固定された朝
毎朝7:32に目が覚める。
最初は偶然だと思っていた。
でも、それが3日続いた時点で、偶然ではないと気づいた。
「……またか」
目を開けると、必ず時計は7:32を指している。
起きる時間が同じなのではない。
世界のほうが、その時間に固定されているようだった。
カーテンを開ける。
朝は普通だ。
鳥の声もあるし、車の音もある。
それなのに、何かだけが決定的に足りない。
説明できない“欠落”。
机の上に、紙があった。
昨日までは確実になかったはずの場所に、当然のように置かれている。
手に取る。
そこには一言だけ書かれていた。
「選べ」
それだけだった。
意味は分からない。
裏返しても何もない。
ただの紙なのに、妙に重い。
そのとき、インターホンが鳴った。
「……誰だ」
こんな時間に来客の予定はない。
玄関へ向かい、ドアを開ける。
そこに少女が立っていた。
知らないはずの顔。
それなのに、どこかで見たことがあるような気がする。
「おはよう」
当然のように彼女は言った。
黒い髪。落ち着いた声。
感情の温度だけが異様に薄い。
「誰だ?」
「澪」
即答だった。
まるで最初からそれが前提であるかのように。
「知らないんだが」
「うん。今はね」
その言葉に引っかかる。
“今は”というのは何だ。
「それ、もう見たんだよね」
澪は紙を見て言った。
「見た?」
「今日の分」
背筋が冷える。
「意味が分からない」
澪は少しだけ首を傾けた。
そして静かに言う。
「まだ1回目だと思ってる?」
その瞬間、違和感が生まれる。
何かが“ずれている”。
だが、その正体は掴めない。
澪はそれ以上説明せず、歩き出した。
「行こう」
「どこへ」
「学校」
当然のようにそう言った。
なぜか拒否できなかった。
通学路を並んで歩く。
澪は常に一定の距離を保っている。
近すぎず、遠すぎず、ずれない位置。
「お前、本当に誰なんだ」
「澪」
「それは名前じゃないだろ」
「名前だよ。たぶん」
“たぶん”。
その曖昧さが妙に引っかかる。
信号待ちで、澪が小さく呟いた。
「今日は少し違うね」
「何が」
澪は一瞬だけこちらを見る。
そして言った。
「あなたがまだ壊れてない」
教室はいつも通りだった。
だが、どこか違う。
同じはずの景色が、微妙に噛み合っていない。
隣の席を見る。
そこには誰もいないはずなのに、“誰かがいた気配”だけが残っている。
昼休み。
机の上に、また紙があった。
さっきと同じ紙。
違うのは、一行増えていたことだった。
「まだ1回目だと思っている?」
背後に気配を感じる。
振り返る。
澪が立っていた。
いつも通りの無表情。
だが、その一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ、唇が動いた気がした。
「助けて」
次の瞬間には、何もなかった。
「……今のは」
澪は首を傾ける。
「何が?」
いつも通りの声。
だが確かに、何かだけがズレている。
紙を見る。
文字は変わらない。
「選べ」
その下に、もう一行だけ増えていた。
「まだ、始まっていない」
その言葉を見た瞬間、胸の奥に違和感が沈む。
終わっていないのか。
それとも、最初から始まっていないのか。
「ねえ」
背後から声。
振り返る。
澪が立っている。
いつも通りのはずの表情。
だが、その目だけが揺れていた。
「あなた……今、“選ばなかった”よね」
「は?」
意味が分からない。
澪は一瞬だけ視線を落とす。
そして、静かに言った。
「おかしい」
「これ、まだ“一回目”のはずなのに」
その言葉で、頭の奥が軋む。
紙の文字が一瞬だけ滲んだ気がした。
「選べ」
その下に、見えないはずの一行が浮かぶ。
「それでも、もう戻れない」
そして、澪が小さく言った。
「お願い……次はちゃんと、私を見て」




