第十二話 無事か
ベルサで働き始めて一週間、毎朝夜明けと共に起き、前日に買い込んでおいたビスケットサンドやマフィンを食べては出勤する日々を繰り返していた。セオットは体を動かす仕事は嫌いじゃなかったし、イータも長年放置されていたシステムの不良を一つずつ解いていくことに喜びを覚えていた。
周りの作業員たちも、快活で仕事の早いセオットによく手伝いの依頼や雑談で声をかけるようになった。端末の不具合を簡単に直すイータにも、調子の悪い電子機器を持ち込むようになった。イータは、知らない人間に話しかけられると固まったが、システムの話になると舌がよく回った。グレンは、サウザーの空気が少し変わったことを感じていた。
日曜日は仕事が少なく、二人は非番だった。帽子とサングラスをかけて、軽く日用品を買い足したあと、セオットは、港町にいるんだから海を見に行こうと言い出した。イータは、部屋で寝てたいと返したが、結局自転車に乗せられた。
海岸線沿いへ向かっているのに、見えるのは工場の塀と倉庫の裏ばかりだった。潮の匂いはするのに、海は見えない。ようやく開けた場所に出ても、見えたのは背の高い草が波打つ草原だけだった。
「海、ないじゃん」
イータはセオットを横目で見た。
「匂いはする」
「それは海を見たことにならない」
二人は草の縁に座って、道中で買い込んだチキンビスケットとオレンジジュースで早いランチを取った。サウザーの作業員たちのおかしな癖を、セオットはイータに話した。イータは、その名前のほとんどが顔と結びつかなかった。
草原の向こう、潮の水路の上を、ペリカンが数羽、低く連なって滑っていった。羽ばたきは少なく、翼を広げたまま、風に乗っているようだった。イータは少し、息が楽になった気がした。
*
新しい環境に慣れ始めた八日目の朝、二人はベーコンサンドとチョコチップマフィンを、インスタントコーヒーで流し込んでいた。宿を出る前にセオットは言った。
「少し金も貯まったし、明日は次の町を目指そうか」
朝のうちから倉庫の中はすでに気温が上がり、蒸し暑く、シーツの束もペーパーも湿気を吸って重くなっている気がした。
セオットは、トラックへロールコンテナを運んでいた。
シャツは油汚れで黒ずみ、汗で背中に貼りついている。ひっきりなしに電子音や機械の唸るような作動音が響いていた。
イータは荷捌き場の脇で在庫端末の入力を手伝い、休止中の機械の制御盤を覗いては、不具合がないか確かめていった。
トラックの荷台とテールゲートリフトの継ぎ目をロールコンテナの前輪が通るたびに、がたん、と嫌な音がした。
荷台の高さまで持ち上がったリフトの上には、納品用のリネン袋の上に、洗剤容器や紙製品の箱まで無理に積まれたロールコンテナが一台載っていた。高すぎる。重心も悪い。
「おい!積みすぎだ!」
セオットが下から叫ぶと同時に、荷台の上にいた作業員がコンテナの取っ手を引いた。
前輪が継ぎ目に引っかかり、コンテナが一度だけ大きく揺れる。
そのまま作業員が無理に力をかけた。前輪が継ぎ目にとられたまま、背の高いコンテナがバランスを崩してイータの方へ傾いた。
「イータ!」
セオットの声が響いた。その直後、イータは肩を強く突き飛ばされ、横へ転がった。ゴン、と重い金属音が屋内に響き渡る。
イータが顔を上げた時には、傾いたロールコンテナの金属枠が、セオットの肩から胸へかぶさるように倒れ込んでいた。
「セオット!!」
イータは這うように戻った。
セオットはすぐには返事をしなかった。顔を歪め、呼吸が浅い。
叫び声が響く。
グレンが怒鳴り、別の誰かが救急を呼ぶかどうか叫んでいる。
「セオット、セオット……助けて!セオットを助けて!」
イータはロールコンテナを必死に押したが、持ち上がらない。
セオットはようやく目を開け、辛うじて声を絞り出した。
「無事……か……」
イータは声にならない叫びをあげた。
作業員が集まり、ロールコンテナをどかす。
セオットは、呼吸のたびに顔が歪む。左肩の位置がおかしかった。肋骨も、やっている気がした。
イータが叫ぶ。
「救急車呼んで!」
セオットは目を閉じたまま、力を振り絞るように短く吐いた。
「呼ぶな……」
セオットが正規の医療を拒む理由は、イータには痛いほどよく分かっていたが、そんなことはどうでもよかった。
「なんで!?救急車!早く呼んで!!」
グレンは顔を強張らせていた。救急車を呼べば面倒なことになる。
イータはグレンの肩にしがみついて、泣きながら喚く。
「お願いだ!セオットを助けて!死んじゃう!!」
グレンははっとして、近くの作業員に叫ぶ。
「バンを回せ!」
セオットは額に嫌な汗を浮かせたまま、目をつぶって浅い呼吸を繰り返していた。
肺に刺さっていたらどうする、死んだらどうする。
足元から、世界が音もなく抜け落ちた。




