第一章『ラシュティエート強襲』 Ⅳ
弟九話 『疾風迅雷』
ラシュティエート王との晩餐に招かれた翌朝、いつもの如く能天気に、いつもの如く元気良く、
何にも悩みを持たないようにも思える、元気な緋色の髪の少女が、まだ肌寒い朝早くに大通りを
セリスと共に歩いている。獣耳を左右にピコピコと動かしながら、何かを探しているわけで。
「むぃー…」
「もしや、ブルーを探していたのか?」
それに対し、コクリと頷いたのを見て、知らされていなかったのか…と、
まぁ、知れば無理矢理引っ付いて行っただろう。そこに具合が悪い事でもあったのか…と。
セリスは誰の思惑とも知れないソレに少し、考えた。然し、既に出立して日が経っている。
今、伝えても問題は無さそうだ、と。
「ブルーなら、クリアネル殿の所で師事を仰いでいる。と聞いたが…」
「しじ?」
「ああ、クリアネル殿に剣の技を教わる為…ということだね」
暫く考え込むアーネを見て、セリスは困り顔を浮かべざるをえなかった。
これではまるで、いままで私が教えなかったみたいでは無いか。
さて、どう弁解しようものかと、そう考えている。
「んー、ネルお姉ちゃんが教えてくれるのかなー?」
と、彼女の心配を他所に、アーネは別の方向の心配をしていたのだ。
確かにその通り、師になるとは思えない。むしろ手ぶらで帰ってきそうではある。
「はは、そんなに冷たい人なのか…」
「つめたいよー、氷のがまだあたたかいよー?」
遠いこの地で凄い言われ様のクリアネルは、今頃クシャミを連発しているかもしれない。
よもや、クリアネルのみならず、エステシアにまで鍛えられているとは、この時二人は知る由もない。
そんな二人が、朝の巡回を終え、駐屯所に帰ってくると、ただならぬ空気が室内を漂っていた。
それを察したのか、セリスがラムザに声をかけようとするが、一人の老人に目が行く。
「シェジェ老? 何故、ここに?」
「おや、ティセリス様、おはよう御座います。いや、何、どうもこの老いぼれも必要かと
思い、馳せ参じた次第じゃが、まさにその通りじゃったようで」
「…と、申しますと、ついに動きが?」
「うむ。そして書状を書くのが遅れた事が、幸いしたようで…」
救援要請の書状が遅れた事が幸い? どういう意味だろう。
今回は二面作戦…と、聞いていたが…。
「何、簡単な事ですじゃ。ノブナガからの書状、あれはこちらの行動を制限する為の、めくらまし。
来る事に変わりは無いのじゃが、先ずは後顧の憂いを絶つ必要がある」
「イズエリア女王陛下…ですか」
「然り。こちらに進軍すると欺き、先ずはイズエリアを…」
「落とす為に兵を差し向けた…ですか」
「いや、シアル・ラン防衛後の翌日、一夜にして既にイズエリアは陥落したと、先程知らせが入った」
転戦…! それもあのイズエリアを一夜で? どうやって…。
そもそもあの兄弟の故郷にも兵を割いている筈。顔を青ざめたセリスが、一体何をどうすれば
少数で、それも僅か一夜で国が落とせるのかと頭を抱えていると、
更に自体は良く判らない状態となっている事を知らされた。
「その二日後、イズエリアに続き、エル・グラナも陥落…いや、
アレは既に落ちておったと見るべきか」
「理由が、意味が、理解出来ません。何故、ノブナガは自国を落とす必要があったのか」
「後に、国をこう改めたそうじゃ。混種混生国家 エル・グラナ とな」
その場にいる全員が首を振り、これがどれ程の脅威となるかは、すぐ傍にいるアーネを見て
容易に想像出来た。 恐らく、シアル・ラン防衛以降、ノブナガの経緯はこうだろう。
シアル・ラン敗走後、そのまま自国へ兵のみ帰し頃合を見てあの兄弟の町へ移動、
ノブナガ自身は、僅かな手勢でイズエリアへと転戦。
イズエリア到着後、何かしらの方法で速やかにコレを陥落。
シェジェ老の見解では、イズエリアでは、混血種の扱いは特に酷い。其処を突かれ内から攻撃を
受けたのだろう、と。 尤も、今の世の多くの混血種達は生まれた時から恐怖を与えられている為、
