7-4:マリアとロレンツォ
帰宅早々、ロレンツォは圧倒された。屈指の超名門ブランドの大型高級車が、教員住宅の駐車場にどんと佇んでいたからだ。
キャンピングカーというよりバスに近い大きさのそれが、一般家庭用ではないのはみてとれた。
「わお、すごい車だ」
愛車のエンジンを切りつつ、思わずそう声にでた。スーパーの袋片手、ロレンツォは大型高級車を一周ぐるりと見物する。
パールカラーの車体は街灯を淡く照り返していて、黒塗りの窓ガラスで中の様子は伺えなかった。
「おかえりなさいませ」
その声に驚きまま振り返ると、白いスーツの2人組がロレンツォの退路をたっていた。2人はおよそ泥棒や強盗には見えなかった。風貌はむしろSPのそれだ。
そのうちの1人に、ロレンツォはまばたきひとつ。そいつは見覚えのある男……終業式でエレナにマウンテンバイクを投げられそうになっていた記者だ。記者は相変わらずSPのようなインカムをつけている。そして夜だというのにサングラスをかけていた。
「ああどうも。もしかして、このへんで何か事件でもあったのか?」とロレンツォ。
記者ことキシャはぴしゃりと受け答えた。
「お待ちしておりました。マリア様がお待ちです。中へどうぞ」と。
「えっ俺?」
考える間もなくドアが開く。キシャに問答無用に先を促され、ロレンツォはおっかなびっくりに大型高級車に乗った。
乗るやいなや、ロレンツォは本当に驚いた。車内はまるで高級ホテルを思わせる優雅な内装だが、それは置いといて。
革張りのホワイトソファに、とんでもない美人が足を組んでいたのだ。そのへんの金持ちが乞食にみえるほど、その美人は高貴な存在だと理解できた。花より鞭が似合いそうな極上の女性だ。
上質な絹のドレスに、薔薇の花びらを思わせる唇。美貌を拒絶するように短く刈られたプラチナブロンドは、金細工のような輝きだ。その美人はまるで、映画のワンシーンを切り取ったかのようだった。
「ええ、これから話をつけるわ」
通話を終えた美人の、新緑色の瞳がふとロレンツォを射抜く。
「こんばんは、ロレンツォくん」
ドアが音もなく閉められ、外の賑やかさが断ったかのように消え失せる。美人がゆったりと、綺麗な足を組みなおした。
「どうぞ掛けて。この車は電波傍受システムを搭載しています。カメラもマイクもありませんよ」
席に着いたロレンツォは落ち着きなく、対面の美人に軽く頭を下げた。下げて、ふとする。目の前のとんでもない美人が、どこかエレナに似ているように感じたのだ。
「ど、どうも、はは……」
ロレンツォは照れをごまかすように指をまごつかせた。
「ええと、その、俺にどういったご用件で?」
美人は物腰柔らかにポーチから封筒を抜き、中身をデスクに投げた。デスクに広がる写真たちに、ロレンツォの表情が凍り付く。
それは、エレナとロレンツォの写真だった。
センタープラザで一緒にリボンを買いに行った時、海で手をつないだ夜、水族館で人混みにとっさに抱きとめた時……、ほかにも様々な写真があった。
ロレンツォがちらと視線をあげる。美人はまるで情がひとつもない冷静な目で、ロレンツォを見下ろしていた。
「あなたがラペリーノ&ラペリーノに足を運んだ時から注視していました。まともな成人男性は、思春期真っ盛りの子どもに手はだしません」
淀みのない滑らかな口調に、ロレンツォは混乱した。美人の風貌は教育委員会やPTAの類ではないことはあきらかだからだ。
まるで王族のような雰囲気をまとわせる美人が、一言一句はっきりと続ける。
「アイデンティティが定まっていない思春期は、発達的課題を得る幼い段階です。見守らなければならない生徒と恋愛関係を持つことは、社会的に赦されることではありませんよ」
