癒しの空間③
「それとエルザ様が豹変した原因なんだけど、ローズが関わっていたわ」
「……どういうことだ?」
アレクは訝しげに眉間に力を入れている。
私は小さく息を吐き、昨日エルザ様から伺ったことをそのままみんなに伝えた──。
「……つまり否定されて、黒い感情を生み出してしまったというわけだな?」
「魅了の力は強力よ。だから彼女が何かを否定すれば、言われた側は自分で全てを否定してしまう」
「厄介すぎるな……」
ボソッと呟いたアレクは頭を抱えた。
でも一つ疑問なのが、ローズが生まれた時から魅了の力を持っているのなら、今までにもルナシー感染者が出ていたはず。彼女の力が原因でルナシーが寄ってくるのだとすれば。
それなのに、ハレルヤ学園に入学してからルナシーが現れるのはどうしてだろう?そういうシナリオだと言われれば納得してしまえるのが乙女系ファンタジー漫画ってところだけど……
「でもこれからローズに関わる人間に注意していれば、豹変自体を最小限に防げるかもしれないわ」
私の中ではもっと短絡的で深い意味などなく豹変する生徒が現れるはずだったから、そういう生徒が現れた時は変身して戦うピピノアを、影で応援しながら推し活しようと思っていた。でもさっきアレクお兄様の言っていたことが事実だった場合、もし私が負の感情を元に戻すことができなければ、一度感染した生徒は意識を取り戻せない可能性も出てくるということになる。
それは恐ろしい……乙女系の漫画とは思えないくらい重い責任を抱えさせられている気分だわ。
「豹変した生徒に襲われる人間が危険というよりも、実は豹変した生徒本人が一番危険なのかも。ピピノアが戦士の力を授かったのは、ルナシーに感染した生徒のほうを救うためだったのかもしれない……」
「悪に心を支配された側の救済か。早くピピとノアが活躍するところを見たいと思っていたが、事情を知ると純粋に見届けることもできないな……」
「そうなの。全くもってそうよ。二人の戦闘衣装、まだお兄様見てないでしょう?見たらきっとお兄様鼻血出しちゃうわ……」
「そんなにか」
静かに聞いているピピとノアがどんな反応をしているかも気にせず、私とお兄様はピピノア大好き発言をしばらく繰り返していた。
♢ ♢ ♢
外も暗くなった頃、コンコン、とノックをすると「はい」と中から声が聞こえた。扉を開けた先にはノアの部屋がある。
「話があるの。アレクお兄様が言っていたことについて」
そう言うと、ノアは腕にマチルダを抱っこして現れた私に戸惑いつつも、部屋へ入れてくれた。ノアの部屋は簡素で飾りも置き物もほとんどない。私達の写真が飾られているくらいだ。
「イス座っててください。お茶入れますんで」
「あ、ありがとう。突然来てごめんね」
「いえ。兄さんが言っていたことは俺も気になってましたし」
ノアは手慣れた様子で私に紅茶を入れてくれた。
「ん。おいしいわ……ノアは本当に何でもできちゃうんだ」
「ここに来てなかったら身につけられなかったことがほとんどですよ」
シックな四角いテーブルを挟み、向かいの椅子に座ったノアも同じものを一口飲んだ。
「私が誘拐したおかげね。実行したのはお父様だけど…!」
「姉さんが前世で俺達の推し?になってくれたおかげじゃないですかね」
「ふふっ、それもそうね。前世でも救われたけど、今は生推しに囲まれてすごく幸せだわ。私だけこんな思いしていいのかってくらい……ねえノア。私の前世で住んでいた国ではね、みんな黒の髪の毛で生まれてくるの」
「…っ⁉︎」
「黒色は必要とされて、人々の暮らしと共に存在してた。ここも、いつかそういう世界になったらな〜〜って思うんだ。みんなといると、どんどん欲深くなっちゃうみたい」
私の顔を見て、それはゆっくりと綺麗にノアの口角があがる。ドキッとしてしまったことは言うまでもなく。
「あ、もしかして俺らの黒髪見せびらかすって言ったのもそういう理由で……?」
心臓の音を誤魔化すように私はもう一口紅茶を飲み、コクンと頷いた。
「昨日エルザ様を見ていて思ったの。今まで貴族の当たり前とはかけ離れた女性のショートヘアや、男装服を好んで着て、自分らしくあろうとする姿は偽りではなく人の心を動かしていた。私も黒をひとつの色として、受け入れられる世界にしたいわ…!」
「姉さんらしいですね……」
「ノアは嫌?」
「嫌じゃないです、嫌じゃないけど……」
「……けど?」
「姉さん、目移りしない?黒が当たり前の世界でも、俺達のこと好きでいてくれますか?」
「…………。んぐっ、ずるいわ、何その言い方……驚いて呼吸忘れちゃったじゃない。そんなのずっと好きに決まってるでしょう?」
またも取り乱した自分を誤魔化すように紅茶を口に入れる。気を取り直し、私はコホンと咳払いをした。
「……話は変わるけど今日お兄様が言っていたこと、ノアはどう思う?負の感情を体に戻さなければ意識は戻らなかったなんて……それがもし本当なら酷い話だわ」
ピピノアが悪を取り除き救っていたと思っていた生徒が意識不明のままだったら、原作ファンからは苦情が殺到よ。
「言われてみればあの漫画には、倒した後元気になった生徒は誰一人として出てきませんでした。可能性は十分あると思います」
「やっぱり、そうだよね……」
マチルダはいつの間にか、空いているイスのクッションの上で眠っていた。かわいくて撫くりまわしたいところをグッと堪える。
「ノア、私今まで原作に囚われすぎてたところがあったの。ローズの魅了の力は特に……」
「……」
「でももう、あんまり気にしないようにすることにしたわ!……さすがに全部気にしないってのは難しいけど、私が生きてる世界は漫画の中じゃない。ここが今の私の現実だから」
「……はい。俺はどこまでも姉さんについていきます」
「…っ、あ、うん、ありがと……」
あまりにも美形の優しく笑った顔が眩しくて、私は頭を少し掻きながら、ノアから目を逸らしてしまった。顔が熱い気がする。
はっ……か、カメラ部屋に忘れてきた……!こういう時こそ必須アイテムでしょうが〜〜っ!
