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30.雲上の花嫁




純白の衣装は裾に向けて桃色から紫色へと移り変わり、動くたびに優雅に泳ぐ金魚のようにひらりひらりと揺れ動く。

帯にはアズハルの瞳の色で竜胆に似せた花の刺繍を施してもらった。

それを見たアズハルがこの上ない喜びを滲ませたから、イリリアも心からの笑みを浮かべる。


同じく白を基調としたアズハルの衣装にも、帯や羽織の刺繍として薄紫や菫色、濃紺色が取り入れられており、華やかながらも全体的に落ち着いた雰囲気だ。




胸の花が散って、また咲き開いてから

早くも三ヶ月が過ぎようとしていた。

初冬に予定されていた婚礼の儀式は、お正月を挟んで新年の賑わいも落ち着いた令月の頃。

日取りは随分と伸びてしまったけれど、襲撃という厄を新年を寿ぐことで打ち祓い、儀式に災いを持ち込まないようにという陛下からの取り計らいだ。

月の暦や星の配置を読み解く星読みの人たちからも「二月の満月の夜の天相は問題なく、良き日になるでしょう」と太鼓判をもらえたことでアズハルもホッと胸を撫でていた。




儀式当日、離宮で下地を整えておき、夕方迎えに来てくれたウェンさんの竜車に乗って王宮へ向かった。


男女で分かれた控室にて十全に身支度を整え、わざわざ部屋まで迎えに来てくれたアズハルの手を取る。

抱えて行ってもいいか?と聞かれたため、いつも通りに頷いた。

ラウダはせっかくの婚礼衣装が乱れるのではないかとハラハラしていたけど、アズハルの花嫁運搬力の高さを信頼して身を委ねることにした。



花が咲き直してからは体調を崩すことが減り、散歩の時間も長く取れるようになった。

まるで竜胆の花を取り込んだ後のように、天上でも息切れなく歩けるようになったことで、アズハルは涙を浮かべるほどに喜んでくれた。

ただ、元気になったのは嬉しいが抱っこの機会が減ってしまったな…と少ししょんぼりしていたから、時々こうして自発的にナマケモノになってみる。決して王宮が広すぎて歩くのが面倒だなと思っているわけじゃない。



儀式会場は王宮内の最奥に作られた庭園のような場所で、厳重に閉ざされた扉を潜れるのは白き髪を持つ王族と、儀式に参加する者だけ。

護衛も侍女も、同伴は許されない。



会場には既に見届け人である陛下の妹君のリューダ様が到着していた。

本来はサーリヤ様が来られるはずだったけれど、北の一派が謀反を企てたことへの責任を取るかたちで今回の儀式への参加は見送られることになった。


リューダ様への挨拶を終え、再び抱き抱えられて儀式中の立ち位置などを確認していると、王太子殿下がご子息を伴って入場された。

白い髪を持つ王族がこうして一堂に会すとさすがの迫力だ。



「花嫁はどうした。怪我でもしているのか」


「いえ、抱えているのは個人的な趣味です」


「どれだけ甘やかす気だ…」と抱えられている側のイリリアへ苦情が向けられたのは、こうして抱っこされている事がアズハルを甘やかす行為だと知られているからだろう。



「ファティナに余計な入れ知恵をしてくれたようだな」


「お茶席でご相談を受けて、私ならこうしますという例え話をした記憶はありますが…」


行動を起こしたのは全てファティナの独断だ。

何かあったのですか?と首を傾げれば、殿下は嫌そうに眉を顰めただけだった。

この話を掘り下げれば、自分がファティナからどのような態度を取られたか暴露しなくてはならなくなる。矜持の高い殿下にとっては避けたいところだろう。

イリリアがファティナから受けた相談は、王太子殿下が渋っているせいで息子のアクルが儀式に参加出来ないかもしれない…ということだった。

夫婦間の問題であるし、イリリアの立場で王太子殿下に意見することは難しいため、ひとまず星花印を活用した交渉術をファティナに伝えておいたのだが。

斜め後ろに若い白髪の青年が立って居るという事は、殿下はファティナに説得された…あるいは駆け引きで負けたという事だ。


殿下は標的をアズハルに変えて「お前はそれでいいのか」「王族の矜持はどうした」と言っているが、花嫁の主張に屈することはアズハルにとって大した問題ではない。それよりも拗ねた花嫁から共寝を断られ花印を遠ざけられるほうがよほどの痛手だ。


