第七話 防犯カメラ
人の記憶は間違える。
見間違いもする。
聞き間違いもする。
だから、記録が残っていれば安心できると思っていた。
少なくとも。
記録まで、おかしくなるまでは。
翌朝。
昨日の着信履歴は、本当に消えていた。
母からの着信も。
『自分』からの発信も。
何度見てもない。
スマートフォンを再起動しても同じ。
私は通話履歴を閉じた。
ただ。
スクリーンショットだけは残っていた。
『自分 20:17 発信 0秒』
昨日撮った画像。
画面の中には、確かにその文字がある。
「……残る時と残らない時があるんだ」
消えたもの。
残ったもの。
神谷千鶴の紙は消えた。
ノートの文字は残った。
黄色い傘は消えた。
写真は一瞬変わった。
制服の白い文字は、触ると崩れた。
そして今回は。
履歴そのものは消えたのに、撮影した画像だけ残った。
規則があるようには思えない。
でも。
完全に何も残らないわけでもない。
私はスクリーンショットを消さずに学校へ向かった。
◇
昼休み。
担任に呼び止められた。
「ちょっといいか?」
「はい」
何だろう。
提出物は出している。
遅刻もしていない。
心当たりがない。
担任は少し困った顔で言った。
「最近、夜まで学校に残ってるだろ」
心臓が一度だけ強く鳴った。
「……たまに」
「三階の西側」
「はい」
「何してる?」
少し迷う。
「人と話してます」
担任が黙った。
その反応。
前にも見た。
最初の夜。
一階で会った教師。
『そんな女の子はいない』
とは言わなかった。
「誰と?」
「女の子です」
「名前は?」
「メア」
言ってから。
昨日のことを思い出した。
名前を知らない何かが、メアの名前を知っていた。
口にしてよかったのだろうか。
でも。
今は昼間。
何も起きない。
担任が眉を寄せる。
「うちの生徒?」
「たぶん違います」
「たぶん?」
「制服じゃないので」
「……一回、見てもらいたいものがある」
◇
連れていかれたのは、職員室の隣にある小さな部屋だった。
机。
パソコン。
壁に並ぶモニター。
校内の防犯カメラ映像らしい。
「昨日、警備の確認してた先生が気づいてな」
担任がパソコンを操作する。
「三階西側のカメラ、前からちょっと調子悪いんだ」
「調子悪い?」
「ノイズが入る」
画面が切り替わる。
三階西側廊下。
昼間。
誰もいない。
見慣れた場所だった。
旧音楽室。
窓。
白い床。
「これ昨日の夜」
時刻。
20:04。
私は画面を見た。
自分が映っていた。
一人。
西側廊下の入口に立っている。
「……」
当然。
メアを探す。
いない。
白い輪もない。
赤い靴もない。
何もない床。
画面の中の私は。
その何もない場所を見ながら立っていた。
「ここ」
担任が指差す。
旧音楽室の前。
画面が少し乱れている。
横長のノイズ。
白と黒の細い線。
「毎回ここだけなんだよ」
「毎回?」
「前の記録見ても出る」
映像が進む。
私は歩き出した。
一歩。
二歩。
そこで。
片足を上げる。
降ろす。
次の足。
そして。
両足で着地。
私は息を止めた。
「……けんけんぱしてる」
担任が言った。
画面の中の私は。
何も描かれていない床で。
一人で。
けんけんぱをしていた。
コッ。
コッ。
パ。
音は聞こえない。
防犯映像に音声はないらしい。
でも。
自分の動きを見れば分かる。
輪を踏んでいる。
昨日は。
七個だった。
数える。
一。
二。
三。
画面には何もない。
それでも私は。
正確に、そこに輪があるみたいに足を置いている。
四。
五。
六。
七。
旧音楽室の前。
そこで止まる。
誰もいない場所を見る。
口が動いている。
話している。
担任が私を見る。
「誰と喋ってる?」
私は画面から目を離せなかった。
「……メアです」
「映ってないけど」
「そこにいました」
指差す。
旧音楽室の前。
ちょうど。
ノイズの位置。
担任は少し黙った。
「友達が隠れてるとかじゃないんだな?」
「違います」
「カメラの死角?」
「そこに立ってました」
「でも」
担任が画面を見る。
「何も映ってない」
分かっている。
私にもそう見える。
画面の中。
私は座った。
床に。
少し離れた隣へ視線を向けている。
そこに。
メアが座っていた。
私は覚えている。
話した。
昨日のこと。
名前を呼ぶ声。
好きな色。
でも。
映像では。
私は一人だった。
何もない場所へ向かって。
笑っている。
ぞっとした。
メアが怖いのではない。
画面の中の自分が。
怖かった。
◇
「これ、もっと前の日もありますか?」
