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射手と狼少年  作者: ささがき
4日目
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17/17

第15話 約束

 森の入り口はしんとして、音さえ吸い込むようにぽかりと口を開いていた。

「……静かだね」

 シンは空を見上げる。

「またタカがいるからかな?」

「それにしては静かすぎる」

 セキの手綱を握るアロウの声は低かった。2頭の驢馬も、息をひそめるように小さく呼吸を繰り返している。

「行きに青い蝶を見ただろう?」

「あ、あのきれいな……」

 川べりに現れた青く輝く蝶の群れを思い出す。美しい光景だった。

「あれは"森の掃除屋"だ。動物の死骸などを食べる」

「えっ……」 

 シンは絶句した。

 アロウはあの場に死骸があったと言っているのだ。掃除屋がたくさん現れるほどの。

 そして、死骸があるということはそれを襲った生き物もいるのだろう。

「やはりなにかいるな」

 アロウが呟く。

 行きの違和感は間違ってはいなかった。

 ただ、あの時はシンが疲弊していたし、荷物も多かった。今の方が対応策に余裕がある。

 ハクの背中から大きな弓を降ろして肩にかけ、矢筒を腰に吊った。

「避けて通る道は……ないよね?」

「残念ながら、街道が使えない場合のう回路がここだからな」

 答えながらシンが跨るセキの荷縄を調整するアロウ。 

「シン、いざという時は荷を放棄してセキを走らせろ。ここを一か所引けば縄が外れるようにしておく」

 縄の端に輪を通してくくり、引く箇所を示す。次いでハクと繋ぐ綱も結び直す。

「ハクが遅れる時は、この綱を外せ。あいつは自分で逃げられる」

「ハクの荷物は?」

「自分で振り落とすさ」

 大丈夫だ、と返事をするようにハクが鼻を鳴らす。シンはほっとする。

「こいつらは経験豊富だ、お前は自分の身を一番に守ればいい」

 腰に佩いた剣を示してアロウは続ける。

「たとえ魔獣が出ても俺が全部潰す。心配するな」

「……わかった」

 馬上のシンを見上げるアロウの目は確かな自信があって、その言葉にウソは感じなかった。

 だから、シンはただうなずいた。


 森の中は、真っ暗ではなかった。

 枝の重なりの間から弱い午後の陽が差し込んでいる。

 もともと人の行き来のあった道だ、見通しが極端に悪い場所も少なく、驢馬は問題なく歩けている。

 踏み固められた細い一本道の周りは、ひざ下くらいまで下生えに覆われていた。

 もうかなり下ってきていたが、ただ冷たい風が葉を揺らす光景が延々と続いている。

 シンはこっそりあくびをした。座っているとはいえ、背筋を伸ばしてバランスを取り続けるのは意外と神経を使う。

「何もいないね……」

「油断するな、ついて来てるぞ」

「えっ」

 いつの間にかアロウは弓を手に持ち、矢筒を開いていた。セキの手綱を離し、あたりを警戒している。

「こっちが消耗するのを待ってるんだろう。そろそろ仕掛けてくるはずだ」

 見回すが、驢馬の背から見降ろしても木立にも茂みに特段変わった様子はない。

 本当に?とアロウを見るが、茂みを睨んだままだ。

「俺が合図するまでは動くなよ」

「うん」

 ごくりとつばを飲み込む。

 ふと陽の光が枝に遮られて角度を変えた。

 明るさに慣れようとシンは目を凝らし……

「あれ?」

 それは黒い塊だった。剣呑に光る牙がある、と認識したときには耳元で風を切る音がした。

 聞き覚えのある音だ。あの日路地裏で見たのと同じ、銀色の光が走る。

 頭上からシンめがけて降ってきた四足獣の眉間に矢が突き立つ。

 ギャンッ、と耳障りな悲鳴を上げて、失速した獣が地面に落ちた。

「伏せてろ!」

「早く言ってよ!」

「スマン!」

 余裕がないのか、アロウの物言いも乱暴だ。

 振り返ると、アロウめがけて飛び掛かった別の1頭が射抜かれたところだった。地面には別の一頭がすでに倒れている。早業だった。

 そして襲撃に音などない。

 シンはぞっとした。

 アロウがいなければ今頃、何もわからないまま喉笛に食いつかれていただろう。

 続けざまに矢が放たれる。

 最初の一頭は奇襲で、それ以外はやはり茂みを縫って接近していたようだ。葉の影から次々に現れる襲撃者をアロウは隊列の最後尾から射撃する。前から接近する獣さえも、上空に打ち上げた矢が射抜いていく。まるで空から全部が見えているようだ。

 全部潰す、と言い切ったのはやはり相当の自信があったのだ、とシンは胸をなでおろす。

 だが、獣は際限なく下生えを割って飛び出してくる。

「くそ、数が多い……!矢が足りねえ!」

 毒づいてアロウがハクの荷に手を伸ばす。予備の矢はあるらしい。

 隙があると見て獣たちが一斉にアロウへ向かう。

「今だ、行け!」

「えっ」

 シンが反応するより早く、セキが動いた。ぐんっと加速する感覚にシンは慌ててセキの背にしがみつく。蹄の音が響き、アロウの姿が遠ざかる。

「アロウ!」

 近くにいた獣たちが動きに反応して後方から追ってくるのが見えた。

 最後尾のハクの背に肉薄する。

(あ、綱外してあげないと…!)

 そう思うが、揺れるセキにしがみついている状態ではうまく綱の端がつかめない。

 だが、一斉に飛び掛かった三頭の魔獣は同時に地に落ちた。

 いずれも背や頭に矢が突き立っている。

「振り向くな!前見てろ!!」

 片手で行け、と示すアロウに木陰から新たな獣が飛びつくのが見えた。

「あぶない――!」

 アロウは振り向きざまに腕を一閃する。

 獣とアロウの腕が交錯し――


 ばちっ、と火花が飛んだ気がした。


「いたっ!?」

 鋭い痛みを感じてシンは一瞬目をつむる。

 木の枝がかすめたのだろうか。

 こめかみを押さえるが、ケガをした感じはしない。

「何……?」

 セキが全力疾走に入る。木々が重なりあい、アロウの姿はどんどん小さくなっていく。

 わずかな視界でアロウの手に獣が食らいついているのが見えた。

 もう距離があるのに、その手から血が……血だけではなく、何か燃えるように強烈な光が漏れだしてシンの目を焼く。

 食いついた魔獣が吹き飛ばされたように見えたが、よくわからない。

 ぐん、とセキの動きに制動がかかった。

「あっ」

 ハクが少し遅れているのに気付き、シンは慌てて再び綱を探り始める。

『お前は自分の身を一番に守ればいい』

 アロウの声が脳裏に響く。

 今はとにかく逃げなければならない。

(残っても、足手まといになるだけだ――)

