーのクリームが顔に付いているのだろうか。……だとしたら恥ずかしい。
「あ、あの……あなたの名前も……」
伊原が少し縮こまった体で控えめに俺に名前を聞いてくる。
「ゆーいちろーくん! そこは君が気を利かせて自分から自己紹介する所だよ」
「っていうか、そういう流れだったじゃない! あんたって場の空気があんまり読めないのね」
さんざんな言われ様だ、千野にも注意されてしまうなんて、なんだか落ち込んでしまう。
「俺は三浦だ。一応この二人の友達ってことになるのか?」
「あんたねぇ、友達じゃなきゃこうやって一緒に話しこんだりなんかしないわよ……」
「なるのか? ――じゃないよ! 正真正銘の友達です!」
曖昧な返事をした俺に対し、達美は呆れてしまい、千野は少しだけ怒っているみたいだ。しかし自己紹介をしたのはいいものの、自分でもここに居るのは場違いな気がしてならない。千野は俺が一緒に居て当たり前みたいに言ってはいるが、女子三人と男一人なんてアンバランス過ぎる。まさかもう一人女子が追加されるなんて思わなかったからな。
「三浦君……でいいのでしょうか? でも、千野も達美も優一郎って呼んでるから……それがあなたの名前ですか?」
「ああそうだ。最初は仲山家姉妹の呼び方を分ける為に千野って呼ぶようになったんだ。それで千野が俺の事も優一郎って呼びたいだなんて言い出したから名前で呼び合う様になった。達美は単純に千野が俺の事を名前で呼んでたからだよな?」
「そうね。なんだか私だけ仲間外れみたいな感じだったしー」
仲間はずれって……。あの時まだ会って一時間も経ってなかった気もするが。
「そうなんですか。それじゃあ私も――」
「ちょっと待て」
俺はこの後に続く桃子の言葉を予想して、途中で遮った。これだけは避けておかなければならない。
「お前は男子の事を苗字じゃなくて名前で呼ぶ奴、居るのか?」
「え? ……居ませんが?」
「他の男子からモテモテのお前が、みんなの前で俺の事を名前で呼んだりしたら変な誤解を生む可能性がある。もしかすると、俺はクラスどころか、学校全体の男達からひんしゅくを買ってしまう。それだけは避けなければならない」
学校に居辛くなる所ではない、伊原の事を好きな奴が俺に攻撃的な姿勢を取ってきてもおかしくない。千野が教室で俺の名前を呼んだ時みたいに、勘違いする奴が絶対いる。
「でも、桃子さんだけ、優一郎君の事を優一郎君って呼べないのはかわいそうだよ!」
隣から抗議の声。しかし言っている意味が全く理解できない。かわいそうって何だよ……? さっき会ったばかりなんだから別によくないか?
「そうよ! あなただって、学校中の男から熱視線を送られるこの伊原桃子が名前で呼ぶって言ってんのよ? 感謝しなさい」
今度は前方からの抗議の声。お前は一体何様なんだよ……。
「かわいそうだとかそういう問題じゃないんだって。その伊原桃子に下の名前で呼ばれてみろ。俺は学校中の男にリンチされる羽目になるかもしれないんだぞ?」
俺が伊原から名前で呼ばれ る未来……。ああ、容易に想像できる。さぞ過酷な三年間になってしまう事だろうな。
「い、いいですよ。私は三浦君って呼びますから……。ごめんなさい」
「いや、お前は悪くないよ。俺だって別に嫌な訳じゃないんだ。ただ身の安全を確保しておきたいだけで」
少し残念そうな顔をし、諦めてくれた伊原。
名前で呼ばれたい気持ちも少しはある。伊原から名前で呼ばれるなんてそれはそれで鼻が高いし、他の男子に対する優越感が半端じゃなさそうだ。
「うーんそっかぁ、まあしょうがないよね。それじゃあ親睦も軽く深めあった所で……桃子さんは何で泣いていたんでしょうか?」
千野のいきなりでとてつもなく直球な質問。あれだけ伊原の事を励ましてやってたのに何故自分からほじくり返す様な事をするんだ? 気になっているだけだと思うが。
「あ、はえっと……私に告白してくる人達はみんな少なからず私の事を想って告白してくれてるんだと思うんですけど……」
千野の直球な質問に対し、伊原は少しくぐもった声で説明し始める。
「その告白してくれる人達の想いを、私がいつも断ってることで無意味にしていってるような気がして……」
