七つの厄災
その日、世界に七つの厄災が舞い降りた。
東の海は二つに割れ、北の空に幾千もの稲妻が走った。殺風景な荒野が眩いばかりの黄金色に埋め尽くされた。とある空には荘厳で巨大な城が浮遊していた。南の森は輝く太陽の光が差し込んでいるにもかかわらず夜よりも暗い闇に呑まれた。西の山奥には突如として存在しないはずの村が出現した。そして、その山の頂からドラゴンの咆哮が轟いた。
『大海隔てしポルカ』
『不死者オーステア』
『獅子公ロイアス』
『母なる竜ユト』
『浮遊城イスル・イシュル』
『小さき輪廻カント』
『囚われしサージェス』
それらの厄災がなにゆえにこの地に降り立ったのか、この世界にどのような影響を及ぼすのか、どういう結末をもたらすのか、誰も知るところではない。
――――――――オーステア――――――――
どうしてこんなことになったのだろうか。
昼下がりちょっとした買い物がてらに街を散策する予定だった。それなのに、見知らぬ森のただなかで聞き覚えのない獣の遠吠えを耳にしている。人の気配は一切しない。日差しがさんさんと照り付けていたはずなのに、見知らぬ森には夜のとばりが降りていた。そして、少し肌寒い。時期は夏ではないらしい。幻覚を疑ったが、そもそもこの世界のあらゆるものは、私のいた世界とは違う構造をしているようだ。
そして、何より私のスキルの大半が失われていた。こんなことは本来ありえないはずだ。とにかく生涯に渡って築き上げてきた私というものが根底から脆くも崩れ去ってしまった。
若かりし頃の私だったら、きっと混乱してどうしていいか分からず途方に暮れていたところだ。
「まあ、なんとかなるか!」
長い一生で類を見ない出来事に私の心は驚くほど冷静さを保っていた。
何せもう一千年近く年を刻んできたのだ。こんなこともないことはないと割り切るしかない。少し寂しさはあるが、執着があるわけでもない。人としての感情はすでに枯れたようなものだった……だったはずだった。
少しだけ私はわくわくしていた。
右に並ぶ者なしと恐れられ、あるところでは戦神と崇められ、またあるところでは吸血鬼と蔑まれた私の人生に、奇妙だが新しい風が吹いたのだ。だが、とりあえずやることは以前の世界と変わらない。
「さて、まずは……弟子でもとることにしよう」
私の隠居後のささやかな楽しみは、弟子の成長を見守ることだ。
ふと、耳を澄ますとこちらへ接近してくる足音が六つ耳に入った。まだ遠い。しかし、確実にこちらに近づいてくる足音。私はこの世界での初めての遭遇に思いを馳せた。善きものか悪しきものか。そして、私は安堵した。まだこの身に好奇心というものがあったことを。
――――――――佐倉涼太――――――――
俺の名前は、佐倉涼太。
ごくごく普通のどこにでもいる日本人だった。こんな事態に直面したのは半年前、今はもうこれっぽっちも話さなくなった幼馴染とほんの些細な拍子で放課後二人っきりになった時のことだった。
昔はよくお互いの家に遊びにいったり、学校でもべったりくっついてたりしたものだ。
バレンタインデーにチョコレートをもらって、親に「お返ししなきゃね」と言われ、訳も分からずホワイトデーにクッキーをお返しをしたこともある。
「そんなつもりでプレゼントしたわけじゃないのに」
その言葉の意味を俺はその時まったく理解していなかった。
学年が変わり、クラスが離れ離れになると自然と俺たちは疎遠になった。俺は男友達とつるむようになり、彼女は彼女で女友達の輪に入っていった。当然の成り行きだと今にしてみれば思う。でも、だからこそ……物心ついた今だからこそ、その時の静寂は熟成された気まずさがあった。
本来なら、青春の一ページが開かれるか、何事もなくお互いのいるべき場所に戻っていたことだろう。だが、そうならなかった。なってしまったほうが幸せだったかもしれない。
突然日差しが差し込み、校舎の中ではないどこかに俺たちは飛ばされていた。
そこは知らない生物が生息し、知らない言語を話す人間がいる世界だった。俺と幼馴染の彼女は途方に暮れた。戸惑い、彷徨い、不安を抱いて二人で俯いた。だけど、俺は次第に彼女を守ってやらないといけない使命感に駆られた。
元の世界に戻れたらどれだけいいことか。これが夢だったらどれだけいいことか。
そんな希望的観測を払拭して、俺は一心不乱にそれだけを努めた。俺の知る幼馴染はもう想い出の産物だったとしても、それでも目の前にいるのは紛うことなく彼女なのだ。
それから、俺たちは冒険者のパーティーと出会った。
第一声が聞き覚えのない言語だったときの絶望感は半端なかった。
だけど、彼らはそんな俺たちに優しく接してくれた。彼らが拠点にしている村で保護してもらって、温かい食事と寝る場所を与えてくれた。そんな彼らの恩に報いればと、俺は剣を握った。それが結局、彼女を守ることにも繋がると信じて。
「リーダー、これすっごいやばいやつじゃね?」
仲間の一人がそう言った。
彼はラフィカ。お調子者で臆病者で、このパーティーのムードメーカーだ。臆病者だからこそ気を紛らわせるためにおちゃらけているのだろうが。
そんな彼が声を震わせて、冗談の一つも言わない時点で、この先にいる存在がいかにやばいやつなのかが伝わってくる。それでも、パーティーの足は止まらない。
ゼフはこのパーティーのリーダーだ。責任感が強く、普段ならラフィカのくだらない小言に付き合ってやれる寛容さを持ってる。
テューンは世話焼きお姉さん。このパーティーの相談役で、何かあるとまず彼女のフォローが入る。
マテは気まぐれですばしっこさが売りの少女。俺と年齢が近く一番よく話す気さくなやつだ。ラフィカともよく絡んでいる。とにかく話に脈絡がないのが特徴だ。
そして、俺の幼馴染である篠塚友恵。
この六人でパーティーを組んでいる。
その俺たちが森を駆け抜けているのには理由がある。昼間だというのに突然、空が光を失ったのだ。あたりが突然真っ暗になり、村の住人達は混乱の境地に立たされた。事態の解決は急務だった。だからこそ、俺たちは深い森の中に踏み入った。魔力感知に引っかかるこの世界とは異質な存在にたどり着くために。
「みんな腹は括ってるだろうが念のため言っておく」
ゼフはおもむろに口を開いた。足取りは緩やかになり、標的への接近を暗示していた。
「俺たちは村の要だ。撤退は許されない。俺たちが負ければ村は無事じゃすまなくなる」
「はい、心得ています」
俺はそう言って剣の柄に手をかけた。他のみんなも臨戦態勢に入った。
ここからなら俺でもわかる。今からエンカウントする相手が人ならざるものだってことが。
そこに確かに存在しているというのに、その存在はぽっかりと穴があいたように希薄で、そのはずなのに底知れない恐ろしさを内包していた。
銀髪に赤い目。まるで少女のような出で立ち。俺は身震いした。
それが不死者オーステアとの出会いだった。