第8.5話 【番外編】蝕むもの
カランカラン、とドアベルが鳴る。
来客だ。
月宵亭の店主が顔を上げると、弓を肩にかけた青年がドアを開け、背の小さい子供が入ってきた。
「いらっしゃい」
店主が声をかけると、常連客の青年は軽く会釈をして壁際の陳列棚へ向かう。いつもの仕事前の買い出しだろう。
小さい子供はその背中を見送り、こっそり足音を殺すように進んでくると、カウンターの端から背伸びしてちょこんと顔を出した。
店主が微笑んで話しかける。
「こんにちは」
「こ、こんちは」
その子は落ち着かない様子であいさつする。
それから内緒話のように小さな声で話し始めた。
「……あのね」
後ろを振り返り、青年が棚の商品を手に思案していてこちらを見ていないことを確認してから、こそこそと。
「この前のお薬すごいね」
先日渡した染料のことだ。
粗悪品を使っていたので質の良いものを適正価格で売り、試供品として長持ちする別種のものを渡しておいた。
渡した時は疑いの目で見られていたが、実際に使って安心したのだろう、目を輝かせている。
「ちょっとくらい雨に濡れても全然平気だし、頭かゆくならないし」
興奮気味に話しながら子供は頭をかくしぐさをする。
強い薬で頭皮を痛めていたのだろうか。
青年に手入れをしてもらったのか、ぼさぼさだった髪は整えられ、つやが出ていた。
「ありがと」
気恥ずかしそうに笑顔を浮かべる子供は、愛嬌があって可愛らしかった。店主も思わず表情を緩ませる。
――なるほど気難しいあの青年が世話を焼くわけだ。
その青年はというと、陳列棚を見るふりをしながらちらちらとこちらの様子をうかがっている。
面白いので店主はわざと子供にかまうことにしてみた。
「よかったらお茶を淹れますよ」
椅子をすすめるが、「ボク今日はアロウについてきただけだから」と遠慮された。
「いいんですよ。これはね、宣伝費用ですから」
店主はアルコールランプに火を灯して三脚の上に薬缶を載せる。
「買わないのに?」
「ええ。あなたがこの店を気に入ってくれたら、相方の彼が買い物しようと思ったときに〝月宵亭にしようか〟って言ってくれるかもしれないでしょう?それで十分なんです」
「ボクが気に入ったからって、アロウには関係ないと思うけど……」
「そうですか?でも彼、仕事の付き合いの協会職員にも好きなお菓子を差し入れにと買っていかれましたよ?〝相棒〟ならもっと手厚くても不思議はないです」
「そ、そうなんだ……?」
子供は未知の生き物を知ったように目を丸くしている。
「〝将を射るには馬から〟とも申しますし、貴方に当店を気に入っていただけることが売上向上に」
「人の財布を握るために子供を手懐けようとするな」
すかさず青年の釘を刺す声が飛んでくる。
言葉に反して、彼はいつもより多く商品を手に取っていた。相方の分も準備を怠っていないのが見て取れる。既に効果は十分と言えるだろう。
上機嫌でポットに茶葉を用意する店主の手元を、当の子供は興味深そうに眺めながら、ふうん?と生返事をした。
まだ慣用句などの難しい言葉はわからないようだ。
見たところ十代後半にさしかかってはいたが、先日の様子から見るに教育などは受けていないのだろう。
それどころか見るからに弱っていた先日の様子を思い出し、店主は慎重に尋ねた。
「他にお困りのことはありませんか?お客様の秘密は守りますから何でも相談してくださいね」
実のところいくつか気になる様子を青年から聞いてはいる。ただ、前回の来店時は警戒されていて何も聞けなかったのだ。
染料のことで少し信頼してもらえたのか、子供は迷った様子ながらポケットをごそごそと探る。
時折ちらちら青年の方を気にしているところを見ると、やはり話しづらい内容らしい。
「えっと、〝仕事〟の前にね、飲む薬って教えてもらったんだけど」
子供が差し出したのは薬包紙にくるまれた粉末状の薬だった。
「はい」
「もっといいのあるのかな?」
〝仕事の前〟という言葉からして嫌な予感しかない。
背を向けたままの青年もぴりぴりと緊張感を漂わせている。
「そうですね、お仕事の前に飲むのでしたら……」
「……で、何の薬を処方したんだ?」
翌朝、一人で来店した青年が尋ねる。
「栄養剤の類です。……もちろん真っ当なハーブなどですよ」
店主はため息をついた。
新王によって整備された街道の恩恵で、辺鄙な村が交通の要所として発展し始めて十数年。町の周縁部には貧困層が住まうようになり、どこからか有害な薬が流入していた。
「依存性は低い方だったのが幸いです」
「……そうか」
一市民に過ぎない店主や青年にはどうにもならない問題だ。二人の間につかの間苦い沈黙が落ちる。
「……以前の薬の分析結果はこちらにまとめてあります」
「ああ、助かった」
依頼されていた書類を渡し、代金を受け取る。
「俺はまだ信用されてないからな……話を聞こうとしても逃げられちまう」
自嘲気味に笑う青年に、店主はそういうことではない気がしたが、黙っておいた。
近い人間には話しづらいことだってある。医療に携わっているとよく見聞きする話だ。
だが、幸い二人にはこれから時間がある。下手に他人がくちばしを入れるより、二人で試行錯誤して関係を築いていけばいい。
「まあ、行き詰ったらお茶でも飲みに来てください」
「有料だろ?」
「お子様は無料です」
「成人だってあいつ言ってたけどな」
店主のあからさまな相方びいきに肩をすくめると、じゃあまた、と青年は踵を返す。
カラン、とドアベルが鳴る。
そのまま仕事に出るという青年を、ドアを開いて送り出した。
見送りがてら外をのぞいた店主は、思いのほか強い日差しに目を細める。
「ようやく止みましたか」
見上げた空は、雨や雪の多いこの季節には珍しく青空が広がっていた。
「よい旅を」
振り向かずに手だけ振る青年に、通りの向こうから小さな人影が駆け寄ってきていた。




