オーリンズの戦い・Ⅲ
「いつまで待たせるつもりだ」
新たな増援として派遣される予定の陸軍第六降下猟兵軍司令官フォン・ヴァイクス陸軍大将に詰め寄られたエルヴィンだが、自分の倍以上の年齢を生きた将軍を相手に平然と向き直り、
「全軍を必ずお送りします」
と泰然と言い返して済ませるのだからエルヴィン・フォン・クロネッカーという提督への疑念は増すばかりであった。
「見せかけだけで何も考えてはいないのではないか」
「アーミテイジでの撤退戦の成功はまぐれ当たりか」
その声が各所で上がるようになったが、エルヴィンは気にする様子もない。形式上の上級司令部である第四軍司令部からも陸軍参謀本部からも出撃を繰り返し求められたが、連邦軍に対して手を変え品を変え“戦術的成功”を重ね続けた。
「一体何考えてるの。毎日司令部からも陸軍からも矢の催促だよ」
ある日アウグスタは問うた。海軍兵学校からの同期であっても、この絹糸のような髪をなびかせる青年の思考を読み解くのは容易ではない。
「敵を困惑させている」
エルヴィンは平然とただ一言だけ答えた。それ以上説明する気はなさそうで、アウグスタの中で彼への信頼が揺らぐというものだった。
七月二五日。エルヴィンは麾下諸部隊に指令を下す。
「艦隊全艦出撃。第七次“豊穣神作戦”を発動する」
作戦名は前任者が幾度も失敗させて来たものをそのまま引用した。
「ついに動くか」
艦艇の準備を終え、いつ次の作戦が始まるかと待ちくたびれていた麾下の旅団長たちは喜び勇んだ。当然そこには彼らの上官に対する不安が確かに鬱積しているのだが。
「前衛に第四八偵察旅団、左翼に第五装甲旅団。以下各旅団の配置を伝達する。輸送船団を防護しつつ、惑星オーリンズⅢまでの補給路を開く」
エルヴィンの指示はこれまで幾度も失敗を繰り返して来た作戦計画と全く同じであったが、これまで“想定外”を重ねて来た麾下の指揮官たちにとってはここだけでも“常識”が守られただけで安堵に足る材料だった。これまで同様失敗するのではないかという不安は等しく抱えているとしても。
作戦に投入されたのは戦列艦、通報艦、戦闘支援艦、高速輸送艦らを合わせ六七一五隻。これだけでは到底前方に展開する連邦軍の堅陣に敵う規模ではないが、それでも補給を届けねばオーリンズⅢの地上部隊が間もなく壊滅するのである。
「偵察艇より入電。熱源を探知。艦数九〇〇〇隻以上と推計」
情報参謀の報告を受け取り、エルヴィンは立ち上がった。
「各旅団に伝達。砲戦用意」
「了解、レーザー通信用意」
既に自分たちがあらゆる周波数帯に向けて妨害電波を放ってレーダーや通信を遮断している状況では自軍の通信も艦隊制御データリンクもまともに機能しない。このような状況では通信UAVや光学通信といった方法で旗艦の意志を伝達することが求められる。
「旗艦より発光信号!“全艦砲戦用意”!」
第五装甲旅団旗艦“ヒンデンブルク”で旗艦からの光信号を解析してコンソール上に自動表示された文面を旅団参謀が読み上げる。
「直ちに実行しろ」
第五装甲旅団長アレクサンダー・フォン・レネンカンプ少将は視線をスクリーンから動かすことなく低い声で命じた。
「全艦砲戦用意!」
参謀が声を張り上げる。
彼と比べて半分ほどの年齢しか生きていない、見た目も男娼として売り出した方が儲かりそうな風貌の年少の師団長に仕えなければならない身を呪ったレネンカンプは数日前まで不機嫌の絶頂にあった。若造に一方的に命令されていつまでも海戦の機会が訪れず、何度職を辞して本国に帰ろうかと思ったか計り知れない。
レネンカンプは二五歳の“狂犬”の玩具にされるために職業軍人としてのキャリアを築いてきたわけではない。堂々と正面から連邦軍の大軍を打ち破るために研鑽を重ねて来たのだ。
「索敵機より報告。敵艦隊は九〇〇〇隻以上と推計」
単純計算で戦艦の数は帝国軍のほぼ一・五倍である。連邦軍の主力艦フォレスタル級戦艦の艦砲は帝国軍のそれより高い打撃力と射程を持つ。数が多い連邦軍の砲戦での優位は疑いなかった。
両軍の布陣と状況を立体映像で表示する戦術テーブルから参謀が顔を上げた。
「せめて長距離砲戦に持ち込まねば、輸送船団の前に艦隊が壊滅します」
「司令部からの命令は」
「ありません」
「このまま敵艦隊に正面突破を?」