私は聞いた。
担任が顔を上げる。
「あるけど」
「見たいです」
「何で?」
「確認したいです」
担任は少し迷った。
「短時間だけな」
日付を戻す。
最初の夜。
午後八時過ぎ。
画面。
私が西側廊下へ入ってくる。
足元。
赤い靴。
映っていない。
私は何もない床から。
何かを拾い上げる。
手の形を見ると。
確かに靴を持っている。
でも。
手の中には何もない。
「……」
自分でも。
何を見せられているのか分からなかった。
そして。
白い輪。
やっぱり映らない。
私は一人でけんけんぱをする。
途中。
四つ目。
突然足を引く。
あの時。
足首を掴まれた。
画面では。
何もない。
五つ目。
足を上げ、靴を見る。
水に濡れた感覚。
でも。
何もない。
最後。
私は耳元を押さえて振り返る。
『帰って』
あの声。
もちろん。
画面には誰もいない。
そして。
旧音楽室前。
私は何もない場所へ手を伸ばしている。
赤い靴を渡そうとしている。
その前。
ノイズ。
同じ位置。
「あ」
私は声を出した。
「止めてもらえますか?」
映像が止まる。
「ここ」
ノイズ。
前回より少し大きい。
「この場所、毎回同じ?」
「だいたいな」
「メアが立ってる場所です」
担任は何も言わなかった。
信じている顔でもない。
笑っている顔でもない。
ただ。
困っている。
それが少し安心した。
◇
「昼間は?」
私は聞いた。
「何が?」
「昼間もノイズ出るって言いましたよね」
「ああ」
映像を戻す。
同じ日の昼。
授業中。
三階西側。
誰もいない。
旧音楽室の前。
ノイズ。
ある。
同じ。
「……メアは夜しかいないと思ってた」
「メア?」
「その子です」
昼間。
私はここを通ったことがある。
その時には。
誰もいなかった。
でも。
カメラには。
夜と同じ場所へノイズ。
「このノイズ、いつからあるんですか?」
「知らないな」
「古い映像は?」
「保存期間があるから、そんな昔までは残ってない」
「最近は毎日?」
担任が日付を変える。
一日前。
ノイズ。
二日前。
ノイズ。
三日前。
ノイズ。
私が初めてメアと会うより前。
一週間前。
ノイズ。
「……」
そこにもあった。
メアと会う前から。
同じ場所に。
「故障じゃないんですか?」
自分から聞いた。
担任は苦笑する。
「たぶんそうだと思ってる」
「修理は?」
「一回見てもらったらしい」
「どうでした?」
「異常なし」
その答え。
嫌だった。
◇
私は画面をスマートフォンで撮ろうとして。
止められた。
「防犯映像だから、それはダメ」
「ですよね」
だから。
記録は持ち帰れない。
自分の目で見ただけ。
また。
記憶。
「先生」
「ん?」
「私、一人で喋ってるように見えます?」
担任は答えに困った。
「まあ……映像だけなら」
「ですよね」
「でも」
少し間。
「お前が嘘ついてるようにも見えない」
私は顔を上げた。
「だから夜に行くな、とは言わんけど」
そこで止まる。
「いや、できれば行くな」
「どっちですか」
担任が少し笑った。
「教師としては行くな」
「はい」
「何かあったら、ちゃんと人を呼べ」
「はい」
「一人で確かめようとするなよ」
その言葉だけ。
少し残った。
◇
午後八時。
私は。
三階西側にいた。
教師の話を聞いていないみたいだけれど。
今日は。
確かめたいことが一つだけあった。
角を曲がる。
コッ。
コッ。
パ。
メア。
いつもの場所。
白い輪。
今日は八個。
「今日も来たんだ」
「来た」
「怒られなかった?」
足が止まる。
「……なんで知ってるの?」
メアは首を傾げる。
「何が?」
「今日、先生と話した」
「そうなんだ」
「今、怒られなかったって言ったよね」
「言った」
「見えた?」
黄色い傘。
前よりいっぱい見える。
あの話を思い出す。
でも。
メアは首を振った。
「見てない」
「じゃあなんで?」
「顔」
「顔?」
「ちょっと嫌そう」
私は黙る。
「……それだけ?」
「うん」
拍子抜けした。
「そっか」
「怒られたの?」
「怒られたっていうか」
私は輪を進む。
今日は何もない。
一。
二。
三。
コッ。
コッ。
パ。
「防犯カメラ見せてもらった」
四つ目。
何もない。
「カメラ?」
「そこ」
天井を指す。
メアが見上げる。
「前からあるね」
「知ってたんだ」
「うん」
五。
六。
「メア、映ってなかったよ」
メアを見る。
反応。
ほとんどない。
「そうなんだ」
「驚かないの?」
「なんで?」
七。
八。
メアの前。
「私しか映ってなかった」