怯える事はあっても、逆らう事はありはしない。…そう、自分達だけでは。
その恐怖の矢面に立ち、彼等を奮い立たせたのだろう。確かノブナガもまた混血児だった筈。
そして、イズエリア陥落後、手に入れた強力な戦力と共に、エル・グラナの混血種達と決起。
少々喋りすぎたのか、乾いた唇の乾きを潤そうと、お茶を啜るシェジェ。
その事態に人間の純血種である皆は顔を青ざめていた。
彼等はそもそも、いずれこうなる事を恐れ、混血種達にも親切に、そして何より平等に接してきた。
この国の王ですらもそうなのである。
ブルーやアーネへの対応がそうであったように…だ。然し、それは一部にしか過ぎず、
古き悪しき風習は今も、このラシュティエートにも確かに残っている。それが貧民区。
もし、ノブナガ率いる混血種達が、この地の貧民区で生きる彼等に呼びかけたら…。
結果は見えている。内と外からの同時攻撃を…それもあの混血種だ。ひとたまりもない。
お茶で乾きを潤して、再び口を開いたシェジェが事は深刻、と、
この戦の全権は王より頂いている事を伝え、西の大陸の地図を開きラムザに近しい者達全てを
呼び集めた。
「さて、ここまで行動してくれたのじゃ、侵略経路は予測できるわい」
そういうと、先ず、エル・グラナを指差し、そこからイズエリアへと北上。
イズエリアから西へ行くと、幾つかの街があり、そこでも混血種は沢山いる。
そこにて戦力増大を図り、南西へ下ると城砦都市ツェルムへ攻め入る。
ツェルムでも戦力が増大し、尚且つ、ラシュティエートの後援と退路を断った後、
ラシュティエートを攻め落とす。遠回りだが、
シアル・ランの存在が、横腹を守る手堅い立ち回り。とシェジェが頭を抱えていた。
「…攻め入る程に、勢力が増加する…そんな」
「ま、いままで虐げてきたツケが回ってきたのかもね」
絶望を口にするセリスに対し、ラムザは至極当然の報い、そう言いたげである。
「報いを受けるかはまだ決まっておらぬわい馬鹿者が。
ティセリス様。この事を可及的速やかにガルガー子爵にお伝え願えますかな?」
彼女の発言力は絶大だ。ヘタな書状よりも信憑性があり、何より足手纏いの無いレゼントの足ならば
確実に今日中に知らせ、然るべき対策を採ってくれる筈。
姫様のみを行かすのは正直どうか…シェジェは一瞬迷ったが、他に適任は無しと即断した。
その命を受けたセリスは、大きく頷くと、装備を整え足早に外へと手で行った。
「で、シェジェ老、残りの私達はどうすれば?」
「半分はシアル・ランの道、二箇所を完全封鎖、残り半分は此処の防衛じゃ」
「然し、それでは…」
「戦力が足らぬ。エステシア殿に助力要請の使いは先程出した、今は辛抱せい」
時間が経てば経つ程に、混種混生軍の戦力は増大するというのに、こちらは…。
かと言って、個々それぞれが特殊能力を生まれた時より授かっている混血児が相手。
場の流れについていけないアーネを少し、ラムザが見ると、少なくとも彼女以上が居ない事だけを
祈ろう、そう思う他なかった。
逡巡を振り払い、残る戦力の分割を決め、シアル・ランの完全封鎖へと、ラムザ自身も向かう。
それを見送るシェジェ老に、アーネは何をすればいいのか判らず、首を傾げながら彼の袖を引っ張る。
「うー…ボクは?」
「む、君は最後の切り札じゃ。もしもの時は宜しく頼みましたぞ」
「むぃー?」
切り札、と言われても何がなんだか判らずのアーネは、少々不機嫌そうだ。
戦力としてか、それとも混血児達を止める事が出来るかも知れないからか、
どちらになるかは、その時がこないと判らない事だろう。
こうして、シアル・ランでの戦いがいまだ続いていた、その事実。
こちらの勝利に終わった。そう思わされていたラシュティエート。
何を考えているのか、その意図すら判らないノブナガ率いる、混種混生国家 エル・グラナとの
戦いの火蓋は切って落とされていた。
その三日後、水の街、フィルフィス。
「ま、やるだけのことはやれたかね」
「あの短期間で体捌きを一つ…か」