 シンは唇をかみしめてセキの背で綱をほどくために奮闘する。

 追ってくる獣は、一匹もいなかった。

 前を向くと、次第に薄くなる木々の向こうに、明るい日が差している。

 森の出口は近かった。


 セキとハクが蹄の音ともに森の奥に消え、アロウは負傷した右手を下ろした。

 弓が引けなくなるほどの傷ではない。むしろ好都合だ。

 魔獣たちはじわりと包囲を狭めてくる。

 一頭も逃げたシンたちの方を気にするものはいなかった。

「”手遅れ”だとは思うが……あいつらを追うことはできないし、逃げることもできないぞ」

 言葉が通じるはずもないが、苦い笑みを浮かべてアロウは告げる。

「お前らも、俺もな」

 ハクの背から降ろした予備の矢の束を引き起こす。

 そのまま足で支えて立てかけ、そこから数本まとめて矢を引き抜く。

 右手から滴る血が鏃を濡らしていく。

 血に興奮したのか、魔獣たちが唸り声を上げて今にも飛び掛かろうと牙をむき身を低くした。

「悪いが一匹たりとも見逃せないぞ」

 静かに言って、アロウは矢をまとめて雑に弓につがえる。

 その矢が描く軌跡を深紅の瞳が冷徹に計算する。

 魔獣の群れは散開し、狙いを定めさせないためか進路をジグザグに変えながら連携して迫る。統率の取れた動きだった。

「無駄だ」

 静かな声とともに弦に添えた指が離される。

 開戦の合図が空気を震わせた。


「セキ、もういいよ……止まって、止まってー!!」

 シンは必死にセキの首にしがみつき、何とか制止しようとしていた。

 木立はまばらになり、やがて草原に出た。

 森はどんどん背後に遠ざかっていく。

「見えなくなっちゃうよ!」

 道が緩やかに曲がりながら下ってゆき、これ以上進めば森の出口が見えなくなる辺りでセキはようやく足を緩めた。荒い息をついてぐるぐるとその場を周り、やがて足を止めた。ここで待つということらしい。

