7-3:ハンナシラナイ
冬道具を降ろしたロレンツォは、屋根裏の階段を上げた。
昔はよく屋根裏部屋で秘密基地ごっこをしたものだ。実家に帰るたびロレンツォはどこか懐かしい気持ちになるのだった。
ロレンツォが階段を上げたちょうどその時、可愛い足音が響いた。ピンクのドレスを着た姪ハンナが、ロケットのようにロレンツォに抱き着く。
「兄ちゃん、おかえりー!」
「ただいまハンナ。おー、可愛いドレスじゃないか! 似合ってるな、お姫様みたいだ」
その言葉にハンナが嬉しそうに顔をほころばせる。そそと離れ、スカートの両端をお姫様のように持ち上げた。
「いいでしょー。ディスティニーランドで買ってもらったの! ママが高橋とのデートに一緒に連れてってくれて……あっ」
ハンナが思わず口元に手をやる。言っちゃった、のそれだ。
ロレンツォはまさかの〔高橋〕の名に目を丸くした。
「えっ高橋? なんで……っていうかディスティニーランドでデート? ママと高橋が??」
さっきまで笑顔だったハンナが急にモアイのような真顔になる。
「……シラナ~イ」
いつかテスト用紙を隠していた時と同じ顔だ。ロレンツォは怪訝にまばたきひとつ。
「絶対怒らないからさ、ちょっとだけ兄ちゃんに教えてくれないか?」
「ハンナシラナイ、オヤスミナサイ」
そそと逃げるハンナと入れ違いに、甥っ子ジュゼッペが「おかえり!」とロレンツォの尻に攻撃をかます。その手にはプラネットウォーズの光セイバーがあった。ディスティニーランドの看板キャラの武器だ。
「かっこいいな、光セイバーか」とロレンツォ。続けてそれとなく「姉ちゃんって高橋といつ仲良くなったんだ?」
ジュゼッペは光セイバーの先をやや下げた。ちょっと考えた顔をして、
「……し~らねっ」
そう言ってまた、光セイバーをサムライのように振りかざす。
「てか俺にきいても無理! ママに兄ちゃんには言うなって言われてるし」
ナディアが桜蘭の書類にサインをした時だった。
せっつくような癖のあるノックに、ナディアが何事かとドアを開ける。そこには微妙な顔をしたロレンツォがいた。
「なに。掃除機は1階」
つっけんどんなナディアにかまわず、ロレンツォはドアを閉められぬよう足をはさみ、刑事のように声をひそませる。
「なあ、姉ちゃんが高橋とできてるって本当か?」
その言葉に、桜蘭が驚いた兎のように顔を上げた。桜蘭が驚いたのを初めて見たロレンツォだがそれどころではない。ロレンツォは釣銭の足りない客のような口調でつづけた。
「高橋と姉ちゃんがデートしたって言ってたぞ、どういうことだよ」
ナディアが片眉を下げ、呆れに肩をすくませる。
「あーあー、……あれほど言うなっつったのに、チビども」
「マジなのかよ! いつから?」
ロレンツォの反応にナディアはお腹いっぱいの様子で、手を払うようひらつかせた。
「お土産に高橋さんからの手紙が入ってたの。お礼の電話して、そこから色々あったみたい。てかいい大人同士なんだから別に再婚してもいいじゃん。変に水ささないでやりなよね」
「さ、ささささ再婚て、おま……!」
言葉に詰まったロレンツォは天井を仰ぎ、こみあげる感情をこらえ瞑目する。もしくはクシャミ待ちのようにも見えた。
「……よりによって高橋って……」
ロレンツォはまぶたの裏で、これまでを走馬灯のように思い返していた。
殉職した親父、病気で亡くなった母……。母親代わりとして頑張る姉サンドラの背は、母さんのように大きくて少女のように小さかった。
背でスタンバっていたジュゼッペが、天を仰ぐロレンツォを光セイバーでつつく。
「高橋はさっきまでハロウィンの飾りつけしてくれてたんだぜ。晩御飯もよく一緒に食うんだ」
桜蘭がジュゼッペにやんわり首を振る。〔そっとしてやれ〕のそれに、ジュゼッペはあっけにロレンツォを見上げた。ロレンツォは動かない。
ロレンツォは、いつか姉サンドラに再婚相手が現れたら、全力で応援しようと思っていた。ろくでもない男なら、死んだ親父のかわりに俺が追っ払ってやらないと、とも。しかしお相手の高橋は人魚だ。それも本体は、SFパニック映画で登場人物を一人ずつ襲いそうな、ヤバい人喰いエイリアンの形貌そのものである。
対し姉サンドラは竹を割ったような性格ながら、不器用でウブな女性だ。そんな姉サンドラが、いつかのロレンツォのように高橋に腰を抜かす姿が目に見えた。いいや、きっとショックで泣き伏せ、いつかのように寝込んでしまうだろうとも。
「ロレンツォさん」
しびれを切らした桜蘭の声かけに、ロレンツォは待てと手をかざす。内なる声に耳を傾ける様子は、もはやクシャミが出る寸前にしか見えない。
少し間があった。
エイリアンな高橋が姉サンドラをお姫様抱っこする、それはまだいい。やがて2人の間に子どもができ……子どもエイリアンが近隣の犬をペロリと食うところまで想像し、ロレンツォは耐え切れず汽笛にも似た声を上げた。
「……姉ちゃーーーん!」
ロレンツォの声が響く。エレナは耳を澄ませた。小走りで駆け下りる音がしたと思ったら、ロレンツォが勢いよくドアを開ける。
「姉ちゃんは?」
エレナが振り返るとサンドラはおらず、ドアだけが揺れていた。その先で、寝室のドアが閉まる音がする。