ブルーがラシュティエートへと戻って一日が経ち、互いに彼の成長具合を考えていた。
水の民の体捌き 流水、それを彼の力、停滞が加わる事により、体得。
見事、竜の純種、叫竜ヴォイドを追い返してみせた。身体能力も含めほぼ全てが未熟な者では
まず成しえない事をしてみせた。然し、不安は多く残る。
鈍重な攻撃ならいざしらず、クリアネルの斬撃に対してはいまだそれは成らず。
尤も、彼女の剣閃に比肩されるような者は、居ないと言える。
「ま、後は、あの子次第かねぇ…、さて、アタシは行くが、アンタはどうする?」
「私は、旅に出る」
「また、強者探しかい、飽きないねぇ?」
「いや、技を磨く」
余程、気に入られたようだねぇ…と、心の中で呟くと、エステシアは軽く右手を振り、
乗ってきた馬の元へと足早に駆け出した。 その馬の荷物袋には一つの書状が入っており、
当然ながら、その差出人はシェジェであり、彼女もまたラシュティエートへと向かう。
そして、それを見送るクリアネルは、ふと、周囲を見回した。
今まで灰色に見えた薄汚い木々は緑に溢れ、傍を流れる運河は太陽の光を受け、白く煌いていた。
不思議そうにそれを見回し、口元に僅かな笑みが零れる。
「…一年か。 これは相当に、永そうだ」
翌日、ブルーは駿馬の足のお陰もあり、もうじきラシュティエートへと戻れる所まで来ていた。
剣の受け皿を越え、天仰の谷を抜けたその先…彼の視界に入ったのは。
「な、何故…」
馬を止め、ただその信じられない光景に目を見開いて絶句している。
それもその筈、谷を抜けた先に見える、ラシュティエート城下町から火の手が上がっている。
一体何があったのか…と、考えるより先に、ノブナガの顔が思い浮かんだ。
「いや…でも、まさか…そんな。 アーネ!!!」
次いで思い出したのは、アーネを一人置いてきた事だった。
シアル・ランで勝ち、相手も兵力を相当数失い、士気の問題もある。
立て続けに襲ってくる事などブルーは考えてもみなかった。
二面作戦の話は聞いていたが、そう簡単に天仰の谷を突破されるとは思えない。
慌てて、馬を蹴り、いまだ黒煙をあげつづけるラシュティエートへと。
**ラシュティエート城下町 大通り**
建造物や品物の焦げた臭いが充満し、太陽を遮るかのように空が黒く染まり、周囲が薄暗い。
その中で、ブルーの目には信じられない光景が広がっていた。
人が…街の人が街の人を襲って…いや、あれは。
「混血児…」
そうだ、間違いない。少なからず、人間の純種とは違う者達が、街の人に襲われている。
逃げ惑う混血種達が、大通りから外れていく道から逃げ惑うように出てくる。
まるで何かに追われでもしているかのように。
「其処にも居たぞ、混血種だ! 歯向かう前に皆殺しにしろー!!!
黒と白のチュニックに鋼鉄製の鎧を着た騎士達が、狭い路地からブルーへと駆け寄ってくる。
友好的では無く、明らかな殺意を秘めた眼差しで、右手に握られた剣や槍を構えながら。
一体、何が、あの鎧と衣服は、ラシュティエートの近衛兵のものだった筈。
「ま、待ってくれ! 貴方達は一体何をし―――」
「死ねぇぇぇぇえっ!!!」
問答無用の袈裟斬りがブルーを襲うが、クリアネルの斬撃に比べれば、遅い。
得たばかりの流水疾風の体捌きには、流れるように相手の懐に潜り込み、
鋼鉄製の胴めがけて、一撃、二撃と立て続けに連撃を見舞う。
一対一、そう、一対一ならば今のブルーに勝てない相手ではなかったが、残念ながら多対一。
彼の背後より、少し離れた位置から、槍の一突きが、彼の心臓目掛けて襲いくる。
それに気付いてないブルーの背に、槍の穂先が触れる寸前、一つの剣閃が槍を叩き落した。
その音に慌てて振り向いたブルーが見たのは、在り得無い存在だった。
黒で統一された衣服に、鋼鉄製の鎧を一部纏って居る為か、周囲の薄暗さと同化しているかの如く、
視認し難い、長い黒髪は後ろで束ねられ、精悍な顔付き、薄暗い中、爛々と光る藍色の双眸。
「ノ…ノブナ…ガ」
「如何にも」