意見が食い違っているのならお互いが納得するまで話し合えばいいじゃない…なスタンスの弟夫婦にはこれ以上何を言っても無駄だと判断したのか、抱えているイリリアを降ろすよう指示したあと、王太子は後ろに控えていた青年を紹介してくれた。


先日サーリヤから送られてきた準隊士のシナンと同じ年頃だろうか。白い髪を高い位置で結わえた青年は、まだ何にも染まらない聡明そうな顔立ちをしている。


「息子のアクルだ。今日の儀式に同席させる」


「叔父上、ご結婚おめでとうございます。本日は見学の許可をくださり深く感謝致します」


アズハルを見下すようなこともなく、丁寧に頭を下げてくれた青年にアズハルは「久しいな」と表情を和らげた。

ファティナと同様、花を持たない不安定さを理由に、これまであまり会う事はなかったと聞いている。



「我が花嫁のイリリアだ。種族は人間だが、穏やかな気質で優しい女性だ」


「初めましてイリリアと申します。異種族のため不手際もあるかもしれませんが、本日はよろしくお願いします」

 


アズハルに腰を抱かれたまま挨拶をすれば、アクルはこちらの目を見て慎重に頷いてくれる。

どこか不安そうなアクルの表情にアズハルが苦笑しながら「儀式は色々な事が起きるものだから、心配せず安全な場所から見守っているといい」と告げる。

殿下はアクルに先に見届け人席へ行くよう促すと、会場内を横断するように流れる川をちらりと見て、思い切り顔を顰めた。


「何が心配せず見守っていろだ……御川の水量が増え過ぎていると下流から懸念の声が上がっている。慶事なのか凶事なのかと憶測が飛び交い、騒ぎになっているようだ」


「どちらかといえば慶事でしょう。我々の婚礼を祝して増水したとしか思えませんので」


「お祝いの気持ちが溢れ出てしまったのでしょうね…。凶事であればカラカラに干上がる筈ですもの」


「………。まあいい、そういう事にしておこう」


しれっと答えるアズハルとイリリアに肩を竦め、アクルの元へ去って行く。

去り際に「良い月夜だ」と言い残したのが、アクラムなりの祝いの言葉だったのかもしれない。

驚いたような顔をしているアズハルと暫し見つめ合ってから、バッと両手を挙げる。アズハルはほぼ反射的にイリリアの脇に手を添えて持ち上げると、先ほどまでのようにお姫様抱っこ仕様で優しく抱えてくれた。



大事に抱っこされたまま、絶賛増水中の川縁(かわべり)へと近づく。

膝下どころか太ももまで水で沈んでしまいそうなほどに水嵩は増しており、水の勢いもうねるように激しく流れている。

先程挨拶したリューダも、以前見た時はもっと穏やかな水流だったと困惑していたが、アズハルとイリリアは笑って誤魔化しておいた。



「大雨のあとに増水した川みたい………」


「私が迎えに行くまで川に近づきすぎないようにな」


「一方的に対岸へ迎えに行くのは、儀式のお作法としては大丈夫なのですか?」


「私の歩く速さが速すぎて先に対岸へ着いてしまうのだから仕方がない。抱えてはいけないとも記されていないしな。念のため遡上中は足先だけは浸けていてもらうが、私がそちらの川岸に着くまでは出来るだけ水辺から離れていてくれ」


