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夏の日差しが、黒い躰を容赦なく照りつけるようになる時間よりも前に、朝のパトロールを終えたレイヴンは自宅へともどってきました。
「おはよう、レイヴン」
水色の屋根の下から顔を出して、おじいさんが言いました。
あいさつを返すようにレイヴンも、グアーとひと鳴きします。
それを聞いたおじいさんは、満足そうな笑みを浮かべ、家の中へと引っ込んでゆきました。
あれから数ヶ月。季節はすっかり夏になりました。
レイヴンはあのままおじいさんの家の庭の木に住み着き、ふたりで仲良く暮らしています。
おじいさんの読みどおり、レイヴンはあのあとすぐ飛べるようになりました。
おじいさんにご飯をもらうこともなくなり、以前のように、空を飛びながら自分で食べものを探す生活にもどったレイヴン。
ただ、ナワバリはこの家周辺に移すことにしました。
他のカラスが近づかないおかげで食べものはたくさんありますし、なにより、レイヴンはおじいさんが大好きになっていたので、お別れしたくはなかったのです。
あのとき抜けてしまった羽根は、そのままです。
いつまでたっても生えてこないので、もしかしたらもうずっと、このままなのかもしれません。
でも、それでもいいと、レイヴンは考えていました。
だってきっとそのほうが、おじいさんが自分を見つけやすいだろうから。
あの頃と変わったことが、ひとつあります。
おじいさんが言っていたとおり、子どもたちはレイヴンのことを見かけても、近寄ってこなくなりました。
以前、レイヴンを傷つけた子たちに遭遇したこともありましたが、レイヴンに気がつくと、避けるようにそそくさと通り過ぎるのでした。
実はおじいさんはあの時、子どもたちの親と小学校に、鳥にイタズラしたことを告げたのではありませんでした。おじいさんは「野生の鳥を触ることのキケン」について、説明したのです。
野生の鳥の躰や羽根には、人間の具合を悪くするような菌がいるので、やたらに触ってはいけない――
おじいさんはそんなキケン性を伝えることで、鳥だけでなく、子どもたち自身のことも守ろうとしたのです。
いたずらっ子のお母さんも小学校の先生たちも、以前お医者さんだったおじいさんの話すことなので、真剣に聞いてくれました。
きっと子どもたちはあの日、夕ご飯のときにでも、お母さんから野生の鳥に触ることがどんなにあぶないことか聞かされただろうし、学校でも先生からプリントが配られたりしたことでしょう。
おじいさんのおかげで、子どももレイヴンも、ちょうど良い距離感を保つことができるようになったのでした。
おじいさんはレイヴンに、いろいろなことを話して聞かせてくれました。
子どもの頃もこのあたりに住んでいたこと。
イギリスでお医者さんとして働いていたこと。
日本にもどってくる前に、奥さんをなくしていること。
屋根の水色は、奥さんの好きな色だったということ。
この町が大好きだったのでもどってきたこと。
この町のためになにかできないかと、町内会の副会長としてがんばっていること。
カミナリじいさんとして、近所の子どもに怖がられていること。
趣味は、いろいろな国やいろいろな時代の切手をあつめること。
おっと、いけねえ。わすれてた。
レイヴンは先ほど自宅に持ち帰ったものをクチバシでくわえ、木から降りると、おじいさんが庭に出るときに使っているサンダルの横に、それをそっと置きました。
朝日をあびてキラキラ光る、おはじきでした。
レイヴンは朝のパトロールをはじめたころから、このように毎日、おじいさんにおみやげを持ってくるようになりました。
それは今日みたいにおはじきだったり、誰かが落としたピアスだったり。
きれいな色のガラスに、ボタン、なにかのネジを持ってきたこともありました。
おじいさんの話を聞いていて、ざんねんながら切手がなんなのかはわからなかったレイヴンですが、集めることが好きだということはわかったので、こうして毎朝、おみやげを届けることにしたのです。
パトロールだってそうです。
おじいさんがどんなにこの町を愛しているかを聞いたレイヴンは、おじいさんの大事な町のために、何かをしたくなりました。
そこで考えたのが、朝のパトロールというわけです。
おじいさんが、子どもたちがカラスをいじめないようにしてくれたように、レイヴンも、カラスが町を汚さないように、目を光らせているのです。
らんぼうな子どもが減ったことに気づきはじめたカラスがすこしずつ、このエリアに入ってくるようになったので、レイヴンは大忙しです。
ゴミ捨て場を散らかしている仲間を見つけると、すっ飛んでいって注意します。
「おいおい、あまり散らかすな」
「おや、お前。子どもに大けがさせられたと聞いたが、無事だったのか」
「まあな。それで分かったことがある。人間は、おれたちが食事をするときに町を汚すのがイヤみたいだ」
レイヴンのこの言葉を聞くと、たいていのカラスはおどろきます。
このカラスもそうでした。
「なんだお前、人間の味方をするというのか」
「そうじゃない。人間のイヤがることをしなければ、おれたちカラスはもっと暮らしやすくなると言っているんだ」
「ほうきを持っておいかけられたり、石を投げられたりもしないのか?」
「ああそうだ」
そう言ってレイヴンは、あたりに散らかったゴミをくわえ、ゴミ捨て場のバケツの中にひとつひとつ、もどしはじめました。
「もし散らかしてしまっても、こうして片付ければいいのさ」
「……わかったよ。これからはそうしてみる」
「あと、フンをする場所にも気をつけろよ。いちばんダメなのは車に落とすことだ。人間をカンカンに怒らせる」
「わかった。おれの仲間にも言っておくよ」
「頼んだぞ」
こんなやりとりを、ほとんど毎日、根気よく続けているレイヴン。
そのおかげかどうなのか、以前よりこのエリアで見かけるカラスの数は増えたのに、それほど町はよごれているようには見えません。
そのことをちょっぴり誇らしく感じているレイヴンですが、彼の活躍に気がつく人間はいないでしょう。
でも、レイヴンはそんなこと、ちっとも気にしません。
大好きなおじいさんが愛するこの町のために、なにかができるということ。
それがうれしくてたまらないレイヴンなのでした。




