ヒューゴ先輩の正体①
講義を受ける気にならず、私はサボって庭園に来ていた。気温も暖かくなってきたので羽織っていたマントも脱いだ。
昨日バラ園だったその場所は、半分ほどのバラが撤去され、リズ様が育てていた植物が居心地良さげに顔を出している。抜かれてしまった花や植物も、可能な限りのプロンツ姉弟の処置により元気になったのだろう。
その優しい空間にほっこりとした。こんな状態でも、心が落ち着くような……リズ様の作る植物が早速私の心に安らぎを与えてくれている。
「……、セリンセ譲」
「?」
庭園の中のベンチにのんびり座っていると、後ろから声をかけられた。そこにはニック様がいて、土だらけの手と顔で私に一礼をする。
「勝手に入ってしまってすみません…!作業されていたのですね」
「いいんです!そのまま、座ってて!あなたには何度礼をしても足りませんので……それに、ここは安らぎの場として作ったのですから」
人差し指で軽くメガネをクイっと直すと、ニック様は穏やかに笑う。まるで私が気を落としていることに気づいているみたいだった。
彼は軍手を取り、ベンチの前にある花壇縁の煉瓦に腰掛けた。
「あの、無くなった分のバラ達はどこへ?」
「町の花屋用に持って行ったり、残ったものはリズ姉がスワッグにするそうです」
「スワッグですか……!それは素敵ですね」
捨てずに別の場所で生かそうとするところが、なんとも植物愛好家のプロンツ家らしいわ……
「もしよろしければ一つ貰っていただけませんか?完成に時間がかかるかもしれませんが、リズ姉があなたにも渡したいと言っていたので」
「いいんですか……?」
「もちろんです!まあ、僕が作るわけじゃないですけどね?」
「…リズ様のほうがセンスがありそうなので、そのほうがいいかもです」
「っ!ひどい…!」
「ふふっ、冗談ですよ」
あまりにショックを受けたかのようなナイスリアクションをしてくれるニック様に、思わず笑みが溢れる。後ろからガーーン……という効果音までついてきそうな表情だった。
「……かわいい」
「え……?」
「あ、あっ、今のは違くて……!いやあなたに言ったので違くないんですけど!ええっと……」
突然困惑したようにアワアワし、土だらけの顔を真っ赤にするニック様。
その姿を見て、ピピが桃のほっぺなら、彼はトマトみたいだと思った。
どう見てもかわいいのはニック様のほうだと思うけど……
「今のは気にしないで下さいっ」
「はい」
「と、ところでずっと気になっていたんだけど……」
ゴホン、と気を取り直したように咳払いをして彼の視線は私の首元へ移る。
「そのネクタイは」
「あ〜〜いたいた…!セリンセちゃん」
「……えっ、と?」
「ヒューゴ先輩……」
ニック様の言葉の続きを遮ったのは、学園のほうから現れたヒューゴ先輩だった。
そういえば、ピピノアがオスカル達の護衛をするならヒューゴ先輩が付き人をやる必要はなくなる。先輩は晴れて自由の身というわけだ。
……なんて、考えるのも失礼ね。彼は何も悪くないし、むしろ私が転生したせいで巻き込んでしまったようなものなのに。
「あれ、まさかセリンセちゃん、別の男と密会してた…⁉︎ノ、ノアくんにバレたら殺されるよ?そこの君!」
「殺されません…!」
何を言うかと思えば……ヒューゴ先輩は大袈裟なんだよね。
「セリンセちゃんは知らないだけだ。ノアくんの腹黒さを…!あの子だけは敵に回しちゃいけないって僕の勘がそう言ってるのさ」
そう言ってわざとらしくブルブルっと体を震わせるので、私は心の中で溜息をついた。
「僕は作業に戻ります。どうぞゆっくりしてって下さい」
「あ、どうもありがとう」
なぜかヒューゴ先輩が返事して、ニック様は苦笑いを浮かべながら修繕途中の作業に戻る。気を遣ってくれたのだろうけど、話を遮ってしまったことに申し訳なさが残った。
ネクタイがどうかしたのかな……?