儀式に対して慎重な姿勢のアズハルにしっかり頷いておく。



竜血樹を使ったあとに見た『夢』の内容の一部はアズハルにも話してある。

初代竜帝と思える存在によって花を蹂躙され散らされたこと、そして以前の人間の花嫁もまた、その怨みに触れてじわじわと心を壊していったこと。


まさか初代竜帝の残留思念のようなものが竜血樹の樹液に溶け込んでいるとは思いもしなかっただろう。そしてその思念が人間や異種族の花へ、滲み入るように悪意を齎しているということにアズハルは大きな衝撃を受けていた。


ただ、初代竜帝と竜王とのあいだに起きた出来事や、竜人と異種族…それぞれの花が担う役割の事は、陛下にのみ報告した。

陛下は花の役割や竜血樹に宿る残留思念こそ知らなかったが、初代竜帝と竜王のことは、代々竜帝となった者だけが知ることを許された秘事だな…と苦笑し、イリリアの見たものは間違いなく過去の記憶だろうと告げた。


『だが、我らに伝わる内容はそれほどに凄惨で悲しいものではなかった……恐らく、イリリアの見たものこそが真実なのだろう』


そしてナスリーンがアズハルを身籠るきっかけになった授与の際に、通常よりも多くの竜血樹の樹液が使用されていたことや、今回の襲撃の後、うわごとのように『人間には裁きを』と呟いていたこともイリリアにだけ教えてくれた。

憶測でしかないが、これまで慎重に動いていたナスリーンが急に王宮に侵入するという強硬手段に出たのは、かつてその身に取り込んだ樹液を介して何らかの精神干渉を受けたのではないか…というのが陛下の見立てだった。


『そこまでして人間を排除したかったのだろうか……それとも、アズハルの生まれた経緯がやはり、天命に背いたものだったゆえか』


『赤い目の竜はアズハル様のことを、愚かしいほどに弱く哀れな竜だと言っていました。憐れむ眼差しはあれど、その怨みはすべて私に向いていたように思います』


『そうか……身勝手ではあるが、我が子が先祖に怨まれているわけではないと知れて安心した』


薄く笑った陛下は、父親の顔をしていたのだと思う。

親の愛を知らないイリリアにはわからないが、ルトフが家族にむける眼差しに良く似ていた。


どのような経緯で生まれて、どのような思惑のもとで生かされていたのだとしても、イリリアにとってアズハルは無くてはならない存在だ。

北の一族が粛清の対象となったと聞いた時にイリリアの頭に過ったのは、アズハルも連座で何らかの罰を受ける可能性。

けれども陛下は『花を喪うという恐怖に晒されること以上に重い苦しみはない』と、アズハルに懲罰は与えないと宣言してくれた。


『霊峰に来てから散々な目に遭っているようだが、其方は我等に思うところはないのか?』


『初代竜帝やナスリーンという女性に対しては文句がいっぱいありますが……アズハル様の事は変わらず大好きです。お義父さまにはこれからも、アズハル様の事を温かく見守っていて欲しいと思っています』


『竜帝たる余を義父と呼べるのも、異種族の花ゆえの特権よな…。あのような苦難に見舞われてもなお、アズハルに変わらずの愛情を注ぐというのならば、改めて、婚礼の儀式の日取りを決めようか』



そうして提示された日取りは新年を迎えた翌月の満月の日。


今日この日の訪れを、どれだけ待ち望んだことか。


儀式会場からは、中天に浮かぶ丸い月が綺麗に見えている。



「……思ったよりも水の勢いが強いな。水源である湖の方も見ておくか」


「どう考えても邪魔されていますね」


「竜は思った以上に怨み深いのだな」


「個人差もあると思いますけど………まあ。綺麗な湖」


「奥の浮島にあるのが竜血樹だ」


「禍々しいですねぇ」


「本来は神聖な佇まいなのだが…」



湖から始まる川の勢いは激しいにも関わらず、水源である湖は不思議と凪いでいる。

波紋ひとつない静寂な湖の奥にある浮島……そこに佇む木は枝葉を大きく広げており、月光に照らされて陰影を強める姿は恐ろしくもある。


イリリアはアズハルに抱えられたままその木を暫く見つめた。

何もいないはずの木の根元には初代竜帝である白き竜が佇むようで、狂気に満ちた赤い瞳が予断なくこちらを見据えているようにも思える。



(貴方がどれだけ睨もうと……)