「うん」
「一人でけんけんぱして、一人で喋ってるみたいだった」
「面白いね」
「全然面白くない」
メアが少し笑う。
「ごめん」
私は旧音楽室の前へ座った。
今日はメアも隣へ座る。
カメラを見る。
「あれから見たら」
言う。
「今も私一人なんだよね」
「たぶん」
「メアは何なんだろうね」
メアは足を伸ばした。
裸足。
今日も綺麗。
「メア」
「答えになってない」
「でもメアだよ」
「そうだけど」
「それでいいじゃん」
本人は。
本当に。
それ以上必要ないらしい。
◇
「でも変なことがあった」
「何?」
「メアがいつもいるところだけ、カメラにノイズが入ってた」
メアが天井を見る。
「これ?」
「そう」
「私?」
「分からない」
「じゃあ違うかも」
「そうなんだけど」
「うん」
「昼間も同じ場所にノイズがある」
メアの視線が。
少しだけ止まった。
「昼?」
「うん」
「私いないよ」
「やっぱり?」
「たぶん」
「たぶん?」
「昼はここにいないと思う」
「どこにいるの?」
「知らない」
すごい答えだ。
「自分が?」
「うん」
メアは平然としている。
「夜になったらここにいる」
「その前は?」
「分かんない」
「寝てるとか?」
「寝るのかな」
「私に聞かれても」
二人で少し笑った。
でも。
私はまたカメラを見る。
昼間。
誰もいない場所。
同じノイズ。
もし。
あれがメアではないなら。
何が。
ずっとそこに映っている?
そう思った。
でも。
今日は追わない。
それを確かめる方法もない。
◇
午後八時三十六分。
「帰る」
「うん」
立ち上がる。
「またね」
「またね」
輪はもう消えていた。
普通に廊下を戻る。
角へ着く直前。
振り返った。
メア。
まだ座っている。
その上。
防犯カメラ。
小さな黒いレンズ。
こちらを向いている。
私は。
なんとなく。
手を振った。
メアが振り返す。
そして帰った。
◇
翌日。
昼休み。
担任に呼ばれた。
「昨日また行っただろ」
「……はい」
「お前なあ」
「すみません」
「いや、それもあるけど」
担任の顔が。
昨日とは違った。
「ちょっと来い」
同じ部屋。
同じパソコン。
映像。
昨夜。
20:36。
私が西側廊下を歩いている。
角へ向かう。
途中。
振り返る。
手を振る。
画面の中。
当然。
メアはいない。
私は。
誰もいない廊下へ向かって手を振っている。
その先。
旧音楽室。
ノイズ。
「これ」
担任が言う。
映像を拡大する。
ノイズ。
いつもの白黒。
でも。
昨日までとは違う。
揺れている。
上下に。
ゆっくり。
私は画面を見る。
何かに似ている。
「……手?」
担任は答えない。
ノイズの一部だけが。
左右に動いていた。
私が手を振った直後。
同じ速度で。
右。
左。
右。
まるで。
誰かが。
こちらへ手を振り返しているみたいに。
「機械の乱れですよね」
私は言った。
担任も。
少し遅れて。
「……たぶんな」
と答えた。
映像は進む。
私は角を曲がって消える。
廊下に誰もいなくなる。
メアがいた場所。
ノイズ。
動きも止まる。
数秒。
何もない。
そして。
映像の時刻。
20:37。
ノイズが。
一度だけ。
画面の中央へ伸びた。
その瞬間。
防犯カメラの映像全体が乱れる。
一秒。
元に戻る。
廊下は空。
旧音楽室。
いつもの場所。
ノイズ。
それだけ。
担任が映像を止めた。
「昨日はここまで」
私は黙っていた。
「……先生」
「ん?」
「昼間の映像」
「何?」
「今、見てもいいですか」
担任が今日の映像へ切り替える。
午前十時。
西側廊下。
誰もいない。
旧音楽室前。
ノイズ。
同じ。
でも。
昨日とは。
位置が違った。
ほんの少しだけ。
廊下の入口側へ。
近づいていた。
私は画面を指差す。
「昨日、ここでしたよね」
担任も見る。
「……そうだな」
数十センチ。
それだけ。
見間違いと言われれば。
そうかもしれない。
でも。
次の日。
また確認した時。
ノイズは。
さらに一枚分の床タイルだけ。
こちら側へ移動していた。
第七話を読んでいただき、ありがとうございます。
防犯カメラに映っていたのは、一人でけんけんぱをする主人公。
メアの姿はありません。
ただし、彼女がいる場所には毎回同じノイズが残る。
そしてそのノイズは、昼間にも存在していました。
メアが映っていないのか。
何か別のものが映っているのか。
今のところ、どちらとも決まりません。
ただ。
昨日まで同じ場所にあったはずのノイズは、
少しずつ廊下を移動し始めています。




