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長寿丸と藤千代、どちらが人質となるか。その答えは、すぐに出た。

相良家の戦の守り神、井口八幡宮。歴代当主の崇敬厚いこの神社において、深水宗方が御籤を三度引き、三度とも長寿丸が吉と出たとのことである。もはや、誰ひとり否やを唱える者などいなかったし、長寿丸本人も自分が行くことになると薄々感じていたため、それを知らされた時はさほど驚きもしなかった。

だが、周囲の者たちの反応はそうではなかった。特に近習の樅木宗兵衛などは涙を流して悔しがっていた。

「おいたわしや、おいたわしや……。御先代様さえ生きておられれば、このようなことには」

「もうよい。兄上のお役に立てるのならば、これほど嬉しいことはないではないか。それに藤千代はまだ四つじゃ、兄が行くのが道理であろう」

正直なところ、長寿丸は人質がどういうものなのかよくわかっていなかった。ただぼんやりと、屋敷か何かに閉じ込められて過ごすようなものを想像していた。

「何と健気な……。この宗兵衛、命ある限り長寿丸様にお仕え致しまするぞぉぉぉぉぉ!!!」

「わかった、わかったゆえ泣くな宗兵衛」

長寿丸はひとしきり大騒ぎして鼻を噛んでいる宗兵衛に苦笑する。

周りがこのような調子で長寿丸の代わりに嘆いてくれるので、自分ではあまり深く考えずに済んでいるのもしれなかった。

「……長寿。よいか?」

障子の外に、人影が見える。聞き間違えるはずのない、その凛とした声。

「……兄上」

長寿丸が物心ついてこのかた、敬愛してやまない優しく、美しい兄。そして今は兄であると同時に、主君でもあった。

「はい、……はい、兄上!」

自然と、声が高くなる。政務で忙しい兄とは、このところなかなか顔を合わせる機会がない。だから大好きな兄が来てくれたことは、長寿丸の何よりの喜びであった。

障子を開けて入ってきたのは、兄一人である。周りにいつもいる近習たちが、今日はいない。

「これは、殿」

宗兵衛はもちろんのこと、長寿丸は当主でもある兄に礼を取る。

「堅苦しい挨拶はよい。宗兵衛、長寿と二人で話をしたい。暫し外してくれぬか?」

「……御意」

宗兵衛は、当主の言葉に素直に従い、部屋を退出した。

「久方ぶりじゃな、長寿」

亀千代は、どこかぎこちなく声をかける。

「兄上も、お元気そうで嬉しゅうございます」

長寿丸が少し緊張気味に言葉を返すと、亀千代はその長い睫毛を悲しげに伏せた。そして、長寿丸の頬にそっと手を当てた。

「……許せよ、長寿」

何のことかは、言われずともわかる。その言葉を聞いた瞬間、何故だか涙が溢れてきた。

「長寿は、父上から兄上をお支えするように、言われました。兄上のお役に立てるのならば、長寿も嬉しゅうございます」

最後の方は、言葉になっていなかったように思う。

兄の瞳からも、涙がこぼれていた。

――泣き顔までも、美しい。

長寿丸は、この場に似合わないことを考えた。近習たちでさえ、兄の容貌が美しすぎるが故に顔を見ることができないとまで言われる美少年。相良家の期待を一身に背負った、未来の英主。

亀千代の弟であることを、誇りに思う。兄のためならば、命ですら惜しくはない。そう思わせてくれる、素晴らしい兄。

「……人質になれば、二度と球磨の地は踏めぬかもしれぬ。二度と、皆と会えぬかもしれぬ。じゃが、わしは当主故に、それをそなたに、命じねばならぬ」

そして亀千代は長寿丸の頬から手を離し、大きく深呼吸をした。

「わしは、父上のかつての名を継ぎ、四郎太郎を名乗る。そしてそなたには、『四郎次郎』の名を与える」

「四郎、次郎?」

「そうじゃ。そなたが、相良の子で、わしの弟である証じゃ」

亀千代は、そこまで言うと、泣き顔のままくしゃりと笑った。

「長寿、いや、四郎次郎。この大役、そなたに任せる!」

「はい、兄上!……いいえ、殿!」

そう言って、長寿丸――四郎次郎は頭を下げた。

二つしか年の違わない兄が、今はとても大きく、頼もしく見えた。

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