死者と生者のあいだには超えられない境界がある。

白き髪を持つ竜帝の子孫が集うこの場で、たったひとりの人間を排除するために悪足掻きするのはみっともないわよと心で語りかける。

ザワリ…と葉が揺れた気がしたけれど、そんな事で今更怯えたりはしない。



竜帝陛下が到着なさった旨が告げられたため、川縁から離れたところで下ろしてもらい、手を繋いだまま見届け人の並ぶ席へと向かう。


繋がれた手を見てちょっと呆れた目をした陛下は、すぐに表情を整え、厳かに『誓いの儀』の始まりを告げた。

アズハルとイリリアは一礼をして所定の位置につく。



川のこちら側にイリリアが立ち、川の向こう側にアズハルが立つ。



川縁に近づきすぎないよう気をつけて立つイリリアの向かいで、アズハルは丸く輝く月を見上げたあと、流れの強い川に躊躇いなく足をつけた。

背の高いアズハルでさえ膝元まで水につかり、一歩進むごとに水飛沫が立つ。豪奢な儀式衣装は水を含んで重そうだが、その足取りに不安定さはない。


本来であれば双方が歩み寄って川の真ん中で合流するのだが、アズハルはザブザブと流れを掻き分けてイリリアの待つ対岸まで真っ直ぐに歩いてきた。

立ち止まり、受け入れるように両手を広げてくれたのを見て、イリリアは慎重に歩を進める。

そして一度だけちょんと足先を川の表面に浸けたあと、ぴょんとアズハルの胸へ飛び込んだ。


ぎゅっと抱き留めてくれたアズハルは、イリリアが水浸しにならないよう気を付けながら、抱えたまま湖へ向かって川を遡る。


水に浸かった足先がひやりと冷たい。

寒くないですか?とこっそり聞けば、大丈夫だと優しく微笑まれる。

完全に呆れ返っているであろう見届け人席の方は極力見ないようにして、アズハルの首に腕を絡め、その端正な顔に思いを寄せる。


月光に照らされたその横顔に堪らず「好き」と呟けば、「急にどうした?」と苦笑された。

眉は困ったように下げられているが、その眼差しはどこまでも優しく、甘い。


「もうすぐ湖に入る」と囁かれると同時に、ザブザブと水を掻き分ける音が止み、急に静寂の中に放り出されたような錯覚を得る。


静かな足取りで湖の真ん中に立ったアズハルは、慎重な仕草でイリリアを下ろした。

ひやりと冷たい感覚はあるものの、足が凍るほどではない。

腰元まで満ちた水面はどこまでも静かなのに、胸はざわめき、言葉に尽くせぬ様々な感情が湧き上がってくる。

胸に満ちる想いと共に、イリリアの身体に咲いた花がじわりと熱を帯びた。



「……何があるかわからないから手を離さないでおこう」


どこまでも慎重なアズハルに、イリリアはそっと微笑みかけた。


「大丈夫ですよ。きっとここでは、私の方が優勢です」



首を傾げるアズハルは、イリリアの後ろを見て小さく息を呑んだ。

濡れて透けた背中の花が水面に映り込み、月光を受けてキラキラと煌めいている。


まるで湖に花が咲いたかのような光景に堪らず「綺麗だ…」と囁いたアズハルは、イリリアの腰を引き寄せると胸元の衣装を指先でずらし、そこから覗く花印にゆっくりと口付けた。


