ノア⑤
ドクンッ、と心臓が音を立てた。まただ……
姉さんが誰かに笑いかけると、嫉妬で狂いそうになる──。
「は〜〜美味しかった〜…!他の生徒は敷地外には滅多に来ないだろうから、ここはサボりスポットにはピッタリね」
料理店で腹ごしらえをした姉さんは満足したのか、今度は紙に何かを書き始め、隣に座る兄さんにそれを渡した。
その仲の良さと距離の近さには慣れてるはずだったが、ムッとするのは否めない。なんせアレク兄さんは、彼女の魂が血の繋がりを求めるほどに推していたという人物だ。おまけに今の俺じゃあ兄さんに敵うところがなく。兄さんどころか、ヒューゴ先輩にだって敵わないだろう。
それに姉さんはお人好しの人たらしだから、自分が好かれてってることに全く気づいてない……一番敵わない相手は、姉さんだよ。
俺は小さく溜息をついていた。
「セリィ、何を書いたの?」
「ん〜?お楽しみに〜〜」
「……?」
ピピの質問にニコニコと楽しそうに返事をする。本当は手だってまだ痛いはずなのに、平然とした顔で俺達に心配かけないようにしていた。
一体、俺に何ができただろう……?
ルナシーに感染した生徒を戦士の力だけで助けられないのなら、なんのために力を授かったんだ?神は、悪を取り込んでしまった人間のことはどうでもいいのか?
「よし。じゃあそろそろ戻ろっか」
「えっ…!」
「ん?そんな驚いた顔して、どうしたの?ピピ」
「あ……いや、午後はずっと一緒にいるのかと思ってたから……」
「それは……アレクお兄様と?」
「……っ、⁉︎ち、違うわ!べ、別にそういうわけじゃなくって…!」
「うんうん」
「その、だって学園にいると黒髪が目立って、視線を浴びてしまうんだものっ!」
どこにいても黒髪が視線を浴びてしまうのは同じことだが、たぶんピピはそのことに気づいてない。誤魔化すことに必死で忘れてしまっているのだ。来る途中にいた町民には逃げられたし、この店の客もほとんどがいなくなった。どこにいたって俺達の存在が不気味に思われるのは変わらない。
案の定ピピの焦り顔を見て、目の前の二人の顔が笑顔になっていた。素直じゃないピピのことが可愛くて仕方ないのだろう。
「ピピ、そんなに俺といたかったのかぁ?」
「そんなわけ、!」
「ちょうどいいからセリィの提案を実行しよう」
「……てい、あん?」
「ふふ。アレクお兄様がもっともーっと、ピピのことを可愛くしてくれるわ!」
確かアレク兄さんは髪を切る技術もあると聞いていた。
あぁ。姉さんがさっき渡していた紙にはきっと……──
ピピはわかっていない様子だが、俺は何をしようとしているのか既に悟っていた。
♢ ♢ ♢
「ジャーンッ」
姉さんに案内されたのは、料理店の裏側から階段を登った先にある二階の広い部屋。ベッドから机、クローゼットなど、まるで誰かが住めるような作りになっている。
「秘密基地でーーす!実は内緒で作ってもらってたの。学園の敷地外にも休める場所があったらいいなって出来心でね」
俺は無意識に眉間に皺を寄せていた。
違う、姉さんが出来心で自分用の部屋を作るわけがない。
「お兄様、専用のハサミと櫛なんかは小物入れに入ってるみたい」
「えっ……まさか……!」
姉さんの言葉にピクッと反応するピピ。切られてしまった横髪を咄嗟に押さえている。兄さんに自分の髪の毛を切られることに気がついたんだろう。
「ピピ。今から俺に髪を切らせてくれ」
「い、嫌ですわ!……だって、セリィが誉めてくれた髪だもの!短くしたくない……!兄様だって……っ」
「次に帰るまでずっとそのままにしておくか?それとも永遠に?」
「……っ、……」
ピピは髪をほとんど切らずに伸ばし続け、今では腰までの長さがあった。ここまで黒髪を伸ばしたのは、誰かを陥れようだとか、怖がらせようとしたわけではない。綺麗だと喜んで触ってくれる人がいるからだ。俺達の欠点を真っ先に誉めてくれる人がいるからだ。
「ピピ、髪を切ると言ってもほんの少しイメチェンするだけで長さは変えないわ。それに、私がお兄様に頼んだの」