彼は、軽く頷き、自身の存在を肯定すると、虚ろな瞳で周囲を見回す。
今も尚、人間種により、殺戮されるがままの混血種達をその視界に入れた。
「力、持つ者達が、何故、支配されるもの…か」
「貴方は…貴方がこの惨状を?」
「否。我を…混種混生の民を恐れる余り、自らの国の民を自らの手で殺めておるのよ」
「馬鹿な!! そんな事があるはず…」
一つ、軽く溜息を吐くと、彼は何も言わず、馬を蹴り、混血種を守らんとばかりに近衛兵達を
瞬く間に斬り伏せていく。驚くべき事に鋼鉄製の鎧すらも無いかの如く両断しながら。
周囲に居た十数人の兵達を斬り伏せ、天高く剣を掲げた。
「混血の者達よ、我は信長。我も混血なる存在。 自由を得たくば…我に、続け」
そう言い終えると、剣を王城へと振り下ろし、急ぐでもなく、ゆっくりと王城へと前進する。
「ノ、ノブナガ!! この国を落とす気ですか!!」
「是非もなし」
それだけ言うと、どうすれば良いのか、判らないブルーを残し、多くの混血種達を引き連れ、
王城へとまるで散歩でもしているかの如く、ゆっくりと進んでいく信長。
…。彼は混生種の為に剣を? なら、私はどうするべきか。
暫く、アーネ達との出会いと楽しい日々の事もあり、薄れていた記憶が彼を貫く。
息継ぎが荒くなり、視界が狭まる中、父と母が幼い私を連れて逃げる。
その記憶が鮮明に蘇り、現状とピタリと重なって見えた。
同時に、あの人があちらに居れば、私達は幸せに暮らせたのでは無いだろうか…。
混種混生と彼は言った。それはつまり、私とアーネが創ろうとした場所なのでは無いか。
それを彼が実現しようと、行動している…のか。もし、そうなら私は彼を止めるのでは無く…。
葛藤しているブルーは、自分が思うよりも長く時間を浪費していた。
幸いな事に、ゆっくりと行く信長が兵達の敵意を一身に受けている。身の危険はなかった。
彼は答え出ず、と、首を左右にふり、その答えを得ようと、その足は王城へと向いていた。
**ラシュティエート王城 謁見の間**
開かれた城門を抜け、広い庭園を抜け、既に火の手が上がっている場内へと駆け込む。
高そうなカーテンやカーペットにも火が燃え移り、もう間もなくこの城は燃え落ちるだろう。
そんな中を信長を探し、謁見の間へと辿り着いた。
そこには、既に王の姿は無く、大勢の混血種達と共に、信長は居た。
「ノブナガ…」
「火の海の中、また、その顔、その表情でこの信長を見る…か」
「私は、貴方を…貴方に剣を向けて良いのか、判りません」
その言葉に、つまらなさそうに溜息を一つ。 多くを語る気も無いかのように、彼の横を過ぎ去り、
その後を追うように混血種達もまた、ブルーの横を歩き去っていく。
「うぬは天下に何を見る」
「てん…か?」
「何を犠牲とし、何を手中に収むるか、答えられぬならば、此処で焼け、そして、死ね。
これより我は、ツェルムへと向かう、在るのならば、競ってみせよ。
うぬが友は此処には、おらぬ」
ただ、それだけを言い残し、彼は燃え広がる劫火の中へと消えていった。
木々が燃え、弾ける音が次第に大きくなる中、ブルーは天井を見上げていた。
天下…とは何か。判らない。然し、何かを犠牲にし、何を得るか…。
つまりは、何の理想も、覚悟も持たない者はここで焼かれて死ね。そう言う意味なのだ。
私の理想は、アーネと共に…。この時、それを行う事の難しさが手に取るように理解出来た。
そして、その手段の一つであろう方法を採り、行動に移しているのは間違いなく彼なのだ。
私は、彼について行くべきなのだろうか…いや。
それではただ、現状が逆さまになるだけじゃないのか? ならば、私はどうすれば…。
ここで死ぬ気にもなれず、されど死に体が如くに力無く、彼は王城を抜け出し、
多くの兵の屍や、混生種達の屍の横を歩き去り、一人、仲間が居るだろうツェルムへと馬を走らせた。
その時、まだ彼は気付かない。幾度か彼の前に姿を現していた、希薄な存在の女が、
くすくすと笑い、彼を見送っていた事に。