三つ並ぶ花のうち、最初に浮かんだ真ん中の花に、そっと唇が触れる。

甘い痺れが胸に広がって、イリリアは熱っぽいため息を吐いた。


それから視線を絡めて見つめ合い、呼吸が混ざるほどの距離で、誓いの言葉を宣誓する。



「誓う。命も、祈りも、運命も……全てをイリリアと分かち合うと」


「誓います。いつか訪れる最期の時までアズハル様と共に生きることを」



吸い寄せられるようにお互いの唇を触れさせる。

もう離したくないと思うくらいに長い時間をかけて温度と心を伝え合ってから、そっと離す。


どこからか風が吹いて、水面がわずかに揺れた。


見届け人席からは、映り込んだ花の色が一層に濃くなり、水面を走る風と共に紫の花が湖一面に咲き誇ったかのように見えた。



イリリアは再びアズハルの首元に腕を回し、抱き上げられたまま川を下る。

流れるような足取りで元の位置へ帰ってきたアズハルがイリリアを川岸へ下ろした瞬間、とぷりと水が逆巻き、足に絡みついた気がした。



「え!?」



ドボン、と水飛沫の音がする。


視界は一瞬で奪われ、自分が水流に拐われたのだと自覚したときにはもう、激流のなかに沈んだあとだった。


驚きすぎて水を飲んでしまいそうな口元を慌てて押さえていると、激しくうねる水のなか、こちらへ迫り来る白い竜の影がちらりと見えた。


心臓がドキリと跳ねる。


けれども、その竜を恐ろしいとは思わなかった。

イリリアに向かってまっすぐに泳いでくる白い竜の瞳は、夜空のような美しい紺色だったから。



(綺麗……)


