逃避行のその後
「……悪運が強い方ですね」
呆れたように話すのは、側近のカロンだ。
「はっはっはー」
豪快に笑うエルダーに冷めた視線を送ってきているのは、彼の気のせいではなかろう。カロンの後ろには、どす黒い怒りのオーラが見えている。
「誰のせいで、こんなに大変だったと思っているのですか!?」
とうとう怒りを爆発させたカロンを、どこ吹く風でエルダーは聞き流している。
「まあまあ、そう言うな。
いや、俺も改めて自分の部下の腕前を信用しないといけないと思ったよ。
いやあ、俺の見る目もまんざらじゃあなかったな。だからお前を取り立ててよかったと思ってるんだよ」
自分の城の自分の執務室。革張りのどっしりとした椅子に腰かけ、ふんぞり返っているのはこのネーンドルフの領主エルダーである。
上機嫌である。
頭がおかしくなったわけではなく、上機嫌なのである。
王女を攫って逃げたネーンドルフ辺境伯は、不敬罪と誘拐罪と国家転覆罪で捕まった。
王都の牢獄へ繋がれていた辺境伯だったが、三日で釈放された。
お咎めなしだったのである。
迎えに来た側近のカロンはエルダーの顔を見ると安心したように一瞬目尻を下げたが、すぐにいつもの顔に戻った。
なぜなのかは、さっぱりわからなかった。
リーナが助命嘆願でもしたのだろうか? そんなことで王国の決定が覆るはずもない。説明もないまま牢獄から放り出されたエルダーは、カロンの迎えによって国に帰った。
領内に戻ったエルダーはカロンにどういう事か詰め寄った。本来ならお咎めなしで、簡単に釈放される案件じゃない。国家転覆罪などがそんなに簡単に覆されては国の治安はどうなってしまうのかということである。
それじゃあ今まで死刑にされた囚人たちは浮かばれまい。
「簡単なことですよ。旦那様、ネーンドルフ領を甘く見ておられたのですか? あなたが数十年の治世の間で育てたのは、交易と騎士団だけではありません。領民の信頼も確実に育っていたのですよ。
ネーンドルフ辺境伯ディッセル卿は領民たちにたいそう慕われていたということですよ。ですから、あなたが処刑されるということになった時、領民たちは武器を手に取ったのです」
待て! それは反乱というやつではないのか!? とエルダーは真っ青になった。
「まあいくらなんでもそれはまずいというので、先代様が王都へ直訴に参りました。当主の身柄を返さない場合はネーンドルフ領は独立すると」
おいおい、どんどん過激になってるじゃないか!! エルダーはなおも顔を青くする。
「それでですね、王国としてもネーンドルフに独立されてはたまりません。交通の要所を押さえられては交易もままなりませんし、ネーンドルフ領は広大で歴史のある土地ですから、周囲も迎合しないとは限りません。それを懸念して、王は旦那様を釈放することにしたのです」
「まあ、ただ釈放しては王国としてはメンツが立ちませんよね。隣国も王太子の婚約者を誘拐されたという外聞悪い事件でしたから。同盟にひびが入ってしまうことも考えられますしね。まあ、それでも国境に隣接している土地はネーンドルフなのですから、戦争になったら我々がもちろん責任を持つということで――」
それから、カロンは少し言葉を濁した。
「で、ここからは私が調査したので間違いはありませんが、あの王太子も無駄にキラキラしているだけではなく、脛に傷持つ輩だったのですよ」
おいおい、仮にも王太子に向かって輩とは……ネーンドルフも田舎領よろしくガラが悪いと思われるぞと一言注意した方がいいかと、エルダーが悩んでいる間に、カロンは淡々と話を続ける。
隣国は後宮制度を取っている。王のハーレムは有名だが、王太子のハーレムも負けず劣らず、300人の女性がいるらしい。そのうち、寵愛深い女性が10名ほど。それだけいるにもかかわらず、他の女性に惚れてしまい、今の本命はその女性だそうだ。
で、その本命彼女を後宮に迎えたいが、後宮には王弟の娘――すなわち王太子からすると従妹姫がおり、この従妹姫が権力を握っていて、気に入らない女性は粛清するらしい。後宮を辞した女性も多く、また行方知れずになっている女性たちも少なくないそうだ。