「あっ……、そういえば昨日、ご褒美下さいって言ってたけど何が欲しいの?私があげられるものならなんでも言って?」
この時ふと思い出したことが、見事に自滅に追い込むとは夢にも思わなかった。
「あれは……もう忘れて下さい。ほんとに俺って自分のことばかりだと、思い知らされたんで……」
そう言って口元を抑え、外のほうに目線を移すノア。
「忘れてって……でも何か欲しいものがあったんじゃないの?いつも助けてもらってるから私もノアにお礼したいんだけど……ほら、遠慮せずにお姉ちゃんに言ってごらん?約束したんだから、ちゃんとご褒美あげるよ」
「……そんなこと、そんな格好で言うことじゃないでしょ」
「…っ…!?」
ノアに言われたセリフに驚いて、自分の格好を下からなぞる様に確認する。白い寝衣で、露出も普段より多かった。
「で、でも昔は一緒にベッドで寝たことだってあるわ、!」
「それいくつの話ですか……」
「……ご、ごめん、こんな姿見たくなかったねっ」
なぜか急に恥ずかしくなって、ガタッと慌ててイスから立った瞬間……イスの足に自分の足を引っ掛けて、バランスを崩してしまった。
景色がスローモーションのように感じられた時、何かが優しくトン、と私の体を受け止めてくれた。
「…っ……」
それがノアの腕と体だとすぐにわかる。強く温かい感触が肌で感じられ、全身が急激に熱くなっていく。心臓からは、ずんどこ音が鳴り出した。
「……まじで、俺の理性……試されすぎ……」
「ご、ごめ…んっ!」
慌てて体を離そうとすると、そのまま力の強いノアの手に私の腕が捕まって、近くにあったベッドに体を押し倒され……
「ノ、ア……?」
「姉さんは男の事情を知らなさすぎです。正直言ってこんな薄着で夜に部屋まで来られたら、男はみんな襲われにきたと思いますよ」
「…っ、!」
上から見下ろされるノアの目は、獲物を狙う目をしているようにも見える。が、完全にこれは説教だ。至らぬ私にここまでして教えてくれているのだ。わかっている。相手がノアだからと安心して着替えを怠った私が悪い。
「色が白くて背は小さいのにすごく柔らかい。俺達を褒めるより先にどれだけ自分が無防備で魅力的か、少しはわかってくれません?」
「……っ、」
ただ肩を抑えられているだけなのに、捕らえられた獲物感は拭えない。これから私は本当に食われてしまうのではないかと思うほど。
ノア、一体どこでこんなフェロモンを……?
「あ"〜〜〜〜…………目の前でこれはマジできつい」
突然、力が抜けたようにベッドにぐたっと倒れ込む彼をそっと覗き込んだ。こんな不甲斐ない姉への怒りはおさまっただろうかと。
「……はぁ〜……可愛すぎる」
「…っ?」
「姉さん、ご褒美くれるんでしょ」
その瞬間、後頭部にノアの大きな手の力が加えられ……
「…………」
彼の声に反応するも虚しく、私の唇はノアの形の良い唇と重なり合っていたのだった──。
♢天の声♢
「きゃ!ちゅうした〜〜!ちゅうしたよ〜〜!ちゅうしたね〜〜!」(冷やかしたい)(園児テンション)
えー、読者の皆様。特にノアのラブが読みたい方がいらっしゃいましたら、この回でこの小説でのラブ展開が終了したということをお伝えさせていただきます。
現在最終段階に差し掛かっておりますが、(まだもうちょいある)たぶんこの回で彼のじっくり書けるラブが終わりました。完結後の続きを書く際にはもうちょっと書けるかな……何もかもがわからない作者ですが、こちらから伝えたいことはいつもひとつ!読んでいただきありがとうございます…!




