完璧な日常
夫は毎晩、同じ時間に帰ってくる。
午後八時十二分。マンションの廊下を踏む足音は、いつも同じ歩幅で、玄関の鍵が回る音までが時計のように規則正しかった。麻有子は味噌汁を温め直す手を止めて、ただいま、という低い声を待つ。お湯の沸く音と、夫の靴を脱ぐ衣擦れと、たたいま、という少し舌足らずな響き。それらが順番どおりに揃うと、今日も一日が無事に終わったのだと、胸の奥がほどけていく。
誠は四十歳になる。建材メーカーの経理課で、十五年、同じ机に座り続けている。出世に貪欲なわけでも、不満を漏らすわけでもない。会社の誰それが横領しただの、上司がパワハラで飛ばされただの、世間がざわつくような話とは無縁の場所で、彼はただ数字を合わせて生きていた。
「お帰りなさい。今日もカフェ?」
麻有子が訊くと、誠はネクタイをゆるめながら、うん、と頷く。
「読みかけがあったから」
夫には習慣があった。会社を出ると、まっすぐには帰らない。駅前の〈ルーチェ〉という古い喫茶店に寄り、奥のいちばん端の席で、コーヒーを一杯だけ飲みながら本を読む。一時間ほど。それから帰ってくる。結婚して八年、雨の日も、年末も、彼の誕生日でさえ、その順番が崩れたことはなかった。
最初のころ、麻有子はその習慣を寂しく思ったこともある。新婚なのに、と。けれど今は違う。男が会社帰りに毎晩立ち寄る場所が、酒でも女でもなく、コーヒーと文庫本の店だということ。それがどれほど得がたいことか、結婚した友人たちの愚痴を聞くたびに思い知った。香織の夫は週に三度は午前様で、由美の夫はギャンブルで貯金を溶かした。それに比べて。
それに比べて、わたしの夫は。
夕食は黙って食べる。誠はもともと口数が少ない。テレビの音だけが流れる食卓で、彼は背筋を伸ばして箸を運ぶ。煮物の人参をいちばん最後に残す癖も、食べ終えてから茶碗を両手で持つ仕草も、八年見続けてきた。麻有子はそれを退屈だと感じたことがない。むしろ、変わらないことの中にある安心を、湯気のように吸い込んでいた。
「美味しい」
誠がぽつりと言う。何を出してもそう言う。鯖の味噌煮でも、ありあわせの冷や奴でも、同じ抑揚で、美味しい、と。最初は気の利かない男だと思った。けれど今は、それが彼なりの誠実さだとわかる。彼は嘘をつかない。つけない人なのだ。
食器を洗いながら、麻有子は窓に映る自分を見た。三十八歳。子どもはいない。検査の結果、原因は麻有子の側にあるとわかったとき、誠は一言も責めなかった。それでいい、と言った。二人でいられればそれでいい、と。あのときの夫の横顔を、麻有子は今でもときどき思い出す。湯のなかで指がふやけていく。
寝る前、誠は風呂上がりにコップ一杯の水を飲む。それから読みかけの本を枕元に置き、九時間眠る。彼の本棚には、海外の古典が背の高さを揃えて並んでいた。トルストイ、ドストエフスキー、カミュ。麻有子は一度も中身を開いたことがない。難しそうだったし、夫の世界を覗くのは、なんとなく失礼な気がしていた。
その夜、麻有子は夫の寝息を聞きながら、ふと思った。
わたしは夫の何を知っているのだろう。
毎晩のカフェで、彼が何の本を、どんな顔で読んでいるのか。隣の席に誰が座っているのか。コーヒーに砂糖を入れるのか入れないのか――それすら、わたしは知らない。
考えて、すぐに打ち消した。知らなくていいのだ。夫婦には踏み込まない領域があっていい。むしろ、それがあるから八年も穏やかに続いてきた。隣で眠る男の、規則正しい呼吸。布団の中の体温。それだけで足りる。足りているはずだった。
翌朝、誠はいつもどおり七時に起き、卵かけご飯を食べて出勤した。行ってきます。行ってらっしゃい。ドアが閉まり、廊下の足音が遠ざかる。
完璧だった。何ひとつ、欠けているところはなかった。
その完璧さに、麻有子はまだ、何の恐れも抱いていなかった。