別の参謀が答えを求めるようにレネンカンプに視線を向けた。だがレネンカンプとて答えを持っていない。
「どういうつもりだ」
苛立ちを込めて吐き捨てる。
全長一〇八七メートルのザクセン級戦列艦ヒンデンブルクには二四一名の乗員が乗り込んでいる。その全員が各自の持ち場につき、砲戦開始の合図を待ち構えていた。
両軍の相対速度は毎秒三百キロに達する。あと二十分もすれば両軍は砲戦距離に到達するはずだった。
急速回頭命令が届いたのはその一分後であった。
「左十六点回頭だと」
レネンカンプよりも先に声を張り上げたのは参謀であった。
「一体何を考えているんだ、司令部は!」
左十六点回頭は取舵を取って百八十度の反転を意味する。ここまで来ておいて、敵の目前で尻尾を巻いて逃げ出すという意味であった。
「閣下!我が隊だけでも直進し、敵に当たるべきです。我が隊が行けば、友軍も続きます」
血気盛んな若い参謀が主張したが、先任の参謀が制止した。
「我が隊だけが孤立し、一方的に殲滅されて終わりだ。命令には従うべきであります」
「あの狂犬、参謀総長の賢察の通りだったか」
レネンカンプの剥き出しになった歯は彼が命令に到底納得していないことを言葉以上に雄弁に物語っている。
怨嗟の声は何もレネンカンプ少将に限った話ではない。これまで一か月以上にわたり彼の旅団は友軍の救出に動くことなく星系外で待機を強いられた。この間にも陸軍は追い詰められ、飢えている。ようやく主力決戦の好機が訪れたというのに敵を目の前にして撤退とは。
だが、この時の対処法をレネンカンプは師団司令部より更に上位から預かっていた。
「全艦直進!」
レネンカンプの声に先任参謀が首を横に振った。
「閣下、抗命となります!」
「勝てばいい!負けても参謀本部が救ってくれる!」
旅団は直進を続ける。その様は旗艦ケーニヒの戦術テーブルに一分を待たず反映された。
「あいつは何をしている!」
テーブルを叩きつけるエルヴィンの拳の音が周囲の人間の動きを停止させた。
いち旅団の司令官の名前など覚えるに値せず、エルヴィンの脳裏から消去されていたが、彼は今更それを後悔する羽目になった。
第五装甲旅団の一〇二三隻の装甲戦列艦が直進して敵艦隊に向かい、他の各艦は回頭している。
「あの旅団を連れ戻せ!作戦が崩壊する!」
甲高い声で叱咤しても、既に戦闘宙域は妨害電波が飛び交い、電波通信は望みえない。光通信で呼びかけようにもエルヴィンの作戦構想を誰も聞いていない中でレネンカンプを納得させる言葉を持つ者などいなかった。
これが参謀本部の指示?アウグスタは歯噛みした。これではエルヴィンを敗北させるためだけに数十万将兵を犠牲にするようなものではないか。これがレネンカンプの独断ならば彼は正気を失っているに違いなく、上層部の意図なら参謀本部は下劣なことこの上ない。
エルヴィンの視界から急速に彩度が失われていく。彼は自分の地位が砂上の楼閣であることをよく理解していた。彼が説明を放棄したくなるほどに繊細で詳細な作戦計画は、今まさにレネンカンプ一人の突出ですべてが崩壊しようとしている……
呼吸の荒い司令官をアウグスタは小突いた。
「早く指示を出して。私たちで勝手にやってもいいの?」
その一言に青年は目を見開いた。
「させるものか!」
そう吐き捨てて戦術テーブル上で動く立体映像を睨みつける。かじりつくようにテーブルを掴んだ両手は震えていた。
ケーニヒ艦橋の幕僚たちは皆エルヴィンを待った。彼が何かを言わなければ誰も動き出すことができない。この数秒は誰もが強制的に忍耐の限界を試された時間だった。
焦点の合わない双眸は一瞬たりと留まることなくテーブル上を動き続け、正解を探している。それが一点に止まったのは五秒後のことだった。
「我が隊も続くべきだ!」
ネーリング少将の第四八偵察旅団司令部でも意気上がる参謀がレネンカンプの突撃を見て声を張り上げた。
「軽挙だ」
しかしネーリングは断ずる。
「敵の数は我が方より優位、真正面から撃ち合って勝てるわけがない」
しかしこのまま戦おうが尻尾を巻いて逃げ出そうが、オーリンズⅢの戦況を挽回することには繋がらない。時間をかければかけるほど事態は悪化していくのである。
「これが“狂犬”の計画の範疇か否か、彼女は知っているのかな」