「オヤスミ~、だって」とミシェル。
ロレンツォは大股で寝室に歩み、トイレ待ちで苛立ったようにドアをノックした。
「姉ちゃん、まだ6時だぜ。ちょっと話があるんだけど」
エレナとミシェルは見合って、その背を見た。遅れて登場した桜蘭がエレナに耳打つ。
「高橋さんとサンドラさんが、お付き合いしているそうですわ」
フーン、とミシェル。心底どうでもいい顔だ。
「えっそうなの?」とエレナ。こっちは恋バナに目を輝かせる中学生の目だ。焦ってるのはノックするロレンツォだけだった。
その時、ドアがちょびっと開き、ロレンツォがすかさず足先を挟んだ。完全に〔奥さん新聞とってくださいよ~〕のそれだ。
とたんドアが大きく開け放たれ、サンドラが不機嫌ままロレンツォを見る。腰に手をやり、今にも物申す雰囲気だ。
「あんたねえ、さっきからどんどんどんどんノックして。ここはトイレじゃないっての」
「ああそうかよ悪かったな。姉ちゃん、高橋だけはやめとけよ。高橋はいい奴だけど、そういうレベルの話じゃないんだ。どうして一言相談してくれなかったんだ?」
それにサンドラはロレンツォに噛みつくように切り返した。
「相談? あんたこそ人のこと言えんの?」
ロレンツォは言葉に詰まった。サンドラはエレナとの関係を言ってるのだろう。もちろんやましいことなどひとつもないが、羽目を外すなと言われた手前、言えるわけがなかった。言ったところでエイリアンだの信じるだろうか? 高橋の本体がヤバい見た目のエイリアンだということも。
たじろぐロレンツォをじろりと睨んでみせたサンドラは、フンとわざとらしい鼻息ひとつ。
「眠いの。お・や・す・み!」と叩き落とすように言って、切り替えるようにエレナ達に笑顔を向ける。
「みんな、学園祭の準備頑張ってね~」
優しく言って、ロレンツォを見ながら荒々しくドアを閉めた。……と思ったらすぐに開いた。
「羽目外すんじゃないよ」、それだけ言ってまた閉まる。
肩を落とすロレンツォの背に、エレナ達が声をかけた。
「……まあ、家族だからなんでも知っておくべき、ってのはないと思うよ」とミシェル。
「プライベートに土足でズカズカと……お身内とはいえいかがかと思いますわ、ロレンツォさん」
添うように同意する桜蘭に、ロレンツォが罰が悪そうに振り返る。開き直って、弁明を語るかのように両手を広げた。
「なんだよ、俺が悪いってのか? 高橋はだめだろ、悪い奴じゃないが表向きはカタギじゃないし、奥向きはもっと言えたもんじゃない。俺はただ、姉ちゃんに幸せになってほしいだけだ」
まぁまぁと助け船を出したのはエレナだった。気軽にロレンツォの肩を叩いてやる。
「家族なんだもの、落ち着いたら話してくれるわよ。それまではそっとしておくのが一番いいと思う」
〔そっとしておく方がいい〕。それはナディアがグレてた時期、サンドラがロレンツォに告げた言葉だ。
ロレンツォは苦虫を噛み潰した顔で頷いたのだった。
……・……
薄紫の夜空に、星がちらほら輝く。
パッツィーニ家の庭では、エレナ達がナディアと賑やかに談笑していた。やれハロウィンの飾りつけや高橋の話題で盛り上がっているようだ。
そんな賑やかな一行遠く、ロレンツォはガレージ付近の木陰で明杰と駄弁っていた。
明杰はいかにもマフィアな強面だが、年齢が近いこともあって打ち解けるのは早かった。サンドラと高橋の話に、明杰は眉を上げて笑っている。人の気も知らないで、と不貞腐れるロレンツォの肩を、明杰は旧友のように叩いてやった。
明杰がサイダーを一口、ご機嫌にロレンツォにふる。
「パツィニ、こないだの店美味しかたよ」
パツィニことロレンツォ・パッツィーニは満足げに頷いた。
「そりゃよかった。次はジャンも誘ってバルに行こうぜ。店員がこれまた可愛いんだ」
「行く。セリオンの酒美味しい、好き。可愛い女の子も好き」
少年のように笑いあい、ふと明杰が声を潜ませる。
「……パツィニ、気を付けて」
その眼光はマフィアのそれだ。近所のライトアップに明杰が影る。
ロレンツォはまばたきひとつ、神妙に明杰を見た。「何をだ?」と。
「私、良くない噂聞くね。外、良くない動き有るよ。もし……問題有る時、連絡下さい。私、パツィニの味方」
どういうことだと尋ねる前に、エレナ達が駆けてきた。桜蘭が顎で明杰に物を言う。車を出せのそれだ。訊くタイミングをすっかり逃したロレンツォは、「気をつけて帰れよ」と皆に手を振る。
それにエレナが頬を膨らませた。
「まだ遊びたいわ。ね、ミシェル?」
そんなエレナにミシェルはハの字眉で笑むだけだ。ロレンツォはミシェルに軽く頷いてやって、エレナに首を振った。
「勘弁してくれよ。明日は早いんだから、休めるうちに休んどこうぜ?」
オレンジ色のライトアップが、街を賑やかに照らしていた。
エレナ達を乗せた車を見送ったロレンツォは、ふと家を見た。カーテンにサンドラの影が映っている。どうも誰かと電話しているようだった。
電話の相手はおそらく高橋だろう。高橋はイイ奴だが、再婚相手となると話は別なのだ。
なんともスッキリしない気持ちまま、ロレンツォは車のキーを回したのだった。




