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レイヴンの自宅となっている木が、あざやかに色づきはじめる季節になりました。
町を吹き抜ける風も、ずいぶんとつめたさを増しています。
太陽が出ている時間もぐっと短くなりました。
あれ以来、おじいさんは一度も姿を見せていません。
クロウは自宅の木の枝から、庭と家とをつなぐ大きな窓を、じっと見つめています。
家の中はからっぽでした。
おじいさんのサンダルも、もうどこにもありません。
レイヴンたちの水浴び用のタライだけが、あの頃のまま、変わらず水を張っています。
サンダルの横の、おじいさんへのおみやげが十九個になった日。
見たことのない人たちが何人も、おじいさんの家にあらわれました。
レイヴンとクロウは、おじいさん以外の人には近づかないようにしていたので、このときも葉っぱのかげに姿をかくし、気づかれないようにようすをうかがうことにしました。
この人たちは、それからも、度々この家をおとずれました。
レイヴンは、その度に、なぜだかとてもイヤな気持ちになりました。
その人たちを見るのも何回目かわからなくなったある日、みんな同じような真っ黒な服で家にやってきたことがありました。
おれたちみたいな色の服だな。
そう思ったレイヴンは、もうすこし近くで見てみたくなって、妻のクロウが止めるのも聞かないで庭に降り立ってしまいました。
すると黒い服の人間のうちのひとりが、レイヴンに気がつき、大きな窓を開けて庭に顔を出しました。
気づかれたっ!
レイヴンはあわてて、自宅の木の葉っぱの中に引っ込みます。
窓から顔を出している黒い服を着た男は、しばらくりっぱな木を見つめていましたが、やがてあきらめて家の中にもどってゆきました。
レイヴンには、その男が、どことなくおじいさんに似ているように見えました。
黒服の集団が帰ってからは、しばらくこの家をおとずれる人間の姿はありませんでした。
次にこの家に人間がやってきた日。それは、レイヴンがこの家で最後に人間を見た日となりました。
その日からずっと、この家はからっぽなままなのです。
最後にこの家にきた人間のほとんどは、レイヴンの知らない人でした。
その中で、ただひとり知っていた人。それは、数日前に黒い服を着て、庭に顔を出したあの男の人でした。その日は黒服ではなく、はじめて会ったときにおじいさんが着ていたような、明るい色のセーターを着ていました。
やっぱりすこし似ているな。
そう思いながら、レイヴンが葉っぱのすき間から家の中のようすを盗み見ていると、おじいさんに似た男の人が庭につながる大きな窓に近づいてきました。
そのまま窓を開けて、庭に出てきます。
男の人がおじいさんのサンダルに右足をつっかけた瞬間、レイヴンは葉の中から飛び出してゆきました。
その人は、いきなり目の前に黒いかたまりが降ってきてびっくりしたようでした。
レイヴンは一定の距離を保ったまま、地面に居座りぴくりとも動きません。その目はまっすぐに男の人をとらえています。
その人がキケンではないと分かるまで、そこを動くわけにはいきませんでした。
もしかしたら自分たちを追い払うつもりかもしれない――そう考えて、妻のクロウを守るため、レイヴンは飛び出したのです。
しかし、そんな心配もどこ吹く風。
男性は優しそうににっこりとほほ笑むと、レイヴンに声をかけました。
「もしかして、君がレイヴンかい?」
レイヴンはすっかり動けなくなりました。
動かないのではなく、動けないのです。まさか、おじいさん以外の人間にその名前を呼ばれると思っていなかったレイヴンは、それほどびっくりしてしまったのでした。
――カラン。
かわいた音がしました。
男の人が、レイヴンのほうへ一歩ふみだそうとしたときです。おじいさんへのおみやげのひとつに、サンダルが軽くふれたのでした。
並べられたおみやげの数は、その日で三十五個になっています。
「これは……。やっぱり君がレイヴンなんだね。ぼくの父さんに、こんなにプレゼントを持ってきてくれてありがとう」
その人は、おじいさんの息子だったのです。
どうりで似ているわけだ――とレイヴンは思いました。
これはぼくが責任をもって父さんに届けるよ、といいながら、その人はレイヴンのおみやげをひとつひとつ、ていねいに拾い上げてゆきます。
すべてを拾い終えると、しゃがんだままの態勢で、レイヴンに話しかけはじめました。
「こんなにたくさん、たいへんだったろう。ありがとうね。でももう、プレゼントはおしまいにしてほしいんだ。ぼくの父さんは、もうプレゼントを受け取れなくなってしまったから」
おじいさんに似た息子さんは、そう言って悲しそうな笑みを浮かべました。
レイヴンはおとなしく話を聞き続けます。
「ぼくの父さんがここにくることは、もうないんだ。君も好きなところで暮らしていいんだよ。でもね、父さんはいつでも君を見守ってくれるから。さびしくなったり話したくなったら、空にむかって飛ぶといい。父さんは、空の高いところに引っ越ししたんだよ」
そう言い終えると、息子さんはレイヴンから視線をはずし、秋の青空を見上げました。
つられるようにレイヴンも上を見て、カァ、と短く鳴きました。
そのあと、息子さんは庭のタライに気がついて、にごった水を流し出すと、底に生えたコケをたわしでこすっておとしてくれました。
そして新しくきれいな水を張り、タライの置き場所を雨どいの下に移動させました。
「これで雨が降る度に、新しい水がたまるはずだよ」
そう言いのこし、息子さんは家に入ってゆきました。
レイヴンは、カァ、とひと鳴きしてクロウを呼び寄せると、ひさしぶりのきれいな水での水浴びを楽しみました。
日が暮れて、見知らぬ人たちもおじいさんの息子さんも去ると、家の中はからっぽになっていました。
おじいさんが愛用していたサンダルも、いつの間にかなくなっています。
「なんにもなくなっちゃったわね。おじいさん、困らないかしら」
クロウがさびしそうに言いました。
レイヴンは、どうしてもクロウに、おじいさんが空の上に引っ越したことを言う気にはなれませんでした。
「きっとだいじょうぶさ。どこかで楽しく暮らしているよ」
「もうここにはこないのかしら」
そう言いながら、クロウはレイヴンに羽づくろいをはじめます。
レイヴンは協力するように、右のつばさを広げました。
ぽっかりと一ヶ所だけあいたすき間から、輝くいちばん星が見えました。
「ねえ、なにか人の話し声がきこえない?」
クロウに話しかかられて、レイヴンはハッと我にかえりました。
最後におじいさんの息子さんと会った日のことを、思い出していたのです。
あれから何日がたったのでしょうか。
息子さんの言うとおり、あの日でおじいさんへのおみやげもやめてしまったので、知るよしもありません。
確かに人の気配を感じます。この家がからっぽになって以来、人がやってくるのははじめてでした。
レイヴンはおそるおそる、色づいた葉っぱの間から、からっぽの家の中をのぞき見ます。
女の人がひとりと、男の人がふたりいました。
レイヴンは、彼らをじっと見つめます。
女の人の髪の毛は、美しくみごとな金色でした。
レイヴンは、いつかだったか、自分がもってきた金色のちいさなおみやげを手にして嬉しそうに笑う、おじいさんの顔を思い出していました。