多分、何人もの男に告白されてそれを毎回振り続け、罪悪感みたいな感情が生まれてしまったのだろう。俺にはさっぱりわからない感情だが。
「それは別に気にしなくていいんじゃない? 桃子の気持ちだって当然あるわけでしょ? 付き合いたくもない相手がかわいそうだからって同情する気持ちで付き合ったとしても、それ以上の関係にだってなれっこないんだし」
桃子の説明に達美がキッパリと自分の意見を述べる。達美の熟練者然としたその姿に千野は目を輝かせていた。
「おお、達美さんすごいなぁ。なんか場慣れしてる感じがするよ」
「まー付き合ったこと無いから偉そうな事言える立場じゃないんだけどね」
しかし達美の言葉はもっともだと思う。人の恋愛観なんてそれこそ人それぞれだが、それでも世間的に見て達美と同意見だと思う人が大多数だろう。
「そうですよね……私も本当なら相手の事をもっと理解してから返事がしたいんですが、知らない人達ばかりだからみんなの気持ちには応えられない……です」
モテる奴の心境なんてモテない俺には全くわからない。しかし伊原自身、その悩みが心に重くのしかかっているのか、やるせない表情をテーブルに向ける。
伊原のそんな姿を見て、何か策を講じてやろうと頭を悩ませていると、ふと思いつく。
「もう告白されたくないなら、誰か好きな奴つくって付き合えばいいじゃないか」
ただの思いつきで頭に浮かんできた言葉をそのまま口に出してみると――。
「えっ?」
「おっ!」
「へ?」
三者三様に一文字で反応を示す。桃子は驚きを隠せない様で、達美は好反応を露わにし、千野は……俺の言葉を理解してくれてないんだろうな。
「その手があったわね。確かに、いっその事誰かと付き合えば告白もされないわ」
「で、でも好きな人なんて居ないですし、それに告白する勇気もありません……」
「別に無理して作れって言ってるわけじゃない。ただそれなら達美も言ったように誰も言い寄っては来ないって思っただけだよ」
自分が惹かれる相手なんて早々見つかる訳もない。例え見つかったとしてもその相手に想いを伝えるのは難しい。昔は好きな奴が居たが、結局告白なんて夢のまた夢。思いを告げる度胸も無く、何もアクションを起こさないまま思い出の彼方に消えてしまった。
だから伊原に告白して、玉砕していった連中に敬意を込めて伝えたい。
お前らの今後の人生に、幸あれ……と。
「今後好きな奴でも出来たら、自分から想いを伝えてみるのもいいんじゃないか? お前に告白してくる奴らとは付き合えないって言うなら、自分で気に入る相手を探して自分で選んでいけばいいんだ。お前から告白されて断る奴なんか居ないよ」
「そう、でしょうか……」
滔々とそんな言葉が自分の口から流れていく。俺が恋愛の何を知っていると言うんだろうか? 偉そうに言える程、俺も恋愛なんてしてこなかったと言うのに。
俺の言葉に少しだけ頬を赤らめ俯く桃子。断る奴なんかいないだなんて、少し無責任な事を言い過ぎてしまったか。
「自分が選んでいけば……か。でも、そんな相手見つかるかな」
伊原は眉を八の字にし、心底不安そうだ。しかし他にいい案も思い浮かばない。
その後も、俺と達美で伊原の悩みに対する解決策をいろいろと投じてみたが、なかなかいい案も浮かんで来ず、男子達の猛攻が収まるまで我慢するか。自分が誰かと付き合って他の男子を近寄らせない様にするか。
なかなか話がまとまらない中、千野は常日頃から肌身離さず持っているノートに何かを書き込んでいってるようであった。
とりあえず、伊原が自分の好きな人を探してみる、と言う方向で話がまとまり、外は夕暮れが拝める時間帯になっていたので今日は解散する事となった。
店を出ると達美は俺達より一歩だけ前に立ち、こちらを振りかえると駅の方を指差した。
「私こっちだから」
「達美は電車通学なのか?」
「そうなのよ。はぁ~私も学校の近くに住みたい……。だけどここから二駅だしそんなに遠くもないんだけどね。まあそう言う事で!」
「今日はほんっとに楽しかったよ! またお茶しに行こうね!」
「今日はありがとうございました。話を聞いて貰えただけでよかったです」
「いえいえ、それじゃね!」
千野と伊原が達美に別れを告げると達美は駅に向かい、人ごみの中へと消えていった。
「俺らも帰るか」
