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最終記録(閉鎖)

 温室を叩き続けていた銃声が止み、世界には耳が痛くなるほどの静寂が戻っていた。


 結露で白く濁っていたガラスを、夜明けの光が容赦なく射し抜いていく。嵐が去った後の朝は、皮肉なほどに澄み渡っていた。基幹ボイラーはいつの間にか復旧し、温室には再び、あの規則正しい蒸気の呼吸音が満ちている。


 エリスはボイラー室の隅に座り込み、隣で眠るルカの横顔をじっと見つめていた。


 嵐が過ぎるまでの数時間、彼女は彼を抱きかかえ、その熱に触れ続けていた。羊皮紙もバルブも、運用の規則すらも介在しない、ただの「体温」だけの時間。それはエリスの人生において、最も幸福で、最も致命的な時間だった。


 ふと、ルカの腕にかかっていた毛布がずれた。


 エリスが何気なくその袖を直そうとしたとき、彼女の指先が止まった。


 ルカの逞しい腕を、真っ赤な火傷の痕が醜く這っていた。昨夜、彼が熱い主配管を抱きしめ続けた代償。


 エリスは自分の指先を見た。油で少し汚れてはいるが、傷一つない、白く細い指。ルカの犠牲の上に成り立つ自分の平穏が、冷酷な朝の光の下で、隠しようのない現実としてそこにあった。


「……あ」


 乾いた声が漏れた。その痕跡を見た瞬間、エリスの中に、バルブの開度を調整する時のような冷徹な論理が、急速に組み上がっていった。


 この火傷は、私の温室を守るためにできた。

 ならば、彼がここに居続ければ、次も同じことが起きる。

 彼の「熱」は、平穏な温室には高すぎる火なのだ。


 搬入口の扉が開いたとき、ルカはすでに起きていた。彼は火傷の痛みを微塵も感じさせない、いつも通りの、少し煤けた笑顔でエリスを見た。


「よう、エリス。花は、無事だったな」


 エリスはその瞳を直視することができず、自分の油で汚れた指先を凝視したまま、鋼のような声を出した。


「今回の事態は、私の管理計画における重大なエラーよ。二度と同じ事象を起こさないために、根本的な対策を講じることにしたわ」


 ルカの笑顔が、ゆっくりと消えていった。


「対策、って?」


「中央ボイラーへ、配送担当の変更を要求した。あなたの不規則な配送スケジュールと、手順を無視した行動は、この温室の運用において許容できないリスクだわ。……もう、ここに来る必要はない」


 沈黙が流れた。エリスは指先の震えを隠すために、革のエプロンを強く握りしめた。


 ルカは、エリスの言葉の奥にあるものを探るように、長く、永遠のような数秒間、彼女を見つめていた。やがて、彼はエリスの指先の震えに視線を落とし、すべてを悟ったように小さく頷いた。


「……わかった。あんたの花、綺麗だったよ」


 ルカはそれだけを言い残し、背を向けた。搬入口の扉が閉まるときの、冷たく重い音が、温室の静寂を決定的なものにした。


 エリスは一人、自分の記録机に向かった。


 彼女は一番古い記録帳の隙間から、あの「干からびた赤い実の枝」を取り出した。ルカが外界の不確実な美しさを持ち込んだ、あの日。彼女は震える手でそれを最新のページに挟み込み、上から力任せにページを押し付けた。


 そして、最後の行にペンを走らせた。


『互換性なし(Incompatible)』


 その文字を書き終えた瞬間、視界が歪んだ。一滴の熱い滴が羊皮紙に落ち、青いインクを無残に滲ませていく。


 エリスはその滲みを見つめたまま、羊皮紙をゆっくりと閉じた。歪みのない完璧な均衡よりも、この消えない滲みの方が、自分にとってはるかに価値がある。その熱い痛みこそが、かつての自分が持たなかった「世界の体温」だった。


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