そう呟き、ネーリングは嚮導艦に続くよう参謀に指示した。
「これは罠か、それとも錯乱か」
第三四分艦隊旗艦ネヴァダでは指揮官ショックレー少将が敵の熱源の動きを見て当惑していた。
「幽霊艦隊め、我々を弄んでいるのか」
これまで散々ゲリラ戦を展開して連邦軍を苦しめて来たかと思えば突然主力艦隊と輸送船団を出してきて、目の前で二隊に分裂して主力艦の一部だけが突進してくる。
連邦軍の将兵たちからみて、敵の動きはあまりに不気味であった。
「カミカゼか」
嘲笑う参謀もいたが、帝国軍内部の深刻な精神的分断を悟り得た者はいなかった。
「どう対処なさいますか、閣下」
参謀長デンプシー代将が司令官に決断を促す。
既に一か月もの間帝国軍の挑発的攻撃を受け、今まさに目の前に餌が差し出されたかのように敵主力艦が単独で直進してくる。
帝国軍の動きは味方のみならず敵をも驚愕させた。一千隻の戦列艦は簡単に替えが利くような代物ではない。概算で二五万人ほどの訓練された乗員と共に敵火力の全面に突出させて主力は全速力で撤退する様は、兵学の常識で図れる事態ではなかった。
「敵はそれほど追い詰められているというのか、破れかぶれとでも言うのか」
だがすぐに軌道計算を行い、迂回軌道を取ればオーリンズⅢに帝国軍が到達し得る可能性があることを航海参謀が指摘した。
「あの千隻の敵戦艦を餌に、我が軍の追撃を回避してオーリンズⅢに至ろうというのか」
連邦軍司令部が逡巡したのも無理はない。例え戦略目標がオーリンズⅢへの到達にあったとしても、わざわざ主力艦部隊を単体で捨て石にする必要もない。
「罠か、それとも破れかぶれなのか」
常識的な連邦軍にとって敵の動きは読めない。一千隻の敵艦隊など無視してしまえばいい。叩くべきは敵の本隊であり、輸送船団であった。だが戦術的常識からかけ離れた敵の動きが、ショックレーを悩ませた。
「シャーマンを前に出して攻撃させろ。本隊は左に迂回軌道を取って敵本隊を叩く」
その命令は迷いの結果と言っていい。第五装甲旅団一個に対して明らかに過大な、シャーマン代将率いる三四一任務部隊、三二〇〇隻もの戦力で確実に叩き潰そうとしたのである。これで追撃する戦力の四分の一が分離された。
「TF341に指令。加速し正面から攻撃」
「本隊は取舵。針路を算定」
参謀たちがあわただしく動き出す。
第三四一任務部隊が加速する。真正面に迫る敵艦隊を撃滅しようと主砲の狙いを定めた。一方の主力は第五装甲旅団を残し面舵を取って右回頭した帝国軍主力を補足しようとする。これでは砲配置の都合上真正面にしか主砲が射撃できない戦列艦は無力化されるに等しい。
帝国軍の旗艦ケーニヒの艦橋ではエルヴィンが一つの命令を下していた。
「針路そのまま、第四船速まで加速!」
数において勝る敵艦隊に対し友軍を見捨て背後を晒して遁走するのである。
「しかし閣下!」
この命令には参謀長シェーア大佐が反駁した。
「それでは第五装甲旅団が敵中に孤立します!」
「復唱はどうした!」
エルヴィンは鬼神の如き剣幕で迫った。参謀長の首を締め上げかねない勢いで。たとえそれが死地に突撃するものであっても上官の命令は絶対である。それは銀河帝国軍人であれば将校教育の一丁目一番地として教わることであった。
自分より遥か年下の司令官に怒鳴られ、シェーア大佐は顔を紅潮させていた。その彼を見限ったようにエルヴィンは踵を返すと、他の参謀たちに向き直った。
「俺が責任者だ!命令を伝達しろ!」
軍隊の司令部内の光景とは思えない事態の連続に、参謀たちは戸惑っていた。参謀長が直立して硬直したまま、司令官が彼を無視して怒鳴り散らす。誰も動くに動けない状態であったが——
「命令が聞こえなかったの?動いて!」
師団副官アウグスタ・シューラー大尉が両手を叩いた。司令官以外の人間のその一言に瞬時に司令部は再起動した。
「針路そのまま!」
「発光信号!全艦第四船速!」
「両舷四速、宜候!」
狂人としか思えない司令官の差配だが、部下たちは上官の責任の中で動くしか選択肢がない。生死の境目にあっての恃みは、“狂犬”の異名を賜ったエルヴィン・フォン・クロネッカーの作戦が彼らを生きて帰らせてくれることだけだった。
”幽霊艦隊”の出現に始まる第七次オーリンズ海戦は複雑な経緯を辿りながら始まった。