「うん! そうだね!」
駅前の賑やかな喧騒の中、俺達は帰路についていた。会話する二人の後ろを歩いていると、千野と伊原が誰かに声を掛けられる。
「あれぇ伊原じゃん。何? あんた友達居たの?」
「鹿野さん……は、はい」
声を掛けてきたのは元の姿を隠そうとしているのか、綺麗に見せるための化粧が文字通りに化けてしまっている女子生徒だ。同じ様なのがもう二人程後ろに控えている。一言で言うとけばけばしい。
千野達と着ている制服が一緒だから同じ学校の生徒だと判る。第一声からして明らかに伊原の事を良く思っていない事が読み取れた。
「桃子さん。こちらの方もお友達?」
「い、いえ。その……」
千野は状況が呑みこめて居ないらしいな。まあバカだからしょうがない。
伊原はとても居心地が悪そうに縮こまっている。やはり友達でも何でもない、ただ伊原に人気があるのが気に食わない、僻んでるだけの連中の様だ。
「しかも男いんじゃんかよ。いいよなーモテるやつはぁ、自分の好きな奴選べんだからよぉ」
その女子生徒の言う事に賛同するわけでもないが、確かに彼女は選べない側の人間であり、俺もそちら側であろう。対して伊原や、多分千野や達美なんかもそう、選ぶ事のできる側だ。
俺も自分で自分の事が「格好いい」と、断じて思ってないので選べない側の――。
「にしても、お前も趣味悪いよなー。何でこんなパッとしない男選ぶんだよ。めっちゃウケんな! きゃはは!」
けばけばしい鹿野とか言う女子生徒とその取り巻きがけらけらと高笑いを始める。
わざわざ口にして頂いてありがとうございます。お陰で俺が選べない人種だと言う事がよく分かりました。
でも、伊原も困ってる様だし、そろそろ――。
「桃子さんは優一郎君と付き合っていません!」
と、女子生徒の言い分に千野が文句を付ける。いきなりでしかも怒りのこもっている声音だったから少し面喰ってしまった。さっきから千野の機嫌が悪いような気がしていたのだが。
「あ、そうなん? まあどんだけ男振るんだよ――ってぇくらい面食いだかなぁ、伊原は。こんな奴じゃ私に合いませんってか」
「そ、そんな――」
「ですが……」
女子生徒の目を見据え、伊原の前に立つ千野は言い放った。
「優一郎君は素敵な人です! 伊原さんとも何の問題も無く釣り合います! だから彼を馬鹿にするのはやめてください!」
「……」
その場に居た誰もが千野の叱責に度肝を抜かれた事だろう。
まさかこの状況で俺を庇う奴が居るなんて一体誰が予想できただろうか?
「あ……あっそう? なんかわりぃ」
伊原に自分の嫉妬心をぶつけていた女子生徒も千野の叫びにも似た訴えに毒気を抜かれたのか割と簡単に謝ってきた。
その後は千野の怒りで妬む気持ちも冷めてしまったのだろう、彼女達は駅の方へと去って行く。
未だに目を見開き驚いている自分と、何故だか顔が紅潮している伊原と、女子生徒らが去った後、伊原の何倍も顔を赤く染めている千野の三人だけがその場に取り残された。
一悶着があり、とりあえず帰ろうと目配せで二人に合図をし、自然と俺達は再び帰路についた。
少し歩いた所で千野がぴたりと静止し、いきなり焦り出した。
「いいい、いきなりあんな事言っちゃってごめんね!」
「わわわ、私もその……何も言えずに……ごめんなさい!」
「おおお、俺も……」
って無理してこの流れに乗る必要も無いよな。
「どうしたんだ千野? あそこは俺の事じゃなくて伊原を助けてやる場面だろ? あいつらは伊原に嫉妬してたんだから」
「う、うん。ごめんね……。優一郎君が悪く言われてるのを聞いてたらなんだかモヤモヤしちゃって。あはは、恥ずかしいなぁもう……」
冷静にさっきの事を思い出すと恥ずかしくなってきたのか、ほんのり顔を赤くしている。
「いや、謝る必要はない。俺としては逆に礼を言いたいくらいだよ。俺の事を庇ってくれてありがとな」
思いがけない事ではあったが、それでも千野が女子生徒達に声を張り上げてまで訴えかけてくれた事を嬉しく思っている。
この前の教室での一件もあるが千野は俺の事を本当にいい友達だと思ってくれているのだろう。その事に関して俺も素直に喜びたい事なんだが。
俺みたいな奴が、ここまで純粋な気持ちで接してくれている千野と一緒にいて良いのだろうか?