そんな中に新しい女性を召し上げて王太子の寵愛が深いことがばれてしまえば、どんな危害を加えられるかわからない。だから目くらましのために、従妹姫と同じくらいの身分で容姿も申し分ない妃を迎えれば、二人でつぶし合ってくれるだろうと考えたらしい。
その間に自分は本命女性と仲良くやるつもりだったそうだ。
……なんてゲスなことを考える男だ。とエルダーは話を聞いたときに絶句せずにはいられなかった。だからあの王太子ははじめっからリーナに愛想を振りまいていたのか。何としてもリーナに気に入られなければならなかったのは、王太子の方だったのである。
そして、そこからすごいのはカロンである。
彼が全力で調べ上げた王太子の本命女性――名前、素性、性格、生い立ち、交友関係その他もろもろを全て調べ上げた上で――彼女のことを王弟にばらされたくなかったら、ディアテナ王女との婚約を破棄しろと迫ったのである。
王太子はカロンにその本命女性のことで、王太子しか知らないようなことまで言い当てられ、真っ青になったらしい。
笑顔で追い詰めるカロンと、慌てふためく王太子の様子を思い浮かべて、エルダーはあの無駄にキラキラしている王太子がどんな顔をしていたのか見てみたかった。
「お嬢様を手駒に使おうとは、本当にあきれた男です」
ため息を吐きながらカロンが一言言う。どうやらカロンもリーナのことを気に入っているらしい。
「王女殿下が王太子に振られたということになってしまいますが、その後のことはこちらできちんと責任を取りますから、まあ結果オーライということでしょう。国王陛下も、先代から私が調査した事実を聞いて、そんなところに娘を嫁がせなくてよかったと、胸をなでおろしたそうですから」
晴れ晴れとカロンが笑う。たった一日二日で、よくぞここまで調べ上げたもんだと感心する。
「父上にも、礼をせねばな」
一言そう言うと、カロンは思い出したように「ああ」と呟いた。それからこちらを見ると、
「『早く嫁を見せろ』と先代様はおっしゃっていました。お嬢様と結婚することが、先代様には何よりの礼になるのではないでしょうか」
と、笑っていた。どうやら、父の願いはかないそうだ。
そして当の宮廷内の貴族達は、そんな隣国に王女を嫁がせるよりもネーンドルフと縁続きになって、国内を強固にした方が利があると考えているらしく、後押しをしてくれたらしい。
ネーンドルフが独立しては王国内の力の均衡も崩れる。保守的な貴族連中としては、事を荒立てたくはないようだ。
そこで国王たちはリーナとエルダーの逃避行を、王女を守るために時間稼ぎをエルダーに頼んだのであるという話を適当にでっち上げて無理やり収めたらしい。
したがって王都ではその話が広まり、王女を守る聖騎士として、どうやらエルダーは女性たちの語り草になっているそうだ。そんな美談ではないのは、断っておくが。
ところで、一連の話を聞き終ってふと、疑問が浮かんだ。エルダーはふんぞり返っていた姿勢を戻すと、報告し終えた側近の顔をまじまじと見つめた。
「なあ、カロン。お前はなんでリーナをお嬢様と呼ぶんだ?」
思わず素朴な疑問を口にしてみた。すると、カロンはさも意外そうな顔をすると、
「私が知っているリーナ様は、先日旦那様がお会いしたお嬢様以外にはいらっしゃいませんから」
と、語った。どうやらカロンも、ディアテナ王女の身分がどうとかではなく、リーナをリーナとして気に入っているらしい。
そして今日、彼女はこのネーンドルフに嫁いでくる。
きっと輝くばかりの笑顔で、この地に再びやってくるのだろう。
ハロウィンに間に合わせたくて大急ぎで書き上げました。初めはただハロウィンらしくお祭りで踊る男女が書きたかったのですが、どんどん話が暗い方へ。思いつき出発だったので、視点がころころ変わってしまい、読みづらかったと思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました。