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 すでに始業式が始まっている時間だった。

 この学校は、インターナショナルスクールと同じで、9月に始業式がある。正確には始業礼拝。

 キリスト教の学校なので、始業式以外にも毎朝の授業前20分間ほどの礼拝があり、聖歌斉唱に始まり祈祷で終わる。

 冬史郎さんによると、父兄を含め生徒たちにもキリスト教徒は多くないそうだ。神道、仏教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒など……私の家も仏教徒だ。


 職員室に戻ったころには、冬史郎さんと私のほかに誰もいなかった。

 校長室でゆっくりとお茶を飲んでいたせいだと思うけど……。

 冬史郎さんはともかくとして、校長先生は立場上、始業礼拝に出席できたのかな。




「もう一人の編入生は、本来なら別のクラスになるはずでしたが……あの校長のせいで、かえって目立つことになりますね。申し訳ないことをしました」

 冬史郎さんが心苦しそうに言うので、私は、ぎこちなく笑ってみせた。

「い、いえ……そんなことは……」


 冬史郎さんと言うのも変な気分だったけど、急に“風早先生”と呼ぶのは、もっと変な感じがする。

 だけど、冬史郎さんは、私の担任教師なんだ。

 自分だけが甘えてはいけない。他にも生徒はいる。


 抱きしめられてドキドキしていたのは自分だけで、冬史郎さんにしてみれば、かつて面倒をみた赤ちゃんが大きくなっただけのことだ。

 オムツのとれない赤ちゃんをあやすのと同じような気分だったのかもしれない。

 そもそも高校生を赤ちゃんのように持ち上げて「高い高い~」をするのもどうかと思う。

 いやいや“抱きしめられた”など、ただの自意識過剰だ。

 自分の思い上がりが、恥ずかしくなる。

 そんな気持ちと同じくらい寂しさもあって……なんだか、頭の中がグチャグチャだ。


「そろそろ、もう一人の編入生がくる時間です。これからは“お嬢様”ではなく、“一人の生徒”として、接することになりますが、何かあれば、いつでも私を頼ってください」

 冬史郎さんは、腕時計を確認しながら言う。

 私も背筋を伸ばした。

「はい。風早先生」

 私が言うと冬史郎さんは、穏やかな微笑を広げた。

 ぼんやりした記憶の中の顔と今の表情が一瞬、重なる。

 形のよい唇。わずかに甘さをにじませる微笑。

 それは、抵抗しがたいような魅力。

 惹きつけられそうな気持ちを深呼吸して、私は自分を落ち着けさせた。

 またしても、心臓が胸の中でひっくり返りそうな勢いで、脈うっている。

 やはり違う。

 昔の……“シロちゃん”だったら、こんなふうには笑わなかった。




 職員室のドアをノックする音がした。

 冬史郎さんが応じると、静かに扉が開かれる。

 扉の向こうから滑るように人影が現れた。

 私と同じ修道女のような黒いワンピースを着た少女。

 白い襟と袖口にレースが使われているため、修道女とは違った女子学生らしい華やかさがある。

 リボンタイには、校章とともに十字架の刻印があった。

 この学校の制服である。


 彼女もすぐに、こちらに気付いたらしい。

 ゆったりとした足取りで、近づいてくる。

 長い褐色の髪が大きなレース襟の上に波打つ。

 陶器のような白い肌。まつ毛の濃いくっきりとした目もと。

 息を呑むような美少女だった。


「失礼いたします。本日、編入いたしました月之宮(つきのみや)です」

 低いハスキーな声。落ち着いた立ち居振る舞いも、とても同学年とは思えない。

 近くで見ると、まるで豪奢なビスク・ドールを思わせる。


「私が担任の風早です。ここまで迷いませんでしたか」

 冬史郎さんがそう聞いたのは、この学園内がやたらと広いせいだろう。

 尖塔のある講堂。レンガ造りの校舎。

 ステンドグラスの窓から差し込む光は、幻想的でどこか現実離れしたような感覚にとらわれる。

 私だったら、迷子になっていたかもしれない。


「別に……方向音痴でもありませんもの」

 冷え冷えとするような物言いだが、冬史郎さんは気にする様子もなかった。

 私のほうは、いたたまれない。

 冬史郎さんに送ってもらったり、校長室で、もてなしてもらったりして、自分だけが特別扱いされたのだ。

 別に彼女がそのことを知っているはずもない。

 それでも私は申し訳なさに身の縮む思いがした。


「こちらは、きみのクラスメイトになる花菱綾乃くんだ。同じ編入生だよ」

「はじめまして……月之宮薫と申します」

 まっすぐ、こちらを見据えてから彼女は、静かに目礼をする。

 その瞬間、しゃなり……と銀片の触れ合う音がしたかのような錯覚を覚えた。

 礼法の教師よりも美しいきっちりとした所作。


 ――こんな女の子がいるんだ……。


 私は、胸がざわめくのを感じながら、ぎこちなく会釈をした。

「あ、あの、花菱綾乃です……」

 同級生のはずなのにつられて敬語を使ってしまう。

 なぜだか、月之宮さんには、圧倒されてしまうような存在感があった。


「花菱さん? どうぞ、よろしくお願い申し上げます」

「こ、こちらこそ……」

 みっともないほど、声が上ずってしまうのが自分でも分かる。

 月之宮さんのほうは、にこりともしない。まるで表情が変わらないのだ。


 冬史郎さんは、私たちに向かって柔らかく微笑んだ。

「この学校は、外部入学も滅多にありませんから注目されて戸惑うことも多いでしょう。困ったことがあれば、言ってください」

「ありがとうございます」

 すぐに月之宮さんが応じて、会釈をする。

 まるで、貴婦人のように優雅な所作だった。


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