「セリィが……?」
姉さんはコクンとひとつ頷いた。
「さっきお兄様に渡した紙あったでしょう?私がピピに似合うと思う髪型を描いたの。決断するのはもちろんピピだけど、毎日切られた部分を気にしながら過ごすのはとても億劫だと思うから……」
「ピピがずっと大事に伸ばしてきたことは俺も知ってる。……だからこそ、俺に任せてくれないか?」
「……二人が、そう言うのであれば……けれど、可愛くしてくれないと許しませんからねっ!」
「ふっ、はは。了解」
照れ隠しのつもりか頬を染めながら強がるピピを見て、笑顔になるアレク兄さん。目を細めて笑う表情は姉さんにどことなく似ている。
そんな光景を見て「尊い……ヒィ〜〜……無理無理……あ〜〜たまらん……」と、姉さんは頭を抱えてるのに口元はニヤつきを隠せない様子だった。うん……幸せそうだ。
「それじゃあ私とノアは下でデザートでも食べて待ってるからね」
「えっ、⁉︎」
慌てるピピと準備を始めるアレク兄さんを残し、俺の腕は引っ張られるがまま二人で部屋から出る。
……が、そのまま店内に戻らないのがこのセリンセお嬢様である。部屋の外から聞き耳を立てていた。俺の予想通り、ピピと兄さんを二人きりにして関係が進展するのを見届けたいのだ。
また小さく溜息が出る。
別にいいんだけどな。俺だって二人には幸せになってほしいし……でも、それ以上に俺は……
「姉さん」
「ノア、静かにっ、今いいところなの」
姉さんは聞き耳どころか扉を少し開け、中を覗き始めている。
「……変態っぽいですよ」
「それでもいいわ。こんなチャンス二度とないんだから。今だけこの扉になりたい……」
妙なことまで言い出した。
「姉さん」
「なにっ」
彼女は小声で叫びながら俺のほうを振り向く。邪魔しないでほしい気持ちが顔に出ていた。
こんな風に今姉さんが幸せならそれでいい。けど、俺が思ってる以上にずっとひとりで戦っていたんだとしたら……胸が締め付けられて、たまらなくなるんだ……。
「この部屋作ったのって…、俺達が魅了された時のための保険だったんでしょ」
「……っ!」
「俺達が魅了されてしまえば、姉さんは学園を追い出されてしまうかもしれないから」
「……はぁ……ノアにはお見通しか〜……」
彼女は困ったように眉毛で山を作り、苦笑いを浮かべた。
姉さんはひとり孤独になる想像を何度もしたはずだ。俺だったら同じことができるだろうか。
彼女に見放される想像をしようとするだけで、恐怖でたまらなくなるというのに……
「ノアの言う通り。もしかしたら追放されることもあるかもしれないし、もしそうなった場合でもここを拠点に学園に潜入して、みんなの命だけは絶対に救おうと思ったの」
「……っ」
「推しの命を救うことは、私がこの世界に生まれた使命だからね」
「…………ほんっと…、どんだけですか……」
「ノア?」
悔しい……この人は、どれだけひとりで抱え込み、誰も傷つけまいと戦ってきたんだろう……
そうやって離れていくかもしれない俺達のそばに、いつもいてくれたんだ……初めて会った瞬間からずっとだ。こわいくらい愛されていることを実感する。
「限界……ギュッとさせて下さい」
「っ!な、なにをっ」
後ろから抱き締めると姉さんの体が硬直してしまう。この間のキスが効いたのか、姉さんは前より俺を男として意識してくれるようになった。頬を染める表情もたじろぐ瞳も、何もかもが愛おしい。
「無事かどうか確認するって約束しましたよね?」
「ま、待って、……今は……っ」
「いいですよ、二人のこと見てて」
放っておいたって二人は姉さんの言う推しカプになるのだから。
「しゅ、集中できない……」
俺にとって可愛くて仕方ないのは、セリンセお嬢様ただひとり。
あぁ。どうか俺に、あなたのことを守らせて下さい……──
♢天の声♢
はい〜〜!嘘をつきました〜〜!
ノアが隙あらばイチャるから天の声が嘘つきになっちゃったじゃないか!!
もうたぶんこれで最後でした!(フラグ)