水面から差し込む月光が鱗に反射してキラキラと光る。

奇跡のような邂逅に、自分の状況も忘れてただただ魅入ってしまった。



目前に迫った竜へ、抱きつくように両手を伸ばす。


竜の腕がイリリアの背中に回った途端、ぐんと強い力で引き上げられた。

大滝雲を遡った時の感覚を思い出しながら、顔が水から出るなり酸素を求めて大きく息を吸う。


「っぷは!……ぇほっ、げほ」


「イリリア、大丈夫か!?」


すでに人型に戻ったアズハルはイリリアがこれ以上水に流されないよう強く抱き締めながら、息が整うまで背中をさすってくれる。



「っ、……あのふざけた木をへし折りたい……」


「竜人族にとっては重要な木だから折らないでくれると助かる…」



稀にないイリリアの怒りの滲んだ呟きに、背中をさする手には一層労りが籠る。

だが、アズハルとしても儀式をこのように妨害されるのは遺憾だったのか、瞳の奥には静かな怒りが揺らいでいる気がした。


誰かの怒りに触れると、不思議と自分の憤りは落ち着くもので。


アズハルがザブザブと川を横切って水から上がったのを確かめてから、背伸びをしてその唇に自分の唇をむちゅっと重ねた。

まさか今キスをされるとは思わなかったのだろう。アズハルは物凄く驚いた顔をしたものの、すぐに、仕方ないなぁというように眉を下げて苦笑する。

「どうした?」と優しく聞いてくれるところがまた愛おしい。


「せっかくの儀式を邪魔されて怒ってるように見えたので」


「ん?怒っているのはイリリアじゃないのか?私もまあ…このような横槍を入れられて決して愉快な心地ではないが」


「川に流されて怒り半分悔しさ半分なので、ここぞとばかりにキスしておきます。周りには誰も居なさそうですし…」


もう一度伸びをして唇を重ねてから、周囲を見回す。

川岸には岩や砂利以外に何もなく、ただ広い空間が広がるばかり。



「ここは王宮の外ですか?」


「いや……儀式会場からは出たが、ここは………」



アズハルは確かめるように首を巡らせると、奥まった場所を指差した。

そこには、純白の大きな花の蕾が、頭を垂れるようにして佇んでいた。


「大きな花……」


「以前伝えた、花蜜の取れる花だ。ここは……初代竜帝の妻君の陵墓にあたる」



アズハルの言葉に、イリリアの脳裏には初代竜帝の悲しい過去が甦る。

陛下からも、見聞きした真実は生涯秘匿せよと告げられた。

けれども、ひとり気高く……そして悲しく佇む白い花を見て、閉ざしていた口を開かずにはいられなかった。



「竜帝ではなく………」


「ん?」


「竜王の妻として、竜帝を支えた方です。竜帝の奥様は……滝雲の下に眠っていらっしゃいますから」


「……そう、なのか………?」


アズハルは困惑しているようだったが、まるでイリリアの言葉を肯定するかのように、ゆっくりと垂れていた蕾が花開いた。

月の光を受けて幽玄に咲く花に、暫くのあいだ、言葉もなく魅入る。




「くしゅん、」


「戻ろう。儀式自体は済んでいるから、陛下に報告したら終わりだ」


「ここのお花の蜜を頂くのは、許可が必要ですか?」


「いや、ここは訪れた時に花が開いていれば採取して構わないが……」



その先を言い淀んだのは、ここが先代竜帝に連なる人の陵墓だからだろう。

竜血樹の樹液のように、白い花の花蜜にも何か思念のようなものが溶け込んでいたら……と、口には出来ないものの懸念の表情を浮かべるアズハルに、イリリアは大丈夫と答えた。


根拠はないけれど、彼女はきっと、自分の子孫すべての幸福を願っている。

愛する人と引き裂かれた悲劇を繰り返さないように、彼女は花として開き、幸福となる蜜を与え、竜人族の行く末を見守っているのだろう。


今後ふたり揃って王宮を訪れる機会は多くない。せっかくこうして花が開くところに立ち会えたのだから…と説得し、心配そうなアズハルの手を引いて花の元へ行く。


銀白に輝く白い花からは甘い芳香が漂う。

雄しべである花糸を一本取ってその根元を吸うと蜜の味がするのだと教えてもらい、花の前にふたりでしゃがみ込んだ。



「御前を失礼致します……私はイリリアと申します。胸に竜胆の花印を持つ人間です。今夜、竜人族の王子であるアズハル様との婚礼の儀式を執り行っています。これからふたりでたくさん幸せになろうと思います」



ご挨拶を済ませ、花糸を一本取る。


アズハルの口元へ差し出せば、まるで口付けるようにその根元へ唇を寄せ、小さく吸う。「甘いな…」と呟いたアズハルは、花糸を受け取るとイリリアの口元へ差し出した。

アズハルを倣って、細い花糸の根元をそっと吸い上げる。

清涼な甘さが広がって、花印がじわりと熱を帯びる。



「アズハル様のしたかった事が、またひとつ叶いましたね」


「ああ……とても幸せな心地だ」


ふたりで見つめ合って、どちらからともなく唇を寄せる。


蜜を吸い終えた花糸を川に流して供養すると、あれだけ囂々と荒れ狂っていた川の流れが不思議と落ち着き始めた。

まるで荒ぶる竜が、白い花に諌められたかのようだ。



もう一度くしゃみが出たため、ひとまず絞れるところの水気を絞っておく。アズハルが慌てて自分の打掛を絞って肩に掛けてくれたが、お互い全身が濡れているためあまり意味はない。むしろ水を吸った男性用の儀式衣装はずしりと重く、重さで動けなくなってしまったイリリアをアズハルが抱えて部屋を出た。


アズハルが記憶を辿りながら王宮の廊下を進もうとしたところで、曲がり角からとある人物が姿を現した。

白い髪を編み上げ、隊士のように腰に剣を下げた姿は凛々しいばかり。

その人物はこちらに気づくと、肩に掛けていたマントを躊躇なく投げ渡してくれた。



「ずぶ濡れだな。これで花を隠せ」


「姉上!?」



お義姉さま、と呼びかけたかったが、王宮であることを踏まえて口を手で押さえる。

代わりに男装の麗人のようなサーリヤの姿を目に焼き付けた。

アズハルからの胡乱な眼差しを受けつつ、掛けてもらったマントをいそいそと胸元まで引き上げる。



「どうしてこちらに?儀式には参加なさらないはずでは」


「陛下に願い出て特別警備として儀式会場周辺を見張っていた。お前たちを執拗に狙う女がひとり、所在不明のままだったからな……案の定、悪巧みをしていたから捕まえておいたぞ」