ロレンツォは言葉が出なかった。言葉に詰まり、やっとの思いで口を開く。
「……え、ええと、あなたは……?」
「私はマリア・モルガン。エレナの叔母です。これ以上、あの子に深く関わることは許しません」
モルガン。その名を知らぬ者はいないだろう。教科書にだって載っている、あのイルミナ生命工学研究所の歴代統率者の唯一名だ。
ここセリオンに住む者は特に、イルミナに関わっている。セリオン学園、聖イルミナ医院、地球学研究センター、テレマ研究施設……
それどころかこのセリオン自体が、イルミナの開発国家なのだ。
突拍子もない話に、ロレンツォは思わず首を振る。
「そんなわけない。あいつの苗字はモーガンですよ、モルガンじゃない」
マリアは眉をぴくりとも動かさず、見透かした目でロレンツォを見た。
「モーガンはエレナを密やかに生活させるための変名であって、本姓はモルガンです。エレナはイルミナの先代の娘であり、正式な跡継ぎであり……会長の〔婚約者〕。卒業と同時、会長の妻としてイルミナで生涯を過ごす制約なのですよ」
天井と床がひっくり返ったのような感覚とはまさにこのことだろう。ロレンツォは、帰り際に飲んだコーヒーの味が舌に戻ってきたような気がした。愕然と額を拭う。
「……そんなまさか、うそだろ……」
エレナはそんなこと、一言だって言わなかった。イルミナの跡継ぎであることも、婚約者がいることも。
なぜ黙っていたのかと 胸が潰れそうな気持ちになる。あの笑顔に、恥じらいに、涙に、まなざしに、そのすべてに裏切られたような気持ちにさえなった。言葉に尽くせぬ黒い何かが、心の奥に重く沈んでいく。
そんなロレンツォの様子に、マリアは少し目を伏せ、明瞭な声で続けた。
「……。エレナのような年頃の娘は、年上の男性に惹かれるもの。そして男性なら誰しも、年頃の娘が好意を示して来たら気にもなるでしょう。しかし子どもの恋は、好意ではなく依存なのですよ。年齢とともに心と体が成長すれば、いずれそれが幻影だという事もわかるでしょうが」
ロレンツォはうなだれるように頷いた。
わかっていたのだ、そんなことくらい。自分は顔もよくなけりゃ、身長も金も将来性もない。だからこそ、夜の海で心に決めたのだ。
エレナはいつかきっと、本当の恋をする。その時に、今を後悔させないようにと。感情に固く蓋をして、湧き上がる鉛のような劣情もすべて押し込めた。
いつかエレナに誰かいい人が現れたなら、きちんと見送れるように。相手がろくでもない野郎なら、親父さんの代わりに追っ払ってやれるように。そうやって、エレナが将来結婚するにふさわしい男性がどんな男か、自分の背で示したかった。
そして何年かたってもふと、美しい過去として思い出してほしかった。……いい人だったなと。
水の中のように遠く、マリアの声が響く。
「本来は、あなたの血縁もろとも処分する手はずでした。ですがあなたはこの事実を知りませんでしたね。エレナから想いを寄せていることも知っています。なので今回は咎めません。ですが、次はありませんよパッツィーニ。ご家族を〔不慮の事故〕で亡くしたくなければ、潔く身を引くように」
マリアは俯くロレンツォの視界に入るよう、空欄の小切手を突き出した。
「好きな額をどうぞ。お願いではなく、警告のインセンティブとして」
その小切手に、ロレンツォは氷水をぶっかけられたかのように目が覚めた。
無邪気で甘えん坊な小娘が、どうしてあんなにタフで空っぽな孤独を抱えているのだろうと思っていた。
ふと垣間見える、ぽっかりと空いた底なしの穴のような、何を放り込もうとも消えていきそうな孤独の正体に眉を潜める。
これだったのだ。
エレナは言わなかったんじゃない。言えなかったのだ。勝気なじゃじゃ馬でも、本当は弱虫で泣き虫でビビッたれの甘えん坊なこと、わかっていたはずなのに。