俺が彼女の日常を壊してしまうような存在になってしまうのではないだろうか?
感謝した事に、輝かしい満面の笑みで返してくれる千野。この笑顔がいつまでも消える事がない様にと、心の中で小さな祈りを込めた。
「それじゃあまたね、桃子さん! 優一郎君!」
「はい。今日は本当にありがとうございました」
「またな」
俺と伊原が千野の帰って行く姿を見送る。黒い髪を夏の涼風に靡かせながら彼女は自分の家へと帰って行った。
俺と伊原の家は意外と近いらしく、伊原から聞いた所、徒歩五分も掛からない距離だ。
「まあ、この辺はあまり人もいないし、誰かに見られる事も無いよな」
「え? 私は別に……?」
何を言ってるの? と、そんな顔を向けられてしまう。
「俺が構う。一緒に帰ってるなんて噂が広まったら、学校中の男子の標的にされかねないからな」
一応辺りを見回しておく。とりあえずうちの制服を着ている奴は居ないみたいだ。こんな所を写真にでも撮られたら学校中にばら撒かれるに違いない。
「そうですよね、ごめんなさい。私が一緒に居たら迷惑ですね……」
「あ……いや」
そうか……。さっきはその事で突っかかってこられたんだもんな。少し無神経だったか?
「さっきも言ったかもしれんが、俺は別にお前の事を嫌ってる訳じゃないんだぞ? むしろさっきの話を聞いてお前の気持ちが少しわかったつもりだ。だからまあ……その」
「?」
伊原は俺が何を言いたいのか全く読めないらしく、輝く真珠の様な目を俺に向け、次の言葉を待っている。
「二人の時だけ……じゃないな。千野と達美もだ。今日集まった面子しか居ない時は、俺の事を下の名前で呼ぶ事を許してやろう!」
「……」
しまった……。つい照れ隠しでプラチナメイルを前にかなり上から目線で喋ってしまった。頼むからそんなジト目をこっちに向けないでくれ……。
「わ、悪い。やっぱ忘れてくれ」
「――ふふっ」
自分の発言を猛烈に後悔し、無かった事にしてもらう様頼み込むと、何故だか鼻で笑われてしまい、伊原は腰に手を当てふんぞり返る。
「私にそんな事を言うなんて言い度胸です! こうなったらあなたを辱めるため、常に名前で呼ぶ事にしましょう。光栄に思いなさい!」
「は?」
対抗心を燃やし始めた伊原は俺がしたように上から目線で演技する。その姿は透き通った白い肌と鮮やかに輝くブロンドの髪が相俟って、まるで高飛車な王女様の様であった。
「私、あなたの事がもっと知りたいです」
心の中で何かを決意したかのような立ち振る舞いは、先程までの大人しそうに見える伊原の印象を払拭するのに十分だった。
「千野さんも言ってました。あなたは私に釣り合う事が出来るって。私も別に自分の事が可愛いだなんて思ってないけど、千野さんが認めるくらいに、あなたは立派な人ってことでしょう?」
千野の基準を当てにするのはあまり良くないと思うのだが。
これはまずい事になってしまったかもしれない。伊原は本気の様だ。俺が安穏と暮らしていた日常に崩壊の影が迫ってくる。
「お、おい伊原、少し――」
「名前で呼ばないと反応してあげません」
「……桃子さん、せめて学校の中だけはご勘弁を――」
「いやでーす!」
ああ、これからの高校生活……波乱しかないな。
「これからは私も選びたい。私の事は私で決めたい。誰にも私の道を決めさせたりなんかさせません! そういうわけで……これからもよろしくお願いします、優一郎さん!」
何やら大変な事が起きてしまった様な気がする……。俺の日常生活に支障をきたす事が無ければいいんだがな。
しかし、桃子の悩みは幾分か解消されたのだろうと、心の中では安心感が生まれていた。
今の桃子は――何だかよく分からないが――これだけ強い意志を持っているんだ。彼女の意思がはっきりしている限り、誰からの邪魔も受け付けない自分の道を選んで行く事だろう。そしてその道は桃子が選んだ人間。そいつの道へと繋がっているのだろう。
いろいろと諦めてとぼとぼと歩く俺と、自分の行く先を見据えた桃子。
ふと足元を見ると、がっくり肩を落とす俺と、飛び跳ねる様に軽快だが確かな足取りで隣を歩く桃子の影が、俺達が帰る道のずっと先まで寄り添い合うように伸びていた。




