01 月のように
人の心は、月に似ている。
太陽に照らされて美しく光る表面がある一方で、永遠の暗闇が支配する裏面がある。裏と表、二面性が人間を人間たらしめる要素である。
人間達にとって、それが本意なのか不本意なのかは分からない。だが、鳥が水に潜れないように、魚が空を飛べないように、何か出来ると言う事は、他の何かが出来ないと言う事とイコールで結ばれている。全部出来れば良い、と言われるかも知れないが、鳥は水中を泳げないし、魚は大空を飛び回れない。
松田龍平。14歳。彼がどんな人間なのかは、そのビジュアルが全てを物語っている。友達0、恋人0,仲間0,のスリー0が揃っている、不細工で平凡な男だ。
どんな人間にも、良い所がある。才能がある。なんて言われているけど、常識的に考えて、「良い所」や「才能」なんてものは、14歳の子供が持つのにはまだ早い代物だ。産まれながらの「天才」、「賢人」と言うには、彼はそこまで出来る訳ではなかった。
それは、彼自身もよく分かっていた。誰かに愛されたいと思った事は一度も無い。しかし、誰かを憎んだ事も一度も無い。そんなの、人間であると言えるのだろうか。生きていると言えるのだろうか。
その松田龍平は、おおっぴらにしている際どい趣味を持っている。幼女向けの変身ヒロインアニメが好きなのだ。幼児の頃、1年だけテレビに齧り付いて見ていた、シリーズ一作目だけが好きな彼は、別にグッズやソフトには興味は抱かなかったが、自分の部屋の壁にポスターを張る程度には好きである。
もし、もし自分が変身ヒロインになれたら。そう思った後で、必ず冷静に呟く。
「気持ちが悪いな」
そりゃそうだ。14歳で変身ヒロインに憧れるなんて、流石に彼もその辺の常識は弁えていた。そもそもの話、松田龍平はヒロインショーにてカメラを持参して盛り上がる、一部の過激な「大きなお友達」には顰蹙を感じていた。本当に応援するつもりがあるのならば、もっとひっそりと応援した方が良い。それが「大きなお友達」の節度である。
でも。彼は思うのだ。でも、なれたら良いかも知れない。別に現実の女に興味が無い訳ではないし、比較の対象とするつもりもない。それでも、なれたら良いかも知れない。
なれたら、良いな。なれる訳が無いけど。さぁ、宿題でもやって歯を磨いてクソして寝よう。
そいつは、ひたすらデカかった。デカい。と言う表現の極北であるビジュアルである。見えるのは、顔だけだ。デカい顔だけが、松田龍平の前にある。
「お前、明日死ぬぞ。車に轢かれて、死ぬぞ」
そのデカい顔が、龍兵に呼びかける。車に轢かれて死ぬ。それがどうかしたのか。
「お前、人生で何もしていない。このまま死ねば、無意味で無価値で、完璧な無駄。おまけに加害者が裁かれて、遺族が哀しんで、誰も得しない」
だからなんだ。俺の人生だ。勝手に死なせろ。
「……お前、なかなか強い精神の持ち主だな。面白い。お前、何か願いでもあるのか」
その前に、お前は誰だ、名を名乗れ。
「統制者1号。とでも言っておこう」
何で俺の夢に出て来た。これからどうするつもりだ。何がやりたいんだ。
「2号と対立している。奴は世界を壊すつもりだ。2号はお前と違って弱い。理不尽や不条理に耐えきれていない」
で、俺の夢に出たのか。
「ああ、お前、強い」
喧嘩した事は一度も無い。
「あんなもの、武器を使えば良いじゃないか。お前は、鷲の精神の持ち主だ。鷲だ、鷲だ、お前は鷲の戦士なのだ。お前が望んでいた通り、お前を変身ヒロインにしてやる」
ちょ、ちょっと待て。どうしてそうなるんだ。
「そうしないと、お前、車に轢かれて死ぬぞ。そうなりたくなければ、変身ヒロインになれ。お前は鷲の精神を持つ、強い男だ。統制者2号の使者と戦うのに、最も適している人間だ」
使者って何だ。他にも俺みたいな奴らがいるのか。
「ああ、お前と同じ、鷲の精神を持ちつつも、向いている方角は違う。松田龍平、今からお前は鷲の戦士として戦うのだ。良いか、その強さを正しく使え。そうでなければ、お前はその身も心も、相応しい身体に変わってしまう」