「それで、ヒューゴ先輩は私になんの用だったんですか?」
既に隣に腰かける彼もまた一瞬だけ私のつけていたネクタイに視線を流した。
「セリンセちゃんのことを探してたんだよ。ノアくんに頼まれてね」
「……⁉︎ノアに……?」
ノアの名前に、一段とわかりやすく反応してしまった。
ピピとノアがそばにいないと考えるだけで抜け殻のようになる私は、本当に推しに生かされている。遠くから見守るだけではなく、深く濃く関わってきたからこそ離れた時の喪失感はでかかった。
「いつ、いつです……⁉︎」
「今朝。大雑把に話は聞いた。それで自分の代わりにセリンセちゃんのことを頼むって」
「っ…!本当に……?」
今朝ということは……私とアレクがオスカルに宣言されていた、つい先程のことだ。
私のことを頼むって、どういうこと?……ノア、一体何を考えているの……?
「他にはっ、他には何か言ってませんでしたか⁉︎」
「う〜ん。何かやりたいことがあるみたいだよ」
「やりたいこと……」
「それと、必ず戻るって。セリンセちゃんのところに」
「……っ…!」
──『必ずあなたのところに戻ります。そう伝えて下さい』
私は無意識にネクタイを触っていた。ポッカリと穴が空いたような気持ちが、たったその一言で満たされていく。なぜだろう。その言葉通りになるような気がしたのだ。さっきオスカルから聞いた言葉よりも、自分に都合のいいほうを信じている。
「その感じなら、もう平気かな」
「え……」
「セリンセちゃん、いつもより元気なかったからさ」
「……よく、わかりましたね?……こんな無愛想で感情のわかりにくい顔なのに」
「ぶはっ、それ自分で言うんだ?まあ確かに、セリンセちゃんは表情から感情がわかりづらいところあるけど、纏ってるオーラみたいなものがあるから。僕そういうの感じやすい体質なんだよね」
「へえ、!オーラですか……」
「オーラって言ってももちろん全ての人間から感じるわけじゃないし、全員が常にオーラを纏ってるわけじゃない。ただセリンセちゃんの場合は形も色も定まらない不思議なもので、僕は興味があったのさ。だからあの日意地悪しちゃったんだ」
私のような者にもオーラがあるのかと思うが、自分が転生者ということを考えると頷けるし、実際にマチルダの声が聞こえるというスピリチュアル的な要素も持っていた。
「あ。それじゃあもしかして、小さい頃に出会ったのがエルザ様だってわかったのは、その頃と同じオーラを感じ取ったから……?」
「そうそう!彼女のオーラも独特で、なんだか懐かしくて、陽だまりみたいに優しいオーラをしていた。今まで気づかなかったのは、彼女が本来の自分を閉じ込めていたからだよ」
そうだったんだ……。
まるですれ違っていたシンデレラと王子様がガラスの靴で結ばれるような……そんな素敵なおとぎ話のよう。
「エルザにも君達の話を聞いたんだ……僕と初めて会った時に話していたことは、彼女のことだったんだよね?」
「……はい」
「僕は君に感謝しなくてはいけない。エルザを闇の中から救い出してくれたのも、僕とエルザを繋いでくれたのも、全部セリンセちゃんだ。本当にありがとう」
「っ……」
ヒューゴ先輩に負の感情が大切な痛みだと話した時。それは無責任じゃないかと問われたこともあり、何を言われるのかと身構えていたら、思いがけず感謝され拍子抜けしてしまう。
それにさっきニック様にも似たようなことを言われたけど、こんな風に感謝をされるほどのことを私はしていない。
「いや、セリンセちゃんは違うか。痛みを認めようとする子だった」
「え……?」
「エルザを闇の中から救い出してくれたって言ったけど、ちょっと違うよね。正しくは、エルザの闇も全て受け入れて救った、のほうが合ってる」
「…っ!」
「やっぱり君はこの世界にいなくてはいけない存在だった」
ヒューゴ先輩は満足げに微笑むが、そんな凄いことを私が本当にできたというのだろうか。与えてもらってばかりいる私に……──
「セリンセちゃん、ついでに僕の話をしてもいいかい?」
「?……はい」
「実は僕さ、宮殿から離れた小さな塔で育った現在の皇帝の……いわゆる、隠し子なんだ」
「っ、か、隠し……⁉︎」
まさかの急な爆弾発言に、私の口は開いて塞がらなかった。
♢天の声♢
うえぇ〜〜!?そんな大物やったんかあんた……
※ちなみにスワッグとは…葉や花で作った壁飾りのこと。リースと同じように、壁やドアに飾るインテリアです。