 かなり遅れて、草原の向こうをハクが駆けてくるのが見える。荷は無事で、追ってくる獣もいないようだ。

 シンはほっと息をついた。

「どうしよう、待ってれば大丈夫かな?」

 ヒン、とセキがいなないて向きを変える。

 行く手にはまた木立があった。先ほどの杜よりは木はまばらだ。

 そしてなんとなく背後の山の形や、木の生え方に見覚えがある。

「もしかしてあそこ……川があるとこかな?」

 セキが再び鳴く。どうやらその通りのようだ。

「お水飲む?」

 うんうんというようにセキが首を振る。

「じゃあハクが来たら川まで行こっか」

 シンはぽんぽんとセキの背中を叩く。ずいぶんと人間くさい動物だ。

 アロウが賢いと言って目をかけるのもわかる気がした。

 ハクは追手がないことをわかっているのか、のんびりと並足で駆けている。

 すぐあとからアロウが現れるんじゃないかとシンは背を伸ばして森の出口を伺う。

 チカ、と視界を青い光が走った。

「ん?雷……?」

 直後にズン、と衝撃が走った。

「わ?わ?」

 森から鳥の影がいくつも飛び立つ。

 それきりシンと静まり返った。それ以上の異変はない。

 セキが耳をそばだて、ハクも足を止めて森を振り返ったが、やがて気のせいだったとでも言うようにセキは草を食み始める。ハクも追いついてきた。

「アロウ、大丈夫かなあ」

 セキの背の上で心細そうにしているシンに、大丈夫とでも言うようにハクは頭を寄せた。

 低い冬の日は、再び山の端へと降り始めていた。



「もうあの黒いやついないのかな?」

 ざあざあと水音が響いている。

 川べりで水を飲むセキとハクはのんびりとリラックスしている。

 おそらく獣はあの森に全部集まっていて、全部アロウが引き受けてくれたのだろう。

「日が暮れてきちゃったね……」

 森の中は、外よりも一足早く薄闇が広がり始めていた。

 行きの道のりから考えて、川を渡ればあとは川沿いにしばらく下るだけで街道に出る。

 多少暗くなっても、丸太橋以外に危険な個所はなさそうだ。

「アロウまだかなあ」

 シンが言うのと、2頭の驢馬が耳をそば立てるのは同時だった。

 しばらくしてがさがさと隠しもしない物音が近づいてきた。

「水場を覚えてたか。えらいぞセキ」

 茂みをかき分けてアロウが姿を現した。肩には弓と空になった矢筒をかけている。

 長い髪がやや乱れている以外は、いつも通りだった。

「ハクも荷物ありがとうな」

 寄ってきたハクの頭を受け止めながら、アロウはシンに目を移す。

「ちゃんとセキを乗りこなせたんだな、よかった」

 当然、というように鼻を鳴らすセキの横で、シンは立ち尽くしていた。

「それ……」

 シンの視線はまっすぐアロウの右手を見ている。

「大丈夫?」

「えっ」

 魔獣に噛みつかれはしたが、軽いケガだった。

 止血帯を巻いて見えないようにしてある。噛みつかれたときは距離があったし、今は薄暗くなっているから猶更バレないと思ったが、シンの目は誤魔化せなかったらしい。

「ちょっと噛まれただけだ、大したことない」

「血、まだ出てるじゃん」

 シンは闇を見通すようにアロウの傷をまっすぐに見ていた。

 違和感を覚えるアロウをよそに、シンはつかつかと歩み寄る。

 はっと気が付いた時には遅かった。

「バカ、やめろ!」

 制止も聞かずにシンはアロウの右手を強引に引き寄せた。