自分がいなくなればエレナは深く傷つく、それは自惚れではなく確信だった。泣かせたくないという気持ちが堰を切る。
勇気を出し、海で指を握ってくれた、あの可愛いエレナを守りたいのだと。
まざまざと気持ちが沸きあがり、怒りにも似た感情に奥歯を噛む。ロレンツォは小切手を握り潰し、デスクに叩くように突っ返した。
「こんなモンいりません」
マリアの目がやや驚きに開く。
「待遇に不足でも?」
「……あんたは、こんな風にエレナから取り上げてきたんだな」
ロレンツォの拳は、静かにかたく握られていた。
「金をちらつかせて、今までどれだけエレナの可能性を奪い、追い込んできた? あいつは1人暮らしでサンタも来たことないといってたぞ。あんた何やってたんだ?」
ロレンツォはまっすぐマリアを見た。感情を抑え込むも、歯がゆさに眉を眇める。
「どうすれば愛してもらえるかで得た経験は、大人になっても変わらない。人は愛されているという実感を得て初めて安心するんだ。
いつなんだ? ちゃんと認めてあげたのは。結果で批判せず、頑張った事を褒めてあげたことは? やさしく抱きしめて、心ゆくまで甘えさせた事は?」
マリアはまったく動じず、涼やかにロレンツォを見た。
「もっと器用に立ち回りなさいな。こんなチャンス2度とないでしょうに」
ロレンツォは胸が潰れそうな気持ちになった。エレナは幼い頃からずっと、この無感動な目に訴えてきたのかと。
「話を逸らすなよ、俺の顔に金が欲しいとでも書いてあるか?」
マリアの返答を待たず、ロレンツォは立ち上がった。
「イルミナだのモルガンだのは関係ない、俺たちのことは俺たちが決める。影でこそこそ写真を撮る前に、金を突き出す前に……保護者として、あんたができたことは山ほどあったはずだ」
きっぱりと断言し、踵を返す。SPのキシャと肩がぶつかったが、ロレンツォはかまわずその場を後にした。
ロレンツォの背を見送ったマリアは、静かな車内で溜息一つ。潰された小切手に目を落とす。
金を突っ返されたのは初めてだった。いつものように部下に処分をまかせてもよかったが、嫌な予感は的中した。
ロレンツォは、これまでエレナにちょっかいをかけようとした男たちとまったく違ったのだ。
ロレンツォは、小娘が気にとめるような男ではなかった。どこにでも転がっていそうな平凡な男だ。家柄だって貴族でもなんでもない。
小汚く不潔な無精髭、貧乏丸出しの安物の服装、野良犬のような髪、身長だって高くない。見目だって華やかさに著しく欠ける。
……だけど、女が素直に女の子らしくなれるような男だった。
マリアの綺麗な唇が震えるように歪む。
「迷惑ばかりかけて、口だけは達者で、バカで世間知らずの小娘よ。……認めて褒めて甘えさせろですって? 気持ちの悪い」
その吐き捨てるような呟きに、キシャが静かに目を伏せる。
若い頃のマリアは、エレナを妹のように大切に思っていた。可能な限り一緒に過ごしていたし、欲しいものはなんだって十分に買い与えた。ミシェルとそろって三姉妹ね、と笑いあった日もあったほどだ。
しかしエレナに生理がきたあの日、マリアの中で何かが壊れてしまったのだ。
マリアはそっとお腹に手を当てる。ここにマラークとの子が宿っていれば、2人の関係を喜ばしく思っていただろうと。
マラークもいつか、あの優しい手でエレナを抱き寄せ、私に愛を囁いた口でその名を呼ぶのだろう。そしてエレナと子を成し、家庭を築き、いつかの兄のように私を疎ましく思う日がくるのだ。
「……マリア、大丈夫ですか」
キシャの声かけにマリアは応えない。その胸元に、1つのネックレスが光ってた。16年前のテロで身を挺して守ってくれたロボット〔ゼロ〕のメモリチップだ。
それはかつてのように静かに、マリアを見守っていた。