縄で腕を縛られて連れられているのは、かつてイリリアの侍女として紹介されたハイファだった。

彼女はイリリアを見るなり憎悪の籠った眼差しになったが、アズハルの表情の冷たさを知ると、怯えたようにさっと目を逸らした。


サーリヤはそんなアズハルを眺めながら「お前もようやくそのような顔が出来るようになったのだな」と満足そうに頷く。



「その手で雲下に投げ落とすか?」


「いえ………私が直接手を下す価値はないかと。これから離宮に戻り、花嫁との初夜(はつよ)が控えていますので。愚者に与える慈悲はなく、愛しい者にこそ存分に時間をかけたい」



ここまでバッサリと切り捨てられるとは思わなかったのか、ハイファは驚愕の表情を浮かべたあと、絶望と悲嘆のない混ぜになった顔で「アズハル様…どうしてですか…!」と悲鳴のような声で叫んだ。


その声に被さるように廊下の奥から「アズハル様!」と聞き慣れた声と足音がする。

駆けつけてくれたのは近衛のドルバと、控室で待ってくれているはずのラウダだ。どうやら、儀式の最後でふたりが激流に呑まれたと聞いて、必死で川の道筋を辿りながら探してくれていたらしい。


彼らはサーリヤに一礼し、その向こうにハイファが捕えられていることに眉を顰めた。


「儀式の妨害を企んでいたそうだ。ドルバ、その女の処分を見届けるように」


「は!サーリヤ様、同行をお許しいただけますか」


「許そう。処罰の権限は陛下により委任されている。主人に代わり、よくよく見届けろ」


「は!」


深々と頭を下げたドルバの横から一歩進み出たのはラウダだ。


「サーリヤ様、御前にてお目汚し失礼いたします」と微笑んで断りをいれると、振り上げた右手でハイファの横顔を思いっきり打った。

パァン!という強い音と共に、ハイファが頬を押さえて倒れ込む。


そんなハイファにはもはや一瞥もくれずに、ラウダはサーリヤに対し深々とお辞儀をし、大事に抱えていた毛布をイリリアのお腹にかけてくれた。


サーリヤはラウダの振る舞いに気分を害するどころか愉快そうに笑うと、「ほら、いつまでも陛下をお待たせせず早く戻れ」と長い脚でアズハルの横脛のあたりを軽く蹴った。



「痛……そうやってすぐ足が出るんですから」


「はは、お前など足で十分だ。……アズハル、イリリア、良き夜だな。幸せになれ」


「「ありがとうございます」」



こちらですよとラウダの先導を受けて、儀式会場へと急ぐ。

途中で同じように王宮内を探してくれていたカイスやハルクとも合流し、儀式会場にあたる王宮の端まで足早に進む。

水浸しになった王子の姿にぎょっとした視線は向けられたものの、陛下の主導する儀式にわざわざ水を差す者はいない。


侍女が同行を許されるギリギリの場所まで随伴し、お寒いでしょうがこのまま先へお進みくださいと道を開けて脇に避けてくれたラウダの手を、そっと取る。

先ほどハイファを思いっきり叩いた手のひらは、少しだけ熱を持っている気がした。


「痛みはないですか?」


「勝手なことを致しました……ですが、あの女のせいでお花様が傷ついた過去は消えません。今度は未然に防がれたからといって、黙っておけるものですか」


「ありがとう、ラウダ」


怒ってくれてとても嬉しかったと言えば、ほっとした表情を浮かべてくれる。

そんなラウダをカイスに預け、警護役を引き継いでくれたサディオと共に儀式会場である王宮最奥部へと向かう。


そこでは扉前に立つシャイマが温かな白湯を用意しつつ、場を繋いでくれているところだった。こちらに気づくと「お戻りをお待ちしておりました」と、お腹に乗せられた毛布やマントを回収してくれる。

