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余話2 立成20年12月31日

「やんっ!!」


 尻もちをついて可愛らしい悲鳴を上げたのは佐瀬杏花である。


「あららー、まだ勘を取り戻せてないんです?」


 スキーゴーグルを上げて、太田悠里はニヤニヤと笑いながら杏花を見つめる。


「も、もう少しよ……」


 悔しそうに立ち上がる杏花。彼女はスキーに悪戦苦闘していた。


 遅れて滑走してきたスキーヤーが、杏花に見せつけるようにして急停止する。


「ねーちゃんまたコケてんの!? だっせ」

「ぐっ……うっさいわね。久しぶりなんだからしょうがないじゃない……」


 弟の希望に馬鹿にされて心の底から悔しがった。


 杏花は元々スキーができないわけではない。幼少の頃からスキー教室や学校の授業で経験していたが、一時期アイドル活動をやっていた頃にスキーをやめてしまい、星花進学後もアイドル時代のトラウマから雪を嫌っていたのでスキーに触れる機会など一切なかったが、悠里と恋人どうしになってからもう一度学び直そうと決意して、一月に行われるスキー学習に参加を決めたのであった。


 その前に予習として悠里の実家、オオタホールディングスが経営する信州リゾートスキー場でプレスキー学習が実施されたのだがやはりブランクは大きく、以前はできていた直滑降が全くできなくなっていた。


「杏花さん、もうプライドなんか捨ててボーゲンからやり直さね?」

「……わかった」

「つーことでのぞむっち、ねーちゃんたちは初心者コース行くから一人で滑りな」

「はーい」


 悠里の言いつけには弟に姉が苦労している姿を見せてやりたくないという、一種の情けも含まれていた。


 *


「本当に何から何まで申し訳ないわね」

「いえいえ、ちょっとは勘を取り戻せてよかったですよ」


 どうにか直滑降までできるようになったが、夜まで悠里をつきあわせてしまったことに杏花は本当に申し訳なく思っていたが、それに対してだけではない。佐瀬家は本日、スキー場に併設されているホテル「ソレイユ・ルヴァン」に宿泊するのだが、太田家の好意により宿泊料を無料にしてもらっていた。


「しかし、何年かサボっただけでこんなに衰えるなんてショックだわ」

「なに、スキー学習が終わる頃にはあたしより上手になってますって」


 悠里は口を大きく開けて笑った。


「そういえば今回のスキー学習は青森の八甲田山でやるのよね。前はここでやって、それ以前は北海道だったって聞くけど、何でまた青森なのかしら」

「東北文化研究会が生徒会に売り込んだって噂がありますね。青森出身の子がいるし。あたし、一度青森行ってみたかったんだよなあ。同じりんご県だし」

「りんごねえ」


 過去のトラウマのせいで一時期食べられなくなっていたりんごも、今では平気で食べられるようになった。ホテルでデザートの出されたりんごも無事完食している。


「あ、ちなみに今回は軍曹も来るらしいですよ」

「げ、あの子……」


 杏花は露骨に嫌な顔をした。


「なんか、八甲田山には何としてでも行かなければならないって凄いやる気出してるみたいで、何でかわかりませんけど」

「わかろうとしない方がいいわ。あの子ちょっとまともじゃないし……」

「あの、言い方ってものが……」

「ねえねえ、何話してんのさー」


 希望が杏花のジャケットの袖を引っ張った。


「もうすぐイベント始まるよ?」


 ここはレストハウス前に設けられた特設野外ステージ。時刻は午後11時30分を回っており、本来であればとっくに閉業時間だが大勢の客が極寒にも関わらず残っている。


 今日は12月31日大晦日。新しく結成されたばかりのローカルアイドルグループ「APPLE JAM」のカウントダウンイベントが今から始まろうとしていた。


「ご来場の皆様、本日はここ信州リゾートスキー場カウントダウンイベントにお集まり頂きありがとうございます!」


 司会進行は悠里の兄の稔。大学ではボランティアサークルに所属し、APPLE JAMを運営しているNPO法人を手伝っている縁と、信州リゾートスキー場経営者の親族という立場で司会進行を任されたのだが、普段のチャラさとは違う真面目な司会ぶりに悠里は笑いを抑えきれなかった。


「それではAPPLE JAMの皆様のご登場です、盛大な拍手でお迎えください!」


 スキーウェア姿のアイドルたちがゾロゾロとステージに上がったが、高等部進学前にテレビで見かけたときより人数が増えている。順調に成長しているようだ。


 彼女たちの活動目的は地域振興なのでその実態はボランティアに近く、メンバーは本業持ちであったり、学生であったりする。それでも歌唱力は優れていて、一応の経験者である杏花の目には相当練習を積んでいるように見えた。冬をテーマにした歌を数曲歌ったが、どの歌もわかりやすさを前面に押し出しており、老若男女ともに受けがよかった。


 あれが本来、自分が目指していた場所だったのかなと杏花は思った。


「みなさーん、体はじゅうぶんにあったまりましたかー?」


 リーダーの問いかけに悠里が真っ先に「はーいっ!!」と手を上げると、みんな釣られるようにして歓声を上げた。


「ありがとうございます! さああと3分で年明けですよー。次の一曲はカウントダウン終了直後、立成21年最初にお届けしたいと思います!」


 歓声の中、悠里が杏花の手を握った。杏花は表情こそ崩さなかったものの頬を少し赤らめて、強く握り返した。


「わー、恋人繋ぎしてるー」


 希望が茶化した。


「何だぁのぞむっち、羨ましいんか? ねーちゃんたちに混ざるか?」

「やだよー。そういうのは無粋っていうの。俺は後ろから見守ってるから」

「のぞむっちはいい子だねー。ねーちゃんみたいだ」

「もう……」


 杏花は困惑しながらも、手を握る力を緩めなかった。


 いよいよ1分を切ると、会場のモニターに残り秒数が映し出された。59、58と1秒ずつ立成20年最後の日が去っていく。二人は恋人どうしとして過ごした一年間を噛みしめるように振り返る。


「5! 4! 3! 2! 1!」


 立成21年を迎えた瞬間、花火が上がった。


「杏花さん、あけおめ!」

「おめでと」


 見つめ合って微笑む二人。希望は後ろの方を向いてニタニタ笑っている。


「ハッピーニューイヤー! さあ早速、立成21年最初の曲に参りましょう!」


 真夜中のゲレンデの一角は雪も解けてしまわんばかりの熱気に覆われた。

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