……・……
玄関のカギ置きトレーに、犬のぬいぐるみのキーホルダーが転がる。
エレナとおそろいの、ふわふわな犬のぬいぐるみのキーホルダーだ。首元が破れたとき、エレナが器用に繕ってくれたことを思い出す。
ジャケットを椅子の背にかけ、スロップシンクの鏡を見る。映画に出てくるようなハンサムではない、相変わらずパッとしない面だ。今日は一段とパッとしない。
蛇口をひねり、手を洗い、両手の水に顔を浸す。顔を洗ってようやく、夢から醒めたような気持ちになった。
ソファに深々と腰を下ろしたロレンツォは、大きなため息をついた。
エレナが、イルミナ生命工学研究所の跡継ぎ。婚約者もいる。まったく住む世界の違う人間だ。
漠然と とんでもないことを言ってしまったと感じていた。それでも、間違ったことは言っていないと改めて自分の意思を穿つ。
やおらスマホを取り出して、画面をスワイプする。寝る前に少しだけ通話するのが、エレナとロレンツォの日課だった。
だけど今夜は通話ボタンを押せなかった。迷った指先が明杰の名前をタップする。2コールで明杰が出た。
『パツィニ、どした?』
「お前は予言者か? さっきマリアって美人から、その……『身を引け』と忠告されたよ」
とたん、明杰の気抜けのため息がかえる。
『あー大丈夫、気にする事無いね。マリアさん直談判する初めて、パツィニ凄いよ』
「どうだろうな。これ以上関わるなら、家族の命の保証はしないと脅された」
口に出して改めて不安になる。巨大組織の裏で何が蠢いているか……ロレンツォは地球学研究センターでつぶさに見たのだ。
そんな心の内を察したわけでもなく、明杰の声音はけろりとしたものだ。
『ミシェルはエレナさんが赤ン坊の頃、先代から正式にエレナさんを守る任命されてるよ。そんなミシェルが、パツィニを良しとする。だから誰も手、出せない。其れどころか、間接的にも傷一つ負わせる事も出来ないね』
「ミシェルが? お偉いさん方が、その伝統だかシキタリだかを律儀に守ってくれることを願うよ」
『守るよ。先代の遺志は守らざるを得ないね。どうこう出来るなら、とっくにパツィニ墓の下』
軽く笑い飛ばす明杰の返答に安堵し、ふとした。
「なんだよ明杰。やけに内情に詳しいな?」
『啊~、桜連合総帥もイルミナの血統ね、桜蘭さんとエレナさん親戚同士よ。桜組とイルミナの繋がり、世間では陰謀論扱い。でも此れ事実ね』
ロレンツォは思わず「マジかよ」と声を漏らした。
桜蘭が世界的チャイニーズマフィア・桜連合の愛娘だとを知ったのはここ最近の話だった。まさかの繋がりに眉根を押さえる。
「……俺はあいつらのこと、何も知らないんだな」
沈むような呟きに、当然のように明杰が言い添える。
『だからこそエイリアン・バスターズの絆、培われたね』
力強い言葉に、ロレンツォは一瞬息を忘れ、しっかり頷いた。まるで背中を押されたかのようだった。
「サンキュ、明杰。お前の言ってた心配事は、てっきり今回のことかと思ってたよ。これ以上の心配事があるってのか?」
その時だった。風呂場のドアを開けるような音と同時、桜蘭の声が聞こえた。中国語なので何を言ってるかはわからなかったが、ニュアンス的に〔石鹸とってきて~〕のそれだ。明杰も中国語で返事をし、声を潜めてスマホに囁く。
『桜蘭さん風呂からあがたから切るよ、再見』
通話を終え、ロレンツォはベランダに出た。涼しい風に深呼吸ひとつ。
ふと湧き上がるように、エレナの言葉を思い出した。
〔もし、よ? 私がその……悪い人種の血が流れてたらどう思う? それも、ものすっご~く悪い人種の血〕
溢れる気持ちまま、考えるより先に言葉が出た。
「もしそうだとしても関係あるかよ。……俺はお前の手を取るよ」