身軽にはなったものの、やはり濡れた服では少し肌寒い。


「立てるか?」


「はい」


透けた花印が隠れるように薄紫色のストールを羽織らせてもらい、アズハルに手を引かれて再び入場すると、見届け人席で待ってくれていた陛下が静かに立ち上がった。

御前で膝をついて、礼の姿勢をとる。


アズハルが儀式完了を告げ、イリリアは流された事に対する即興の誤魔化しを口にした。



「滞りなく儀式を果たしたことをここにお伝え申し上げます」


「御川のお導きにより、縁深き方の陵墓にご挨拶申し上げて参りました。皆様をお待たせ致しましたこと、深くお詫び申し上げます」


「……そうか、先祖の陵墓へ導かれたのであればやむを得まい。素晴らしい儀式であった。アズハル、イリリア、其方たちの縁が深く結ばれたことを喜ばしく思う」


「「ありがたきお言葉」」



深々と頭を下げれば、儀式は無事に終わりだ。


ゆっくりと顔を上げたところ、苦笑した陛下から、どうにか終わってよかったなと声を掛けてもらえる。

王太子殿下は「どれだけ人騒がせなんだ」と心底呆れ返っていたし、

リューダとアクルは置いてけぼりを食らったような様子だったが、何とか気を取り直して「おめでとう」と寿いでくれた。



本来は見届け人全員を見送ってからの退出となるが、ずぶ濡れのふたりを見兼ねた陛下が「先に退出して着替えなさい」と言ってくれた事で、ありがたく会場を後にする。



「っくしゅん!くしゅ、くしゅん!」


陛下たちの前ではどうにか我慢していたくしゃみが、儀式会場を出るなり三回ほど立て続けに飛び出した。

大慌てで抱え上げられて控え室に運び込まれ、全身を柔らかなタオルで拭いてもらいながら帰るための身支度を整える。


「今のところ熱は出ておりませんが、離宮へ戻ってからの儀式は続けられそうですか?」とルゥルゥから慎重に尋ねられたため、問題ないと頷いた。

御川での寒中水泳により皮膚の表面は冷えてしまったものの、花蜜を口にしてからというもの、身体の芯にぽわりと温かな熱が宿ったような心地があるのだ。



先に着替えを終えて待ってくれていたアズハルと共に竜車に乗り込み、住み慣れた南の離宮へと帰る。

降りる際に車牽きのウェンさんからも改めてお祝いの言葉をもらい、『目迎えの儀』にて改めて王子の花嫁として離宮へ迎え入れられると、警備についていた隊士たちからも口々に寿ぎの言葉を貰った。


気恥ずかしくなってアズハルを見上げたら、満ちた月を背に、とても優しい眼差しが向けられた。


白い髪に月の光があたって透けるように美しく、夜空と瞳の色が調和する。

あんなにも惨めな人生を送っていた自分が、これほどまでに美しい男性と、名実共に夫婦になったのだと思えば感慨深い。



背伸びをして、その耳元に「あのね」と囁きかけた。


「王宮では内緒にしていたんですけど…」


「ん?」


「増えました」



アズハルだけに見えるよう、外套で隠しながらチラリと胸元を捲る。

そこには、一番大きな花を真ん中に、大小五つの竜胆が美しく咲き並んでいた。



花が三つから五つへ増えたことが信じられなかったのか、アズハルは目を大きく見開いて花印とイリリアの顔を何度も何度も見比べ、やがてようやく理解が追いついた頃に、まるで星が輝くように破顔した。


笑顔のままぎゅっと抱きしめられたため、ぎゅうっと抱き返す。



「こんなに幸せなことがあるだろうか」


「まだまだ…いっぱい幸せになりましょうね」


「ああ………ふたりで幸せを紡ごう」



末永く、手を取り合って。




月に照らされた雲上の異郷で、未来を思って深く息を吸う。


澄明な空気のなかに、わずかに花の香りが混じった。









終幕です。

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