……。
「どうした、嫌か、では、車に轢かれて死ぬか」
……それも悪くない。でも、1度なってみたかったんだ、変身ヒロインに。
「おお、鷲の戦士よ、我は汝を祝福せり」
目を覚ますと、もうそこには「凡人」を絵に描いた様なさえない少年はいなかった。それに喜びつつも、松田龍平は同時に覚悟していた。もう元の日常には戻れない、と。あのままさえない少年のままで死んだ方が幸せだったと後悔する時が来るかも知れない。
いや、そんな時は来ない。そうであれば、自分の運命を受け入れて、車に轢かれて死んでいた筈だ。生きてやる。生きて生きて、生き抜いてやる。
佐藤拓。14歳。学校には行っていない。親が行かせてくれないのだ。
「お前なんて本当はおろしている筈だったんだ」
「お前を産んだ女は浮気性の最低な女だ」
「お前はあの女の分まで俺に尽くさなければならないんだ」
佐藤拓は、そう言い聞かせられながら、炊事洗濯に加えて、父親、と思しき大人の欲求も合わせて満たしていた。
風邪をひいても、医者に連れて行ってはもらえなかった。薬局で市販されている風邪薬だけ飲んで、あとは寝ていれば治る、と言う扱いであった。
今まではそれで良かったのだが、この日の風邪は違った。これは風邪ではなくて、病気だ。高熱にうなされながら、佐藤拓は夢の暗い穴の中に落ちていく。
彼女は、小さかった。そして、可憐であった。握れば潰せそうな、人形の様な女性であった。
「あなたは今、病気です。あの父親に移されたのです。今夜中に死ぬでしょう」
なら、今すぐ起こせ。起きて、あのクソ親父の喉笛に噛み付いてやる。
「そんな事をして、どうするつもりですか。それであなたの気持ちが晴れるのですか」
晴れか曇りかの問題じゃない。これは俺の問題だ。お前に話す必要は無い。お前こそ、何様だ。何のつもりで、俺にそんな事を言う。
「あなたには見込みがあると思ってきたんです」
……やめろ。不幸自慢なんてしたくない。そんな事がしたくて、今まで死なない出来たわけじゃないんだ。
「では、何の為に生きてきたのですか」
ヒーローになる為だ。親父をぶち殺して、ここから逃げ出して、世の中のろくでなしを殺して回るヒーローになるんだ。
「では、そうなりませんか。ならせてあげます。ただし、変身ヒロインですが」
……ヒロインは兎も角、そんな「夢」を実現させてもいいのか。そんな事をする奴は、正義の味方でも何でもない。単なるシリアルキラーだ。それでも良いのか。
「自分で分かっていて、どうしてその道を選ぶのですか」
誰も俺を救ってくれなかった。何も俺を助けてくれなかった。弁護士も警察も、誰も俺を救わなかった。その誰かが、何かが、俺であってもいい。いや、俺がやるしかないんだ。
「法では裁けない悪を裁くのですか」
そんなに格好付けるつもりはない。言っただろう、シリアルキラーだ。
「良いでしょう、あなたに鷲の精神を見出しました。あなたは鷲の戦士となって、この世界の理不尽と不条理を一掃するのです。そして、統制者1号の使者と戦うのです」
統制者1号? 使者? どう言う事だ。
「私の分身です。使者とは、あなたと同じ鷲の精神を持った変身ヒロインです。1号は、私が嫌う理不尽や不条理をそのままにすべきだと言いました。私にはそれが耐えられなかったのです」
でも、あんたは人魚姫になんかなれないぜ、単なるシリアルキラーのパトロンだ。泡になって消えるかもしれないが、真っ赤に染まった泡になって消えていく運命だぜ。
「構いません。それで、あなたはどうします? このまま病気で死にますか? それとも変身ヒロインとして生まれ変わりますか」
愚問だね。
「な、なんだ、拓、どうした、その格好は」
「お前の為に俺がどれだけ辛い思いをしてきた事か。その度に、何度自分の心を殺した事か。お前に相応しい死に方をさせてやる。俺の苦しみの一万分の一でも良いから味わえ!」
これで、全て終わった。いや、全ての始まりなのだ。長く苦しい戦いへの。