 素手で止血帯を引きはがす。

 まだ血の止まらないそこを、シンの細い手が覆った。

 魔獣を消し飛ばすほどの、強い魔力が流れる血を。

「危ない!!」

 手を引きはがす。きっと手のひらは酷い火傷になっているはずで……

 シンはアロウに手を掴まれてきょとんとする。

「なに?」

「なんとも、ないのか……?」

 呆然とアロウは呟く。

 シンの手は、ほっそりとして白い。

 ただ柔らかい感触だけが手に残る。

「は?何が?」

 シンは眉間にしわを寄せ、呆然とするアロウの右手を再び引き寄せる。

「そんなことより早く手当!」

「いや、町に戻ってからで……」

 戸惑いに揺れるアロウはうまくあしらえずに押されてしまう。

「早く治すの!アロウがしないならボクするから!」

「ちょっ!?何を……」

 困惑するアロウの腕を抱え込むと、シンは傷口にかみつくように口を寄せた。

「おい!」

 アロウは慌てる。そういえば、前に「舐めておけば治る」というようなことをシンは言っていなかったか。それは民間の迷信で、むしろ傷を悪化させることがあると知っているアロウはシンの頭を押しのける。

「ふぎゅっ……」

「バカっ、そんなんで治らねえよ!傷は洗って薬を塗らきゃだめだ!」

「じゃあ早くやってよお」

 顔を上げさせたシンは目に涙を浮かべていた。

「ああー泣くなバカ……」

 神秘的な一面を見せたかと思ったら、子供のように駄々をこねる。

 この小さな相棒は本当に、予想外のことしかしない。

「あんなケダモノいっぱいいるなんて思わなくて……!なのに一人で残るなんてぇ」

 ぐすぐすと半べそをかきはじめたシンを、仕方なくアロウは左腕で引き寄せる。

「あれくらい何とでもなる。このケガは……なんていうか、ちょっと油断したんだ」

「……ウソでしょ」

「ぐっ」

 じとっと星色の瞳に見つめられて、アロウは息を詰まらせる。

 シンにごまかしは効かない。何故かはわからないが。

 ただ、どんなウソかまではわからないらしい。

 わざと噛ませた、なんてバレたら一体どんな悪口雑言を浴びせられるか。

「……いいよ、べつに」

 ふいとシンは視線を外した。

「ちゃんと手当てしたら」

「わかってるよ。けど舐めちゃだめだ」

「ほんとに治るのに」

「はいはい」

 不安と疲労で限界だったのだろう、シンはぐずぐずと不満を述べる。

「アロウのポンコツ」

「そうか」

「へたくそ」

「ちゃんと全部命中させたんだけどな。そんなに信用ないか」

 シンたちを逃がすために自分の血を餌に獣を引き寄せたのと、逃がさず仕留めるために大技を使った……のは、確かにリスクが大きかった。バレたら怒るだろうから黙っておくけれど。

 シンはちょっと黙る。

 これもバレているだろうか?

「……アロウ」

「ん?」

「約束……守ってくれてありがとう」

 シンの胸元でペンダントが揺れる。

 本当の髪色と同じ、銀の板。

「ああ」

 アロウはそっと約束を反芻する。

("知識と技術を継承し、独り立ちまでの守護を与えることを誓う"――この身が魔力に焼き尽される、その時までは)

 痛みとともに右手を握りしめる。

 ふと空を見上げると、一番星が夕闇の迫る空に光り始めていた。

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